4-5.タイ王国・チェンカーン旧市街(3)

歴史建築

4-5-1.本頭公廟(ルーイ=チェンカーン国道脇・ガソリンスタンド向かい)
簡潔な中国廟であるが、本殿正面左右の「寿」字図案の円窓、文運を象徴した筆形の「天地父母」の祭祀柱、瓢箪形の紙銭(紙製模造銭)焼却炉「金炉」、山門など、紅一色に統一してあって、必要なアイテムが揃っている。チェンカーンにも一定規模の華人社会が根付いていることが分かる。

4-5-2.符盛記(337 Tanon Chai kong)
四開間騎楼で、向かって左から裁縫店(二開間分)・符家の土産物商店・向かって右端の元映画館である。富士フイルム製映写機が遺る。全木製騎楼として価値があり、欄干や装飾が素朴だが、類例のない様式になっている。

4-5-3.181号街屋(181 Tanon Chai kong)
竹組土壁を多用した古街屋で、剥離した土壁から壁面の構造が露出している。トタンも古く、閉店しており、門前の屋台で賑わっている。

4-5-4.250号街屋(250 Tanon Chai kong)木地屋製作の木製欄干を二階テラスに並べた長大な連屋の典型的な街屋で、五開間で全長22mほどの長さを誇る。


4-5-5.食堂(Tanon Chai kong)
チェンカーンの下見板壁の街屋の様子がよく分かり、内部も開放的で、柱組の構造がよく分かる。側面にテラスを設けている。室内に魔除けのカゴメを掛けている。

4-5-6.美芳(Tanon Chai kong)
瀟洒な華人の木造街屋で、この店のみ一階門扉上部と二階窓上部の木彫の細かい装飾にこだわった造作がみられる。鎧窓も下開きで好ましい。軒下も持ち送り鉄製である。塗り分けもこの街では目立つ。


4-5.タイ王国・チェンカーン旧市街(2)

街並構成
寺院も多く、早朝の托鉢などもあり、当たり前だが、タイ伝統的地方都市の生活が遺る。市街南部ルーイからの国道に華人の本公頭廟がある。托鉢の服装や容器は民宿が貸してくれるはずである。

市街中央南側の公共市場の賑わいや、伝統的竹細工の店も多い。メコン川と平行にメインストリートが東西に走り、左右が木造店舗街となっている。この街は1909年に造られたので、それ以来の建物が多い。東側の公園近くに、ラオス行き渡し船の碼頭がある。

南側を平行に走る公路との間を24本もの路地(Soy・ソイ)が走る。上空からみるとまるで豚の肋骨がならんでいるようにみえる。この路地空間も木楼が多く、市街内に現地の名産である棉花を使った綿打ち工場や、モチゴメを加工した食品工房なども多く、見物場所に困らない。


                    地図は拡大してご覧ください

メインストリートは、川岸側に食堂が多く、ルーイ県名産のワインを揃えた比較的高級なレストランも多いが、伝統的街屋を利用したものである。フジフイルム製映写機をもつ元映画館の民宿もあり、往年のマツダ軽トラックや、運が良ければダイハツ・ミゼットもみられる。


縁日の賑わいのような夜の街景

日本郵便の中古自転車(タイへの援助物資として供出)もあり、ちょっとした昭和風情である。符盛和・瓊和利・丘昌明といった店舗名に、華人街風情も多少は感じ取ることが出来る。


          路地も大きいものから小さいものまであります

観光地の在り方しては、どうもラオス側のルアンパバーンを意識しているように思われる。

しかしアレンジはタイ国内旅行者に向けていて、レトロがキーワードである。

食堂とともに民宿も多いが、伝統木楼様式に統一している。土日夕方になるとメインストリートは、縁日の人出かと思うほど混雑するが、それもまた地方都市の賑わいということで好ましい。この印象は、外国人が少ないからであるかも知れない。

なお、ルーイの街では、毎年6月頃、3日間に渉って奇妙なお面を被り、ちんちんを模した木彫り棒を持って街を練り歩く奇祭ピー・タ・コーンが行われるので有名である。
4-5.タイ王国・チェンカーン旧市街(1)

沿革
チェンカーンはイサーン地方のメコン川南岸にある一小都市である。ルーイ県にあり、県政府所在地から50㎞北上し大型ソンテウで1時間半である。ウドンターニーからだと合計5時間以上かかるが、タイで最も涼しい清涼な高原地帯を走ってルーイ県政府所在地に到達する。メコン川の対岸はラオスで、対岸のサナムカーンを結んで渡し船は頻繁に往復しているが、タイ人・ラオス人のみの往来に限られており、外国人は越境はできない。

じつはタイは戦乱に巻き込まれる事態が比較的少ないにもかかわらず、伝統的な木造街屋の街並があまり整った形では遺されていないが、タイ北部のランパーンと東北部のチェンカーンが、連続した街並を完全に近い形で遺している。したがって貴重な地方小都市の面影があり、東に2㎞のケーン・クークは、メコン川ビーチもあり、タイ人に人気のある観光地である。タイ人にとっては昭和レトロのような感覚で楽しむ街らしい。この街は1909年に再建されているので、街屋の年代はこの頃からということになる。

