山后村風獅爺(金門島金沙鎮山后村下堡)─風水の必要から立てられた「オバQ」似の風獅爺

 この風獅爺(ふうしや)は、金門島の風獅爺の主な任務である東北風を防ぐ東北方ではなく、じつは西向きに立っています。それは立像の目的が風水上の悪い気から村を防禦する目的があるからです。

 山后(さんこう)村は、頂堡(ちょうほ)・中堡(ちゅうほ)・下堡(かほ)の3つの自然村があって、この風獅爺は、下堡自然村の感応廟の脇に立っています。
 
 ギョロンとしたその大きな眼は、じつは中堡の家並に向けられています。

 
写真1.山后下堡村風獅爺

 中堡村は、王氏一族のうちの王国珍が日本の神戸に渡って一財産をなし、王氏宗祠(そうし)と家塾である海珠堂(かいじゅどう)があり、住民の住居は合院(ごういん・囲み屋)を集合式に前後の家並を壁を列ねて繋いだ大連屋(だいれんおく)の集落をなしています。福建南部式連屋集落の一種です。巷門(こうもん)を巷道(こうどう)に並べて防禦を強化しています。

         写真2.山后中堡村の連屋群
 福建南部式民家は、屋根の両端を燕尾のような二股の形で跳ね上げた「燕尾脊」(漢語:イエンウェイチー・えんびせき)の体裁が多いですが、中堡の民家群は、その先端の向きが、下堡村に向いています。ですから、そのままだと悪い気を意味する「煞気」(漢語:シャーチー・さっき)である「燕尾煞」(漢語:イエンウェイシャー・えんびさつ)が村に突き進んで来ます。この種の邸宅の位置で生じる風水上の悪気を、「宅煞」(ザイシャー・たくさつ)といいます。


写真3.燕尾脊はこんなに尖っていて、突き刺すようです。

 冗談半分でたとえていうなら東京で法政大学のボアゾナードタワーが、尖った角を、明治大学のリバティータワーに向けず、リバティータワーでも四隅を丸くして,法政大学に悪影響を与えないようしていますが、そうした紳士的ともいえる風水争いを防ぐ措置は、中堡側では採られていません。下堡側で対策する必要があるのです。


 大きな双目に大きな口をエの字に開き、まるでオバQみたいです。そのオバQ度は、ラオスのルアンパバーンの由緒ある寺院、ワット・シェントーンの入り口を守る2匹の狛犬のような白い獅子にも匹敵します(残念ながら写真なし)。しかし背面はふさふさと巻き毛が左右にきちんと分かれていて、毛深いです。あたまの毛もちゃんとありますが、オールバックなうえに、耳も目立たないので、それがオバQ度が高い理由の一つにもなっています。ひたいにこぶがありますね。


 背の高さは106㎝です。右手に銭形、左手に手巾(手拭い)をもち、財運の招来も兼ねているようです。巻き毛と手拭いは青いですが、残りは白石のままです。西方の色は五行で白色ですから、背後の東方の青色と合わせて付合します。あごひげと脇まで伸びる毛先は金色です。祭祀日は旧暦8月25日です(感応廟の金姓の神様、金王爺千秋の祭日に合わせる)。

 
 なお、中堡村の家塾である海珠堂(1900年竣工)の前殿の側壁正面は、上方の切り欠きに石獅を置いています。石獅が門前に屋とは限らず、門上の左右の空間に置くことは、広東系の廟にもよくみられますが、広東系の廟が出し桁上に置くのに対して異なる位置で、注目したい位置です。福建系石獅は、屋根の上とか、いろいろなところに置かれます。向かって右が雄獅、向かって左が雌獅で、雌獅は子獅を足元に置いています。

    写真4.海珠堂の山門上の左右には石獅がいます。

可愛すぎ!! 金門島山后村の鰲魚落水口(ごうぎょらくすいこう)
-東アジア対偶呪物の一例-

金門島の風獅爺(漢語:フォンシーイェー・ふうしや)は、単独で建てる呪物であることが、狛犬や石獅とは違って残念なところでもあります。しかし二対一組の「対偶」(漢語:トゥイオウ・たいぐう)は中国文化の大事な観念でもありますから、呪物に対偶のものがないはずはないのは、門扉に貼る対句である対聯(漢語:トゥイレン・ついれん)が、もとは桃符(とうふ)という魔除けが起源であったり、これと同様に魔除けの歴史を歩んできた左右一組の門神にもみられます。ですから、日本の狛犬や、中国で門扉の守りになる石獅(せきし)を、「対偶呪物」(たいぐうじゅぶつ)という民俗学のカテゴリーで範疇化することも有効な視点だと思うのです。


