川松真一朗の「日に日に新たに!!」

川松真一朗の「日に日に新たに!!」

川松真一朗が日々思い感じた事を記していきます。主に日本政治、ラグビー、相撲。それ以外にも、書きたいことは何でも。東京都議会議員、都議会自民党報道室・事務総長。ジョージタウン大学日米リーダーシップブロクラム修了。

「フワちゃんがプロレス参戦!?」

このニュースが衝撃で、日曜・月曜と会う人会う人から、必ず話題を振られる。

こんなにプロレスが日常話題になるなんて、私が議員になってから、いやテレ朝でもワールドプロレスリング班と話す時以外は滅多になかったのに。

角澤アナとは大日本プロレスのデスマッチ考察というのをよくやっていたけど。

 

(フワちゃんツイートより)

 

 

日曜夜に最初に、私にこの話をしてきたのは息子。

子「お父さん、フワちゃんがプロレスデビューだって!?」

私「えっ?」

子「岩谷まゆ選手って知ってる?」

私「知ってる。素晴らしい選手。お父さんが注目してきた選手の1人。で、突然、岩谷選手がどうしたの?」

子「一緒に4ヶ月練習してきてるんだって」

私「それだとスターダムだね。新日本プロレスのグループだよ」

なんていう会話でしたが。いきなりSNSで見たんだと。

 

でも、一般の方々との一番多い会話の内容はこんな感じ。

「川松、フワちゃんとは試合しないの?」

「ないです。」

「YouTuber対決とか」

確かに内容的にはDDT的になありそうだけど。

 

フワちゃんの決意

私がリングに上がる事に賛否両論あるけれど、自身の体験からすればフワちゃんも相当な覚悟だと思う。

リングに上がって、受け身一つ取れば分かるが、怖いし痛い。

でも、とにかく強くなりたいという思いと、自分が戦うことで何かを伝えたいという思いが共存しなければ絶対にできないと実感している。

僕の場合は「不可能を可能に」というテーマがあったから批判も覚悟の上での決断。

 

フワちゃんが、どんな練習をして、どんな試合をするのか、まずは10月の立飛アリーナの試合を見てから判断すべきだと私は思う。「芸能人だから」なんて言ったらダメですよね。今や結構、芸能界からリングデビューしている人多いし。

 

我らが東京女子プロレスを見れば、

令和のAA砲である赤井選手はモデルさん、荒井選手はSKE48のそれぞれ現役です。

(令和のAA砲、荒井選手のツイッター@araiyuki57より)

左が赤井沙希選手、右が荒井優希選手

 

心のバイブルを引っ張り出して

脱線するが私は幼少期に「最狂超プロレスファン烈伝」という漫画を何度も読み返していた。

そこからすれば、プロレスに多種多様な形があり、それと同時にプロレスファンにも多種多様な形があると思っている。

当然、相容れないもの、想像できなものもあるかもしれないけど、それを超越して、熱く語るのはファンの楽しみ。

例えば、グレート・ニタが大阪南港で復活して真鍋由アナを襲って、その後、あの蝶野選手と電流爆破をやるなんて誰も想像できなかった。和泉元彌さんがKENSOさん、鈴木ひろ子さん夫婦を相手にあそこまでやるとは誰が考えただろうか。

 

心から願う“東洋大決戦”

ただ、フワちゃん参戦を聞いて、東洋盟友と絡んで欲しいと心から叫んでしまったのは1人や2人ではないはず。

ちなみに東洋盟友とは東京女子プロレスに存在するユニットで、上福ゆき選手、桐生真弥選手の東洋大同級生タッグ。そして同じ東洋大卒業をしているフワちゃんも年齢不詳ながら同時期にキャンパスにいたと推測される。

2人の大技はエンリョウ。東洋大創立者・井上円了によるものだが、エンリョウをフワちゃんに仕掛ける日は来るだろうか。

(東洋盟友の2人。上福選手のツイッター@zacyukiより)

左が上福ゆき選手、右が桐生真弥選手

 

でも、フワちゃんに負けず劣らずに、

東洋盟友の2人にファンが1人でも増える事を祈りつつ。

 

追記

書いていて思ったけど、「フワちゃん」は正確には「フワちゃん さん」と言うべきなんだろうが自然に「フワちゃん」でブログを書いてしまった・・・

川松真一朗です。

 

 

前回、久々にこちらで書いたブログには多くの方から様々なご意見を頂きました。

↑は私が余暇を上手に活用して、取り組んでいる事への思いを記しました。

 

それでも「政治家が何やってんだ」という批判は常にあると思います。だからこそ、議員としての日常も、川松公式ブログで毎日ご報告していく事にしました。

 

 

 

リングで戦ったら後悔ばかりだった!?

