奥華子さんに会いに蚕室(チャムシル)へ行った話 その9 | きんちょ(odoriba)のブログ

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いろいろありましたが、再開しました。

一夜明け、東横インでの2回目の朝食をガッツリ食べてからチェックアウト。前日と同じ富平駅の入っているショッピングモールに向かいます。前日のソウルへの行き帰りで確認した、「仁川地下鉄1号線」の方面へ向かいました。行きのときは、深夜にタクシーで到着したので、こちらに乗るのは初めて。乗り方には慣れたので、今回は特に問題もなく、途中、空港鉄道に乗り換えて仁川空港へ着きました。

 

暇なので、地下鉄の広告を眺めていました。

 

病院の広告。何かの疾患について「どうか、再発をなくさなくては」と書いてあるのだけれど、「どうか」に当たる部分と「再発」に当たる部分の発音が似ていて、オヤジギャグみたいになっていました。

 

 

これは、「これは妊産婦のための座席です」と、座席の後ろだけでなく、前の床にも書いてあるのが興味深かったので撮影しました。

 

こちらは、空港鉄道の車両。「現代」が作っているのか。

 

帰りは午後3時過ぎの飛行機だったのですが、仁川市内を朝から出発したので、かなり早く空港に着きました。地下鉄駅を下りて、最初の日に夜遅く、人気のない通路を歩いたところを逆向きに行くと、ここから空港ターミナルというところに案内の人がいたので、航空会社名を行うと「まっすぐ行って左」と教えてくれました。それで、すぐに受付カウンターのある場所に。

 

LCCで預け荷物もないので、機械で自動チェックインしようとしたのですが、何度かやっても、受け付けてくれません。「カウンターへ行け」と表示が出るので、カウンターへ。カウンターへ行く人が並ぶところの入り口で止められ、「あなたの飛行機はもっと後だから」と言われるが、チェックインの機械がカウンターへ行けと行っているのだと説明して中に入れてもらいました。

 

そして、カウンターで事情を話すと、衝撃の発言が。。

 

「Visit Japanの登録、すんでいますか?」

 

なんだそりゃ? 

 

韓国に入るときには、少し前まで「K-ETA」というのに登録しておく必要があり、それが解除されたばかりだとわかったので、出発の直前に登録したものを印刷しておいて、入国審査のときに出したら、別に見てはいなかったけれど、すんなり通してくれたのだけれど、日本を出るときに、そんなものに登録しろとは言われなかったぞ。。。

 

そんなものは知らないと言うと、

 

「ワクチン接種の証明書は? あるいは、陰性証明書を持っているか? …それをVisit Japanに登録しないといけません」

 

と言われ、真っ青に。

 

ワクチンは3回接種したけれど、なにしろ、水曜日にチケットを手配して金曜日に出発するという慌てぶりだったから、持ってきても、写真をとっても来ていませんでした。

とりあえず、カウンターを離れ、その場でできそうなことからと、「Visit Japan」なるサイトを探しだし、日本に入国するための事前手続きであることを理解。日本政府が運用しているものなので、日本語の説明を読みながら登録を試みました。

 

いろいろと記入をしていくと、次のような画面が。

 

 

このあと、証明書の画像を送ったりすると、黄色い画面が青くなるらしいとわかり、しかたがないので、「あとで陰性証明書の画像を送る」にチェックしたら、一時的に青くなりました。

 

で、それをカウンターに持って行ったけれど、

「証明書の写真はどれ?」

と訊かれ、「そんなのないけど、なんか画面がOKになりました」と言うと、さすがにそれは通用せず。「ワクチン、何回打った?」「その証明はないの?」などと確認されるけれど、「ない」と言うと、「飛行機には乗れません」と言われました。

「じゃ、わたし、帰れませんか」

「ええ、帰れません」

と、冷たく言い渡されましたが、そこで引き下がっては難民になるか不法入国者になるしかないので、

「どうしたらいいのですか」

と尋ねると、「検査を受けに行ってください」と。

「どこで受けられますか」

と訊くと、

「1階を出たところ」

 

早く空港へ行って、すぐにカウンターへ行ってよかったです。

気がつくのが遅かったら、間に合わないところでした。

 

というわけで、「1階を出たところ」へ向かったわけですが、それだけの説明でわかるはずもなく、しばらく空港をさまよい歩きました。あまり関係のなさそうな事務所に迷い込んで、「PCR検査場はどこ」と訊くと、ターミナルの外だということがわかりました。

 

ターミナルを出ると、横断歩道を渡ったところに大きな看板があり、いったんターミナルの外だとわかると、すくなり見つかりました。後で気がついたのですが、最初にターミナルに入るときに、係りの人にカウンターの場所を教えてもらった場所から下に下りたところでした。

