波乱万丈なわたしの人生の「闇の部分・波乱な出来事」を振り返る物語

43話目の今日は


父の死について。


 

前回の記事はこちら↓



わたしは父がずっと苦手でした。

 

すぐ怒って大声で怒鳴りまくるし

 

テーブルひっくり返したり物を投げたり

 

母のことをぶん殴り続けたりしてたから。

 

だからいつも怯えてて

 

高校から家を出て寮生活はじめたのも

 

そんな父と怖い家庭環境から

 

早く離れたかったから。

 

だと思う。


 

当時はそんな自分の内面を認識してなく 


ただ「JALのCAになりたいから

 

英語がたくさん勉強できる高校に行きたい」

 

と思っていたけど。

 

 

だから父が病気になったと聞いても


全然ショックでもなかったし

 

お見舞いのための帰省も一度しかしなくて

 

ぜーんぶ姉に世話を押し付けてました。


まぁわたし自身が2人の子育て中で

 

起業もしてあちこち飛び回ってた時代だったから

 

忙しかったというのもありますが

 

何より

 

とにかくエネルギーみなぎりまくってた父だから

 

「人類が滅亡してもこの人だけは生きてるよな」

 

と思ってて

 

病気って聞いても

 

「大したことない。

 

わたしを帰省させたいから

 

ママとおねぇちゃんが大げさに言ってるだけ」 


としか思ってませんでした。

 

 

でも亡くなっちゃいましたね。

 

78才で。





 

悲しいとかはなかったですね。

 

ホント

 

小さい頃からずーっと苦手だったんで。

 

 

ただ

 

自分が離婚して一人で子育てするようになった後

 

「家族を養うために働き続ける男の人って

 

大変なんだなぁ」

 

とすごく思いましたし

 

父は学校の仕事が終わって帰宅したあと

 

ほぼ毎日

 

地域中の子供たちに習字を教えに回ってて

 

その姿をすごいなーと思うようになっていたので

 

そこはとても尊敬していました。

 


で、その話をあるとき姉にしたら

 

「それ、パパにちゃんと伝えり」

 

と言うので

 

手紙を書いたことがあります。

 


そして亡くなる前夜は

 

わたしが病室に泊まったので 

 

「もうこれが最後かな」と思い

 

父の耳元で

 

「パパ、育ててくれてありがとう」 

 

と伝えました。

 

すると意識のない父でしたが

 

コクンとうなづいてくれました。

 


その2つの想いをちゃんと伝えられたから

 

まぁ思い残すことはないかな。

 

「父がもーっと優しい人だったらどれだけよかったか」

 

という思いはいまだに拭えませんが。

 

あ、未練タラタラですね(笑)


 

てなことで


苦手だった父は亡くなったのですが

 

その葬儀の日

 

腰が抜けるほどビックリなことがびっくり

 

次回はそれについて書きますね。

 

Tn be continued 飛行機

 

てか

 

なんでそんな驚くこととかばっかあるんだろ。

 

わたしの人生って

 

ナニ⁉️(笑)