これぞ商売人の鏡:「具志堅の家」

 ここ数年投稿を控えている私ですが先月に続き発信が大切だと思う事があったので1か月ぶりに投稿します。

 地元寒川を車で移動中の信号待ちで何度か利用させてもらっている沖縄料理の居酒屋店「具志堅の家」を通りかかった際に店の張り紙を目にして感動で目頭が熱くなりました。

書いてある言葉に胸をうたれました。

 画像の文面を以下に紹介します。

 

「今日飲食店には僕達でもやりすぎだって思う支援を頂けます。しかし酒屋さん、肉屋さん、八百屋さんなど僕達が営業しないと売上げはゼロです。少しでも仕込みを増やしたい。なので半額キャッシュバックで店内営業をしています。いつか笑って皆で深夜に乾杯しましょう!毎日20持まで僕達は全力で営業中!負けてたまるか!ボク達は居酒屋が大好きだ!」と書いてあります。

 

 コロナ禍で協力金をめぐる不公平さは至る所で耳にします。

一部例外の職や業界もありますが多くは業種に関係なく誰もが経営や生活に影響を受け、医療従事者は人災とも言える新型コロナ拡大の中、愚痴も言わずに必死に過密労働を続けている現在です。

 今回の緊急事態宣言に伴う協力金についてもらい過ぎな飲食店経営者は違法でも無く責められるのはあくまで不公平な内容を決めた国が悪いのは私も理解しています。

もらい過ぎの者が悪いと言うのではなく、その状況の中で自分の店の事で精一杯にも拘わらず、普段お世話になってる仕入れ先の事まで考えて営業をする心意気に頭が下がるのです。

 当たり前ですが仕事と言うのは直接・間接を含めると取引先・社会・人と結びついてはじめて商売が成立します。

飲食店では良い食材やお酒があってこそ良い料理が出せてそこにお持てなしというお客様の心を捉える姿が組み合わさってリピーターが増え、評判もあがり店は繁盛するのです。

私の職業の建設業・設計業もお客様や取引先との信頼関係と人間関係で成り立っており、そのために知識と技術を磨き役立てる対価として報酬を得てはじめて経営が成り立ちます。

どの業種もその心と姿勢を忘れた先には廃業しかありません。

 阪神大震災の時に飲食店が被災して物資も不十分で食べ物が不足する中、通常400円程度で売っていた弁当を足元を見て5000円の弁当として販売し、ぼろ儲けをした店がありました。

その店は次第に復旧で正常化が進んで売れなくなり3か月で誰も買う人がいなくなり廃業となったそうです。

まさにお客の事より自分の事しか考えない者の末路。「人が困る稼ぎ方は死んでもやってはいけない。」と言われています。

私ごとではありますが、東日本大震災時のガソリン不足の際に私の会社に駆けつけてくれて社用車全部にガソリン満タンにして助けてくれた地元のガソリンスタンドがありますが、少しばかりの恩返しとして昨年マスク不足の際にマスクを届けさせてもらいました。

助け合って支え合う関係は有事にこそ何よりも宝となるものだと思っております。

 今回紹介させてもらった素晴らしい居酒屋「具志堅の家」さんの姿勢は多くの人の心に残って私のようにその心意気を拡げている人は多くいるはずです。

そして、コロナ禍が過ぎ去った後に絆が深まって取引先や心意気を感じて来店する人がまた人を呼び、名声を広めて店の価値と歴史の深みを大きく上げてくれることでしょう。

 

 過去の歴史を鑑みると、今回のコロナ禍で経営者の人格や姿勢が如実に表れている事でアフターコロナの社会に違いや変化が起こるのは必然ですが、まだまだ先が見えないばかりか諸外国に比べて日本は特に迷走を繰り返しています。

新型コロナだけでも変異種のクラスターが発生とワクチンの問題があり、社会の不安・混乱・後退も免れない中、国にしっかりとした舵取りが出来るかも怪しく思います。

 これまでもダイヤモンドプリンセス号・不十分な検疫体制と海外入国者の不規制・根拠の無い対策・観光関連に偏ったGotoトラベル。

そもそも時短では、帰宅時間が重なりラッシュになり、昼時の密集も通勤ラッシュも何も改善しない。

またテレワークと叫んでも一部の企業しか現実的でなく、サービスやインフラ業はやりようがない中で7割減など根拠の無い言葉遊びのパフォーマンスをする政治家が残念なほど多い。

それらの愚策でコロナを悪化させる引き金を引いて結果的に観光も含めたほぼ全ての産業が犠牲となる結果を招いた。

そして緊急事態宣言によって特に飲食店に偏る協力金があらゆる産業の方が収めた税金から不公平に配られる結果となって今に至ります。

 規模や家賃など一切考慮しない一日6万円一律(都道府県で多少の差はありますが自己申告で1か月180万×2か月で360万)となると都心部や大きな店舗は全く足りなく、個人に近い規模は高級品を買うなど協力金バブルと喜ぶ者まで出現している事態になっている現状。

