先日、昭和天皇の弟君三笠宮様が100歳でお亡くなりになりました。

お悔やみ申し上げます。

 



●あの方は近代皇室においては、大変重要な方で、明治天皇が多くの子孫たちに託した「ユダヤの研究(離散スペイン系ユダヤ貴族スファラディ側が、日本皇室を旧約時代のユダヤ捕囚の「失われた十氏族」だとする説)」「孫の一部をキリスト教徒にして西欧との友好を保つ」という秘密遺言を、兄の昭和天皇らとともに実践された方です。

 

*オリエント史研究に情熱=戦争、皇室批判も―激動の一世紀歩む・三笠宮さま

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161027-00000047-jij-soci

 

 

 

陸軍参謀時代にシナ派遣軍の虐殺実態を批判し(44年)、徹底抗戦派からの首班擁立を拒絶した人です。戦後東大でヘブライ語を唯一研究され、マスターして、戦前青山学院大の左近博士他が試みた伊勢神宮の八咫鏡の研究(裏面にアラム語で旧約聖書の文言が彫られている説)をしています。

 

 

●僕自身が、初代応神天皇の外戚だったと日本書紀にある吉備秦氏の末裔なので、このブログでも「日本ユダヤ同祖論」は再三取り上げています。秦氏はローマ化される以前の12使徒時代の思想を残す「原始ユダヤ・キリスト教徒説」(戦前の京大佐伯博士他)末裔としても知られています。

 

佐伯博士の「太秦を論ず」という論文では、秦氏をネストリウス派の渡来にしたので、時代設定が合わないので、批判されましたが、晩年に「2世紀にはトルコ系の弓月国がキリスト化している」証拠を提示して、ペサ以降東に消えたというイエス時代のエルサレム教団の末裔たちが秦氏だとしました。

 

 

*唐の時代に大流行した景教。空海ら遣唐使は、イエス伝承を持ち帰った。

秦氏らが編纂した日本書紀などの聖徳太子伝承に、聖書文化は影響を与えている。
 

 

まあそういう記憶を持つ集団もいたかもしれないし、東アジア最大の権威であった秦を名乗れば安全だったという通行手形みたいなものかもしれません。大和朝廷内では、百済、新羅を名乗ったほうが政治的利益があったはずなのに、あえて秦を名乗るのは、漢氏への対抗説もありますが、4世紀に北中華を支配した秦政権の亡命だったというほうが合理的です。

 

海を越えたのは、すでに先に移民していた秦がいたからでしょう。おそらく徐福の秦伝説が、司馬遷の「史記」などを通じて儒者官僚の教養になっていたのでしょう。

 

*4世紀のメイフラワー号、謎の秦氏と天皇誕生ファンタジー

http://ameblo.jp/kawany69/entry-11483205667.html



 

 

 

●明治天皇の孫は実際数名が牧師になっており、中丸薫さん(自称孫)のように日ユ同祖説を今も研究されてる人もいます。三笠宮は、古代オリエント協会を設立し、日本とトルコ民族の古代からの宗教祭祀交流研究の第一人者として、芸大他で客員教授をして、ユネスコのシルクロード文化保護運動を通じて、欧州アジアの王室の協力で、戦後の国連復帰に道をつけた人です。昭和にシルクロードブームを起こした芸大学長の平山郁夫の盟友ですね。

 

 

日ユ同祖説を陰謀説的に扱う人がいますが、それは、フリーメーソン組織が実在しないというくらい、非現実的な判断です。日本の政財界宗教界でそれを否定する人も完全に立証できる人もいないからです。

 

例えば、戦後の占領時代に昭和天皇がメーソン加入を誘われたときに、有名な海軍ユダヤ工作担当の上海機関の犬塚大佐夫妻(イスラエルからユダヤ難民を上海に2万人も受け入れて戦後エルサレムから英雄とされた)の自宅に相談にきた謎の皇族は、この三笠宮ご本人だと僕は思っています。

 



*日本人で最も戦前のメーソンと深くかかわった、犬塚大佐の元秘書で

未亡人きよ子さんの幻の著書を最近読みました。先の大戦の構造と戦後

のメーソン東京支配の流れがよく理解できました。しかも、上海機関は東インド

会社のサッスーン家ら香港ユダヤが研究する「皇室、秦氏がユダヤ末裔説」

を通じて、ユダヤ上層部とイスラエル国を満州や上海に建国する共同研究

をしていたのです。

「フグ計画」という名称は虚偽だったことも今回初めて知り、911敗戦が近い

時期が時期だけに、因縁めいたものを感じました。

 

 

もちろん天皇はメーソンに加入しないで、一定の距離を持ちました。

 

今後、欧米の911敗戦で大きく世界史レベルで変化するときに、皇室を尊敬するロスチャイルドらユダヤ・スファラディと、その謎を追うメーソン(もともとは反ユダヤ組織)との関係が、どうなっていくのか? 