            写真1から写真3.海珠堂の鰲魚落水口

それで金門島にも対偶呪物があるかどうか一考してみましたが、やっぱりあります。
それは個人宅の家屋や先祖の祠堂(漢語:ツータン・しどう)の正面左右の軒下にある「落水口」(漢語:ルオシュイコウ・らくすいこう=排水口のこと)の「鰲魚」(漢語:アオユィー・ごうぎょ) です。福建南部ではたいていは陶製です。

邸宅の落水口を鰲魚とするのは、火伏(ひぶせ)の意味があります。これは福建南部系統の建築物に広くみられる意匠です。沖縄のシーサー(獅子)は火伏の意味がありますが、金門島の風獅爺でも、邸宅の屋根上の風獅爺は風鎮めのみならず、火伏せの意味があるともいわれています。それと同様の意義があります。

鰲魚は日本では「おおがめ」とも読むように、元々は海中の大亀ですが、その形は龍頭魚身に変化し、中国伝統建築で三世紀から五世紀頃にかたちづくられた、屋根の左右頂部に載せる「鴟尾」(漢語:チーウェイ・しび・とびのお)が、唐末に魚の形となったものの系譜に通じます。

                  写真4.海珠堂王氏祠堂

鴟尾は「螭吻」(漢語:チーウェン・ちふん)ともいい、龍の九番目の太子ともいわれ、龍頭魚身です。これは日本も知られる鯱(しゃちほこ)とほぼ同種の系譜です(鯱は虎頭魚身といわれる)。やはり火伏の呪物です。屋根で四方に睨みをきかせていますから、絶大な魔除けの力をももちます。


写真5鴟尾の一例=金門島の小祠です。切妻面の異様に突出した土形(五行説の「土」)の馬背上に前後左右2組の鴟尾があります。

科挙の最終試験の殿試で一番になった状元(じょうげん)は、宮殿の前の石段に鰲魚のレリーフがあり、その頭の上に立って迎えます。これを「独占鰲頭」(どくせんごうとう)といいます。学問の神である魁星(漢語:クゥイシン・かいせい・北斗七星の第一から第四の星の組み合わせ)は、鰲魚を足で踏み、科挙の合格者を筆で点じる神鬼像になっています。

鯉が龍門を跳び越えると、龍や鰲魚になるといわれます(本当は龍になれるはずなのに海中の宝珠を盗み呑んだため、龍になりきれないという伝説があります)。また科挙の合格は、家門の発展に繋がるので、富貴の象徴でもあります。

金門島金沙鎮の山后村(そのうち頂堡・中堡・下堡のうちの中堡村)の王氏の家塾である海珠堂(かいじゅどう)の落水口は鰲魚は陶製で、両目がぱっちりして、星形眉も全開です。大口がたわんでユーモラスな上、うちの飼い猫のミーミーの口みたいです。顔面は黄金色、龍身は碧緑、えらは群青、背びれは薄紅で、中国獅子舞の獅子頭みたいに派手です。白い角がやっぱり龍かなという気がします。紅の胸びれがぴらぴらしてこれまた可愛いです。

海珠堂は前方が半月池で後方が山丘で、理想的な風水の立地に調整してあり、こじんまりしているのに、豪華な祠堂です。木彫の金凰などもどこかユーモラスな造作です。

建造物の配置は全体的に風水説に従い、四合院(しごういん)構成のロの字形の囲み屋です。鰲魚は4つの棟のうち、山門を除く3棟の軒上に対になって配置されています。ですから3組6匹鎮座しています。鰲魚の口から四方から水が流れるのは、明白に「四水帰堂」(しすいきどう)の相を意図した設計で、四方から集まる財源を意味して、財運繁栄と財産貯蓄の潜在力を象徴しています。本当に欲張り付くしの建物です。前屋左右の側壁正面上部にも一対石獅が鎮座して魔除けになっています。この村は中堡村と下堡村ともに王さんばかりなので、王一族の繁栄にこだわってかなり過剰な設計となっています。