新型コロナが発生して1年が経つ中、準備も想定もしていないミスを棚に上げて時間が無いのか面倒くさいからなのか一律はあまりにも横暴であり無責任。

納税額や規模や立地などをおおまかにでも3段階くらいに協力金の金額区分は出来るはず。

スピード感が無いのは煩雑さよりむしろシステムの不整備と決定権の無さの方が大きく、そのための改正案だったのではなかったのか。

 政治家・官僚・業界システムがいかに機能していないのがそもそもの原因。

本会議では国を代表している者の議論とは程遠い内容で内閣は優先順位が現在はコロナより下のはずのエネルギー問題を話したり具体性ある政策もしない。

政治家の不祥事の話など時間の無駄なので言い訳など不必要で「離党・以上」で終わりでよい。

野党も反対だけの対案の無い議論で事あるごとに駄々っ子のようにぞろそろ退席する無責任な行動。

先日も衆院本会議で野党議員が白いジャケットを身に着けて森氏発言に抗議していましたが、充分かどうかは別として不適切を認めて撤回・謝罪をした後にここまで粘着質が酷い行動する者に人を批判できる人格はそもそもあるのだろうかと。

確かに批判に値するだけに正しいのはもちろんですが、権利や人権を声高く叫ぶほどの行動力を示すなら優先順位の高い他の視点があるはず。

誰かが傷つき助けを求めた訳でも個人的に名指しで言ってるわけではないにしても、女性蔑視は悪なのは悪ではある中、不十分ながら森氏は非を認めて謝罪した。

その森氏一人には寄ってたかってエンドレスで追及し続けるバイタリティーがある割に、何故中国共産党のウイグル族の虐殺や香港の女神と呼ばれ日本語で自由と助けを呼んできた中で拘束された周庭氏の件など数々の横暴の人権どころか命まで奪う行為を続ける者にはダンマリで助けを呼ぶ者を助けようともしない。

中途半端なダブルスタンダードもいい加減にしてほしい。

ただの三流のパフォーマーレベル。

このような低いやり取りしか出来ない姿を目にするとコロナより日本の体質の方がこの先の世の中を悪くさせてしまうような気がします。

同様にボランティアを辞退する人が出ているようですが森氏の発言とボランティア辞退は別問題に私は感じる。

ボランティア辞退と野党が共に相手が悪いにせよ人のせいにして審議する責任・役割や物事を放り出して自らを正当化している点が重なっても見えます。

審議拒否は貴重な時間を無駄にしている事で国民が被害者になりボランティア拒否も開催可否は不透明ながら開催時には各国含めたアスリートや関係者・運営側の人が被害者になるのです。

当初ボランティアを希望した人は森氏のもとに集ったわけではなく、オリンピックが日本で開催される事への誇りや喜びやアスリートへの思いなどから申し込んだはずです。

それを感情に任せて筋や理屈が無く森氏の発言と結びつけるのは強引すぎに感じると共に、失礼ながらはっきり言わせてもらうとコロナ禍でオリンピック熱が冷めた点ともはや間違い無く開催が出来ない事を見越して辞める理由を森氏に無理やり結び付けているとすら思ってしまいます。

そもそもボランティアというのは人の為や公的なために無償で協力する精神から派生したものでなければ嘘になってしまいます。

 仕事で契約や責任で引き受けたりしている人にはわかってもらえるとは思いますが、契約相手でないイチ担当者の不適切発言くらいで感情から投げ出すなど一流ほどあり得ない事。

現状開催不可にはなっていますがラグビーW杯同様に当初森氏がオリンピック誘致に尽力したのは確かでオリンピック開催決定で喜んだ多くの人がいたのも事実であります。

それを今回手のひら返して森氏の発言だけならまだしも人格や過去まで全て悪い事しかしていないかの如く全否定。

そもそもオリンピックイコール森氏では無いのだから理屈に無理がある。

そのように政治家の誰か一人でも言ってくれたら私は支持しますが日頃世話になっている者まで飛び火を恐れて我関せずと皆逃げる姿に小物感と姑息さが見える人が目立つ。

連日メディアでもコロナ禍で亡くなる人や困窮する人が増加し続けている中にもかかわらず、森氏の問題発言ばかりクローズアップの繰り返し。

 

 お笑い芸人ばかりが出て来るTV番組や問題発言や不倫ばかり中心に放送するニュースではなく、世の中で頑張っている人達の事がわかる番組や大切な事を報道するニュースにまずは変わらないと教育や価値観の高さを上げる事や真っ当な社会構造も望めないのかも知れません。

 情報量が少ない昔と違ってまだ情報を知る事や選ぶ事が可能なネット社会の現在なだけ一縷の望みもあるような気がします。

 

 人間一人一人考えも判断も様々な人が世の中を形成している中、議論の中で批判や問題性が出るのは当たり前。

その中ですり合わせや修正を経てより良い道に軌道修正したり新たな方向性に進むのが真っ当な国の姿なはずです。

そこが批判・否定で終わるのではなく、改心や改善を含めて人と人の関係を大切にする中で進んでいく道にしないと途中で支えを失い行き止まりになってしまうはすです。

 救いようも拠り所も無いようなコロナ禍の現在ではありますが、居酒屋「具志堅の家」の商売人の心が未来に光を照らしているように感じて救われたような気がします。

 

今日は建国記念の日です。日本の素晴らしさと感謝を胸に気持ちを高め、心を綺麗に輝かせて参りましょう!

