奥華子さんに会いに蚕室(チャムシル)へ行った話 その8 | きんちょ(odoriba)のブログ

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いろいろありましたが、再開しました。

4月8日のコンサートとサイン会が終わったわけですが、この日の自分のツイートを見返すと、まだ書いてなかったことがいくつかあったので、箇条書きにしておきます。

 

●コンサートホールの後ろは、巨大なパイプオル

 ガンになっています。平面図も見たけれど、

 そこにものすごいスペースが割かれています。

 また、パイプオルガンの前には、合唱隊が入れ

 るスペースも設けられていました。

 

 

 この日は、そこを潰して、巨大スクリーンが

 掲げられており、曲目や、それにまつわる

 アニメのキャラクターが紹介されていました。

 

 このツイートにある写真がわかりやすいです。

 

 

 

 

●指揮者を兼ねたピアニストの方が、グランド

 ピアノを弾いたのだけど、全部じゃなくて、

 1番のAメロだけピアノを弾いてあとは指揮台に

 上がって華子さんを見ながら指揮して、演奏は

 他のオケに任せるという感じでした。

 華子さんのボーカルを生かすことを第一に

 考えてくれているようでした。

 

●華子さんも弾き語りとは違う感じで、
 オケがあることを前提に
 そこに乗っていこうとする姿勢がありました。
 去年の夏とも違う、新しいものを聞けたと

 思います。

 

●華子さんは、歌い終わるといったん舞台の袖に

 引っ込んだのですが、拍手が鳴り止まず、

 また、指揮者も拍手を催促して呼び戻しました。

 そこで

 「カムサハムニダ」と

 「ありがとうございます」

 を言って、また引っ込みました。

 

●指揮者の方ですが、ピアニストとしてもすばら

 しかったです。

 ピアノの音がすばらしくよかったです。
 軽やかでしっかりとした粒がころがるような
 音でした。

 

 

 

●サイン会で自分の番が終わって、長く伸びる列

 を見ていると、列が折れ曲がった先のほうに

 福田さんが入っていって、日本語とジェスチャー

 で前へ詰めてと言っていました。無理やり

 日本語で言ってましたが、見ていた感じでは、

 ほぼ通じていたと思います。

 

 

 

 

●サインしてもらえる物のレギュレーション

 ですが、結局、主催者は事前に何も決めて

 おらず、サイン会が始まってから、現場で、

 パンフレットかチケットというふうに決め

 ていました。でも、後で見ると、何も持って

 いない人用に、スタッフがコピー用紙を

 用意して、何も出さない人には、それに

 書いていました。

 ただ、「宛名書きはしない」ということ

 だけは、最初に決めてあって、最後まで

 守っていたようです。

 

●物販はいっさいありませんでした。

 したくてもできなかったのか、準備ができ

 なかったのかは、わかりません。

 レギュレーションが決まっていなかったと

 いうのは、それも関係があったのかもしれ

 ません。

 

●離れて見ていると、ところどころ話している

 声が聞こえましたが、日本語話す人もそこそ

 こいて、好きな曲名とかを伝えていました。

 華子さんは、
 「えっ、嬉しい! 

 ㅤ日本語なんで上手なんですか」
 と
 「ありがとうございます」

 を、繰り返し言っていたようです。

 韓国側のスタッフが適宜、通訳はしていま

 した。

 

 そういえば、最後のほうで、華子さんが

 「未来で待ってる」

 と言っているのが聞こえました。

 何のサービス発言!?!?

 

●サイン会、ラストねらいの人は、あと30人

 くらいのところで1人現れ、あと10人という

 ところで、2人増えました。

 

 

さて、朝、見るだけで乗れなかった直通エレベーターに始めて乗り、地下1階まで。朝、来た道を逆に戻りました。

 

気が抜けたのか、地下鉄2号線蚕室駅、逆方向のホームに立っていました。乗る直前に気がついたわたしは、えらかった!

そのときのツイート。

 

 

無意識に「循環線」と書いている自分に、しばらくしてから驚きました。というのも、韓国語では「環状線」のことを(漢字で書けば)「循環線」(スヌファンソン)と言うのですが、そのときは、そんな言葉のことを意識もしておらず、自分のツイートを見てから思い出したからです。忘れていた言葉が、無意識のうちに呼びだされるということがあるものなのですね。

 

そこからの地下鉄の乗り継ぎは、大変でした。

なにしろ、仁川市内のホテルをとっていましたから。朝と同じ経路でしたが、夜は長く感じます。

「やっぱりインチョンはとおいな。プサンがいい 笑」

などとツイートしながら、12時を回って宿へ到着。

 

 

仁川市の富平駅まで戻って、周辺に食べられるところがないか捜してみると、駅前にミャンマー料理の専門店があり、ミャンマー人しか来ないのか、ハングルがどこにもありませんでした。韓国もこの数年で急激に外国人労働者が増えており、特に仁川には多くいるようです。

 

けっこう遅くなって適当な食堂が閉まってたので、結局、セブンイレブンでキムパプとビール買ってホテルに戻りました。

この数年、思うのだけど、韓国のコンビニの女性の店員さん、愛想よくてキュンキュンします。昔は、やる気のなさそうな人ばかりだったんですけどね。

 

というわけで、翌日、帰国の日に起きた最大の試練については、次回その9に書きます。