応援するっていうこと | 手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

神・仏・天使。そして、「あなた」の光を、緋呂が描きます。陰陽併せ持つ「人間」の中に、すべては在る。
描くべきもの、進むべき道。すべては、手が知っています。

「諦めない人」が、好きだ。

今、自分の望む状態にはいない…いられないけど、それを諦めてはいない、という人。

希望を手離さない人。

しかし、決して妄念にはせず、柔軟に、追求していける人。



諦めないといっても、「それしか考えられない」というのは、ただしがみついてるだけだから。

そうなると、また別の抵抗が生まれて、望む状態は遠のく。


でも、それもまた、一つの通過点。

そこから見えるものも、ある。


とにかく。
自分の道の先に、望む状態がある…ということを諦めない。

そして、疑わない。
最終的に、信じる。

疑問はあってもいい。
それがないと、見つからないものがある。

しかし、結果を疑わないこと。



そういう人を、応援したい。

あなたは必ず、たどり着く。
私もそれを疑わず、最終的には全て丸く収まる…そこに通じる道のお供になるように。

勇気を。
希望を。
元気を。
人間であることの意味を。
人を応援するもの達の存在を。

描いて、見えるようにする。




私は、自分が絵に描く姿に、それが本物だとか、真実だとか…そんな「証明」は、要らない。

見る人がどう感じるか、それが全て。

見る人が、身につけてくれる人が、そこに何かを感じるなら、その感じることが、本物。
感じないなら、それも、本物。


効力があるとかないとか。
御霊が入ってるかどうかとか。
誰が保証したのしないの。


それに、何の意味がある?


神社で売ってるお守りは、ある意味「本物」だし。

でも、あれは、専門の業者が大量生産している「お土産物」に限りなく近い。

それでも、持つ人によっては、ものすごい力を発揮する。

その力は、「お守り」という商品が発揮するのではなく、持つ人や、贈る人の想いと信念が発揮する、人の力。

神は、それを「後押し」するだけ。

というか…

後押しするのが、神の役目というか…。
それ以上は、むしろ、したらダメなんじゃないのかな。


後押しする「だけ」っていうと、なんか、アレやな。

後押しがある、ということは、ホンマは、凄いこと。
相身互いだと言っても、本当に、凄いことなんよ。

まあ…私は、それがわかってるから、余計にムカついてたんやけどな(笑)

ホンマに、親に反抗してるガキんちょと一緒で(笑)

そう、アレよ、アレ。
「魔の2歳児」の、なんでもとにかく「イヤ~!」って言わんと気が済まん…という(笑)

そこは、ようやく、通過しましたわ~。
我ながら、しょーもない(笑)



嫌悪や恨みのカケラを奥底に持ったままで、神を「利用」しようとしても、うまくいかない。

それは、わかっていた。

やっとそれを溶かし去ることが出来たな、と、感じる。

やっと、これから、本来するべきことが、始められる。



手を焼かせたかなあ~(笑)
焼いたんだろうなあ~(笑)(笑)

まだ、焼かせると思うけどね(爆)




応援…というキーワードは、本当に、すごい威力があった。

その本領というか…本当の力というか。
それを心の底から感じたのは、この5月。

とある人が見せてくれた、心の底から、大事な人を応援する姿勢。

それを見て、感じて。

神はこれをしてるんだ…と、初めて、そこがリンクした。


後押し、ということの、本筋。
本来の在り方。

その、ものすごいパワー。



それは、人間がもともと持っている、とても神聖な力の一つ。

だからこそ、神は、人を応援する。



導くとか、救うとかいうのは、私はどうも違和感があって、ダメ。

けれども、応援する、というのは、ぜひ自分もしたいと思う。


自分がされたら嬉しいけど、するのは、もっと嬉しい。

その相手の人が、よい方へ向かってくれるのを見る…という機会に恵まれたら、もうそれだけで十分に幸せになれる。


6月には、そこまでは、体感として掴めてきてた。



7月8月と…それを裏取りするような出来事が、いろいろと起こった。
いいことばかりじゃない。
それは、当然。


でも、その中から、さらにつかみ取ってきたことが、いろいろある。



さてと。

この感覚を、現実の行動として…仕事の中に組み入れる、っていうのが。
当面の、大きな課題。

やり甲斐ありまっせ~。





ってところで。
本日は寝るのだ。

台風で頭痛いんっすよ…なんか今日は、それだけじゃなしに、妙にハイな感じだけど。
酔ってないからね(笑)