僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る | 手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

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神・仏・天使。そして、「あなた」の光を、緋呂が描きます。陰陽併せ持つ「人間」の中に、すべては在る。
描くべきもの、進むべき道。すべては、手が知っています。

2011.12.08→2012.06.22→2013.02.03→2013.06.14本日。

この詩は私の基礎の位置の地図。
思い立った時に上げていきます。


詩の後に書いてある文章は、2012.06.22の時のものです。
そこも、そのままUPします。


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高村 光太郎 (1883~1956)



道程(原形)  


どこかに通じている大道を僕は歩いているのじゃない

僕の前に道はない

僕の後ろに道は出来る

道は僕のふみしだいて来た足あとだ

だから

道の最端にいつでも僕は立っている

何という曲がりくねり

迷いまよった道だろう

自堕落に消え滅びかけたあの道

絶望に閉じ込められたあの道

幼い苦悩にもみつぶされたあの道

ふり返ってみると

自分の道は戦慄に値する

支離滅裂な

又むざんなこの光景を見て

誰がこれを

生命の道と信ずるだろう

それだのに

やっぱりこれが生命に導く道だった

そして僕は此処ここまで来てしまった

このさんたんたる自分の道を見て

僕は自然の広大ないつくしみに涙を流すのだ

あのやくざに見えた道の中から

生命の意味をはっきり見せてくれたのは自然だ

僕を引き廻しては眼をはじき

もう此処と思うところで

さめよ、さめよと叫んだのは自然だ

これこそ厳格な父の愛だ

子供になり切ったありがたさを僕はしみじみと思った

どんな時にも自然の手を離さなかった僕は

とうとう自分をつかまえたのだ

ちょうどその時事態は一変した

俄かに眼前にあるものは光りを放射し

空も地面も沸く様に動き出した

そのまに

自然は微笑をのこして僕の手から

永遠の地平線へ姿をかくした

そしてその気魄が宇宙に充ちみちた

驚いている僕の魂は

いきなり「歩け」という声につらぬかれた

僕は武者ぶるいをした

僕は子供の使命を全身に感じた

子供の使命!

僕の肩は重くなった

そして僕はもうたよる手が無くなった

無意識にたよっていた手が無くなった

ただこの宇宙に充ちみちている父を信じて

自分の全身をなげうつのだ

僕ははじめ一歩も歩けない事を経験した

かなり長い間

冷たい油の汗を流しながら

一つのところに立ちつくして居た

僕は心を集めて父の胸にふれた

すると

僕の足はひとりでに動き出した

不思議に僕は或る自憑(注:自分をたのみにする)の境を得た

僕はどう行こうとも思わない

どの道をとろうとも思わない

僕の前には広漠とした岩畳(がんじょう)な一面の風景がひろがっている

その間に花が咲き水が流れている

石があり絶壁がある

それがみないきいきとしている

僕はただあの不思議な自憑の督促のまま歩いてゆく

しかし四方は気味の悪い程静かだ

恐ろしい世界の果てへ行ってしまうのかと思う時もある

寂しさはつんぼのように苦しいものだ

僕はその時又父にいのる

父はその風景の間に僅しながら(ただいながら)勇ましく同じ方へ歩いてゆく人間を僕に見せてくれる

同属を喜ぶ人間の性に僕はふるえ立つ

声をあげて祝福を伝える

そしてあの永遠の地平線を前にして胸のすく程深い呼吸をするのだ

僕の眼が開けるに従って

四方の風景はその部分を明らかに僕に示す

生育のいい草の陰に小さい人間のうじゃうじゃ匍(は)いまわって居るのも見える

彼等も僕も

大きな人類というものの一部分だ

しかし人間は無駄なものを棄て腐らしても惜しまない

人間は鮭の卵だ

千万人の中で百人も残れば

人類は永久に絶えやしない

棄て腐らすのを見越して

自然は人類のため人間を沢山つくるのだ

腐るものは腐れ

自然に背いたものはみな腐る

僕は今のところ彼等にかまっていられない

もっとこの風景に育まれて

自分を自分らしく伸ばさねばならぬ

子供は父のいつくしみに報いたい気を燃やしているのだ

ああ

人類の道程は遠い

そしてその大道はない

自然は子供達が全身の力で拓いて行かねばならないのだ

歩け、歩け

どんなものが出て来ても乗り越して歩け

この光り輝やく風景の中に踏み込んでゆけ

僕の前に道はない

僕の後ろに道は出来る

ああ父よ

僕を一人立ちにさせた父よ

僕から目を離さないで守る事をせよ

常に父の気魄を僕に充たせよ

この遠い道程のため



  
大正3年2月9日 「美の廃墟」3月号に発表




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この中に、私が己の道筋を再発見するに至ったエッセンスが…

おそらく、「全て」と言ってもいいのではないか。

それが、この中に、書かれている。



教科書で見た時、この詩はもっと短く、9行しかなかった。



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僕の前に道はない

僕の後ろに道は出来る

ああ、自然よ

父よ

僕を一人立ちにさせた広大な父よ

僕から目を離さないで守る事をせよ

常に父の気魄を僕に充たせよ

この遠い道程のため

この遠い道程のため


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2013.09.24 追記

以前ここに書いてあったことは、今の自分とはちょっと観点も感覚も違っていた。
残して、さらに今の感覚を追記しておこうと思ったけれど。
すでに、残しておく意味が感じられなかったので、ざっくり削除編集し、一部だけ残しました。




前も後ろも、道は無い。

通ってきた道は、通り過ぎれば霧散していく。
後には、道の蜃気楼があるだけだ。



また、道というもの…一本の線のようなものではない。

それは、果てしない点の繋がりのようなもの。


「今」は、「今」しかない。