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🔵与子規さんご寄稿
🔵白樺を幽(かす)かに霧のゆく音か(水原秋桜子)
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与子規さんからご寄稿いただきました。
今日は水原秋桜子の
★白樺を幽かに霧のゆく音か
です。
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🔷「すえよしブログ」読者の皆様ご機嫌如何でしょうか?
白熱した高校野球も東海大相模の45年振りの優勝で決着しました。話題を集めた早実の清宮の夢は叶いませんでしたが、まだまだ一年生、 より逞しくなって姿を見せて欲しいと思います。
依然として日中は暑いものの何となく秋の風情が感じられるのも今頃ですよね。季語で言えば「新涼」や「秋涼し」が該当するでしょうか。
★ゆく夏や喚声のなき甲子園(与子規)
涼しさを喜ぶ感覚に加えて何処とはなしに「寂寥感」が漂うのも今頃ではないかと思います。
🔷さて本日は水原秋桜子の
🔵白樺を幽かに霧のゆく音か
この作品を例によって私の独断と偏見で斬って参りたいと思います。
🔹水原秋桜子(1892~1981)は、以前ご紹介した中村汀女、杉田久女、長谷川かな女らと同世代に活躍しています。医師、医学博士と言う肩書にも驚かされるところです。
🔹水原秋桜子を語る時山口誓子同様『新興俳句運動』について説明する必要があると思います。
芭蕉の時代の「発句」を原点とする俳句は子規や虚子等の働きによっていわゆる「写生俳句」が確立されます。虚子に師事して「ホトトギス」に学んだ者もやがてそこから離れる時が訪れるのです。俳句に対する想いも百人いれば百人の千人いれば千人の考えがある訳です。
🔹秋桜子は誓子等と共に「ホトトギス」を離反します。秋桜子の目指した俳句は今までの客観写生にとどまらない情緒的とも言える主観を交えた写生俳句でした。
この様な自由な発想に基づいた思想は俳句のみならず他の文芸にも浸透して行きました。しかし戦争が活発となると共に「反社会的思想」としてこのような活動は壊滅される運命を辿らざるを得なかったのです。
🔷白樺を幽かに霧のゆく音か
信州あたりの高原の景でしょうか。作品の叙情的な雰囲気が「短歌」を連想させるように感じられる気がしますが如何でしょうか。
確かに今までの俳句にはなかった要素が含まれている気がします。
たった17文字の短い詩の中に大袈裟に言えば人生までもが絡む俳句の奥深さ、そして怖さをつくづくまた知った想いがします。
こう言う先人の努力のお陰で今の時代の我々は自由に俳句を作れる恩恵に預かっているような気がします。
最後までお読み頂きありがとうございました。
次回は河東碧梧桐に学びたいと思います。
与子規
🌠🌠🌠🌠🌠🌠🌠🌠🌠🌠🌠🌠🌠🌠
以上今回の与子規さんのご投稿でした。与子規さん、ありがとうございます。
秋桜子は最後はホトトギスから離れるわけですが、秋桜子は決して所謂「客観写生」を否定したわけではありませんよね。それは他の秋桜子の句を読めばわかります。秋桜子はさらにそれを推し進めて抒情性の大切さを実現しただけです。それにもかかわらずなぜホトトギスを離れなければならなかったのかという問題は非常に重要な問題を孕んでいますが、それは別の機会に譲るとして、与子規さんのご寄稿文の最後に「先人の努力のお陰で今の時代の我々は自由に俳句を作れる」ということは確かに言えると思いますね。
🔷当ブログで、4/18に秋桜子を取り上げたことがあります。合わせてご覧下されば幸いです。
http://blogs.yahoo.co.jp/ajlf4921/12942385.html
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村上護著「きょうの一句」より。8/24。
★地蔵会のすぎし風の木風の川(斎藤梅子)
*斎藤梅子=1929~2013。徳島県生まれ。「青海波」創刊主宰。句集「藍甕」「朱夏」など。
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本日長崎新聞俳壇の入選句。原田星村選。
★母と向かひ苧殻足しつつ父のこと(川岡末好)
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🔵与子規さんご寄稿
🔵白樺を幽(かす)かに霧のゆく音か(水原秋桜子)
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与子規さんからご寄稿いただきました。
今日は水原秋桜子の
★白樺を幽かに霧のゆく音か
です。
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🔷「すえよしブログ」読者の皆様ご機嫌如何でしょうか?