さて、今日は実際にプロレスのリングで戦ってみて、感じた事、思った事を書いていく回にします。

 

 

そもそも、私が7月3日に後楽園ホールに呼ばれて、8月20日の対戦相手を知らせる事になりました。

その相手は西村修選手でした。

「冗談でしょ?」という率直な感想でした。そもそも、西村さんがDDTのリングに上がった記憶はなかったし、「無我」の世界観は文化系プロレスの路線とは違うのではないかと瞬間的に思ったからです。

のちに記者会見でも持ち出しましたが、15年くらい前に武藤敬司さん率いる全日本プロレスの会場で「キティちゃんが瞑想」する無我Tシャツを買って、本人にサインまでして貰っているくらいの無我・西村さんのファンだったんです、私は。

 

そんな西村さんとの対戦となり、過去の西村さんの試合を思い浮かべて臨む一戦となったのです。

 

無我は無我

新日本プロレスでも、全日本プロレスでも西村さんのファイトスタイルは変わりません。

時に相手が派手な選手でも付き合う事なく、ご自身の無我を貫いていました。

加えて、記者会見での私を全く相手しない噛み合わないやり取り。予想していたとは言え、8月20日はどうなってしまうのだろうとしか思う事がありません。この会見では、当初は東京の23区制度を活発に議論するというディベートでの前哨戦と聞かされていましたが、西村さんは文京区の話しかないのでダイナミックな話が出来ませんでした。

 

これが無我スタイルなのか、そもそも素人である私がリングに上がることへの怒りなのか、私の想像は大きくなり頭の中でグルグルと考えが回ります。

いずれにしても、恐怖感しかなかったですね。さすがに高木社長には、いつも尊敬と感謝の念で一杯ですが、この時ばかりはこのマッチメイクを恨みました(笑)そして、本当に試合していいのだろうかと、この日まで以上に恐怖と不安に駆られる事になったのです。

 

ウォーミングアップから心はここにあらず

嫌だな、嫌だなと思いながら迎えた8月20日当日。

大田区総合体育館に到着し、ウォーミングアップをしていました。実は、数日ですが練習を一緒にやって頂いたなべやかんさんから「川松さん、絶対に自分が思っている以上に体を動かした方がいいですよ。とにかくウォーミングアップが大切です。」と言われていたので、体を動かさなくてはと思っていました。

※なべやかんさんは2018年からベストボディ・ジャパンプロレスでプロレス参戦。昨年にはDDTでKO-D8人タッグ王座に就いています。

 

アップと言っても、会場は既にオープンになっているので、リング上ではできません。私はラグビー式のアップなら頭と体に染み付いているので、とりあえず動かそうと会場内の廊下でアップをしていました。何名かのレスラーとすれ違いましたが、何やってんだと思われた事だと思います。

 

私の試合は第4試合。前の試合が始まり、いよいよリング入場口へ移動する事になります。

タッグを組んで頂いた高尾選手からは「何とかなりますよ。初めてだし、お客さんは応援してくれますよ。」と熱いお声がけで、迎えた入場となりました。

私もプロレスや格闘技で、多くの選手入場を見てきたけど、一体パフォーマンスとかどうしたらいいのか等とずっと考えていたら、入場曲であるTheBrowBeat「ハレヴタイ」がかかりました。そもそも、私のコスチュームはスーツスタイル。DDTファンの皆様の中にはどうせ「接待プロレス」だろ、冷め気味に第4試合を展望している方も少なくないと思われる中で、スーツで来たなと思われるし、あまりはしゃぐの良くないだろうとも考えましたね。

 

前述のアメーバブログで書いたように、私はあくまで議員であり、たまたまリングに上がっているに過ぎませんから。でも、最初で最後だから、やりたい事やった方がいいのかなぁなんて思ったりもしながらも、結果は、普通に入場でした、、、

 

リングの上では頭が真っ白に

選手もコールされ、人生初めての紙テープを経験すると、頭の中は真っ白に。

所々から「カワマツー」「センセー」などの声が聞こえてくるのですが、どちらから来ているのか分からなくて。少なくとも、事前に席場所を聞いていた人たちがどこにいるのか分かっていたのですが、この時点で東西南北の方向感覚がなくなっていました。ゴングが鳴る前に、試合前に「握手がありますからね」と松井レフリーから言われいましたので、高木選手、高尾選手に合わせて、相手側と握手しに進みましたが、ここで想定外の事がまた起こってしまいます。

