こんにちは

気持ちの整理の為、ここに書き留めておきたいので記しておきます…。
長い文章なので2つに分けました。

こんな家族の形もあるんだなって位の気持ちで読んでいただけると幸いです。

少しお久しぶりのブログですが、1月10日に無事に父の告別式を終える事ができました。

母とは離婚していて後に再婚。
式の段取りは後妻と父の下で長い事働いていた、私の東京にいた頃の保育園時代の同級生でもあるA君が行いました。
斎場は父の住んでいた東京で執り行われました。


斎場には父が生前、毎年呼ばれていた盆踊りで太鼓を叩いている動画がエンドレスで流れていて…

湿っぽい雰囲気が嫌いな父に相応しいなって思いながら

祭壇には沢山の方からのお花が飾ってあって。
こんなにも沢山の方々に慕われていたんだなっていう想い。

後妻の娘さんとそのお子さんが、父にじいちゃんじいちゃん!と泣きついている姿を、なんとも言い表せない感情で眺めている自分…

悲しいとか憎いとか妬ましいとかは全く無く、終わりがくるのはもう前々から分かっていた事だけど…

なぜだか分からないけどずっとずっと涙が溢れてきてしまって

2回目の焼香で父に、バカヤロウと小さく言っている自分がいました。


その意味も自分でもよくわからない。

何だか感情が迷子になっています。

父は昔からやりたい放題で生きてきて、幼少期の頃に住んでいたアパートにいわゆる反社会的勢力の怖い人が(女性関係のトラブル)怒鳴り込みに来たりしてて…。
怒号が怖くて怖くて、私は怒号が今でもトラウマ 笑
アパートに幼かった私達姉弟を残して母と飲みに行ったりは当たり前で。
その都度、お隣のおばちゃまが面倒を見てくれていました。

ギャンブル大好きで酒タバコ、よく母に怒鳴っていた父、あまり家に居なかった、取っ替え引っ替え愛人を作っていた父。
それでも仕事に対しては真面目で誠実だった父。
色んな人に慕われていた父…。
弱音を吐かない、いつも笑ってつまらない冗談ばかり言ってた父…。

そんな父親だったけれど、私達姉弟は誰一人とも道を外れなかった。
(父が怖かったのもあるのかもしれないけど)
父を知る人皆からよく言われたのが、よく誰もグレなかったね〜です 笑

きっとそうはなりたくないって気持ちが皆強かったのかなって今は思う。

絶対に父と母のようにはなりたくない!
それが私達姉弟に共通した強い想いでした。


好き勝手生きて散々家族を振り回した父。

それでも母との離婚は、茨城の家(現在私の住んでいる家)のローンを完済し、最後まで独り身だった1番下の末っ子の妹が結婚したのを見届けてからという父なりのケジメ?だったのか本心は分からないけれど。

いつも持ち歩いてたセカンドバッグに私達姉弟の写真が入っていたの知ってるよ。
小さい頃は仕事の現場や色々な所に連れて行ってくれた。

どんなに最悪でも好き勝手やっててもそれは父の人生だからと私を含め姉弟達も思い詰めたりとかそういうのは一切なくて、割り切っていたし、何でも出来る強くてカッコイイ父を誇りに思っていた。

2019年1月に母に離婚を告げ数ヶ月後に再婚。
その後すぐに癌が見つかって。

とっさに思ったのは因果応報ってあるんだなって事でした。

余命は1年。
まさか父がという思いと、父はきっと癌になんて負けないって皆思っていました。


長くなるので続きます