皆様新年明けましておめでとうございます。

寒い日が続いておりますのでコロナや風邪には十二分にお気を付け下さい。

そして、新しい年が皆様にとって輝く時間になります事をお祈り致します。

数年ぶりの更新でどうしたのかと思われる方もいらっしゃるでしょう。

SNS疲れも否定しませんが、加えて色々と優先したい事や行ってる事もある中、返信や訪問も充分できる余力が無く距離を置いてきて今日に至っております。

そのような中、非常事態宣言が最悪になってからようやく発令しているコロナ禍の真っただ中の今日。

しかも最悪なのは政治・行政・報道など国内を取り巻く重要な機能が想像を大きく超える程あまりにも資質・機能が低下し、忖度と癒着にまみれている事に愕然としております。

「勝負の3週間」と言って戦わずして惨敗したにもかかわらず新型コロナ特措法の改正もせずに国会も閉会させて国会議員は冬休みとは、与野党含めて異を唱えない全ての国会議員は今後国民の為に仕事していると胸を張らないでもらいたいものです。

まさに政治は特に政府・都政は悪政、野党も対案無き批判に加え、検察に任せればいい桜など国民生活に直結しない優先順位の低い事で騒ぐだけ。

報道は公平性無き忖度と利権にまみれ報道の本質皆無。

まさに頼るところが見当たらないこの事態こそが緊急事態を超える国家の危機と言えます。

少しでも出来る事はしたいと思うと共に、今年の自らの気を引き締める為と読んで頂く方への役に立つ発信をしようと書いております。

アインシュタインの言葉にも「誰もが世論の関わっていますから、何が必要なのかをしっかり理解し、発表する勇気を持たなければなりません。」との言葉もあります。

上記のような理由なのでFBではワンポイント投稿であって継続しての発信の意図は無く、ブログ上でのみ月一くらいは「今月のことば」として発信しようと思っているしだいであります。

よって、今回は私の社会に対するいたたまれない気持ちからの問題提起情である事から「いいね」の数も気にしませんし、「コメント」への返信も失礼しますので興味ある方が読むだけにとどめていただきたく思います。

一人でも二人でも読んで感じてもらえるだけで何もしないより発信した意義があると思って書き進めます。(野党や評論家もどきのように否定だけで終えるのは発展的でないので何が失敗でどうすべきかの考えを交えます。)

 

昨今の世の中で感じる閉塞感と大きな問題と感じる面が人類史上稀に見る天才科学者であり人格者のアインシュタインの言葉と重なる点が多くあるように感じております。

上記に一つ紹介しましたが、アインシュタインの名言と共に現在当てはまる姿と私の考えをミックスさせながら話し進めたいと思います。

(※アインシュタインの人物像や功績については過去の投稿で詳しく紹介しているのでご興味のある方は遡ってご覧頂ければと思います。)

参考文献として「アインシュタインの言葉:アルベルト・アインシュタイン(著者),弓場隆(訳者)、出版(株)ディスカバートゥエンティーワン」から<言葉>のみを引用させていただきます。

 

アインシュタインが1922年に来日した際「日本は素晴らしかったです。人々は絵のような素晴らしい国に暮らしています。上品なマナー・芸術的感性・誠実さ・良識。どれをとっても最高でした。」との言葉を述べています。

それから約100年が経った2021年ではありますが、一部分は称賛するかも知れませんが、どれをとってもなどと全面的な称賛の言葉を述べて来日する人はいないでしょう。

人的・社会的な素晴らしさが明らかに低下している事について、見本や指針を示すべき政治家や公共・家庭を含めた教育の責任も少なくありませんが、国民全体ももっと自覚と向上心を持つべきと感じてなりません。

 

 

『昨今の新型コロナ対策とオリンピック開催推進に絞った失策や誤った進め方について。』

●人的・組織的に資質不足な点

アインシュタインの言葉①※以下<言葉>

「知識に基づかない信念は迷信にすぎず、したがって排除すべきです。」

<言葉②>「小さい問題をなおざりにする人に、大きい問題を任せる事はできません。」

<言葉③>「同じことを繰り返しておきながら、異なる結果を期待するとは、きっと頭がどうにかしているのでしょう」

<言葉④>「人を動かす唯一の方法は、みずから模範を示すことです。」

 

今回の緊急事態宣言における総理の言葉として「1か月後には必ず改善させる」とありましたが、半年以上想定や対策を練る時間があったにもかかわらず不十分な緊急事態宣言の制限内容からして1か月で改善出来ないのは明らか。

飲食店は時短だけでは不十分で、密集度の明確な基準が無い。

しかも最悪の想定も一切考えない能天気さのおまけつき。

イベント上限5000人との線引きも密集度合いや客席だけでなくトイレやグッズ販売などの密集具合、手摺などにもウイルスが数時間滞留するためソーシャルディスタンス中心では不十分。

しかも移動制限も罰則も実質なしの中、報道しませんが昨年五月から空港検疫は毎月例外なく日本国籍者より外国籍者の感染者数が多い中、11か国からのビジネス出入国は継続中。

