奥華子さんに会いに蚕室(チャムシル)へ行った話 その10 | きんちょ(odoriba)のブログ

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いろいろありましたが、再開しました。

1回目の「ジャパニメーション」コンサートから帰国し、寝てすぐ起きて出勤する日常に戻り、感想もまとめられないまま、あっという間に時間が経ちました。

 

帰ってきて数日間は、先に予約した29日の公演に関しては、ホテルと飛行機代はキャンセルすることもできました。特に飛行機運賃は、ゴールデンウイーク初日ということで、8日のときの2倍を超えており、冷静に考えれば取りやめるのが普通だと思いました。でも、奥華子さんのツイートを見てすぐに予約した29日のチケットは、最前列が取れていたのです。8日のパフォーマンスに満足していた私に、次のチャンスを捨てる選択はできませんでした。

 

8日のサイン会で、とても話をしきれないと思った私は、華子さんに「メールしますね」と言いました。17日になってやっと送ったメールには、そのあたりの思いをこめて、次のように書きました。

(興味のあるかたは、拡大して見てください)

 

 

メールの中で、台北にも香港にも上海にも行ったという話がありますが、「だから何だ」という人も当然いるだろうと思っています。たしかに、だから何だと言えるわけではないことですが、私は私なりに、自分ができる応援をしていこうとした結果がそうなっただけの話で、それで何だと言えるようなことではないと思っているのです。ただ、絵が上手な人が華子さんのイラストを描いたり、デザインができる人が缶バッチを作ったり、私生活でがんばっていることがある人や、いろんな困難に直面しながら生きている人が、おたよりを送ったりするのに比べて、私もできることはやってみたけれど、そんなに意味のあるものを作れたかなと言えると、ぜんぜんなのです。華子さんが休んでいる間、おおむね日曜に1つのペースで、華子さんの曲にまつわる875川柳を作り続けて、活動を再開しますと言った誕生日に合わせて全曲分を送ったけれど、「何これ?」と思われるようなものでしかないことだって、わかっているのです。

でも、台北でも香港でも上海でも、そこに一人でも日本から来た〝追っかけ〟がいたら、そこに集まった人たちが、「ああ、自分が見に来た歌手は、ちゃんと日本でも応援している人がいるんだな」と思ってくれるじゃないですか。そうしたら、ますます、彼ら、彼女らからしてみたら、わざわざ外国人の歌手を好きになって見にきていることが、おかしなことじゃないんだとわかるじゃないですか。そんな思いで、私は見に行ったし、上海公演のときには、フラワースタンドも贈ったのでした。

 

ファンが応援する形はさまざまで、そのどれが優れていて、どれが劣っているということはないと思います。ただ、私はいいことも、よくないことも、感じたことをなるべく伝えようとした結果、上のメールでもやらかしているわけですが、ときどき、的外れなことを言ってしまったりしてきたし、私もそれを確かめる機会がないのと同様、華子さんも直接、ほんとうのことを伝える方法がないという関係ですから、ギクシャクしてしまうことも生じます。結局、ある時期は必死にできることをいろいろと試みたけれど、いちばんまともに受け入れてもらえるのは、私の場合、ライブに足を運ぶことなんだろうなと思ったし、じゃあ、そうすることが可能ならば、足を運ぼうと思って、実行するようになったのです。

 

そんな状況で、活動休止とコロナ禍がきたのは、偶然だったのか、なんの因果なのかわかりませんが、3年半ぶりに「行けば会って話せそう」な機会がめぐってきたこと、それが、私が華子さんを知ることになったきっかけの地である韓国だということに、心が動かされました。「これは、行かないわけにはいかない」と。

 

以前、活動休止前に、ツイッター上でファン同士が小さい衝突をしていたことがありました。あるファンの人が、自分はライブにたくさん行っているというようなことを書いていて、私にはそれは自慢をしているようには見えなかったのだけれど、それを見た別のファンが、「たくさんライブに行くから、えらいわけではない」というようなことを言ってたしなめていたのです。

どちらの話も、正確な表現までは覚えていないので、私の記憶による再構成でしかないのですが、私には、前者は自慢のようには思えず、むしろ、その人にはそれしか支えにできないような切実さがあるように感じられ、逆に、たしなめた人は、たしかに以前に比べ、いろんな事情でそんなに現場に足を運べるわけではない人だということも個人的に知ってはいました。でも、私には、そのたしなめた人が、別の方法でちゃんと自分の思いを表現できる人であって、そのことをアーチストさんからも認められていると思えたし、ある意味、良識的な発言をすることで、敵をつくらずに自分の居場所を保てているように思いました。だから、私は、最初に発言した人を擁護しました。たしなめた人の発言は、いっけん良識的に見えて、実は切実な思いを吐露した人を攻撃していると感じると、直接、本人に言いました。「あなたを悪く言っているわけでもないのに、何で干渉してくるのだ」とたいへんな反発に遭い、すぐにブロックされましたが、私はもともと、自分を悪く言われるよりも、自分以外の人が悪く言われているときのほうが腹が立つことが多いし、この件についての考えは、もともと上に書いたとおりなのです。

 

たくさん現場に行くからエラいなんてことはなく、むしろ、現場に行くくらいのことしかできていない自分が、情けないと思うことも多いです。でも、ときには無理してでも現場に行くことからつながって、何か、ためになることができたらという〝願い〟をいつも、胸のなかに抱えているというのが、ほんとうのところなのです。

 

さて、最後に念のため、誤解を防ぐため、私が書いたメールで、後から的外れだとわかったことを改めて記録しておきます。

 

●後になって、配信ライブで、華子さん一行は、

 8日当日の飛行機で現場に入ったと言って

 いました。

 オーケストラと入念にリハをしたとは思われず、

 また、29日の様子からも、『変わらないもの』の

 間奏終わりのサビ部分の出だしは、「たまたま」

 だったようです。

 

次回その11