チェンカーンでは新しく建てる建物も木造街屋とし、市街内に高層ホテル建築の建設を禁止するなどして街並を保存している。

塩辛などの味付けで内蔵のたたき(ラープ)としてイサーン地方の料理を出す料理屋や、カオ・チー(五平餅と同様な焼きモチゴメ)、米うどんのセン・ミー(漢字表記:線米・華語:米線)などの食堂で賑わい、高級レストランもあり、食い倒れの街である。

80年前にラオス北部のルアンパバーンから移住してきた家族が経営するルアンパバーン料理の店などがある。対岸との往来は今日も盛んである。料理も主食はモチゴメ主体で、ラオス料理メニューも多く、言語もラオスのラオ語に近い。川が両岸住民の文化と生活を分断ざせるのではなく、結びつける側面が強いと感じるのが、メコン川から感じる大らかさの理由かも知れない(雲南の河川の場合は言語的にも分断する要素を強く感じる)。また華人の商店も多いが、海南華人らしい商店も見受けられる。

4-5.フレンチ・コロニアル街屋(Tanon Mee Chai)
フレンチ・コロニアル様式であるが、草花紋が精緻にあしらわれ、柱形上部にそれぞれ花瓶をレリーフとしており、造形に凝っている。

4-6.フレンチ・コロニアル式街屋(Tanon Mee Chai)
典型的なフレンチ・コロニアル街屋で、漆喰塗り外観に、キー・ストーンを象って几帳面に作った二階アーチ窓と、大柄な欄干の造作が特徴である。ヴィエンチャンなどラオス国内やヴェトナム・カンボジアでよくみられるタイプである。

4-7.華人木造街屋(397 Tanon Mee Chai)

四開間の二階建街屋であるが、向かって右側の二開間は、一階の門扉上の草花紋左右は紅白に塗り分けてのなかに巧妙に龍身と一対の龍眼を組み込んである。中央の装飾が書巻形となっており「萬」・「寶」とそれぞれ書いてある。華人の街屋である。


4-8.錦合發(84Tanon Mee Chai)
コロニアル・スタイルの建物であるが、ラオス側のヴィエンチャン・ルアンパバーン・サワンナケートなどには少ないベランダ・コロニアルである。二階アーチ頂部の意匠にキーストーンではなく、中華風の「寿」字があることから、華人の洋風街屋らしい。


4-9.騎楼式洋館(22 Tanon Mee Chai)
フレンチ・コロニアルスタイルであるが、見事な騎楼となっていて、通常インドシナ植民地にみられないタイプである。むしろペナンなどの英国海峡植民地の海峡華人の街屋に近い印象を受ける。アーチ中央に寿字の意匠がみえ、左右は富貴牡丹花であるので、華人街屋である。やはりノーンカーイ県ではメコン華人様式の騎楼街屋スタイルが確立していたのだ。

4-4.ノーンカーイ旧市街(3)─歴史建築(1)  
歴史建築
4-4-1.本頭公廟
潮州様式らしい几帳面な四合院であるが、屋根上の陶片細工(剪黏)で出来た双龍や、タイ各地の本頭公廟の円窓とも共通する前殿の八角窓など、派手ではあるかが本格的な中国廟である。双龍・双凰・牡丹・白羊・白凰など、とくに陶片細工の技術が見事なところが驚かされる。その反面大門上の「八仙渡海」図は表現がユーモラスである。

4-4-2.紫蓮閣
中国民間宗教天徳聖教(徳教)の廟堂で、蕭昌明が1927年に設立した宗教団体である。中国大陸を出て、台湾・香港やタイ・マレーシア・シンガポールなどの華人社会で活動している。ラオス側にもないので、そのため徳教はタイ国内で活動しているようである。二階の祭壇には宋代の禅僧の済公(道済禅師)が祭祀されている。ぼろの衣裳に破れ団扇の痛快な僧侶である。
本堂は八角堂で三重屋根の比較的新しい楼閣である。

4-4-3.ホー族撃退記念碑(旧市庁舎広場)  (Tanon Mee Chai)
1875年に襲来した中国から陸路侵入した陸路華人勢力(ホー族)を撃退したことを記念して1881年に建てられた記念塔で、火葬した戦死者の骨灰を混ぜて建てられている。タイ文字・英語・中国語が併記されている。ラオスのシェンクゥアンから来た勢力と記すが、シェナーンクワンの華語表記を「鎮寧府」としている。

4-4-4.旧市庁舎(現ノーンカーイ県博物館)(Tanon Mee Chai)
フランス式の市庁舎で、平屋であるがベランダを大きく採っている。現在はノーンカーイ県博物館で、歴史と民族の概要を展示してあり、タイ族・華人・越僑コミュニティーについての古い写真が多く展示されている。