変異ウイルスが世界で拡がっている事態にもかかわらず未だにインチキビジネスを含む外国人ビジネス出入国者は続々出入国を繰り返し、潜伏期間を考えるとウイルス侵入歓迎状態。

その他、不備や不安点が多くあるにもかかわらす「1か月後に必ず」「やれることはすべてやる」全てが後手後手でにも拘らず「先手先手で」などの言葉と中身の無い「お願い」で効果が上がると誰が思うのでしょうか。

自らが会食するような自覚のなさと街角意識調査すらせずに根拠なき不十分な「お願い」を国民に投げかけて効果も見えないうちから1か月で終息と言う無責任な宣言にはもはや理解すら不能。

そして宣言を発令し出勤7割減と根拠も中身も無く得意になって言っていますが、宣言の翌朝がいつもと変わらぬラッシュアワーだったのは国民目線からは予想通りだが、政府だけが予定外だと慌てる始末。

そもそも本気度が全く無く、予見できるにもかかわらず行き当たりばったりでその遅れた対応においても、的を得てなく間違いとお粗末だらけ。

オリンピックについても同様で、数か月前からオリンピック開催は既に無観客だろうがまともに開催できないのは明らか。

にも関わらず根拠も数字も示さず「絶対開催する」の一点張りでコロナ対策を意図的に怠り、延期が決まると手のひら返しで対策を再開。

2か月前にIOCバッハ会長が来日したあたりでも都知事はコロナの危機感や対策は蓋をして自身の対策の遅れや陽性者数を報告数より少なくカウントや重症者数の定義を独自で変えるて少なくするなど姑息な操作をして今日の感染者数を増大させた元凶となっていることを棚に上げて国のせいにする姿はまさに人災。

マスコミも報道機関としてオリンピックに関わっているだけに開催不可能などの意見や世論の状況は報道も記事にもしない。

このような根拠も計画性もなく忖度にまみれたコロナ対策やオリンピック関連の情けない対応を昨年前半クルーズ船の対応失敗から懲りずに度々繰り返すばかりで何も教訓にしていない。

 

 

●先が読めない場当たり的な対応が行き着く先。日本は利権大国。

<言葉⑤>「人が社会にとってどれほど価値があるかは、その人の感情と思考と行動がどれほど人に役に立つかによって決まります。」

<言葉⑥>「私にとって政治より方程式の方が重要です。政治は現在の事にほぼ限られますが、方程式は永遠ですから。」

 

これまでのコロナ対策における国の取り組みは国民の暮らしと仕事に安心と安全を与えてきたとは言えない、大金を投入しつつ遅れに遅れた挙句に誰も使わないアベのマスクから始まって給付金の不正申請問題や不公平なバラマキ。

忖度と利権にまみれ、自作自演で感染者拡大させたのが明らかな外国人の入国緩和やGOTO。

自殺者や失業者の増加に拍車をかけた上、失敗を一つも認めず教訓も活かさない。

特にGOTOは失策を認め、終息が見えない段階なだけに無期限凍結が当たり前な中で何故か延期という。

そこには忖度や癒着が酷いが、結果的には肩を持った観光・飲食の恩恵は長期化しただけに差引マイナスという呆れた結果。

だから名誉挽回と思ったのか今回の飲食業に偏った手厚い支援。

納税している個人・法人は全業種の中、飲食関係1件につき最大180万と血税が使われる事になったが仮に飲食関連が10割影響を受けたとしたら3割影響を受けている業界には約3割の50万にする考えをもたなければ本来税金を投入してはならいはず。

経済は繋がっているだけに運送や食品製造関係など様々な業種や労働者があおりを食っているにも関わらず公平性や割合すら加味しない横暴さで血税が湯水のように使われる事に。

ある程度は以前から感じていましたが、この一年、国民の為に動く政治家・官僚・業界団体・報道機関は社会にこれほど価値が無かったのかと絶望し、その存在が少しのプラスどころか何もしないより更にマイナスにまでなる存在なのが浮き彫りになったといえます。

忖度が酷いとしてもここまで場当たり的で誤った方向性には先を考える能力や資質の低さが根底にあるのも明らかで、アインシュタインの言葉のように、こうなったらこうなるとの方程式の思考が欠如しているといえる。

先を見据える方程式は人生設計でも企業経営でも必須なはずですが今の政治家や学歴だけの頭でっかちな官僚にその初歩的な概念すら無いのだろうか。

これは悪化させて困難にさせてるだけに夏休みのに宿題をせずに遊びまわって夏休みの終わりになって宿題がたまって間に合わなくなっている小学生にも遥か及ばない。

そして現在東京都で入院先・療養先が決まらない待機患者が3000人を超えて医療崩壊が叫ばれています。

そこに後手後手で蔓延した感染者数の問題だけがクローズアップされていますが、もう一つ他に大きな問題があります。

日本より桁が違う感染者がいて尚且つ医療施設が少ない国でも医療崩壊していない中、日本では東京・大阪などほぼ医療崩壊の事態になっているのは、仕組みにも問題があります。

