今回は青春コレクション編vol-4として2輪車コレクションを紹介します。

自転車を含む60年代から90年代のバイクのミニカーやミニプラモデルのコレクションです。

現在も90年代のオートバイを24年乗り続けていますが、2輪車は子供の頃から遊びや趣味の乗り物として色々と乗り継いできました。

幼少期は2輪ではありませんが3輪車から始まり、自転車では補助輪付きで仮面ライダーの風防付いた自転車→子供用自転車→ギア付き子供用自転車→ロードマン→ママチャリ→50CCのスーパーカブ→原付スクーター→中型2輪→大型二輪という流れで乗り継いできました。

特に自転車からオートバイにステップアップした時にスピード感と開放感の感動の大きさは相当な衝撃でした。

80年代までのオートバイは名車が多いだけではなくバイクブームもあって乗っていた人も多く、当時を知る世代が現在の旧車の高騰にも繋がっているようにも思います。

価格も昔は今の新車価格の半分くらいだったことに加え、販売台数が多かっただけにタマ数も多いことから中古は程度の差も大きかった中、1桁万円などの安くから選べるなど学生がアルバイトで稼いだお金で比較的買いやすかったのも良い時代だったように思います。

今ではツーリングなど昼間に乗る機会がほとんどですが、たまに早朝や夜にバイクで走ったりバイクを止めて夜にコンビニで一休みすると何故か懐かしさが蘇ってきます。

そしてこの旧車を含む2輪車のコレクションを眺めると昔友人の誰々が乗っていた事やこのバイク好きだったなども思い出させてくれます。

酷暑真っ只中の現在、クーラーが無く、エンジンの熱でバイクを乗るには大変厳しいとは思う中、来週は体力と男気が試される激暑サマーツーリングを予定しています。

 

車より安全性が低いので乗るうえで安全第一が大前提ですが、実車もミニカーも共にバイクには魅了されます。

 

 以上、「コレクション:その㉚」青春コレクション・2輪車編でした。

 

 (次回はまた違ったコレクションとエピソードを伝えたいと思います。)

 

#自転車 #オートバイ #旧車 #ビンテージ #単車 #90年代 #60年代 #70年代 #80年代

 

 

「カブトムシ編」

今回はコレクション編ではなく、夜間捕まえたカブトムシを掲載します。

前回はクワガタを捕まえた投稿でしたが先日カブトムシもコクワガタを捕まえたように夜のクヌギの木で捕まえました。

オス2匹とメス1匹で大きさも普通です。

現在梅雨の最中ですが自然界のカブトムシやノコギリクワガタが活発に出てくるのは梅雨明けですがもうカブトムシも出てきていました。

子供の頃は、たまに巨大なオスだったり色が赤く通称「赤カブ」を捕まえると更に喜びが爆発して仲間に自慢したり俺のが「大きい」「赤い」などワイワイ楽しんでいました。

既に小学校から教材で欲しいとのオファーがあったので渡したことで手元にはいませんが、児童たちが集まって大喜びだと聞きました。

虫も同じ地球の食物連鎖を担う大切な生物であって、命ある生き物でもあります。

多くの児童たちがその小さな命から生物や命を大切に思う気持ちと育てるという事から心で感じてもらえればと思っています。

たまには大人も子供の頃昆虫を採集をしたり育てたりした頃を思い出して自然の中の生き物を見てみるのも良いものですよ。

 

 

 以上、「カブトムシ編」でした。

 

 

#昆虫 #カブトムシ #クワガタ #赤カブ #兵隊 #昆虫採集 #クヌギ #食物連鎖

「クワガタ編」

今回はコレクション編ではなく、夜間捕まえたコクワガタを掲載します。

毎年カブトムシやクワガタを捕まえたりいまだにしております。

この度コクワガタ(通称コクワ)オスで8匹メス1匹とノコギリクワガタオス1匹を夜のクヌギの木で捕まえました。

梅雨の始まりあたりのこの時期はコクワガタが最初に現れます。

自然界にはカブトムシやノコギリクワガタが活発に出てくるのは梅雨明けあたりからなのですが今回は珍しく早めにノコギリクワガタもいました。

ノコギリクワガタのオスは角がバッファローみたいに立派なのから角が真っすぐ気味で小ぶりなの(真っすぐで小さいのは私の地域では子供の頃「兵隊」と呼んでいました)までいるのですが、今回は中間くらいの少し流線型の角の個体です。

カブトムシの時期になると学校や幼稚園が児童や園児子供たちに見せたいとの事であげたり、地域やお客様で飼いたい家庭があればケースに入れてあげたりもします。

自然が減り子供時代に接する機会が減ったことで年々昆虫が苦手な人も増え、その影響が子供たちにも拡がる中、昆虫を大切に育てる事から命を大切にする心に繋がり太古から同じ地球に生きる生き物だとの視点に成長と共に結びついてもらえるとの願いもあります。

