奥華子さんに会いに蚕室(チャムシル)へ行った話 その11 | きんちょ(odoriba)のブログ

きんちょ(odoriba)のブログ

いろいろありましたが、再開しました。

1回目のジャパニメーションコンサートがあった4月8日の翌日、華子さんがツイートしていました。実は、このツイートまで、華子さんサイドから公式に29日にもあることは、告知されていませんでした。先に29日のチケットを取っていた私は、若干の不安を抱えていたのですが、これでその不安も解消されました。

 

 

 

「ご飯も美味しくて」とありますが、5月27日の船橋での復活コンサートでは、「辛いものが食べられなくて、韓国のスタッフが辛くないものを頼んだら、目玉焼きが5個出てきた」というような話をされていたので、まあ、それも含めての「最高」だったのかもしれません。あるいは、目玉焼きの話は2回目の訪韓のときのことなのでしょうか。

 

ちょうどこのころ、YOASOBIの『アイドル』がリリースされ、2回目のジャパニメーションのときには、YouTubeで5000万回再生を超えていました。というのも、2回目のジャパニメーションに向かう空港で、私はそのYouTubeの動画をはじめて見て、何回も再生していたことを覚えているからです。その後、あっという間に2億回を達成することになるわけですが、まるで異世界のことのようです。

しかし、YOASOBIのikuraさんこと幾田りらさんは、無名だった2019年2月20日のビリサウンド(奥華子さんの事務所)主催のイベントに出場されていた縁があります。

 

当時の告知ツイート

 

幾田りらさんの当時のツイート

 

 

その後、私は、下北沢で幾田りらさんが出演する高校生のイベントを見に行って、CDを買ってサインしてもらいました。

 

 

 

 

その1か月後くらいで、原宿で幾田りらさんのソロライブがありました。その日は昼に華子さんが『殺さない彼と死なない彼女』のロケ地の近くにある佐原の土蔵でライブをしており、私は、終了後、握手会にまっさきに並んであわてて東京へ戻り、少し遅れて原宿のライブハウスに到着しました。そのライブでのアンコールで「こんどYOASOBIというグループで活動することになりました」と発表があり、『夜に駆ける』が宇宙初オンエアされたことは、YOASOBIファンの間では有名なことらしいです。遅刻して見にいった私は、会場の後ろのほうで、ただぽかんとしてそれを聞きました。正直、もっとソロでやってほしいな、何だこの今までとかけ離れたテンポの速い曲調は。。。。などと思ったことをおぼえています。

 

その後の展開は誰もが知ることとなりましたが、私にとっては、下北沢でサインしてもらった、ごく初期のCDに入っていた曲で「吉祥寺の改札を出て公園まで走った」と叫びながら歌うりらさんが印象的でした。わたしの地元ですが、駅からの方向は逆です。ただ、自分がそれと知らず、高校生のりらさんと何度か改札ですれ違っていたのかもしれないなどと思いました。

 

 

その幾田りらさんも、第1回のジャパニメーションの少し前に、幾田りら名義でのアルバムをリリースしました。そこにも『吉祥寺』というタイトルの曲が入っています。CMタイアップにもなったそうです。

長々と書きましたが、この『吉祥寺』の歌詞をよく聞くと、この曲に歌われているのが、幾田りらさんが高校を卒業する直前の桜が咲いている井の頭公園であったできごとの回想であることがわかります。その回想の場面というのが、まさに、ピリサウンド企画のイベントに出場した翌月である3月なのです。たった一人の友人のために公園で歌ったことが、りらさんにとっての今につながるスタートとして記憶されていることがよくわかります。そこに、私は、奥華子さんを生んできたストーリーを重ねて見てしまいます。

 

 

 

私は、もともと、奥華子さんがほかの歌手に提供する曲に興味が強いほうでしたが、このように、華子さんが活動休止している間は、華子さんと関わりのあるミュージシャンの方々のライブに行くことが増えていました。そのうち、上野優華さんは、すっかりファンになってしまったのですが、その話を書くとどんどん脱線していくので、やめておきます。

 

提供曲というと、1回目のジャパニメーションと、2回目のジャパニメーションの間に、華子さんがこんなツイートをしていました。

 

 

 

4月19日リリースのときには、ツイートなどでニュースが流れ、私も次の日くらいにはどんな曲か把握できていたかと思うのですが、その田村ゆかりさんのCDも家に届いてまもなく、29日の第2回ジャパニメーションの日となりました。

ですから、飛行機を待つ空港では、私はその曲も、何度か再生して聞いていました。

もともと自分で歌うよりソングライターになりたかったという谷山浩子さんが、いつかどこかで言っていましたが、提供曲だと自分で歌う曲ほど、自作の他曲とのカブリを気にしないですむから、かえって自分らしさが強くなるというようなことが、あるのか、ないのか、『忘れな月』は、奥華子節全開です。『同級生』を思わせるサビも、鉄板の歌詞も、田村ゆかりさん再度の依頼がまさにそういうものであるから、それに応えて実現しているようにも思います。これについては、こんな情報もありました。

 

 

『楔』や『手紙』を思わせるBメロからサビへのいきなりの転調、2番のアタマで戻りの転調をして何ごともなかったようにAメロが始まるところなど、もっと滑らかにする工夫があってよいと思うのですが、仮歌を渡されたアレンジャーが華子さんを尊敬しすぎて、そのままにした結果、転調してない『冬花火』よりもそっけない2番へのつなぎになったのかとさえ思ってしまいます。

 

いずれにしても、こういう提供曲は、コアなファン得すぎて、いろいろな楽しみ方ができます。そんなオーダーをしてくれた、田村ゆかりさんのチームに感謝します。

 

さて、というわけで、その日のことは、次回その12に。