コロナに該当するランクを扱える感染症指定病院数が極端に少ないからです。

実際に指定感染症の見直しが叫ばれているにもかかわらず国会で議論すらされないのは与野党共通に利権の一致であるなら同罪。

出来る出来ないの議論だけでなく、どうすれば可能なのかのテーブルすら用意しない。

ランクを下げれば空きのある病院は多くあると言われています。

ならば感染症指定のランクを2類から5類に下げれば対応が拡がり、それ以外無いはずなのですが、それをしたくない理由もまたあるのです。

指定病院は国から多額の補助金を貰っており、指定病院を増やせば同じように多額の補助金を受け取る先が増えるからです。

ひっ迫しているのは指定病院の医療従事者であり、犠牲になってしまっています。

利権の上層部だけが甘い汁を吸い、現場や国民は次々と犠牲になっている惨状のどこに門主主義・先進国・平和の祭典オリンピックを開催しようとしている国と胸を張る資格があるのだろうか。

 

 

●導かなければならない立場の人と国民の意識と行動について

<言葉⑦>「わたしたちが世の中に最も貢献する方法は、人々に有意義な仕事を提供し、その人たちの生活を間接的に支援することです。」

<言葉⑧>「社会が健全に機能するためには、それを構成する人たちが一致団結するだけでなく、一人一人が自立する事が必要です。」

<言葉⑨>現代人のモラルが恐ろしく荒廃している原因は、生活が機械化して人間性を失っているいるからだと思います。それは科学技術の悲惨な副産物です。」

 

国は「社会の安心・安全・生命」と「産業・労働環境」の二つを守るために最善の方法を取らなければならないのは言うまでもありませんが、その方法に多くの問題があります。

多くの業界に影響が出ている中、前述したように一部の業界のみ支援するなどはあってはなりません。

二宮尊徳が貧困対策でやってはいけない事として「魚を渡すより、釣り竿を渡す。」「米を配るのではなく、クワを渡す」と言っていた事と同じで、事業者には色のついていない現金(血税)をあたり構わず渡すと有効に使う人は良いのですが、悪意のある申請や不適切な用途に使う輩も多く出て要求ばかり期待してモラル低下や労働意欲の欠如が蔓延し国の財政は破綻に進みます。

もちろん真の貧困者の衣食住と救済は分けてしっかり対応する体制強化はしなければなりません。

 

 

●国民の意思が必ずしも正しい道とは言えない。

<言葉⑩>「もし私がイスラエルの大統領になったりすれば、国民が聞きたくないことを言わねばならなくなるんだよ。」

国民の意思の大半は正しい道だとは思いますが、未来や社会の為とは言え一部を除き大半は税金の徴収や支援が減る事には当然反対します。

しかし、限られた財源(原資は税金)で社会を回そうとすると要求一辺倒は難しく、どこかで我慢なり負担をしなければ借金は増えるばかりで未来を食い物にしている事に結びついてしまいます。

そこをしっかりと説明できるのが真っ当な国でありリーダーの務めであり、現在と未来の調和をしっかり考えなければならい事案は「産業、教育、生活、社会環境、原子力推進、温暖化対策、自然・環境破壊、年金問題、国の借金」などです。

民主主義だから国民の意思は正義だと言って、いい顔ばかりしている政策の未来には破綻して荒廃した国家が待っているといいたい。

 

 

●自らの姿勢と今年の抱負

<言葉⑪>「他人に正しく立派なアドバイスをする事は簡単だが、自分が正しく立派に行動する事は難しいという格言には多大な真理が含まれています。」

 

11ものアインシュタインの言葉に関連を持たせて色々と私の考えを述べさせてもらいましたが、激動が既に予想される今年は昨年以上に言葉⑪のように自分が正しく立派に行動できるように、精進して参ります。

皆様方にとって健康で笑顔ある良い一年になりますことと、一日も早いコロナ収束を祈っています。

長文を読んで下さりありがとうございます。

この度、Yahoo!ブログが2019年12月15日に終了することが発表された事に伴いまして、Amebaブログへ引っ越す事となりました。

別のブログサービスへの引っ越しと言う事もあって、過去の記事は移行出来ましたが、コメントの移行はできませんでした。

更新間隔が不定期で長く空く事も多いとは思いますが、気分一新でたまに情報発信・問題提起など発信して参りたいと思います。

どうぞ宜しくお願い致します。

 


 
<今週の言葉・ Vol-39>柳生一族の家訓
 
今週の言葉は、個人ではなく時代劇で柳生十兵衛や柳生宗矩などで知られる柳生一族の家訓を紹介いたします。
柳生一族というと将軍家剣術指南役として柳生新陰流という剣術や忍術で時代劇の映画・ドラマでも登場します。
私自身も時代劇好きで中でも柳生一族をテーマにした作品が昔から一番気に入っています。
下記リンクから私の数年前に書いた記事がご覧になれますので紹介させていただきます。

情熱ブログ「長編時代劇の魅力」
 
 今週の言葉を紹介しますが、今回は柳生一族のどなたか個人の名言ではなく、柳生家の家訓であります。 
 その柳生家の家訓が剣の道からくる鍛錬のイメージや精神論とは大きくかけ離れ、人の道や人生哲学の素晴らしさが際立っています。