ガ、ハエ、スズメバチ、甲虫、チョウや鳥類や哺乳類も、世界中にある花が咲く植物のほとんどの繁殖プロセスに必要なのだ。この中には食用植物の3分の2以上が含まれている事からそれらの生物がいなければ世界は必ず食料不足になってしまう。またそれらの生物が生存するには自然環境のほか食物連鎖で他の昆虫や動物もいなければならないのです。害しかなさそうな蚊にしても鳥やコウモリ、カエル、その他の動物のエサとなるため、蚊がいなくなることは、蚊をエサとする生き物や、(食物連鎖で)それを食べる動物が空腹になることを意味します。

実は、同じことが嫌われ者のゴキブリにも当てはまります。

一部の鳥やネズミの仲間、両生類、爬虫類、さらには一部の地域の人間にも、タンパク源としてゴキブリは食べられています。

おそらく、4,400種にもおよぶすべてのゴキブリを失った場合、生態系全体が生き残るための条件は厳しくなると言われています。

世界最大のリサイクル業者の1つであるフンコロガシや死骸を分解できるカツオブシムシをはじめとする腐肉食性の昆虫がいなければ地球の衛生を保つことが出来ず美しい地球は消えて生物の住めない惑星になります。

ジャポニカ学習帳の表紙写真から昆虫が無くなったには保護者や教員を含む大人からの虫が気持ち悪いとのクレームから廃止になったのはむしろ好奇心の旺盛で多感な子供への昆虫は悪いとのイメージを必要以上に持ってしまう事を助長していると思い残念でなりません。

人や動物だけでなく昆虫も優しい目でみるくらいの人間の幅は誰もが持ってほしいものです。昆虫の好き嫌いは私も毛虫が苦手なくらいなので個人差に幅があり、昆虫嫌いが悪いわけではありません。

「嫌い」と言わず「苦手」というフレーズを多くの人が使ってくれると昆虫好きな私としては嬉しく思います。

極論から言えば昆虫が苦手・嫌いだろうと現実に地球という惑星に生きる人間を含めた生態系や食物は恩恵を受けて暮らしているのですから。

野生動物だけでなく昆虫も種の絶滅が急激に加速し続けているだけに、その視点は誰もが持っていて欲しいと思う今日この頃であります。

 

 以上、「コクワガタ編」でした。

 

 

#昆虫 #カブトムシ #クワガタ #コクワ #ノコギリクワガタ #兵隊 #ジャポニカ学習帳 #昆虫採集 #クヌギ #食物連鎖

 

 

「コレクション:その㉘」青春コレクション・ポケベル携帯電話編

 

今回は青春コレクション編②として携帯電話コレクションを紹介します。

年代的に社会人になってからの携帯電話普及のために青春編とは多少無理がありますが私のこれまで所有の携帯電話を紹介します。

社会人になった時はバブル経済の時期で当初は仕事でポケベルが与えられて使っていました。

ポケベルは当初、相手の電話番号しか表示しない機能だったのが途中で文字変換などの機能が加わり、そのあたりに高嶺の花の携帯電話の前身で肩から下げて持ち運べる電話としてショルダーホンが登場しました。

その後に1リットルの牛乳パックのようなサイズで携帯電話が登場しましたが、まだまだ月々10万超えの料金がかかる事から景気のいい会社の社長くらいしか持てない時代です。

バブル崩壊あたりに高額だったドコモより価格を少し手の届くあたりに近づけて今のAUの前身のIDOがミニモというネーミングで販売してヒットし始めたあたりから徐々にビジネス向けが増えてきました。

私もそのIDOのミニモが最初持ち始めた携帯電話でしたが月々2~3万くらいかかっていたような記憶があります。

その後にドコモの携帯電話がアナログ方式からデジタルムーバという形式になって車に車載キットつけてトランクにNTTのアンテナをつけていた事も思い出します。

アナログ式の時代のIDOからNTTがデジタルムーバに変わってからドコモに乗り換え、その後は2台持ちでPHSも持っていました。

ずっと15以上長年ドコモでしたが、iphoneが登場しソフトバンクに乗り換えiphoneは4台目で現在はワイモバイルのiphoneを使用しています。

掲載画像は最初に携帯電話を持ったIDOのミニモとその後の各年代所有している携帯電話と古いiphoneなどです。

特にP201・P203・P206などのPシリーズは多くの人が所有する大ヒット機種でアンテナ変えたり着メロを手入力したり楽しんでいた記憶があります。

他にも下取りや破損などで今は持っていない過去所有機種や初期のiphone・

ポケベルはNTTに返してしまったので持っていないのも惜しまれます。

振り返ると20機種以上は所有してきた事を思うと携帯電話にも歴史を感じます。

 

