超当たり前のことなんだけど
かなり見落とされてる
人が輝いてしまう法則の話をするね。
たとえば共有の場でね、結構わかりやすく
ゴミが自分の足元に落ちてるとするじゃないですか。
誰かが見てるとか見てないとか関係なく
これを、拾って捨てると
「あ、ゴミ拾ってくれてありがとうございます」
って誰かが言ったりするんだよね。
誰かに感謝されるんだから
「拾ってよかった」ってなるよね。
でも、「ま、いいや」って放っておくとさ
「足元に落ちてるんだから拾ってくださいよ、見えてましたよね?」
なんて言われたりするとするよね。
じゃあ、「いや、あとで拾おうと思ってたし」なんて思って
ちょっとムッっとしちゃったりするんだよ。
これさ、主導権は誰にあったと思う?
そう、自分なんだよ。
自分から動けば、感謝されることってたくさんあるの。
でも、自分から動かなかったら、
イラっとすることもたくさんあるの。
このブログを読んでいる人からすれば
自分のものじゃなかったとしても
ゴミは当たり前のように捨てるだろうし
「そりゃそうだよ」ってことなんだけど
こういうことってめちゃくちゃあるの。
飲食店の店員さんだとしてさ、
レモンをしぼってるお客さんがいたら
そっとおしぼりを渡してあげるの。
そうすると
「うわ、めっちゃ気が利きますね!ありがとう」
って感謝されるの。
でも、自分から動かなくて
「新しいおしぼりくらいくれるかな」
なんて言われたら少しイラってしちゃったりするよね。
どちらの道に行くかって自分に主導権があるの。
自分から動けば感謝されて、嬉しい。
受動的にいると、注意されてイラっとする。
人は能動的に動いたときにしか
輝かないようになっているんだ。
逆に受動的に輝いてる人がいたら見てみたいくらい。
見たことある?
「騙された」「こんなこと言われた」「裏切られた」
「怒られた」「怒鳴られた」「注意された」
と「○○された」という
受動的な言葉ばかり言いながら輝いている人。
いないの。
人は能動的にしか輝けないから。
めちゃくちゃ小さくても
能動的に動けば、感謝されて
受動的に待ってると、嫌なことを言われる。
そうなってんだ。
なにかしてもらったときに
「ありがとうございます」って伝えに行くと
「そんなこと全然気にしなくていいよ!
こっちは好きでやってるんだから!」
っていう人はめちゃくちゃ多いと思うのね。
で、そういう人は「また力を貸したろ」って
色んな人が力を貸してくれるの。
でも、お礼を言わなかったら
「あいつは礼の一つも言わない」ってなるの。
で、そういう人は「もう力を貸したらん」って
色んな人が離れていくの。
選べるんだ。
能動的に生きるか、受動的に生きるか。
本当に小さな小さなことなんだよ。
でも、能動的に動くと感謝され嬉しい気持ちになる。
受動的に待ってると嫌な気持ちになることが多い。
それ、選べるんだ。
感謝されて嬉しい気持ちになるか、
何か言われて嫌な気持ちになるか、
選べるんだ。
能動的に生きよう。
自分から始めよう。
人は能動的に動いたときにしか、輝けないのだから。