3枚連続で描いたことで 3 | 手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

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神・仏・天使。そして、「あなた」の光を、緋呂が描きます。陰陽併せ持つ「人間」の中に、すべては在る。
描くべきもの、進むべき道。すべては、手が知っています。

3枚連続で描いたことで
3枚連続で描いたことで 2

上の記事の続きです。

なんか、いろいろと途中書きになってるシリーズがあるような気がして仕方ない(^_^;)
天使の絵の始まり話、忘れてませんよ、ええ。
というか。
この「3連続の話」に関わってくるかな。



とりあえず、記憶が鮮明なうちに、このシリーズを終わらせておきます。
じゃんじゃん新しいことが起こると、どんどん忘れていってしまう(^_^;)

なんせ、3枚連続で描いてわかってきたことのうち、一番大事なことをまだ書いてないので。


それというのも。

私は、「絵を描かずに」エネルギーワークだけとか、ヒーリングだけとか…そういう取り組み方をしていたら、一生、わからなかっただろうな、と、非常に強く感じているのです。

もちろん、もともとが、絵のためにエネルギーのことやヒーリングを習うことにしたのです。
それは、「天使の絵の始まり」シリーズにも書いたのですがね。


エネルギーワークもヒーリングも、習っている時はもう、「????」の連続で。
正直、なんのこっちゃ…という感覚でした。

イメージワークが苦手だし、NLPで言うところの聴覚型でもあってさらに体感が弱く、己の感覚であるにも関わらず、なかなか、何を今感じているのか…ということが把握できなかった私。

先生にも、他の人にも、いくら
「感じてないのじゃなく、気がついてないだけ」
と口を酸っぱくして言われても、全く???なままでした。


ヒーリングは卒業実習で実際にモニターさんを募らせていただき、10数名の方に遠隔させていただきました。
感じたことをレポートに書いてお渡ししました。

私は、終始こういう調子で事細かにあれこれ書きますので、レポートはかなりぎっしり詰まったものだったと自分でも思います。
しかし、自信がなかったので、自分オリジナルの要素として、その方の守護天使のイメージをスケッチしてお渡ししてました。

結局、その時は、遠隔ヒーリングをお送りし、レポートはお一人あたりA4にして平均6~10ページ。
その中にスケッチ画を貼り込んでお渡しするか、別途加算下さった方にはちゃんとした絵をお送りしてました。

ヒーリングに需要があるのか、絵に需要があるのか…と。
そこまでまた、少々悩みましたけども。
自分としてはヒーリングを続ける意志が薄かったので、仮に需要のメインがヒーリングだったとしても、そっちの道はとりませんでしたね。

(この段階では、まだ、「需要が高いのはどっち?」という悩み方をしてました。何をしたい?ではなくて)



あの実習はこのためだったのか…と、後で実感するほどに、その時に皆さんの天使を描いたことは良かったのです。

あれがなかったら、私はたぶん、自分の感じていることを自分で知覚できるようになるまでに、もっともっと時間も練習も…悩みも、必要だったと思います。

描くことで、お客様それぞれの持つエネルギーの違いというものが、自分自身にも、手と目の作業でフィードバックされ、蓄積されていったという感じです。

個々の守護天使の、色や空気感、エネルギーの違い。

へえ~…と、一番それを面白く感じていたのは、お代を受け取る側の私自身だったと思います。





その後、絵だけに絞って今まで多くの方の光を描かせていただいてきて。

自分の手が、頭よりも遙かに体感を掴んでちゃんと表現できる、ということを確信したり。

その動きに任せて、頭の方は描かれるものを楽しむ…ということも、自然にできるようになりました。


ただ、自分用の絵を描く機会がなかなかないので、自分用に描く時どうなるか…というのは、未知数なところが多かった。


しかし。
この度の不動明王・素戔嗚尊・ミカエルの、仏・神・天使(みんな剣使い)を一度に描いたことで、受け取るエネルギーが全く完全に、それぞれ別のものだ、ということが、非常に実感をもって確認できました。

実に貴重な経験です。

期間を空けて描いていたら、こうはいかなかったな~と思います。



天使のエネルギーの軽さってのは、もう、ほんとに。
なんてラクなんだろう…と何度も書いてますけども(笑)
最初に天使からスタートしたのは、まさしく、適切だったと思います。
逆に言えば、天使から入るんでなかったら、私には荷が重すぎてうまくいかなかったでしょう。

スサノオを描くのに、描こうとし始めてから1年以上かかってしまったのも、納得できます。




天使…今回はちょいと、いつもと雰囲気の違うミカエルでしたけども。
質感で言うと、限りなく薄く薄く、透けている、オーガンジー素材…ってところか。
和のものではないしな~。
でも、和のもので「天人」とか「天女」とかも、おそらく質感としてはそういう類だと。

スサノオは、木綿とか麻の、厚手で重量のある、目の粗い織物。

不動明王は、布じゃなくて…布のように薄く平たいものに合わせて表現するとしたら…強いて言うなら、木の皮か。



天使達は、ミカエル以外にも描いているので、天使同士の中での違いってものは、それなりに今わかります。

が、神仏についてはまだ他の方を描いていないので、その中同士での違いは、自分でもこれから楽しみに思ってます。
今も、それぞれの違いってのは想像の範囲内では感じているけどもね。
望遠鏡を逆向きに覗いてる的な(笑)
意味不明?

ひとまず月讀命が待機していますけども。
まあ………月讀命はちょっと、私の中では特殊な立場の方なので……どうかな~。
(その件は絵ができたら書きます)





とりあえず、よくよく、わかったこととしては。

描かにゃあ、確たる感触は、私にはわからん。

…ってことですな。


スケッチ程度でも、それなりにはわかります。

スケッチ程度であっても、描かないと、わからない…ってことでもあります。


喰ってみないと味わからんのと一緒か~(笑)





「絵」というのは。

私にとっては、自己表現であると同時に。

もしかすると…

いわゆる「術式」の変種

なのかも、知れません。