なんと、試合前のデフォルトだと考えていた握手を西村さんに拒否されたのです。

西村さんは、他の2人とは握手していますから、完全に私への怒りモード。

(もう、やばいよ。逃げ出したい。何されるか分からない。やっぱりプロレス挑戦なんて断るべきだったよ。)などと、更にネガティブがフル回転で頭がよぎります。でも、これまでも「イージーな選択」と「ハードな選択」に二者択一ならば「ハードを選ぶ」と自身に戒め、周りにも厳命してきた私は逃げるわけにはいきません。「ハードな選択を選ぶのが漢だ」と心を奮い立たせて、高木・高尾両選手に懇願して、トップバターを務めさせて頂く事にしました。

 

目の前にそびえ立つ西村修。ゴングと同時に間を取りにいきます。私が取り組んできたブラジリアン柔術は、間を取りながらジワジワと間を詰めていく競技で護身術。それ故、私にはそれが染み付いてプロレスの練習でも、最初はゆっくり入っていくというスタイルでやっていました。ところが、向き合った相手には隙もないし、どこかで先に仕掛けるしかないと思ったのでした。

 

 

ですので、私からロックアップという組み合いに先に飛び込みました。

この時「あっ、こりゃ違う。本気でヤられてしまう。」と思っていたらロープに押し込まれて、写真のように西村スタイルで一度離れます。

 

闘うことは、どういうことか

でも、さっきと同じようにいったら、また負けてしまうので勢いよくいかず、じっくりいこうと考えました。

突進力ならラグビーや総合の練習でやってきているので負けない自信はあったので、自分の姿勢を崩さずにコーナーへ押し込みました。ところがココでまた誤算が生まれます。

 

コーナーに押し込んでから、何やっていいのか分からなくなりました。プロレスファンとすれば、ここはチョップだと思いやってみたものの、いざ相手を前にしたら練習と違って肩が動かない。つまり、緊張のあまりガチガチになっていたのです。(これは後日談ですが、翌日以降、今までに経験した事がないくらい、首から肩にかけての筋肉痛が出ていました)

そのチョップの甘さに怒った西村修から痛烈なエルボーとエルボースマッシュを喰らいます。この最初の一発で口を切ってしまいました。(マウスピースを忘れていました。)なんだ、この威力。これがプロレスラーの攻撃だなぁと、もう本当にプロレス挑戦した自分を悔やんだ1発でした。でも何とか喰らい付けば、今度はテイクダウンを取られる。でもこれは、西村さんの定番なので想定内。すかさずヘッドシザースにもちこむ。この後は、西村さんの逆立ちでの無効化という返しに、ファンとしては嬉しいんだけど余韻に浸る事なく、気合いを入れ直しました。

 

それからは大石選手、彰人選手との攻防もありながら、最終盤はトップロープ越しのぶっこ抜きブレーンバスター。正直、私が練習をしてきて下さった様々な方は私より小柄な方ばかりでしたので、練習では綺麗に決めていて自信のあった技。

 

ところが、持ち込もうとした私がいうのもなんですが、とにかく西村さんは私より長身だし重い。エプロンサイドから、ブレーンバスターが出来るだろうと本能的に組みにいってしまったのですが、逆に返されれば私が場外に投げ飛ばされる事になり、かなりの緊張感でした。既に、10分以上経過しリング内で攻撃され走り回ってスタミナは切れていたと思うのですが、最後の力を絞って一気に持ち上げました。結果、私が目指す超滞空にはならなかったものの、生まれて初めてお客さんの前で格上の相手にブレーンバスターを決めたのでした。

 

無我に完敗、そして・・・

この後は、西村さんにバックを取られての彰人選手によるドラゴンスクリュー。そして、西村さんのスピニングトーホールドからの足四の字固め。これが往年のプロレスファンならば大満足の展開。やられている私はそれを愉しむ余裕などなく、逃げ切るためにもがくしかありませんでした。どうにかこうにか一度は足を外せたものの、すぐに強く締められギブアップでした。もう、とにかくやり切った感はあるけど、足が痛すぎて、それどころではありませんでした。お恥ずかしながら悔しすぎて。

 

