他所に類例なき剣川ペー族の「獅子獣口型石敢當」と「蓮華座位牌型石敢當」、ペー族石敢當式ガルダまで(雲南大理州剣川県金華鎮)
写真1.獅子獣口型石敢當(西門街25号趙勝昌旧宅)
雲南西部の大理白族自治州北部にある剣川県(けんせんけん)は、チベット系民族ペー族(漢字:白族)の人たちが多い県です。唐代の南詔国(なんしょうこく)と宋代の大理国時代の石窟(せっくつ)である石宝山(せきほうざん)石窟で知られますが、貧しい土地なので、科挙に合格して官僚になったり、大工になって出稼ぎに行ったり(大工も知識人の仕事なので、科挙を目指した人がなったりします)して、木彫(もくちょう)・石彫(せきちょう)でも知られる土地柄です。
その県政府所在地の金華鎮(きんかちん)では、一風変わった魔除けの呪物(じゅぶつ・まじないアイテム)が目立ちます。
「石敢當」(中国語:シーガンタン・沖縄では、いしがんとう)は、T字路に必要な呪物です。日本でも沖縄県や鹿児島県(鹿児島ではせっかんとう)にみられます。
中国では福建省が発祥とされますが、台湾や東南アジア華人社会にもみられ、ヴェトナム・韓国にもみられますが、中国にも各地みられます。中国の西南辺疆にある雲南省では、比較的少ない呪物です。
福建・台湾では、角石に「泰山石敢當」と書いたり、その上に剣を噛む「剣獅」(中国語:チェンシー・けんし)を組み合わせることが多いです。なお、泰山は、中国東部山東省の霊山です。
役割は風水説上では、T字路(あるいは三叉路)に面した家は、悪い気である「煞気」(漢語:シャーチー・さっき)がまっすぐにその家に当たって良くないので、それを跳ね返すために、「断固として立ちはだかる石」あたりが、直訳としても適切な説明だと思います。
「気」は異なもの、味なものでありまして、気はちょっとした流れの向きで、良い気にもなれば、悪い気にもなります。
ペー族では、北京の民家同様、やはり直接門から気が入るのを防ぐため、門の内側に照壁(漢語:チャオピー・しょうへき)と呼ばれる壁を作ります。これは沖縄の民家の「屏風」(沖縄方言:ヒンプン)と同じです。
直接突き当たる気が悪い気であることは、キョンシー(僵屍)映画で、キョンシーがまっすぐにしか動けないことと似ていますが、露骨に気が直進するのは悪い気と解釈されますす。
「石敢當」の言葉は、前漢の史游の作である児童啓蒙書『急就篇』(きゅうしゅうへん)に「師(獅)・猛虎、石敢えて當(あた)り、侵ざる所、龍未だ央(=殃・わざわい)せず」とあります。
石敢當初出は、宋代に出土した唐代の大暦五年(770)刻の石敢當に、「石敢當、鎮百鬼、圧災殃、官吏福、百姓(ひゃくせい)康、風教盛、礼楽昌」とあって、これが最古のものです。魔除けでありながらも、もろもろの幸いを祈る呪文で、これは子供の口に上りやすく、覚えやすくした『急就篇』の文句に通じて、石敢當のもともとの意義として、簡潔で霊力ある言葉の呪文の力に依拠した石碑であったことがわかります。
元代の陶宗儀(とうそうぎ)『南村輟耕録』(なんそんてっこうろく)に「今人家の正門で、適(たまたま)巷陌(こうばく・巷道のこと)・橋道の衝(つき)に当たるに、すなわち一つ小さな石将軍を立て、あるいは小さな石碑を植える。その上に鐫(きざ)んで「石敢當」と曰(い)う。厭(まじない)してこれを禳(はら)う」とあり、すでに現在の石敢當の風水的な意味がみられます。
ようやく本題に入ります。
さて、金華鎮でみた獅子獣口型石敢當があるのは、西門街(せいもんがい)という古い建物が集中している地域で、東西の西門街と南北を走る巷道とのT字路に位置します。
場所は西門街25号の趙勝昌旧宅で、晩清の咸豊(かんぽう)年間(1851- 1861)の建物です。石敢當もその時期のものと思われます。石敢當はペー族語で「ゾーガイダン(ZoGaiDan)」といいます。
写真2.巷道からみた西門街北側壁面の石敢當(西門街25号趙勝昌旧宅) 石板に書かれた「泰山石敢當」を、家の壁面にかなり上方に埋め込んでいます。頭に獅子頭があり、「泰山石敢當」と記した石板を抱きとめるように、獅子が口を上下に開けて、歯牙を出して、左右は巻き毛を並べて枠で囲みます。獣口の中に呪文を刻んだ石敢當は、発想としてほぼ剣川県内に類例があるだけの孤例と思います。造形は、石敢當と石獅を組み合わせたものとみえますが、獅子頭の立体石彫像を頂部に置いた石敢當じたい類例が少なく、また、獣口を枠とした石敢當は稀少で、剣川ペー族が確立した様式です。