堕落した日本会議や神社本庁からみれば、三笠宮様はリベラルで「赤い宮様」と呼ばれて、煙たい存在であったことでしょうが、とても重要なキーマンを失ってしまったといえます。

 

 

参考:フリーメイソンとの係わり
1939年(昭和14年)夏、犬塚機関が上海のフリーメイソンリーの拠点三ヶ所を強制捜査し、祭祀用具、進級問答集など大量の貴重品を押収した。押収物は「極秘軍令品」として1942年(昭和17年)春に、上海から東京に運ばれた。戦後、犬塚惟重海軍大佐の未亡人である犬塚(旧姓:新明)きよ子が、それらの「上海フリーメイソン文書」を公開し、ソ連・支那のメイソンが大東社系である事、当時の中国国民党内部に支那人のメイソンが多数居た事や、彼らがフリーメイソンリーを介してアメリカ・イギリスの意向を汲む行動を取っていた事などが、明らかとなった。


ユダヤ問題との係わり
ドイツの軍靴がチェコ、ポーランドと進むにつれて、数百万のユダヤ人が世界各地に逃げ出さざるを得ない状態になった。しかし、彼らの目指すアメリカ、中南米、パレスチナなどは、入国査証の発給を非常に制限し、ほとんどシャットアウトの政策であった。英統治領パレスチナなどは、海岸に着いたユダヤ難民船に、陸上から英軍が機関銃の一斉射撃を加えるという非人道的行為まであった。そうした中で、入国ビザなしに上陸できたのは世界で唯一、上海の共同租界、日本海軍の警備する虹口地区だけだった。犬塚惟重は、日本人学校校舎をユダヤ難民の宿舎にあてるなど、ユダヤ人の保護に努力した。

 

 

 

 

●ちなみに僕は、「自衛隊の米軍統合」に反対もしないで、「男系維持」を主張する守旧的な神社本庁、日本会議の皇室での男系、女系議論は、正直どっちでもいいと思っているほうです。小林よしのりのいうように、「孔子の子孫は200万人」らしい。イタリアにもローマ帝国皇帝の末裔とかいるし、中東に行くと4000年前から同じ市場で店を出しているという一族もいます。

http://blogos.com/article/194642/

*男系血脈なら孔子の家系に負ける

 

 

そんなことより、米軍からの軍事独立をなぜメインの議論にしないのか? 

 

全国で8万社を抱える神社本庁までもが米ポチ支配となっているとすれば、初代天皇の盟友としてその「天皇祭祀の基礎」を構築したといわれる秦氏末裔としては、情けない限りだからです。

 

宮内庁と予算を配分をしない文科省は、戦後も天皇陵といわれる古墳調査をいまだに禁止し、古代史研究もしないで、朝廷の始祖の外戚である秦氏や海部氏、尾張氏、元伊勢(伊勢神宮に定着するまで皇室を祭った、古代ユダヤ式の移動時代の20ほどの神社)などをないがしろにしています。

 


*元伊勢のひとつマナイ神社に伝わるユダヤ紋章

 

 

「神の国」とか「国体」とかと吠える割に、皇室祭祀形成に無知で、「自衛隊の米軍統合の安保法制を推進する売国的」な神社本庁と日本会議に、もはや「自主独立」の大義はないように感じる人はすくなくないでしょう。

 

戦前は天皇陛下万歳!で自殺攻撃を繰り返させて、戦後は抵抗もしないで、その仇敵に自軍を統合させるなんて、どうみても恥知らずでしょう。

神社組織幹部や日本会議が本当に特攻隊とか旧軍が正しいと思うなら、今すぐ横田基地、米国大使館に抗議デモをすべきでしょう。別に特攻で死んで来
い!とまではいわないですが、8万社で誰一人そうした抗議を起こした禰宜はいないのが現状です(笑)

 

説得力がないのです。

 