 以上、「コレクション:その㉘」青春コレクション・ポケベル携帯電話編でした。

 

 (次回はまた違ったコレクションとエピソードを伝えたいと思います。)

 

#デジタルムーバ #ショルダーホン #IDO #ミニモ #携帯電話 #ポケベル #着メロ #文字変換

 

「コレクション:その㉗」青春コレクションDISCO編

今回はガラッとジャンルを変え青春コレクション編①としてディスココレクションを紹介します。

DISCOは何度も時代によってブームとなった事もあって年代で馴染みのある無いが大きく分かれる中、私と同じ年代の人にしか思い出の熱量は伝わりにくいかも知れませんが見ていただきたいと思います。

80年代のDISCOブームの時代、私は10代半ばから後半にかけての年代です。

「ディスコ」というの呼び名はゴーゴーと呼ばれた60年代の第一次ディスコブームからジョントラボルタが躍動していたサタデーナイトフィーバーの70年代、私の行っていたのはその後のユーロビート・ハイエナジーなどで盛り上がった80年代でそのあたりまではディスコと呼ばれています。84年の風営法の大幅改正が行われて24時に閉店となり営業形態や名称が変わるきっかけとなったとは言われていますが実際には風営法が変わって暫くは呼び名はディスコのままだった記憶があります。その後90年代になっていからの扇子でお立ち台で踊るジュリアナ東京などの時代は「クラブ」と呼ばれるようになります。

私は80年代のディスコしか知らないので今回紹介する画像やコレクションは80年代ばかりとなります。

当時神奈川県内はもちろん湘南にもディスコは存在していましたが、田舎臭いイメージを嫌って私は東京しか行きませんでした(笑)

もちろんディスコブームの中心は東京で年代が上から六本木・新宿・渋谷といた感じで各年代が地域ごとに分かれて盛り上がっていました。最初に行ったのは中学卒業後の春休みに友人がチケット貰ったから行こうと言われ確か4人くらいで言ったのが最初ですが年代が随分上な六本木だと知らずに当時大人世代が盛り上がっていたスクエアビルにあるディスコに行って場違いで子ども扱いされ笑える思い出となりました。(場違いな中でもやけくそで踊りまくりましたが)。

春休みが終わり、高校に入ると新たな友人たちと行ったのが新宿のニューヨークニューヨーク。同年代や少し上の近い年齢層も多く、魅了されて付近のディスコも含めて良く行きました。(当時も建前上18歳以上しか入店できないのがディスコですが実際は高校生は当たり前で低年齢層の渋谷のディスコでは中学生も普通に踊っていました。)

入場料は画像にもある会員証のキーホルダーを見せれば基本的に朝まで踊れれフリードリンク・フリーフードで1500円(女性は1000円)だったような気がします。汗びっしょりになって踊って、途中に照明がダウンしてムードのある曲に切り替わるチークタイムの時間はホールにいる気に入った娘を誘って踊ったり相手に男がいてトラブルになったりと今では笑える様々なエピソードがありますが言うのはやめときます。

ディスコに通っていた初期の時代は風営法改正前だったのでまさにオールナイトで朝まで営業していて「朝まで踊るぜ!」などと盛り上がっていましたが16の高1あたりの途中の84年に風営法改正によって12時までしか踊ることができなくなりました。それでも改正後もギリギリまで踊り終電は当然なく、2人で1000円とかで泊まれる中国人経営の怪しいレンタルルームなどでよく泊まったのもいい思い出です。

色々物騒な事件があって風営法の改正となった経緯はありますが、現代よりは遊びに人間味やスマートなルールはあったように感じます。

前置きが長くなりましたがコレクションの紹介に移ります。

上段左は懐かしくて購入した少し前に発売された80年代のディスコの本・上段中央と右は当時の新宿大型ディスコのZENONやニューヨークニューヨークが入っていた現在のHUMAXビル(旧コマ劇場の前)です。GBラビッツ・B&B・BIBAなどがあった8階建てビルの東亜会館と共にが新宿のディスコの中心地でした。2段目は当時のディスコの画像。最下段は今では伝説のディスコと言われているニューヨークニューヨークのキーホルダー会員証(青は男性で赤は女性)やZENONのキーホルダー・檄レアなブレスレット(今ではオークションに出れば高値で取引されているものです。)・東亜会館のディスコのカード型会員証やマッチなどです。

 以上、「コレクション:その㉗」青春コレクションDISCO編でした。

 

 (次回はまた違ったコレクションとエピソードを伝えたいと思います。)

 

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