L25 というフリーペーパー(http://l25.jp/ )
毎週木曜発刊とは聞いてますが、とくに絶対に読みたいとか意識しているわけでもなく、
たまにタイミングが合って駅で残っているのを見かけたら読んでみたりすることもあります。
ちょい前の週のには、
『彼に会話をはぐらかさせない“恋愛質問力”養成講座』なる見出しがっ。
そのときなんとなく朝の通勤電車内で読んでいたのですが
すっごくkawazu8のもやもやの核心を突いていてまとめてあり面白かった~
えらく納得したり、反省したり。
そして、『そうはいうけど、それでもね何かが・・・』などなど
つぎつぎに自問自答が広がる感じがあって。
こういうのが好いですよね、本やらなにやらの外的刺激って
(私の読書・・・ぜんぜん社会のためになるような志がある理由でなく、あくまで自分内のささやかな探求で)
どうにか紹介したくとも
上記のリンク先を見ても、そこには記事については詳しく書いてないんですよ。
どこまで私が雑誌から引用してしまってよいのか判りませんが・・・
L25 (L25 2009 08.27/09.03 No.114 発行:株式会社リクルート) のその記事によると :
そもそも、会話をしていてはぐらかされたと感じるのには、
本音を伝えずに、その本音に対するフォローを相手に求めているからだそう。
本当に伝えたい部分や、伝えて来て欲しいと思っている部分の自分の本音を
直接言葉にするのではなく、問い掛け、”質問”のカタチにして察してほしがったり、相手から引き出そうとする。
そういう、意識的なのか無意識なのか本人の本音が良くあらわれていない問いでは、
相手には意図など伝わらず、相手に考えることを強いていたりで、質問自体が答えをはぐらかすのが楽だと感じさせてしまうものとなってしまう上、
質問側でも相手を操ろうという心が働いてしまっていて、答えを貰っても『そういうことじゃないよ』とか『察してよ』とイラ立つ。会話がこんがらがってしまう。質問しておきながら本当に聞きたいところだったりは別にあるから。
例だと
“最近電話減ったよね?” などと問いかけをし、相手からの解答で不安を解消できるのを期待するのでは、相手の “そんなことないよー” との答えにはぐらかしだとイラつく。それならば直接電話が減った気がして不安だといえばよいとのこと。 “今週末どうする?” と 予定を聞いて “まだわからない” と言われはぐらかされたとイラつくのでなく、デートしたい気持ちや、日にちをとりあえず決めたい旨まず伝えれば 『はぐらかされ』 ないと。
などなど。
よくわかる、痛いほどよくわかります。
確かにそういう問いかけやっています!!!と。正しい!!!と。
仕向けようとする、操ろうとは・・・してますねぇ。
なんて要求的なんだと。Guilty as charged・・・
こう並べられると。(変な接続詞ですが)
確かにそのはぐらかされと感じること自体への解決法は、
本音をそのまま直接伝えてそれに対して答えてくれるように依頼することなのでしょうと納得します。
コミュニケーションって、
ただ自分で放てばいいってものでないわけで。
伝わらなければ意味がない、ならば相手に伝わるようにしなければ。
でも。
もちろん・・・こと恋愛間では、本音を伝えたいってことはあって、それが目的ではあるのですが・・・
それ以外にも、もしかするとそれ以上に。
もっと・・・
明らかに意思表示した何かをそのまま受動的に引き受けるのでなく、
自ら自然に想い及ぼう、及びたいと・理解したいとしてくれる、そのこと自体にも何かがある気がする。
時には相手からこちらの気持ちに想い及んできて欲しい、想い巡って欲しい。
それ自体も尊いと。
察してほしいという部分、それ自体も目的というか・・・だったりすると。
私それ多いです、たぶん
それが操っているってコトなのかな~ そうだよな~