獅子型泰山石敢當の東側筋の西門街63号の段世堂宅には、やはり剣川県以外に類例がないと思われる位牌型の石敢當があり、これは民家の軒上にあります。「太(=泰)山石敢當」と記していますが、これは文字の呪力だけでなく、泰山石敢當という名の石神の神位として、位牌の体裁をもたせたと考えられます。しかも蓮華座ということが、すでに剣川のペー族の意識のなかで魔除けの呪物とされていることも注目したいところです。
写真3.蓮華座位牌型石敢當(西門街63号段世堂宅) この位牌型石敢當は、清代晩期のもので、蓮華座の彫刻も精緻です。:地元のペー族出身の研究者、張春継氏は、著書『白族民居中的避邪文化研究─以雲南剣川西湖周辺一鎮四村為個案』で、この蓮華座は、現地のアジャリ教(阿咤力教=阿闍梨教)」という、民間宗教化した密教の影響があると指摘しており、現地での流行を考えると、その可能性は高いでしょう。
これは南詔国・大理国の時代に繁栄したインド経由の密教とともに、神鳥のガルダ像もペー族のなかに伝来し、現在でも、民間仏教の祭祀者であるアジャリ(阿咤力)によって祭祀されてペー族の魔除けに飾られているところからも理解できます。
この種のガルダは、中国語では「大鵬金翅鳥」(ダーポンチンチーニャオ・たいほうきんしちょう)といいますが、張春継氏によれば、剣川県のペー族語では、「ダオーガイセン」(DaoGaiSain)と言います。これを中国語で、「偸鶏神」(トウジーシェン)といい、くちばしをもち、ガルダが退治する蛇をもったり、くわえています。日本でも密教伝来とともに渡って来て、八部衆の迦楼羅天になります。
写真4.永豊南路49号李光明宅の石敢當式ガルダ 永豊南路49号李光明宅の壁面上にはガルダがあります。張春継氏によれば、真新しくみえるこの石板像は、じつは一度像が盗まれてしまい、石工を頼んで新調してもらい、アジャリを呼んで開眼儀式をしてもらったとのことです。
このガルダはT字路の突き当たりに掲げられており、役割は石敢當と同じ役割をもちます。石敢當がもつ魔除けの役割と同様の意識と意味で置かれている事例として、漢族由来の石敢當と、インド由来のガルダが融合した石敢當式ガルダともいうべき民間信仰の意識をみることができると思います。
アジア十字路の交差点である雲南西部の大理白族自治州と、外来文化を柔軟に受け入れてきたペー族ならではの石の神様だといえるでしょう。
参考文献:
張春継(著)2009『白族民居中的避邪文化研究─以雲南剣川西湖周辺一鎮四村為個案』雲南大学出版社
附記1: 石敢當に泰山がつく理由
石敢當に、いつから泰山がつくようになったかが定かでないのですが、始皇帝封禅の地の泰山であり、古代の地下冥界の泰山であり、道教の聖山でもある泰山ですし、「泰山の(霊力込もる)石敢當」とすると、インパクトは確かに感じます。
背景の観念としては、泰山石は魔除けの効果が著しいという通念があることが大事だと思います。
石敢當が太公望である姜子牙(『封神演義』の主人公)が、諸霊を神に封じたあと、自分も神に封じなければならないので、目の前の泰山の石を指さして、自分を石敢當に封じて神に成ったという伝承が、中国で膾炙しています。姜子牙は斉国の開国元首ですから、その故地の山東地方にある泰山石敢當と縁が深いと考えられています。
漢の武帝が泰山に登った折、四つの石を拾ってきて未央宮(みおうきゅう)の四隅に置いて魔除けとしたが、霊験があったので、泰山石が霊力があると考えられたという説もあります。これなども、泰山石の霊力を示しているところが、泰山石敢當の名称の背景にあるでしょう。
附記2. 漢族からみた台湾と雲南のフロンティア的性格
石敢當の本場台湾から見ますと、むしろ中国文化の周縁部で、しかも漢民族でない人たちのなかで、むしろ中国伝統文化に基づくアイテムが、過剰に表象されてきているのではないかと思います。
対聯が、中国の山西省という「中原」と、雲南の剣川県という「周縁」で、ともに盛んであることなどとも一脈通じると考えております。台湾も、漢民族にとってのフロンティアなので、過剰的な表象の有り様もむしろ強烈になる部分もあるのかなと、雲南と呼応する部分もありそうです。フロンティアというところでは、台湾も雲南も、婿養子の習俗が盛んであったりするところなども、相通じあうと思います。
雲南が漢民族のフロンティアというのは、元代にはじめて中国朝廷の支配下に入りまして、明代に明朝初期に辺境防衛のために屯田政策で、大量に明朝の軍兵が入ったという経緯でそうなっています。
(2014年8月22日)