柳生家の家訓「小才は縁に出会って、縁に気付かず。 中才は縁に出会って、縁を生かさず。 大才は袖擦れ合う縁も、これを活かす。」
 剣の名門であってもそこに着眼することも奢れることなく、剣の道より更に大きな視野で捉えている家訓に常人の思考を大きく超える奥深さを感じます。
 「人の縁」を家訓にする柳生家はさすが天下の剣と言われるまでになっただけあります。
では「小才」「中才」「大才」に分けてどれだけ人生においてのプラスとマイナスの差があるか見てみましょう。

「小才」とされる縁に気付かないのは、勿体ないことだけでなく、今の自分の存在すらも気付いていないといえます。
そして成長の場を逃がし、チャンスや運すらも掴むことが出来なくなります。
一般的なタイプに置き換えると何も深く考えず過ごしている人と言えます。

「中才」は縁を感じる事は出来ても行動に移さない人。
理屈だけわかっていようと行動しない為に現実にはプラスに出来ず、縁を成長や目標に繋げることが出来ない。
一般的なタイプに置き換えると口と行動が伴っていない人と言えます。

「大才」は縁を感じる事が出来て、更にその縁を繋げる行動をする人です。
 
縁は気付けるかどうかのアンテナの敏感さも影響します。
縁があっても気付かなければ活かしようがないからです。
例えば今この文を読んでいるあなたと私も縁があると言えます。
前述した10年近く前の過去の私のリンクをはった記事のエピソードとなりますが、当時ブログ発信した際、内容に昔TVで放映した大好きな時代劇でDVD化されていなくまた見たい気持ちを記事にしていたところ、ブログを読まれた存じ上げない方が当時の12時間のドラマの所有されているビデオテープからDVDに焼いて見ず知らずの私に送ってきてくれたのです。
感謝の手紙と私の著書を添えてお礼をさせていただきましたが、思いがけないご縁をいただきました。
発信したことが切っ掛けに、心ある方に読んでいただくご縁となり、その大きな心の方がご縁を下さって接点が生まれたのです。
縁は片方だけでは成立しません。互いに縁を感じてその効果を共有できた時に縁は活きます。
そして縁を大切に思う度合いが高い人ほど、その縁の効果と感謝を感じてきている人で。この人と出会って良かったと感じられるような人は例外なく、縁を大切にして活かしている人でもあると思えます。
したがって縁を大切にする人はチャンスを判断できて逃さない人にもなります。

人と出会える機会がある場合、行く人は新たな縁を得られ、話す機会があるときに話せる人は縁を繋げることが出来ますが、それらが反対の人は行動の差で次々に縁や機会を失っています。

実際は思っていた通りに縁にはならない場合もあり、フィーリングや感覚も合わない場合もあるとは思います。
それでも何もアクションを起こさない人はゼロのままの中、アクションを起こす人は人生上や経験も含めて最低でもゼロになることはないだけでなく、未知と無限の可能性が上乗せされます。

私は著名人などの講演や研修などの際には必ず質疑応答は挙手し、講演前後に話せる場合や名刺交換できるチャンスがあれば躊躇するようなことはありません。
何故なら質疑応答をきっかけにご縁が生まれてその後の名刺交換から手紙のやり取りの仲となっている方々がいるからであります。
「あの一つのきっかけがなければ」の大切さを知ったからです。

それでも人生には限られた時間しか無い中、取捨選択はしなければなりません。
それは自分もですが相手からも同時に思われることであります。
縁は相互合わさって成立するもので、対象は自身で判断し、同時に相手からも判断されるという事です。
金銭や地位立場は高かろうと低かろうとどうでもいいのですが、興味や尊敬・人間性がある人でなければならず、悪人や心無い堕落者は良い縁にはなりません。


更に相手も奥深さも考慮せずに闇雲に広く浅くの縁を拡げるのは他の縁の時間も奪いかねません。

時間がもったいないと思うのは、そこに相互の有意義なプラスに出来る関係が薄らぐと思うからであって、一生懸命SNSを楽しんでいる人には気を悪くするかも知れませんが、FBなどのSNSでも互いに高め合えるやり取りや情報交換ならグッドな中、形だけのあいさつなどでしか繋がっていない一部の「いいね」の関係などは発展性が見えなくなってしまいます。
私はそこに時間の浪費と思えてしまったのは、本気の情報発信に対しての上辺のやりとりが垣間見えた事に加え、それを知らないふりをする自分も自身を偽っているような気もしてきて自己嫌悪になったのが私のSNS離れの一因となっています。
FBやツイッターは休止し、ラインは連絡のみに特化している私には反応を気にする事無く自分のペースで気ままに発信できる本ブログのようなスタイルが合っているような気がします。
人生はあっという間に時が経過してしまう中、「いいね」を社交辞令的に何人かに押す時間があれば他の「縁」や人生の時間にあてて活かしたいからであります。
世の中には色々な価値観や考えがあるとは思いますが、私としての偽りのない本音であります。

最後に「ご縁の尊さ」の話をさせていただきます。
著名人の方とは違いが出ると思いますが、一般的な平均値でいうと人が一生で出会う人の数で何らかの接点がある人は3万人程だと言われています。
更にその中で親しく会話をする人は、その中の100分の一だそうで300人程だと言われています。
そして現在人類が72億人の中でこの時代の地球→日本→関東→現在の地域で出会える確率からしても一人一人とのご縁の尊さと機会は互いにプラスで、しかも有意義でなければ勿体ないことなのです。

