チベットの獅子センゲと「雪獅」─インドのライオン像と中国獅子像の間
私の住む雲南省大理ペー族(漢字:白族)自治州は、雲南西部で北はチベットで、北隣の市の麗江市はチベット仏教の中国南限(世界的)です。西隣の保山市は南伝仏教の流れの上座部(じょうざぶ)仏教の中国の西限・北限です。
写真1.「雪獅」です。雲南迪慶チベット族自治州松賛林寺(帰化寺)の雪獅(意外なことに赤毛でした) 大理州は大乗仏教の流れの北伝仏教の聖山鶏足山(けいそくざん)があり、チベット仏教・南伝仏教・北伝仏教と三つの仏教の系統が隣接しています。さすがは「アジア十字路」の一つと思います(自著宣伝:川野明正『雲南の歴史─アジア十字路に交錯する多民族世界』白帝社、2013年←済みません。出版社に恩があるのです・笑)
チベット仏教の寺院によく描かれる「雪獅」(せっし・雪獅子・スノーライオン)は、白身白頭緑毛(または青毛)の獅子です。チベットでは獅子は「センゲ」(sengge)といい、よく人名にも使われます(注1)。
写真2..雲南迪慶チベット族自治州東竹林寺の桁上の雪獅(向かって左・真ん中の宝石印を夾んで向かって右はガルダらしい・チベット仏教のガルダは角が生えていたり、腕が太く描かれる)
写真3.モンゴル国ウランバートル市の紋章のガルダ(出典:Wikipedia「ガルダ」)
雪獅は、チベット語で「ガンス・センゲ」(gangs sengge)といいます。
雪山(せつざん)に棲み、山と山を飛び移り、東方や北方のシンボルです(青=緑は中国の五行説でも東方のシンボル)。いわゆる「獅子哮」(ししこう)である咆哮(ほうこう)が仏教の「空」(くう)でもあり、仏法と同義だそうです。仏座に彫られたり、寺院前に置いたり、チベット軍旗に始まる「雪山獅子旗」(せつざんししき・中国国内は掲揚できない)は、旭日が頂上に昇る雪山に三宝(仏・法・僧)を象徴する宝石の左右に一対の雪獅を描きます(注2)。
写真4.チベットの雪山獅子旗(出典:Wikipedia「チベットの旗」)
写真5.雪獅(出典:Wikipedia「スノー・ライオン」)
雪山獅子旗も三宝を双獅が守っていますから、双獅が狛犬的位置づけにありますね。雪獅は二頭組になることも多いですが(ポタラ宮前雪獅)、単獅で一頭だけというのもあるようです。青木文教が狛犬的観念をもちこんだとしたら面白いとちょっと思いますが、双獅の観念は、たしかにもともとチベットにもあります(注3)。
雲南西北部の迪慶(チベット語:デチェン・てきけい)チベット族(漢字:藏族)自治州にある松賛林寺(帰化寺・黄帽派)の壁画は、雪獅は紅毛の獅子像で、雪山を背景に描かれていました。チベットの獅子はこの他に紅毛の藍獅も、雪獅とともに描かれることがあります。
雲南迪慶チベット族自治州の東竹林寺(黄帽派)の桁上の雪獅は向かって左に、真ん中の宝石印を夾んでガルダらしき像と対になっていました。チベット仏教のガルダは角が生えていたり、手があって太く描かれたりして、独特の形をしています(羽根が下から眺めるとみえない)。緑毛の雪獅と黄毛のガルダ(インド由来の神鳥)が組で鎮座していました。
チベットの雪獅は中国的な「獅子」(シーツ・Shizi・しし、日本でいう「唐獅子」・からじし))にも似ています。チベット仏典はサンスクリット語仏典から直接訳していますが、チベットに仏教が入ったのは7世紀前半で、日本よりも遅いでから(6世紀に伝来)、中国の方がはるかに早く(1世紀に伝来)、中国から獅子のイメージが入っても不思議ではないです(ポタラ宮の前の左右一対の石獅(せきし)は、中国的な石獅と似ています)。
しかし雪獅の原形はより直接的にはチベット仏典の獅子像に由来すると思います。
北伝仏教の漢訳仏典では唐代の阿地瞿多(あじくた)訳『陀羅尼集経』(だらにじっきょう)に「身は皆白色、獅子に乗ず」とあり、日本でも平安時代に獅子に騎る「騎獅文殊菩薩像」が定着します。獅子は百獣の王で、最高の智慧を象徴します。奈良県桜井市安倍文殊院の騎獅文殊菩薩像(国宝)は、高さ7mもあり、仏師快慶が1203年に作ったものです。
写真6.快慶作[騎獅文殊菩薩像」 (出典:安倍文殊院HP )http://www.abemonjuin.or.jp/treasure.html
チベット仏教で文殊菩薩であるマンジュシュリ(Manjusri)はチベット仏典でも北伝仏教の文殊菩薩同様に、獅子に騎って描かれることがあります。ねずてつや氏の『狛犬学事始』(ナカニシヤ出版、1994年)でも取り上げられ、掲載図はチベット仏典のマンジュシュリで、獅子に騎ります(同書195頁)。墨摺なので色のイメージが分かりませんが、背景の山の描き方など、すでに雪獅と思われるイメージもみられます。