結局15分弱の試合の中で、西村さんと噛み合うことがなかったなと思っていたら、突然の西村さんのマイク。

「川松さん、歴史と伝統のプロレスに興味があるなら、ぜひあなたを無我にお誘いしましょう。」と思いもかけない言葉。記者会見から試合中まで、全くもって「プロレスなめんなよ」という威圧感しか体験してなかった、あの西村修からの声がけです。私も思わず反応してしまいました。「この試合でデビューして即引退かと思っていましたが、今西村さんから無我を認めていただいたので、追求させていただいてもよろしいでしょうか。」今となれば、またハードな道を選んでしまったのでした。

実は、この試合後、西村さんと初めてお話できました。

「川松さん、あなたの気迫は十二分に感じました。しかし、あんなに全身に力が入っていたら、相手に力は伝わりません。無我に興味があるならば、コンディション作りはもちろんリングの受け身の練習も継続されてください。」と淡々とアドバイスを頂いたのでありました。

リング上で話した通り、西村さんだけでなく、高木社長、彰人副社長、大石選手、高尾選手、私の本格デビューという節目に戦って頂いて本当に有難うござました。

 

この日初めて、プロレスを見た私の友人、知人あるいはSNS上の仲間が大体100人くらいいたのですが、本当に皆さん「プロレスでこんなに感動すると思っていなかった」とお言葉を頂いております。私にとって最初で最後の一戦のつもりでしたが、こうなったら目標を私の地元・両国国技館大会出場にランクアップさせて無我を追究すべきだと心を奮い立たせています。

 

両国出身の「闘う、政治家。」はあらゆる事象に対して全力で闘い続けて参ります。

 

 

 

こんにちは、川松真一朗です。

 

なぜ議員が動いたのか?

8月20日のDDTプロレス・大田区大会『WRESTLE PETER PAN 2022』に出場しました。

なぜ東京都議会議員である私がプロレスに挑戦する事になったのかは、半年前、もっと言えば昨年の秋からDDTや東京女子プロレスに関わってきた経緯があるので、きっちりと順を追っていかないと一般的に理解して頂けないと思うので何回かに分けて記していきます。

 

あくまで今日は「なぜ、決意したのか」この点に絞ってのブログです。

 

結論からいうと「政治とは無限の理想への挑戦」という私の信念に従順に従い「夢は必ず叶う」「やる前から可能性を閉ざしてしまっている社会環境に一石を投じたかった」という事です。それが私にとって、たまたまプロレス挑戦であっただけの事で、高木さんではなく、違う方に声をかけられていればもしかしたら他の事だったかもしれません。一言では表せられないので、最後までお読み頂ければ幸いです。

 

尚、この様子の一部はDDT公式下記YouTubeに上がっています。ちなみに全編は配信サービスWRESTLE UNIVERSEでご覧頂ければ。→https://bit.ly/3pc1RUs現在は2週間無料トライアル実施中!

 

 

プロレスファンだったのは紛れもない事実

そもそも、私は大のプロレスファンです。物心ついた時に新日本プロレス、ユニバーサルプロレスの虜に。特にグレート・ムタスティングが戦った東京ドーム大会や、浅井嘉浩選手の跳躍に心を打たれ、SWSにウルティモ・ドラゴンを見に行った記憶が懐かしいですね。天龍源一郎さんは両国中学校の先輩で、みんなで天龍を応援していたし、SWSでの天龍vsホーガンも同級生たちで行きましたね。その後はパンクラスの試合に何度も行きました。とは言え、FMWやW☆INGにもアンテナを広げ、単純に「プロレスマニア」だった少年時代。

 

その私がDDTに強く興味を持ったのはKUDOさんという日大キックボクシング部の先輩がDDTの選手だったから。ある時に、キックボクシング部の歓送迎会に古屋尚顧問に呼ばれて行った時にKUDOさんとお会いし何となくでしか認識していなかったDDTに興味を持ちました。見てみたら無茶苦茶な団体だったけど、これはこれで観客の皆さんが喜んでいるし、凄い熱気だと感じたのです。でも、DDTは「人々に元気を届けている。人々に笑顔をもたらしている。」という強烈な印象があったのは今でも覚えています。

 

私の前にプロレス王者になっていた愛媛県知事

それから15年以上経過して、とあるご縁で高木三四郎社長にお会いする事になりました。その頃は、愛媛県の中村時広知事がアイアンマンヘビーメタル級チャンピオンになったばかりで「知事もチャンピオンになれるなら議員もなれますか?」と聞いた事が今回の全てのきっかけとなりました。高木社長から「ベルトを獲るチャンスは誰にでもあります。」と言われたきり、以後、この件は言及していませんでした。その後、2021年10月9日の東京女子プロレス大会インターナショナル・プリンセス選手権試合のベルトプレゼンターをはじめ東京女子やDDT でベルトプレゼンターを務めました。

