まだ、まだ、まだ。
私は、己の身の振り方というのを、保身をベースに考えようとする癖が外れない。
ある出来事と、それにまつわるいくつかのことが、それを炙り出してくれた。
三度目の正直。
一回目は、若かった。
経験値が圧倒的に不足していた。
未熟というレベルですらなかった。
二回目は、脆弱だった。
自分の軸も、まだ、ちゃんと掴めていなかった。
頼るということの適切な用法を知らなかった。
自分の羅針盤を読めなかった。
今なら。
今だから。
私の羅針盤。
私の北極星。
その示す方向にあるものは「自分も人も大事にする」と、書かれている。
それは、「己の安寧だけは確保する」というのを、意味しない。
保身を考えるなら、そもそも、最初から、するべきじゃない。
それはわかっているのに、対処を考える時無意識のうちに、保身をベースにしていた。
そんなことじゃ、うまくいくわけない。
二度の空振りの経験をムダにはしない。
自分を犠牲にもしない。
想像するに…こんなケースを人生で三度も経験する人間って。
そんなに、多くはいないと思う。
おかげさまで、お手本はないし、事前調査も大してできないし、何かと照らし合わせることもできないし。
あるのは、羅針盤と、自分のカンと、経験値だけ。
あ…前の二回にはなくて、今あるもの…というのが、他にもあった。
信念
人が言う、今の心…と書く。
今の心を、人が言う(使う)…つまりは、言霊。
二度目の空振りの時。
私は、波動砲でドアの鍵穴を撃って扉を開く…という感覚を持って、あることに臨んだ経験をしている。
高出力の一撃は、扉どころか、その空間全部をぶっ飛ばして破壊するかも知れないけど。
使えるものは、それしかなく。
細心・最深の注意力と集中力をもって、その小さな鍵穴にエネルギーを通す。
その時は、成功した。
今でも、あんな集中力を使って人と接したことは、二度とないように思う。
結局その後、全体が空振りだったということになるのだけども。
一つ一つは、全て、経験値として積み重なっている。
今必要なのは、撃つための道具ではない。
何が必要かは、わかってる。
…たぶん、正解だと思う。
三度目の正直は、石の上にも三年…以上かも知れない忍耐を必要とするけど。
大丈夫。
それは、問題ない。
なんせ、私は亀だから(笑)
私を「水の龍」だと言う人が、ここのところ、何人もいるんだけど。
やっぱり、龍っていうより、亀だと思うな。
亀ほど賢くないのがナンだけど(笑)
△大好きなガラス作家「1cmの宇宙」中田さんに作っていただいた、宇宙を泳ぐウミガメ。
暗いところでは、青い玉(地球)が、光ります。