今日は、陸軍航空士官学校について色々調べたんや
1941年4月1日に入校←あたしの気持ち
選抜試験合格者は、まず陸軍豫科士官学校へ
北村少尉は豫科の6期生
ここで軍人の基礎を勉強するらしい、故に、死に方教える学校や
豫科の時点では、軍人やないんやて
1941年9月 市ヶ谷台から朝霧に移転
北村少尉は最後の市ヶ谷台の生徒やったんや
士官学校が本科に対しての豫科らしい
基本的に学費の心配は無用
中学四年生から受験可能
まぁ、大学の一般教養課程に近いんかな
幼年学校卒業、中学卒業の生徒が進学?可能やった為、中卒と幼年卒の溝は大きかったらしいわ、派閥や
豫科の生活は、移動が軽いjog…肺活量上がるやろなぁ
高度10,000mを飛行できるB29を邀撃すんねんから、肺活量は大事やわなぁ
嶋「毎日校内jogうちやったら間違いなくトンズラです」
胸張ってゆうことちゃうやろが
北村少尉の57期生は、1942年7月に卒業
精神も体格も大きなるやろな
ほんで陸軍航空士官学校(豊岡)に入校←あたしの心
ここから社会人、軍人、空中勤務者となるんや、軍刀の所持
航空士官学校は修武台ともゆうらしい
この入校式にあたしの曽祖父母と大伯父が参加したらしい
曾お爺ちゃんと曾お婆ちゃん、大伯父ちゃんはどんな気持ちで行ったんかな、花の航空科やけど死亡率も高い、複雑な心境やったやろな
ますは、上等兵となり同時に士官候補生となる
ほんで、軍曹→曹長→少尉と出世すんねや
北村少尉は戦闘分科へ
この学校は、戦闘機のありとあらゆることのお勉強と体力作りかな
もちろん、整備、通信、気象とかもするねんて
気象操れたら、安部晴明やん
もしかしたら、北村少尉は陰陽師かも…
特に57期は、教育期間の短縮があったから補充要員としても多くの特攻隊員として散華されてるんや
同期のイケメンさんも散華されてなぁ…イケメンは貴重な国家財産やのに
嶋「(国家財産って)」
お前かて、イケメンに萌えとるやないか
嶋「………」
ほんで57期の特徴は、隊付勤務を省略して、飛行学校ですぐに使える人材として、送り出したんやて
1944年3月卒業や
卒業式の日ぃは、生憎の雨でな、卒業生の戦闘機ショーが中止になったらしいわ
どうやら嶋が雨女なんは、北村少尉からの遺伝子やな
北村少尉、もっと嶋にエエ遺伝子あげへんからこんなアホになってしもたやんか、責任重大やで
嶋「北村少尉からはエエ遺伝子貰ったから、この気品あふれる美貌に知性あふれる頭脳なんですよ」
アホって幸せやのぅ、嶋、お前は美しいんとちゃうか
嘘はようつかんから、目ぇは開けれん
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