 

特段、前述のプレゼンターは普通に何もなかったのですが、転機は今年3月27日のアイアンマンヘビーメタル級のプレゼンター。いつものようにリングに上がったら、対戦した両レスラーがダブルダウン。すると場内実況の「リング上には川松先生しかいない」という声が響き渡ると、後楽園ホール全体がわきあがりました。私は、どこまでがネタか分からないので戸惑ったのだが、場内的にはフォールにいかなければならない雰囲気だった為、思いっきりフォールに行ったら「1、2、3」で私が1548代のチャンピオンになってしまったというわけです。

 

 

愛媛県知事と私が違ったのはココから。知事は、直ぐにベルトを返上したのだが、私については高木さんが「川松先生は東京だし、とりあえず返上せず保持しておいてください」という事で、返上させて貰えなかったのです。それから約2ヶ月経って私は防衛に失敗ということでベルトを失なうことになりました。

 

それは突然だった

転機が訪れるのはその直後。高木社長から「本格的にプロレスをやりませんか?全面的にサポートします。」こう打診がありました。私はアイアンマンチャンピオンになっただけで満足で、突然のお誘いに「ドッキリかと」疑いながら、じっくり考えていました。DDTは団体発足から25年という月日の中で、全日本プロレス・新日本プロレスという伝統の系譜を持たないだけに、常に独自視点で新規のファンを獲得し、SNSや動画配信など新たなチャレンジをしてきた団体。いわゆる伝統のプロレス団体ではない事を重々承知しています。その結果、本当に多くの人がパワーをもらってきたと認識していたのは事実なのです。

 

政治家は本来、常に「昨日よりも今日、今日よりも明日」と政策を前に前に進めていかねなばならないし、一人でも多くの方を政治に巻き込んでいかねばなりません。「政治は私に関係ないし」と思っている大多数の方に、少しでも興味を持ってもらうようにするのは政治家1人1人の努力が必要だと特にコロナが流行していてから強く考え続けていた事でもあります。。それ故、世界は大きく違えど、DDT高木社長のプロデュース力から政策発信の方法、多くの人を巻き込む手法を学んでいたのも、紛れもない事実なんですね。

 

 

今回の高木社長のお誘いを受ければ、この高木社長の仕掛け方・思考力・目の付け方等をより身近に学べるのではないかと考え、それだけでもワクワクしました。とは言え、プロレスだからこそ練習や体作りをどうするかという問題が残ります。記者会見などでも述べてきましたが、趣味の範囲で私は打撃系の格闘技、ブラジリアン柔術に取り組んできてはいます。学生時代にはラグビーに取り組んだり、その後もトレーニングも定期的にやってきてもいます。そこまで高木社長は分かった上で、私の体力、筋力を認識した上で誘ったのは間違いないでしょう。それでも、毎日不定期な動きをしているので練習時間も微妙なところ。その点、高木社長には「早朝でも深夜でもコーチ陣と全面サポートします」と更に口説かれることに。だから私は「公務最優先。これで練習ができるなら、まず練習やってみます。そこで試合が出来るか判断して下さい。」と一大決心をしたのでした。

 

最後まで葛藤

議員がプロレス挑戦となれば、普通に考えてマスコミやSNSで叩かれる、カッコウの的。でも、私はこれ以前にも「都議として」全力で活動してきたし、多岐にわたる課題のある都政においても守備範囲を広く議会で動いてきた自負はあります。それでも、表面的に見ればネガティブな意見は多いだろうという一抹の不安は残るもの。以後、私の中では「(リアルに)戦うことの恐怖」「世間への伝わり方」がとてつもない精神的なプレッシャーになってきました。でも、やると決めたからにはやろう。まずは、チーム川松と呼ばれる「川松後援会青年部」のメンバーに事の経緯を報告。彼らから「誰もが出来る事じゃない。政治家としての活動量は俺らが証明する」等々の熱い言葉をかけて貰い、私の中で、彼らの理解なくして何事も運動が出来ないので腹は決まったタイミングでした。

 

 

