【多くの後悔と、一握りの喜び】プロレスラーは最強を認識!! | 川松真一朗の「日に日に新たに!!」

川松真一朗の「日に日に新たに!!」

川松真一朗が日々思い感じた事を記していきます。主に日本政治、ラグビー、相撲。それ以外にも、書きたいことは何でも。東京都議会議員、都議会自民党報道室・事務総長。ジョージタウン大学日米リーダーシップブロクラム修了。

川松真一朗です。

 

 

前回、久々にこちらで書いたブログには多くの方から様々なご意見を頂きました。

↑は私が余暇を上手に活用して、取り組んでいる事への思いを記しました。

 

それでも「政治家が何やってんだ」という批判は常にあると思います。だからこそ、議員としての日常も、川松公式ブログで毎日ご報告していく事にしました。

 

 

 

リングで戦ったら後悔ばかりだった!?

さて、今日は実際にプロレスのリングで戦ってみて、感じた事、思った事を書いていく回にします。

 

 

そもそも、私が7月3日に後楽園ホールに呼ばれて、8月20日の対戦相手を知らせる事になりました。

その相手は西村修選手でした。

「冗談でしょ?」という率直な感想でした。そもそも、西村さんがDDTのリングに上がった記憶はなかったし、「無我」の世界観は文化系プロレスの路線とは違うのではないかと瞬間的に思ったからです。

のちに記者会見でも持ち出しましたが、15年くらい前に武藤敬司さん率いる全日本プロレスの会場で「キティちゃんが瞑想」する無我Tシャツを買って、本人にサインまでして貰っているくらいの無我・西村さんのファンだったんです、私は。

 

そんな西村さんとの対戦となり、過去の西村さんの試合を思い浮かべて臨む一戦となったのです。

 

無我は無我

新日本プロレスでも、全日本プロレスでも西村さんのファイトスタイルは変わりません。

時に相手が派手な選手でも付き合う事なく、ご自身の無我を貫いていました。

加えて、記者会見での私を全く相手しない噛み合わないやり取り。予想していたとは言え、8月20日はどうなってしまうのだろうとしか思う事がありません。この会見では、当初は東京の23区制度を活発に議論するというディベートでの前哨戦と聞かされていましたが、西村さんは文京区の話しかないのでダイナミックな話が出来ませんでした。

 

これが無我スタイルなのか、そもそも素人である私がリングに上がることへの怒りなのか、私の想像は大きくなり頭の中でグルグルと考えが回ります。

いずれにしても、恐怖感しかなかったですね。さすがに高木社長には、いつも尊敬と感謝の念で一杯ですが、この時ばかりはこのマッチメイクを恨みました(笑)そして、本当に試合していいのだろうかと、この日まで以上に恐怖と不安に駆られる事になったのです。

 

ウォーミングアップから心はここにあらず

嫌だな、嫌だなと思いながら迎えた8月20日当日。

大田区総合体育館に到着し、ウォーミングアップをしていました。実は、数日ですが練習を一緒にやって頂いたなべやかんさんから「川松さん、絶対に自分が思っている以上に体を動かした方がいいですよ。とにかくウォーミングアップが大切です。」と言われていたので、体を動かさなくてはと思っていました。

※なべやかんさんは2018年からベストボディ・ジャパンプロレスでプロレス参戦。昨年にはDDTでKO-D8人タッグ王座に就いています。

 

アップと言っても、会場は既にオープンになっているので、リング上ではできません。私はラグビー式のアップなら頭と体に染み付いているので、とりあえず動かそうと会場内の廊下でアップをしていました。何名かのレスラーとすれ違いましたが、何やってんだと思われた事だと思います。

 

私の試合は第4試合。前の試合が始まり、いよいよリング入場口へ移動する事になります。

タッグを組んで頂いた高尾選手からは「何とかなりますよ。初めてだし、お客さんは応援してくれますよ。」と熱いお声がけで、迎えた入場となりました。

私もプロレスや格闘技で、多くの選手入場を見てきたけど、一体パフォーマンスとかどうしたらいいのか等とずっと考えていたら、入場曲であるTheBrowBeat「ハレヴタイ」がかかりました。そもそも、私のコスチュームはスーツスタイル。DDTファンの皆様の中にはどうせ「接待プロレス」だろ、冷め気味に第4試合を展望している方も少なくないと思われる中で、スーツで来たなと思われるし、あまりはしゃぐの良くないだろうとも考えましたね。

 

前述のアメーバブログで書いたように、私はあくまで議員であり、たまたまリングに上がっているに過ぎませんから。でも、最初で最後だから、やりたい事やった方がいいのかなぁなんて思ったりもしながらも、結果は、普通に入場でした、、、

 

リングの上では頭が真っ白に

選手もコールされ、人生初めての紙テープを経験すると、頭の中は真っ白に。

所々から「カワマツー」「センセー」などの声が聞こえてくるのですが、どちらから来ているのか分からなくて。少なくとも、事前に席場所を聞いていた人たちがどこにいるのか分かっていたのですが、この時点で東西南北の方向感覚がなくなっていました。ゴングが鳴る前に、試合前に「握手がありますからね」と松井レフリーから言われいましたので、高木選手、高尾選手に合わせて、相手側と握手しに進みましたが、ここで想定外の事がまた起こってしまいます。