 私自身、子どもの頃・青春時代・成年後から現在に至るまでの長きにわたって、ご縁からたくさんの方と出会ってきました。
 喜怒哀楽様々な経験から強さや成長をさせていただき、かけがえのない思い出も時折懐かしく思い出します。
 ご縁あった何十年と会っていない人と突然会ったとしても互いのプラスになれる存在でありたいと自負しておりますし、真の縁とはそうであるべきとも思っております。
 若い時の自分と50となって幾らか老いを感じるようになった現在の対比とご縁によって感じられるようになった少しばかりの成長を感じる今日この頃。
 これからも「縁」を自ら主体的になって活かして、同時に活かしてもらえるようにも結果的になっていければと思いながら人生を全力で駆け抜けて参りたいと思います。
 
今週も日々「」を存分に活かして参りましょう!
 
 
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次回今週の言葉 Vol-4024日(月)に予定しております。
 
(※時間的な都合により隔週やそれ以上の間隔になる場合がかなり確率であります。)
 
<人物紹介>ここでは柳生宗矩と柳生新陰流について記述します。
(一部Wikipediaより引用)

柳生 宗矩(やぎゅう むねのり)は、江戸時代初期の武将、大名、剣術家。徳川将軍家の兵法指南役。大和柳生藩初代藩主。剣術の面では将軍家御流儀としての柳生新陰流(江戸柳生)の地位を確立した。
将軍家指南役にして、柳生新陰流(江戸柳生)の当主であった宗矩には多数の弟子がいた。それらの弟子達には、大名家へ指南役として仕えた者や、後に一流の流祖となった者も多かった。

柳生新陰流
新陰流は将軍家である秀忠、家光をはじめ、当主自ら入門していた。
新陰流は、上泉信綱(伊勢守)が学び極めていた陰流が源流となり柳生石舟斎や息子(五男)の柳生宗矩が柳生新陰流として継承して将軍家剣術指南役で名をはせ、一般に広めた剣術の流派であります。
武道学では、柳生氏の系統とそれ以外の新陰流の差異を区分するため、「新陰流」と「柳生新陰流」を区別して使用することもある。
柳生宗矩の江戸柳生と、宗矩の父である石舟斎の(長男の息子)孫である柳生利厳の尾張柳生とに分派する。
江戸柳生は柳生三厳(柳生十兵衛)、尾張柳生から柳生厳包(柳生連也斎)など天才剣士を輩出した。