写真7.チベット仏典のマンジュシュリとセンゲ(出典:ねずてつや著『狛犬学事始』ナカニシヤ出版、1994年:195頁)
チベットの雪獅は、狛犬みたいに犬のようだといわれることもあります。じつはチベット犬であるアプソ=セン=カイ(Apso Seng Kyi・英語のラサ・アプソ=Lhasa Apso)が、頭部の形や体型が雪獅と似ているとよく言われます。これはたまごが先かにわとりが先かという話にも似ていてます。みなさんは写真と見比べてどう思いますでしょうか。
写真8.チベット犬ラサ・アプソ (出典:Wikipedia・“Lhasa Apso”)
しかし雪獅とチベット犬は、繋がらないかも知れません。犬は犬でまた別に品種改良の歴史があります。ちなみにラサ・アブソは、中国犬のシーズーに影響を与えていますが、シーズは「獅子」(Shizi)のことで、品種として中国に至って文字通り「獅子犬」になっています。チベットの雪獅とチベット犬との関係は一つのテーマであるものの、切り離して考えることも一つの考え方でしょう。
チベットのセンゲと隣接して、チベットの西隣のネパールに、これまたインドやオリエントの影響を受けた独特な獅子像があり、ネパールのチベット仏教とともに、チベット独自のネパール仏教もあります。
ネパールの獅子像もチベットの雪獅と巻き毛や体格など似ているものもあり、あるいはオリエントからの流れか羽根が生えたものもあります。中国の獅子像とともに、ネパールの獅子とも比べる必要があります。しかし世界的・アジア的な獅子像の系譜を知るのに必要な、荒俣宏(文)・大村次郎(写真)『獅子―王権と魔除けのシンボル』(集英社・2000年)が手元にないので、いまは触れません(海外辺地在住なので,入手に3週間必要・笑)。
雲南西北部のチベット系の民族、ナシ族(漢字:納西族)やペー族(漢字:白族)には、家宅の門扉に置く門枕石の石獅像が、中国の一般的な石獅とはかたちが違うことも多くあり、独特のスタイルがあります。ボン教や密教などの影響もあり、チベット的なセンゲの流れも考慮しないといけないです。
チベットのセンゲは、外観はインドライオンが実際に棲息しているインドのアショーカ王柱柱頭に描かれる写実的なライオン像である「シンハ」(サンスクリット語:Singha)よりも、中国の獅子のイメージに近いですが、しかし言語的にはセンゲはシンハから来ているはずで、インドと中国の間の中間的な位置づけから、チベットのセンゲをどう考えるかが一つ課題でしょう。中国の獅子だって「獅」(当初は「師」を当てた)の発音は「Shi」ですから、サンスクリット系の音を当てたのでしょうから。
写真9.インドの国章(アショーカ王柱頭の四獅子が原図)(出典:Wikipedia「インドの国章」) 注釈:
注1.=たとえばセンゲリンチンは「獅子宝」の意味。センゲリンチン=1811-1865・ホルチン左翼後旗の人。太平天国鎮圧・アロー戦争・捻軍(ねんぐん)鎮圧などに活躍した清朝のモンゴル族の将軍。
注2.=チベット軍旗である「雪山獅子旗」は、1910年代にチベットに滞在した青木文教〈1886-1956・滋賀県の人〉がチベット軍官と相談して作ったものとされる。
注3=雪山獅子旗の制定には、たぶん青木文教だけではなく、軍事顧問の矢島保治郎の二人がかかわっていると思うのですが、日本の狛犬の観念をチベットに持ち込んだとしたらどうなんだろうと思います。無意識に狛犬を反映しているところがないとはいえないです。
雪山獅子旗の雪山頂上の旭日は、日本の旭日旗を参考にしています。
ただ、旭日の意匠そのものが、仏教では多用される意匠で、上座仏教寺院でも入母屋式屋根の羽目板は、ほとんど旭日意匠ですので、双獅の意匠も、チベットにもともとある意匠であるとはいえます。二つの地方の意匠が、うまく重なっていると解釈できる部分もあると思います。
写真1.雲南迪慶チベット族自治州松賛林寺(帰化寺)の雪獅(意外なことに赤毛でした)
写真2..雲南迪慶チベット族自治州東竹林寺の桁上の雪獅(向かって左・真ん中の宝石印を夾んで向かって右はガルダらしい・チベット仏教のガルダは角が生えていたり、腕が太く描かれる)
写真3.モンゴル国ウランバートル市の紋章のガルダ(出典:Wikipedia「ガルダ」)
写真4.チベットの雪山獅子旗(出典:Wikipedia「チベットの旗」)
写真5.雪獅(出典:Wikipedia「スノー・ライオン」)
写真6.チベット仏典のマンジュシュリとセンゲ(出典:ねずてつや著『狛犬学事始』ナカニシヤ出版、1994年:195頁)
写真7 .「快慶作騎獅文殊菩薩像」
(出典:安倍文殊院HP )http://www.abemonjuin.or.jp/treasure.html
アプソ=セン=カイ