ミッション | 手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

神・仏・天使。そして、「あなた」の光を、緋呂が描きます。陰陽併せ持つ「人間」の中に、すべては在る。
描くべきもの、進むべき道。すべては、手が知っています。

会社の帰り、最寄り駅の駐車場で友人にメールを打ってたのですが。
車に乗る時には分厚い雲で覆われてたのに、メールを打ってる間に雲が切れてたらしくて。
ふと、顔を上げたら、目の前に、どーーーーんと、登りはじめたばかりの巨大な満月が。
視界の真っ正面に浮かんでました。


焦った。


地平線近い、大きな月は、今でもドキッとする。


で、走り始めて、すぐ、見てみたら、もう、隠れてた。


あの一瞬だけかよ…と。

なんか、ちょっと…。

ねぇ?





以下は、友人にメールで送ろうとしてたのを、思い直してこちらにUPすることにした文章です。

一人にだけじゃなくて、ここに書いておいた方がいいかも知れない、と思ったのです。

満月が見てたしねえ。


この数日間に起こった、いろんなことやら。
この4月に起こったいろんなことやら。
今も進行中の、いろんなことやら。

そういうことを、全部、通して。
ここらで、一本通しておかにゃ…と、思ったことです。






今日。
会社から徒歩で名古屋駅まで行く道々、自分のミッションを、決めました。

ある意味「非常に虫のいい夢」です。


でも、多分、これから先には、それくらいのことを「思いこみ」でも何でも、してないと、できないと感じて。

お題目でも、なんでもいいから。

それを常に掲げておくことに意味がある…と、思いました。


なぜ、神仏天使を描くのか。
その理由を、今までは、非常に消極的なものとして、人に話してました。
なんでやってるのか、わからない…だし。
好きに描いてるのともちょっと違うから、抵抗感もあるし…だし。
なんかいいように使われてる感もあるし…だし。

確かに、好きでやってるとは言い難いところはあるけど。

でも。

人にも共有してもらうためには、それじゃダメだからね。


何で神仏天使なのか…と言えば。

やはり、それは、最終的には、世界平和のためですから。






と。
ここまで、書いてあった部分です。

世界平和。


私は、ほとんど無宗教に近いです。
信仰は、持ってます。
それは、アニミズムみたいなもので…とても原始的根源的なものです。

今は日本の神様を多く描いてますが、それを信仰してるわけではありません。
(そもそも神道は宗教じゃないけどね)

他の宗教の神を描くことがあるけど、それも、信仰ではないです。


そんな自分が神仏天使を描く…と。

おかしな話なんですけど。

信仰してないからこそできること…というのも、あって。

どの神が一番だ、とか、絶対だ、という観念は全くないので。



けれども、神や仏や天使というのは、人の内側に一定の「想い」を想起させる対象である、というのは間違いない。
マイナス感情が喚起される人も中にはいるでしょう。
また、それらを悪用する人もいる中ですから、私が描くものをきっかけに、なんか間違った道に入り込む人っていうのも、もしかしたら、いるのかも知れない。

その可能性はあります。

現実に、神はナンだ…という議論になれば、私が描くような記号的な、キャラクター化した姿は、まやかしである…とは、確かに言える。
私自身、そう思う。

第一、私のしていることって、いわゆる「二次創作」みたいなものですからね。


そういうものを、すべて含んだ上で。
それでも、描くことを、選ぶわけです。


そんなにジマンできるほど腕があるわけでもなし。
なのに、強気に、出るわけです。


それはやっぱり…。

まず、自分の国に坐す神の「存在」を、知ってほしい。

去年は古事記編纂1300年記念だったし、今年は伊勢と出雲で遷宮がある…ということで、日本の神様たちは今までになく、表に出られる機会が多くあります。
再認識されはじめた。

もっと、知っててほしいです。

まず、知ることから。


格調高すぎる古い様式の絵よりも、キャラクター化された絵は、とっつきやすいから。
親しんでもらいたい。
(少々腐女子臭を感じるかも知れませんけどwww)

とっかかりができたら、そこから、もっと造詣を深めていく人はそうしてもらえばいいし。
単に、ちょろっと知っただけでも、知らないよりはいいと思う。


他の国の有名な神々とは、日本の神様はかなり様相は違いますけども。
自国の神を知る、というのは、他国との文化のぶつかり合いが起こる時、支えになると私は思うのです。

そうして、他国の神々とも続いたところにみんな、いる…と。
そんな感覚になっていってくれる人が、一人でも出てくれれば。

最終的には、みんなモトは一つの存在なのだ、ということが、だんだんと浸透していくに違いない。

神が上とか、絶対者だとか、支配者だとか、創造主だとか。

人は救済される対象だとか。

原罪とか。

誰が誰を救うの、引き上げるの。

なんか、そんなことは、どうでもいい話やと思うのです。

そうなってほしい。

だったら神なんか意識しない方へ行くべきじゃないのか…と。
うん、それも、あります。

でも、在るものは、在るんだよね。

無いことには、できない。

みんな、在るのだから。

ただ、垣根というか…意識差というか…

なんか、そんな区分けがなくなっていってほしい。



長い時間がかかるだろうけど。
千里の道も一歩から。


間違うこともあるだろうし。
これからも、まだまだ、種としての大きな辛いことに直面したりは、すると思う。

でも、やっぱりそういう時に支えとなるのは、何を信じるか、どう納得するか…ということなんだと、思う。



そこに至る、そのための、わかりやすい旗を立てる。

そういうものを、描いていく。




それを、ミッションとしていきます。







あーあ。
書いちゃった~。


だいたい、ミッションとかいう言葉は好きじゃないんやけどねえ。
他にいい言葉がないからねえ。

…って、そゆことにこだわると、グタグタになるんやけどね(笑)