ところで、どうしていつも投稿の文章が長くなるのでしょう。理由は明白です。中国に住んでいるので日本語に飢えているのですね(笑)。


写真4.海珠堂は前方が半月池で後方が山丘で、理想的な風水の立地に調整してあり、こじんまりしているのに、豪華な祠堂です。木彫の金凰などもどこかユーモラスな造作です。
写真5鴟尾の一例=金門島の小祠です。切妻面の異様に突出した土形(五行説の「土」)の馬背上に前後左右2組の鴟尾があります。

バトゥ・パハッ(6)─歴史建築(5)万昌金舗・新亜書店

2-13.万昌金舗
最古の真美齋金舗の向かいにあり、1939年竣工で、新しい方に属するため、建物はアール・デコ調で、旗竿も立っている。金舗なのでアラビア文字を併記している。

2-14.新亜書店 
1930年代と思われる美しいコーナー・ハウス。細かい花柄は海峡華人様式に近い。併柱を基調としたアーケードのオーダーが小気味よい。


バトゥ・パハッ(5)─歴史建築(3).公興茶餐室・中華旅館・瓊美海南芽菜鶏飯・真美齋金舗

2-9.公興茶餐室
1923年竣工の建物にあるコーナー・ハウス式華人喫茶食堂。客に眼光鋭い人物を見つければ、金子の幻影をみることはたやすいが、活気を失い、穏やかな時間が流れるだけの田舎町と化したこの街で、そのような眼光の人物は滅多にいない。「その店に坐って私は、芭蕉(ピーサン)二本と、ざらめ砂糖と牛酪(バタ)を塗った麺包一片、珈琲一杯の簡単な朝の食事をとることにきめていた。これらの珈琲店は、支那本土の茶舗の役目をしていて、休息して汗をぬぐうたり、人を待って商談をしたりするのに利用されている」(金子光晴『マレー蘭印紀行』「バトパハ」)。

2-10.中華旅館
典型的な華人宿であるが、もう店じまいしている。マレーシアによくある二階を客室とし、一階を喫茶店とするタイプで、一階は民天茶室である。1997年の『太陽』4月号「特集・金子光晴アジア漂流」の表紙に写る。

2-11.瓊美海南芽菜鶏飯
1926年立。瓊は海南島のこと。海南チキンライスを売る店で、鶏を茹でたものをぶつ切りにして御飯に載せ、醤油をかけて食べる。もやしの上にチキンを載せたのが芽菜鶏飯で、本来はマレーシア西北部のイポーの名物である。夜に営業するので、他の朝営業の喫茶室と両立し、安価で簡便な料理を提供している。

2-12.真美齋金舗
金細工を売る店は広府系華人が多い。1916年竣工で、街で最古の騎楼建築の一つである。この時期の建物は簡素である。アラビア文字も書くが、他の業種ではみることが少ない。コタ・バルなど、イスラーム信仰が特に敬虔な土地では、どの店もアラビア文字併記となる。






バトゥ・パハッ(4)─歴史建築(2)益群書報社・南亜園茶室・1931年街屋・.済生堂薬行

2-5.益群書報社
1925年竣工の華人新聞社社屋で、中華民国旗を鴨居に刻んだ石柱門が美しい。頂部は半円ペディメントに両端は獅子である。          


2-6.南亜園茶室
1923年竣工の華人茶室。主に朝食で賑わい、コンデンスミルク入りの甘いホワイト・コーヒーと汁なし中華麺などで過ごす人が多い。蟹爪形ペディメントと一階コーナーの中央を蝙蝠とした併柱アーチが美しい青白仕立てのコーナー・ハウス(華語:転角楼・日語:かどみせ)である。


2-7.1931年街屋
コーナーハウスである。コーナーの半円ペディメントは、メダリオン左右に獅子が立ち、獅子戯球のパロディーみたいである。その下にヤシを中央に2頭の象が画かれるのが南方らしい。「双象朝椰」図案とでも呼ぼう。

2-8.済生堂薬行
1919年竣工の比較的古い騎楼群で、七開間連続して遺っている。ペディメントの低い二等辺三角形に円紋はもっとも簡素な形式だが、マレーシアの街屋によくみられる。漢方薬店ばかり多いので、商売はたいへんだろう。欄干付女児牆に、三角ペディメントに簡潔に年代を記すが、
隣の慶安薬房は1918年とある。