なんと、試合前のデフォルトだと考えていた握手を西村さんに拒否されたのです。

西村さんは、他の2人とは握手していますから、完全に私への怒りモード。

(もう、やばいよ。逃げ出したい。何されるか分からない。やっぱりプロレス挑戦なんて断るべきだったよ。)などと、更にネガティブがフル回転で頭がよぎります。でも、これまでも「イージーな選択」と「ハードな選択」に二者択一ならば「ハードを選ぶ」と自身に戒め、周りにも厳命してきた私は逃げるわけにはいきません。「ハードな選択を選ぶのが漢だ」と心を奮い立たせて、高木・高尾両選手に懇願して、トップバターを務めさせて頂く事にしました。

 

目の前にそびえ立つ西村修。ゴングと同時に間を取りにいきます。私が取り組んできたブラジリアン柔術は、間を取りながらジワジワと間を詰めていく競技で護身術。それ故、私にはそれが染み付いてプロレスの練習でも、最初はゆっくり入っていくというスタイルでやっていました。ところが、向き合った相手には隙もないし、どこかで先に仕掛けるしかないと思ったのでした。

 

 

ですので、私からロックアップという組み合いに先に飛び込みました。

この時「あっ、こりゃ違う。本気でヤられてしまう。」と思っていたらロープに押し込まれて、写真のように西村スタイルで一度離れます。

 

闘うことは、どういうことか

でも、さっきと同じようにいったら、また負けてしまうので勢いよくいかず、じっくりいこうと考えました。

突進力ならラグビーや総合の練習でやってきているので負けない自信はあったので、自分の姿勢を崩さずにコーナーへ押し込みました。ところがココでまた誤算が生まれます。

 

コーナーに押し込んでから、何やっていいのか分からなくなりました。プロレスファンとすれば、ここはチョップだと思いやってみたものの、いざ相手を前にしたら練習と違って肩が動かない。つまり、緊張のあまりガチガチになっていたのです。(これは後日談ですが、翌日以降、今までに経験した事がないくらい、首から肩にかけての筋肉痛が出ていました)

そのチョップの甘さに怒った西村修から痛烈なエルボーとエルボースマッシュを喰らいます。この最初の一発で口を切ってしまいました。(マウスピースを忘れていました。)なんだ、この威力。これがプロレスラーの攻撃だなぁと、もう本当にプロレス挑戦した自分を悔やんだ1発でした。でも何とか喰らい付けば、今度はテイクダウンを取られる。でもこれは、西村さんの定番なので想定内。すかさずヘッドシザースにもちこむ。この後は、西村さんの逆立ちでの無効化という返しに、ファンとしては嬉しいんだけど余韻に浸る事なく、気合いを入れ直しました。

 

それからは大石選手、彰人選手との攻防もありながら、最終盤はトップロープ越しのぶっこ抜きブレーンバスター。正直、私が練習をしてきて下さった様々な方は私より小柄な方ばかりでしたので、練習では綺麗に決めていて自信のあった技。

 

ところが、持ち込もうとした私がいうのもなんですが、とにかく西村さんは私より長身だし重い。エプロンサイドから、ブレーンバスターが出来るだろうと本能的に組みにいってしまったのですが、逆に返されれば私が場外に投げ飛ばされる事になり、かなりの緊張感でした。既に、10分以上経過しリング内で攻撃され走り回ってスタミナは切れていたと思うのですが、最後の力を絞って一気に持ち上げました。結果、私が目指す超滞空にはならなかったものの、生まれて初めてお客さんの前で格上の相手にブレーンバスターを決めたのでした。

 

無我に完敗、そして・・・

この後は、西村さんにバックを取られての彰人選手によるドラゴンスクリュー。そして、西村さんのスピニングトーホールドからの足四の字固め。これが往年のプロレスファンならば大満足の展開。やられている私はそれを愉しむ余裕などなく、逃げ切るためにもがくしかありませんでした。どうにかこうにか一度は足を外せたものの、すぐに強く締められギブアップでした。もう、とにかくやり切った感はあるけど、足が痛すぎて、それどころではありませんでした。お恥ずかしながら悔しすぎて。

 

結局15分弱の試合の中で、西村さんと噛み合うことがなかったなと思っていたら、突然の西村さんのマイク。

「川松さん、歴史と伝統のプロレスに興味があるなら、ぜひあなたを無我にお誘いしましょう。」と思いもかけない言葉。記者会見から試合中まで、全くもって「プロレスなめんなよ」という威圧感しか体験してなかった、あの西村修からの声がけです。私も思わず反応してしまいました。「この試合でデビューして即引退かと思っていましたが、今西村さんから無我を認めていただいたので、追求させていただいてもよろしいでしょうか。」今となれば、またハードな道を選んでしまったのでした。

実は、この試合後、西村さんと初めてお話できました。

「川松さん、あなたの気迫は十二分に感じました。しかし、あんなに全身に力が入っていたら、相手に力は伝わりません。無我に興味があるならば、コンディション作りはもちろんリングの受け身の練習も継続されてください。」と淡々とアドバイスを頂いたのでありました。

リング上で話した通り、西村さんだけでなく、高木社長、彰人副社長、大石選手、高尾選手、私の本格デビューという節目に戦って頂いて本当に有難うござました。

 

この日初めて、プロレスを見た私の友人、知人あるいはSNS上の仲間が大体100人くらいいたのですが、本当に皆さん「プロレスでこんなに感動すると思っていなかった」とお言葉を頂いております。私にとって最初で最後の一戦のつもりでしたが、こうなったら目標を私の地元・両国国技館大会出場にランクアップさせて無我を追究すべきだと心を奮い立たせています。

 

両国出身の「闘う、政治家。」はあらゆる事象に対して全力で闘い続けて参ります。