白熱した高校野球も東海大相模の45年振りの優勝で決着しました。話題を集めた早実の清宮の夢は叶いませんでしたが、まだまだ一年生、 より逞しくなって姿を見せて欲しいと思います。
依然として日中は暑いものの何となく秋の風情が感じられるのも今頃ですよね。季語で言えば「新涼」や「秋涼し」が該当するでしょうか。
★ゆく夏や喚声のなき甲子園(与子規)
涼しさを喜ぶ感覚に加えて何処とはなしに「寂寥感」が漂うのも今頃ではないかと思います。
🔷さて本日は水原秋桜子の
🔵白樺を幽かに霧のゆく音か
この作品を例によって私の独断と偏見で斬って参りたいと思います。
🔹水原秋桜子(1892~1981)は、以前ご紹介した中村汀女、杉田久女、長谷川かな女らと同世代に活躍しています。医師、医学博士と言う肩書にも驚かされるところです。
🔹水原秋桜子を語る時山口誓子同様『新興俳句運動』について説明する必要があると思います。
芭蕉の時代の「発句」を原点とする俳句は子規や虚子等の働きによっていわゆる「写生俳句」が確立されます。虚子に師事して「ホトトギス」に学んだ者もやがてそこから離れる時が訪れるのです。俳句に対する想いも百人いれば百人の千人いれば千人の考えがある訳です。
🔹秋桜子は誓子等と共に「ホトトギス」を離反します。秋桜子の目指した俳句は今までの客観写生にとどまらない情緒的とも言える主観を交えた写生俳句でした。
この様な自由な発想に基づいた思想は俳句のみならず他の文芸にも浸透して行きました。しかし戦争が活発となると共に「反社会的思想」としてこのような活動は壊滅される運命を辿らざるを得なかったのです。
🔷白樺を幽かに霧のゆく音か
信州あたりの高原の景でしょうか。作品の叙情的な雰囲気が「短歌」を連想させるように感じられる気がしますが如何でしょうか。
確かに今までの俳句にはなかった要素が含まれている気がします。
たった17文字の短い詩の中に大袈裟に言えば人生までもが絡む俳句の奥深さ、そして怖さをつくづくまた知った想いがします。
こう言う先人の努力のお陰で今の時代の我々は自由に俳句を作れる恩恵に預かっているような気がします。
最後までお読み頂きありがとうございました。
次回は河東碧梧桐に学びたいと思います。
与子規
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以上今回の与子規さんのご投稿でした。与子規さん、ありがとうございます。
秋桜子は最後はホトトギスから離れるわけですが、秋桜子は決して所謂「客観写生」を否定したわけではありませんよね。それは他の秋桜子の句を読めばわかります。秋桜子はさらにそれを推し進めて抒情性の大切さを実現しただけです。それにもかかわらずなぜホトトギスを離れなければならなかったのかという問題は非常に重要な問題を孕んでいますが、それは別の機会に譲るとして、与子規さんのご寄稿文の最後に「先人の努力のお陰で今の時代の我々は自由に俳句を作れる」ということは確かに言えると思いますね。
🔷当ブログで、4/18に秋桜子を取り上げたことがあります。合わせてご覧下されば幸いです。
http://blogs.yahoo.co.jp/ajlf4921/12942385.html
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村上護著「きょうの一句」より。8/24。
★地蔵会のすぎし風の木風の川(斎藤梅子)
*斎藤梅子=1929~2013。徳島県生まれ。「青海波」創刊主宰。句集「藍甕」「朱夏」など。
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本日長崎新聞俳壇の入選句。原田星村選。
★母と向かひ苧殻足しつつ父のこと(川岡末好)
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