柳生博(やぎゅう ひろし、193717-
ハンターチャンスの司会者やタレントで知られる柳生博氏は『柳生新陰流』柳生宗厳の末裔にあたります。
 
<今週の言葉・ Vol-38>二宮忠八

 今年初の今週の言葉になります。
また本日は成人の日という事もあってこれからの若い世代に「夢」を大きく抱いてもらいたい思いから人選と言葉を選びました。

今週の言葉は、知る人は少ない中、その功績は人類史の1ページに値する人物でもあります日本飛行機の父と呼ばれる二宮忠八氏の功績と名言を紹介し、併せて名言にちなんだ私の考えを述べさせていただきます。
一般的にライト兄弟が飛行機の始まりと言われています。
しかし、動力で飛行させる原理と実践を最初に実現させ、後は人が乗れるようにするだけの段階をライト兄弟より12年も前に世に示して動力飛行を実現させたのは日本人の二宮忠八(にのみや ちゅうはち)という方でした。(以下忠八)
明治に偉業をなして大正・昭和・平成に段階的に世界に認められた偉人であります。
忠八は幼い頃から物理や科学に興味があり、凧揚げが好きで数々の凧を考案して作った二宮の凧は誰の凧より揚がり「忠八凧」と言われて有名だった程です。
12歳で一家を支えなければならない程に貧しかった忠八は更にビラまき用の凧まで発明して学費を稼ぐなどモノづくりだけでなく、商才も溢れていました。
 ライト兄弟にも負けない程の人類史に名を遺す偉業を達成できる才能があった彼の足を引っ張る悲劇は時代でした。
 日清戦争前の明治20年(1887年)、忠八は22歳の時に陸軍に入隊し、時間を奪われる中、飛行原理のヒントも得ます。
軍の野外演習の際、カラスの飛行の動きを観察していて過去からの人類の歩みの中で誰も気付かなかった重大な原理であって飛行の原則である「揚力」の存在を発見します。
忠八の発見までは地球上で飛行するためには天才レオナルド・ダ・ヴィンチ以来数世紀もの間、翼を羽ばたかせる事から抜け出せずにいた面からついに脱却できた瞬間でした。
飛行機に限っては人類史の大天才のレオナルド・ダ・ヴィンチですら飛行原理の揚力を発見できなかった事から忠八の発見は人類史を大きく踏み出した大発見であります。
発見の次は発明だと忠八はたった一人で研究を続けます。 
しかし、西洋の技術大国ですら不可能な人が空を飛ぶなど信じる者はなく、忠八は変人扱いをされて見られていたそうです。
 当時は貧しく、また陸軍での訓練や任務の時間もある中、寝る間を惜しみ、しかも資金は食費を削りながらコツコツ飛行機の開発に没頭し、明治24年(1891年)に「カラス型飛行器」によって人類初の動力飛行として空中に舞い上がる事を実現しました。
飛行距離は30メートルで翌日には更に飛距離を延ばします。
人が乗れる大きさは無いもののグライダーのような滑空でなく揚力を考慮し、純粋なプロペラを駆動させる動力飛行で飛び上がったのです。
ロケットの始まりもペンシル型ロケットの小型からスタートしている事と同じです。
しかも国や企業の協力なしの中、わずか25歳の若者一人の力で成し得た偉業でした。
この時、ライト兄弟による飛行より12年も前の出来事でした。(設計は16年もの前)
動力飛行の成功した中、後は能力を上げるだけの問題で有人飛行を可能にする99%成功したも同然の技術とも言えます。
ライト兄弟は有人飛行が初で動力を用いて実現させた飛行機は二宮忠八が人類初なのです。
仮に忠八がアメリカで国の支援を受けていたらこの時点で友人飛行を実現していたのは間違いないと思えます。
その後、忠八は昆虫の4枚の羽根をヒントにして改良が加えられ、明治26年(1893年)「玉虫型飛行器」(機でなく器は忠八の造語)と名付けられた大型に改良した飛行機を製作しました。
二重に羽がある複葉機の形です。
この時点でライト兄弟の初飛行より10年以上も前ですが後にライト兄弟によって飛行する事になるライトフライヤー号も同じ複葉機です。
設計通りのエンジンを載せれば有人飛行が実現する段階となっています。
有人飛行を遮る悲劇が訪れてしまいます。
支援も費用も不足している忠八には「玉虫型飛行器」に搭載する大きさのエンジンが手に入らなかった事に加えて日清戦争が勃発して身動きが取れなくなったのです。
日清戦争でも「飛行機があれば敵の偵察や補給物資、負傷兵の救助など飛躍的に能力が向上する。」と飛行機の開発への協力とその成果を日本に活かして欲しいと上層部へ上申書を提出しましたが人類で誰も成し得ていない飛行機の可能性がすぐにも実現できるとの話を信じられるものはいませんでした。 
この時、軍の協力があれば発動機は入手できて早期に飛行機が完成したのは間違いないとまで言われています。
この残念な場面が無ければ人類の航空史が変わっていたのです。
戦後、資金をためるためにも必死に働き、ガソリンエンジンの部品を少しずつ買い集めてエンジン自体を自作する事を考えコツコツと取り組み、明治36年(1903年)に改良された玉虫型飛行器が完成しました。
いよいよ世紀の大飛行が可能になると思った同年1217日の新聞に愕然とする記事が掲載されました。
海外の世紀の出来事として「アメリカのライト兄弟が人類初の有人飛行によって大空を征服した」との記事でした。
忠八は涙を流しながら長い年月を孤軍奮闘でコツコツ作り上げてきた飛行機を自ら叩き壊しました。
忠八の夢は人知れず終わったかにみえましたが、日本はこの後、日露戦争を経て時代は大正になり、同郷の白川義則中尉が奔走して消えた功績を蘇らせます。
更に昭和に入り戦後、二宮忠八はイギリスで大きく評価されます。
昭和39年(1964年)に玉虫型飛行器の模型が英国王室航空協会に展示されました。
そこでは「ライト兄弟よりも先に飛行機の原理を発明した人物」として世界に紹介されています。
ようやく海外でもスポットライトを浴びる事が叶いましたが、二宮忠八は既に昭和11年(1936年)にこの世を去っていました。
「二宮忠八」は時代が今ならノーベル賞受賞は間違いない稀代の大発明家です。
そして時代は平成に入り、忠八の作った玉虫型飛行器を証明すべく、平成3年に忠八の設計図通りに実機が製作され、この玉虫型飛行器は時を越えて見事大空を舞い飛行能力を証明してみせました。
現在でもカラスの動きを見て飛行原理を発見した地として香川県の仲多度郡まんのう町には顕彰碑と二宮忠八飛行館があり、「合理飛行機発祥之地」の記念碑が建立されています。
他にも京都府八幡市にある飛行神社は、日本で唯一の航空関係の神社であります。
この飛行神社は航空界の発展を祈り、空の犠牲者の魂の慰霊を行うために、忠八が志半ばで断念を余儀なくされた飛行機製作の為に必死に働いた貯金と賞でもらった賞金などの私財を投入して建立された神社です。 
成人の日である本日、後世へ教えて語り継ぐべきだと思うと共に、今の時代、彼のような夢を追い続ける大切さや強さも学び取る事が出来るのならば先人の残した大いなる遺産となる事でしょう。
二宮忠八の名言「夢は大空」
 
今週も日々「」を感じて参りましょう!

  二宮忠八氏の紹介は私の数年前に書いた記事が下記リンクからご覧になれますので人物紹介に代えさせていただきます。
 
 情熱ブログ「二宮忠八編 前編」
 情熱ブログ「二宮忠八編 後編」
 
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次回今週の言葉 Vol-39121日(月)に予定しております。
  本年もよろしくお願いします。
 
(※時間的な都合により隔週やそれ以上の間隔になる場合がかなりの確率であります。)