野々村さんの涙から生産的な思考をしてみる(笑)

西宮の県会議員の慟哭は、中国でも韓国でも、世界的に評判になっている。

中国と韓国は慟哭が許される文化がありますが、それでも理解できない泣き方であるのは当然だ。日本人の「涙の精神史」というテーマは面白いと思うが、慟哭の前例は、
ヤマチイノナキシャチョウ(山一の泣き社長)があるくらいで、彼の場合は心情的に理解できる。

それで野々村さんの慟哭を、生産的に考えてみると、思想の条件に「我慢」というのがあって、ある種の感情は我慢の濾過装置を経て、言葉となり、思想を造ることができるのではないかと思う。その種の感情で、「泣く」「恨む」「怒る」の3つが最たるもので、それらを心から消す方向ではなくて、言葉に昇華する方向で処理するのが思想への方向性だともいえる。「笑い」は思想に必要な感情だと思うが、我慢する必要はなさそうだ。

「泣く」「恨む」「怒る」の感情に共通するのは「いまは=ない」という認識が根底にあるということで、欠如への感性は、「あって=しかるべき=もの」への想像力に繋がるだろう。理想というものが見いだせるとしたら、そうした想像力に基づくのだろうと思う。

野々村さんは政治家だから、パフォーマンスの形を採る。野々村さんをネタにして、せめてもの生産的な思考を取り出そうとしたが、却って滑稽になったかも知れない。

写真=蒼山連峰から望む大理盆地です。洱海の湖がみえますね。中国でも毎日青空の土地であります。
ジャカルタコタ旧市街(9)─地図

地図を掲載します。
悪戦苦闘しましたが、なかなかうまく画けません。これで勘弁です。
小さいサイズで貼り付けましたので、クリックで拡大してください。

INジャカルタコタ旧市街

真珠街跳橋(尼語:Jembatan Gantung Kota Intan)

1628年に建設された跳橋で、英国跳橋と呼ばれ、コタ市街中心を貫流する運河に掛けられ、オランダ砦と英国砦を結んだ。1938年にインドネシアで唯一の跳ね橋として遺った。ただし、現在は使われておらず、橋も開いたままである。

望楼(蘭語:De Uitkijk)

望楼、つまり物見櫓である。1839年に建てられ、すぐ東側は要塞があった。税関でもある。2007年に観光化のため補修が行われ、クラパ港を一望する観光施設としての役割も担う。

海洋博物館(尼語Museum Bahari:)

1652年に建てられた香辛料倉庫であった。その面影は門扉など随所に窺うことができる。日本統治期は日本軍軍用倉庫であった
紅屋(尼語:Toko Merah)(11.Jl. Kali Besar Barat)

 
 1730年に建てられた植民地官僚の邸宅である。グスターフ・ウィレム·ヴァン·インホフ(Gustaaf
Willem  van Imhoff ・1705-1750)ら、蘭領東インド総督邸として使われるが、一時期海軍士官学校ともなる。
 洋館であるが、華人ショップハウスの影響も感じられる建物で、屋根上の短柱などは、現地様式化している。
 1851年に現地の華人カピタン(植民地政府から任命された現地華人の首長〈華語:甲比丹〉。日本でのオランダ商館長を指す言い方と異なる)の店舗兼住宅となった際に、紅色に塗られたため、紅屋の名称がある。しかしレンガの上塗りは近くでみるといい物ではない。そのため「トコ(家)・メラー(赤)」を紅屋と訳した。


スタンダード・チャータード銀行バタヴィア支店(英語:Standard Chartered Bank)

 1921年にエドゥアルド・コイペルス(Eduard Cuypers・1859-1927)の設計で建てられた。コーナーハウスの立地を活かしてドーム式の望楼を建てており、ネオ・ルネッサンス式の造作が良い。長大な建物である。

旧海上火災保険会社(蘭語:Zee en Brand Assurantie)・旧ロッテルダム信用取引組合社屋(蘭語:Gebouw van de Internationale Credit en Handelsvereeniging Rotterdam)(Jl Kali Besar Timur)

 運河沿いのカリ・ブサール東通り(Jalan Kali Besar Timur)にある。会社社屋や店舗・倉庫が建ち並び、17世紀から19世紀までのジャカルタ商業の中心地であった。今でもほぼ当時のままの街景を留める。運河がゴミの堆積で悪臭が漂うのも、当時からの伝統と化している。これもまた1つの歴史的景観である(良くないことだが)。
 本国で活躍していたエドゥアルド・コイペルス(Eduard Cuypers・1859-1927)らが設計して1912年に竣工した。中央銀行同様ネオ・ゴチック様式で(日本と日本人建築家が関わった台湾の近代建築には稀少である)2つの角塔を鉄兜のようなドームで覆う。中間部は5階建で最上部は屋根裏部屋である。換気に配慮したコロニアルスタイルでもある。屋根の傾斜を三段スロープとしてアクセントとしている。厳めしいが、チルボン運河のランドマークとなった建物であり、運河とともにオランダ的郷愁を十二分に散発しているともいえる。


旧東インド「今日の出来事」新聞社(蘭語:Het Nieuws van den Daga)(Jl Kali Besar Barat)

 運河西側カリ・ブサール西通り(Jalan Kali Besar Barat)の建築群も往年とほぼ変わらない。
 新聞社社屋らしく機能的であるが融通が利いた設計は今日でも会館やカフェなどの機能で活かされる。Ir. W. Selleの設計で、外観は簡潔で瀟洒であり、とくに1927年竣工(1925着工)の年代表記がユーモラスで、ジャカルタを代表するアール・デコ様式だ。



旧香港銀行バフヴィア支社(英語:HSBC)(Jl Kali Besar Barat)
 現在は、ジャカルタ税務署支署(Kantor Pelayanan Pajak Pratama Jakarta Tambora)が入っている。19世紀の建物らしいが詳細は不明。建物は蘭国風である。