 

窓枠に大きく「COVID」と書いてあります。

 

到着すると、荷物をドアの外に置くように書いてあるので、ちょっと心配でしたが、カバンを置き、入ろうとすると係りの人に「予約していますか」と訊かれました。予約していないと答えると、飛行機は何時だと確認され、とにかくこの場でWEBから予約しろとQRコードを示されました。パスポート番号や名前などを入力していると、そんなに手間取っていたわけではないけれど、ちかくにいた女性が「私が入力するから」と寄ってきて、江東で質問に答えると代わりに入力してくれました。きっと、毎日毎日、私のような人がたくさん来るので、少しでも時間を短くして、人をさばこうとしているのでしょう。WEBの記入欄はハングルでしたし、読めずに困る人も多くいるのだろうと思います。

 

そうこうして、入力が終わると、カウンターへ行ってパスポートと入力画面を見せ、確認をとりました。そして、「○番の部屋へ」と言われ、その番号のブースへ。医師がいて、健康状態の質問に答えると、すぐに「次は○番へ行ってください」と言われました。よく覚えていないけれど、日本語で話したような気がします。

そして、最後の部屋へ。

コロナ禍の初期によくテレビで見た「駐車場検査」のブースのような部屋で、アクリル板の手前に座ると、穴から検査官の手と綿棒が出てきて鼻に差し込まれ、ぐりっとして手と綿棒がアクリル板の向こう側に吸い込まれていきました。

 

ん? なんだか鼻の手前のほうしかぬぐっていないような…

渋谷で受けたときの自費検査のときのほうが、きちんと鼻腔に当たるところまで綿棒を入れていたけれどなあ。。。

などと思う間もなく、

 

「はい、おわりです」

 

と、日本語だったか、韓国語だったか忘れたけれど言われ、あっという間に外に出されました。その後は誰も寄ってこないので外に出ていいのだなと思い、建物の外へ出ました。

 

建物の外を回って、最初にカバンを置いたところまで戻り、カバンを探すと、同じころに来ていた西洋人が持って行こうとしていたので、あわてて「私のです」と韓国語で言うと、その西洋人は「置いた荷物を取ろうとして、混ざってしまっていた。ごめん」と、たしか英語で言ったような気がしましたが、なんかよく覚えていません(笑)。

 

そう言えば、私の代わりにスマホに入力してくれた人が、「証明書はここに取りに来てもらわなければならないのだけれど、12時から休憩に入るので、ドアを閉めてしまいます。ですから、代わりにメールで送りますね」と言っていました。

だいじょうぶかなあ。。まあ、係りの人がそう言うのだから、それで何とかなるのだろう。とにかく、メールが来るまでは、待つしかないので、ターミナルに戻り、昼ご飯を食べることにしました。

 

昼に食べたグリーンカレー。

 

 

カレーを食べていると、メールが届きました。

添付ファイルを開けると、証明書がついていました。

 

でも、「あとで証明書の画像を送る」ことにして、いったん青になっていた「Visit Japan」の画像は、画像を送る期限が過ぎてしまい、赤に戻ってしまい、もう変えられません。どうするんだ!?

 

 

昼を食べ終わって、再びカウンターへ行き、「陰性証明書が来ました」と言うと、もう、「Visit Japan」のことは訊かれず、何事もなかったかのように、すんなりとチケットが発券されました。

 

 

 

こうして、無事、飛行機に乗れたわけですが、成田空港での入国手続きでは、結局、ワクチン接種や陰性証明のチェックはありませんでした。たしかに検疫のところに「証明書の提示を求められることがあります」と書いてありましたが、提示を求められることなく、止められもせずに通りすぎていき、入国審査は自動で機械にパスポートをかざすだけでしたし、税関検査でも、Visit Japanの発行するQRコードがあってもなくても速さに変わりはないようでした。

結果的に言うと、日本の検疫を韓国の航空会社に肩代わりさせた格好になっていたわけです。

まあ、いわゆる「窓際対策」が終わる最後の時期だったからということで、これが1か月前だったら、たいへんなことになっていたかもしれません。出国時には何も警告されていなかったので、日本では実質的になくなった規制が正規に解除されるまでのタイムラグで、韓国の航空会社が韓国から日本へ搭乗させるときには解除されていなかったのか、あるいは日本人に対して必要のないことを正確に把握していなかったということなのか、そのへんはよくわかりません。

29日の2回目の公演から帰国するときは、韓国でも証明書の提示を求められなくなっていました。

 

こうして、ドタバタしながらも、無事、8日に華子さんに会って、翌日に帰宅し、何食わぬ顔をして月曜日には出勤することができました。

 

次回その10は、その後、華子さんに送ったメールの話などを書きたいと思います。