GWなので(?)エーリッヒ・フロムの「愛するということ」読書会の続編、行ってみたいと思います❣️
去年から連載しているという驚きのペース…
第1章はこちらをどうぞ。
さて、第二章は、「愛の理論」。
まずは、前提として、
人間のもっとも強い要求は、孤立を克服し、孤独の牢獄から抜け出したいという要求である。(p23)
人間って、一人ひとり別の個体なわけで。
とはいえ、「自分」と「他人」の線引きをしてしまうと、ひとりぼっち、あるいは「孤独」という大いなる不安に見舞われてしまう。
人間の不安の源は、孤立である、とフロムは言います。
この問題への原始的な解決策としては、お祭りやセックスといった、興奮状態に入ることで、他者との一体感を感じる経験があります。
しかし、最近は各地でお祭りも少なくなってきましたね
また、
セックスは、ある程度孤立感を克服する自然で正常な方法であり、孤独の問題に対する部分的な答えである。しかし、他の方法で孤立感を癒すことのできない人びとが性的絶頂感を追求するのは、酒や麻薬にふけるのとあまりちがわない。そういう人たちにとっては、セックスは孤立の不安から逃れる唯一の手段であり、結局は孤立を深めてしまう。なぜなら、愛のないセックスは、男と女のあいだに横たわる暗い川に、ほんのつかのましか橋を架けないからである。(p27)
余談ですけど、愛のないセックスがある、って知ったときは、むしろビックリしたんですけど…👀
女性は、相手が好きでセックスすると思いますけど、男性は必ずしもそうじゃないらしいですね
男性は、外見が許容範囲だったら、好きじゃなくても関係もてちゃうって
めっちゃ大事なので、義務教育の教科書に書いておいてほしいです
セックスに対して、男性が「持ってけドロボー」くらいの認識でいるなら(←)、我々女子が狙うべきは、そこじゃなくて、男性の恋愛感情ですね。
以上余談でしたが(笑)、これら「祝祭的興奮」には、3つの特徴があって、
・強烈な経験である
・精神と肉体両方の人格全体に起こる
・長続きしない
とのことです。
上記の長続きしない孤立の回避方法に対して、
人間が孤立感を克服する解決法としてこれまでもっとも頻繁に選んできた合一の形態は、集団、慣習、しきたり、信仰への同調にもとづいた合一である。(p27)
日本の場合は、その解決法は、「世間」という共同体だったのではないかと思います。
その共同体の構成員となることで、孤立の不安をカモフラージュし、安心を得ることができる。
一橋大学社会学部の阿部謹也先生のこれぞ、歴史的名著↓
孤立したくないという要求がいかに強いものであるかがわかれば、他の人と異なることへの恐怖、群れからほんのわずかでも離れる恐怖がいかに大きいものであるかがわかるだろう。…人々は強制されて同調しているのではなく、みずから欲して同調している。(p29)
例えば、日本で、会社からリストラされるというのは、「次の仕事探さなきゃなー」レベルの苦難ではなく、会社という「世間」から抹殺される、つまり自分の存在自体がおぼつかなくなるような実存的危機なんですよね。
なんでオジサンたちは冷遇してくる会社に必死でしがみつくのかわかりませんでしたが、たぶんそういうことだろうと思います。
続く