一方で、私の参戦云々以前に高木社長に相談していた件がありました。

それは全国あるいはアジアなどの恵まれない子供たちにチャンスを創出するという試み。ココでいう「恵まれない」は経済面だけでなく、家庭・学校・社会などのあらゆる環境を含む。「将来は○○になりたい」と夢を描いても周りの大人が「無理だと」止めてしまうケース。あるいは最初かた「お金がかかるから」と自ら大きな夢を描くことさえしない少年少女が沢山います。この春頃から、現場調査をはじめたり、児童養護施設支援の団体などへのヒアリングも含めて調査を開始してきました。その一端が、私がアンバサダーとして発足させた「ONE ASIAチャリティプロジェクト」。今後、様々な企画を各界の代表者と全国で進めていきたいと考えています。ここでターゲットにしてきた子供達に「おじさんも諦めずに頑張っていたら10歳の頃の夢を40歳で叶えられる」という事実をもって「目標を立てて、そこに向かって全力で進んでいく大切さ」を伝えたいと強く思ったのでした。

 

「誰かがやるなら、俺がやる」精神

「不可能を可能にする」これが政治家の姿であると私はアメリカで学びました。竹下登氏は「政治とは無限の理想への挑戦」という言葉を遺され、私が政治家を志した頃から私も常に心にある言葉です。プロレスラーから議員は沢山いるけど、その逆はいない。誰もやった事のない挑戦だから、私がやる使命があると思い立ったわけです。私の座右の銘は「自我作古」。高校時代からブレずに信念としてきた「我をして古(いにしえ)をなす」つまり「私が歴史を作る」という開拓者精神を表現しています。しかも、DDTとい団体の頭文字は「Dream Dramatic Team」、今の政治家がマスコミの評価ばかり気にして、小さくなる中で、真の政治家像を目指すためには「リスクテーカー」になる必要性があると常々持っています。私は10代20代の青年達から人生相談を受ける時にいつもこう言っています。「挑戦者」はチャレンジャーではなくリスクテーカーと訳すように心がけたら、色々な世界が見えるよと。

 

 

今回の挑戦がプロレスではなくて、バンド活動とかお芝居だったら、ハレーションも少なかったかもしれない。でも、政治家だからこそ、より幅広い視野で物事を見つめて、誰よりも先を見据えた政策を打ち出さなきゃいけないというのは私の心情。

 

今回、DDT広報チームのおかげで良いも悪いも含めて、多くのマスコミに取材をして頂きました。これをきっかけに政治に興味を持つ人が1人でも増えてくれればいいなあと心から思っています。とにかく、私は色々なイベントやテレビ番組に呼ばれて、各級の政治家や評論家と討論させて頂く機会がしょっちゅうあるのですが、年々、議論の内容が表面的でつまらない事が増えてきました。もっと本質的なぶつかり合いの議論をしないといけないんじゃないかなって。だから、政治家は「(いわゆる)政治家らしさ」も大事かもだけど、内面は常に磨き続けなければいけないなと考えています。役人が用意する役人都合の難しい言葉を並べた資料と睨めっこしていても、前には進めない。当然、実務家としての彼らには敵わないが、政治家は想像力や俯瞰で総合的に見る目は絶対に役人に負けてはいけない。都庁の役人が私と議論すれば、必ず各種政策は「本質的な議論」になります。本来はそういう場面を動画で撮影して公開できれば、毎日、私が何をやっているのかも伝わるのだけれども。

 

リングに上がって見える景色が変わった

今回、リングに上がったのは初めてではなかったのですが「プロレス本格デビュー」というキャッチの衝撃は大きく、多くの皆様にご心配とお怒りをもたらしているかもしれません。普段の私を知っている都政記者や役人や身近な議員達はココまで書いてきた私の思いを概ね理解してくれているはず。ただ、そうではない方々に向けて、9月1日から定期的に区内へ配布してきたニュースレターの発行数を増やし、私の日々の活動を本ブログか、こちらのブログで公開していくと決めた。ふざけているようでふざけていない川松真一朗をしっかりアピールしていきます!!

 

そして、プロレスはDDTに関わらず様々な団体が地域活性化策に直結すると思っています。私がそう感じたのは2020年12月のスカイツリーでの電流爆破マッチ立会人を務めたからこそ。今、仕込んでいる事も、これから徐々に表面化していくと思います。SDGs17の目標を私は1つ1つクリアしていきます。今回のデビュー戦は3番目の目標「すべての人に健康と福祉を」でしたが、今後、高木社長と1、2、4、5、16、17あたりは取り組み実践していけると考えています。

 

今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。

また、思うがままにブログを書いていきます。次回も宜しくお願い致します。