ただし、先日の「属領からの独立・展望サード政府論」で書いたように、今は現存する王室の中でもっとも古い「皇統の伝統」は、バチカンや対西欧王室、中国に対しては戦略的に重要なイメージ資産なので、大事にするべきだとは思っています。

http://ameblo.jp/kawany69/entry-12215141416.html

*日本の属領からの独立と展望。(サード政府概要) 

 

 

 

●うちの先祖は4世紀の応神・仁徳親子の盟友・外戚で、姫を出した吉備秦氏(始皇帝子孫を名乗り、応神天皇にヘルプしてもらい新羅と戦い渡来してきた=日本書紀)です。今の皇室の祖先は、その応神の5代孫の継体天皇で、河内の一族が、越・福井までいって探しだし、反対派もいたので、畿内にはいるまで20年もかけたそうです。

 


なので、別に尊い血脈という感覚はないのです。

むしろ、なんで越からさがしてきた? 

吉備にも河内にも皇族はたくさんいたじゃないか?

 

ということで、そういう利権、派閥争いが1600年続いてるだけという認識です。

戦前のような極端な皇室幻想・賛美は、本当の歴史を知らない外部の連中がやってる政治利用で、しらけるし、対米中国への歴史理論構築も放置して・・・いまさら、戦前回帰でもあるまいしと、その歴史認識の幼稚さと、政治戦略の低さに、虚しささえかんじるわけです。

 

 

 

 

 


*倉敷のタテツキ遺跡は、2世紀当時、日本最大の人工的墳墓ですが、ライオンの紋章もしくは人面のレリーフが亀石に彫られてます。国立博物館に模型が展示してます。この独自の模様は、後の皇室独自のデザインとして継承されていきます。人面は「捕縛されたスサノウ」説があります。シルクロードから渡来した荒ぶる神、ヤハダ(八幡)が皇祖神だという説も。

 

吉備では1世紀ころから前漢滅亡のクーデター政権の「新」の建国者・王莽の貸せん(当時の国際通貨)を使用しており(国内最大数量が遺跡からでてる)水利堤防事業、古墳事業で各種の渡来人たちと共栄関係にあった。
 

*東京国立博物館に所蔵されている陶棺「寒羊図」の写真(岡山県美作町平福出土)
中央アジア~吉備に共通した陶棺の謎。国内の80%近くが吉備に集中。
「寒羊」とはイスラエル原産のしっぽの大きく太い種類で古代中国にも確認されておりユダヤ人と中国の関係をうかがわせ、また尾は劣悪な環境に耐えるために脂肪が蓄積されたもので「脂肪羊」ともいわれる。羊はユダヤ人にとって神の使いで、正倉院にも羊をモチーフにした国宝がある。

 

 

 

*隋書東夷伝にでてくる瀬戸の「秦王国」候補地の吉備秦。

末裔といわれる河西一族は今も、西日本最古のテラ跡地に住む。

弓月王説のある古墳発掘は最近開始されたばかりで、渡来時期の

4世紀は海岸線で、高梁川の湾曲部が船だまり。(鉄鋳造のタタラ

からのタタイという名所が今も残る)

中華大陸まで約2週間で交易定期渡航があったという伝承がある。

 

 

 

大体、吉備が支配していた出雲だけを取り上げて、伊勢神宮や出雲大社の遷宮とかに国の資金を入れているが、皇室の祭祀を作り大半の神社神道を形成したのは吉備秦氏、物部なのだから、フェアにしてもらいたいとすら思うわけですね(笑)

 

しかし、朝廷は吉備が故地だったことを忘れたとみえるが、これは吉備側も悪いのです。

吉備真備、和気清麻呂など、忠臣も多く輩出しているのですが(臣下ではないが、栄西、法然、雪舟らも吉備秦氏説あり)京都を中心にした秦氏側も、岡山県、総社市(古代吉備中枢都市)も含め、誰もちゃんと広報をしていないので、本当の歴史を国民が知らないのは仕方ないからです。

 

皇室は自らのルーツを大事にするべきですので、自戒も含め、今後は明治天皇や三笠宮の意思を尊重して、日本ユダヤ同祖説の研究にも関与して、ロスチャイルドに代表されるユダヤ・スファラディが同祖説を信じているならば、「日本の属領独立」に活用していこうと思います。

 

 

参考
秦氏といえば、始皇帝かユダヤ末裔説なのだが・・

http://ameblo.jp/kawany69/entry-12118735478.html