ほんの数回、職場に荷下ろしに来た父にタイミングが合って会ったりしていたけど、肩に抗ガン剤を投薬する医療具を付けてたのを自慢気に見せてきてチタンでできているんだと言って…
いくらチタンと思う?
なんていつも通りのつまらないギャグを言ったりして…
癌を患って抗ガン剤治療してるとは思えない程元気で変わりなく
ただ、癌なだけであっていつも通りの陽気な父だった。
だから絶対に癌になんて負けないで笑いながら生き続けるって思っていた。

そんな父が危ないかもしれないってなったのがお盆の時で…
弱った父なんか見たくなかった私は会いに行くのをずっと渋っていて…
本当に危ないかもしれないと言われて対面した父は
ガリガリに痩せこけて弱々しくなっていた父だった。

絶対に泣かないって思っていたのにボロボロボロボロ涙が溢れて辛くて苦しくて。
ああ、本当に父はいなくなるんだって認めざるを得ない状況になってしまって

その日は1日涙が止まらなかった。
どんなに頭で分かっていた事!と思っていても意識に反して涙は出続けた。

その後何故かまた少し良くなったり悪くなったりを繰り返したりして。
旦那と親父らしいねって笑って話していました。

辛くてどうしようもなくて逝かせてくれってわがままを言っていたりしたみたいだけど
私は、そう簡単には逝かせてもらえないんだなって。
今までの罰がここで来たか!って思ったり…

何だかんだで最期は薬で意識もほとんどないまま
静かに息を引き取ったと聞きました。

8月の頭までは普通に働いていて、無理だと思っていた11月の誕生日を迎えられて、年越せないかもから年を越し…

その後仕事が忙しくなるって分かってから静かに逝くなんて、父らしい逝き方だったのかもしれないね、なんて

お世話になった仕事関係の方々と話していました。



散々周りを振り回し、色んな人に迷惑かけた父でしたが

葬儀では沢山の人が父の為に涙を流し手を合わせ
その光景を目にして改めて父を誇りに思った。

骨壺を抱く後妻、位牌を持つ後妻の娘さん、父の遺影を持つ私の姉…

何だこの状況は!?って内心思いながら最後の別れを告げました。


最期まで好きなように生きて、やりたい事をやり尽くし、仕事も次の世代に託す事もできて

何より残していった父の血を継ぐ者が沢山いる
孫は総勢13人。ひ孫は2人。

全てをやり尽くして旅立って行った父。

父と対面したあの日、最後に父が放った言葉は「またな」だった。


葬儀が終った翌日、いつも通りの日常に戻り仕事をしてたら
悲しいとか辛いとかそういう気持ちは一切ないのに何故か出てくる涙…

まだ心の何処かで引っ掛かってる事でもあるのかな?
それとも、それだけ父の存在は大きかったのか…とか思いつつ

ここに吐き出そうと書き出しました。

相続だ〜何だ〜かんだ〜と色々ありそうで身構えてますが 笑
他所に私達姉弟以外の子どもが居なかったことに心から安堵しています 笑

とにかくどうしようもなかった父だけど、世界でたった1人の父親であり、父が居たから今の自分が居るのは事実なわけで…。

父の背中を見てきたから姉弟皆、仕事熱心で真面目にやってこれた。

ありがとうって言わなかったけど

きっと何処かでお酒飲みながらガハハって笑いながら見てるんだろうな…。

お父さん



長い文章になってしまいましたが
最後まで読んで下さりありがとうございました。