某公共住宅彩色の平面瑠璃獅子像(中国雲南省大理市下関鎮)

雲南大理盆地の公共住宅の門の前に平面石獅がおられました。建材屋さんの陶板コーナーで売っているのでしょう。自宅の門にも貼ってみたいアイテムです。



金獅と書いてあるのに、瑠璃獅子だから緑獅になっていて、平面の彩色画にすると頭の巻き毛が目立ってパンチパーマみたいで、目も寄りぎみだから「はなくまゆうさく」さんのイラストのパンチパーマの青年みたいです。四隅の紅はコウモリのようで、火焔の表現みたいですが、そうすると火伏にならないからコウモリの紋様が溶解しているかなと思います。彩色するといろいろなことが分かります。雄獅の踏む鞠がパイナップルみたいなのと、雌獅の足元の仔獅は、茶色で両親と色が違って遺伝的に変です(笑)。でも仔獅も鞠をもつというこだわりがいいです。男の子なのでしょう。

向かって左が雄獅=(上の句)「財源広進」(台座銘)「之家」(雌獅と合わせて幸福の家)
向かって右が雌獅=(下の句)「金獅迎門」(台座銘)「幸福」

門の上部には対聯(中国の対句)の題(横披)があって、「吉星高照」
対聯は(上聯)「一帆順風年年好」 (下聯)「吉祥如意步步高」


若獅子夫婦は子だくさん・巍宝山太子閣の子授け石獅
(大理白族自治州巍山彝族回族自治県)
 


    雲南西部巍宝山(ぎほうざん・大理白族自治州巍山彝族回族自治県)は、道教の聖山のひとつで、全真教(ぜんしんきょう)龍門派(りゅうもん)などの道士が修行しています。

写真1.子だくさん雌獅


   唐代の南詔国(なんしょうこく)の発祥地でもあり、チベット系山地民のイ族(漢字:彝族)の祖先祭祀の場でもあります。イ族系民族の祭祀地点としは、唐代にはじまるといわれ、道教の聖山としては、明・清代に栄え、清末には道教の祭祀施設である道観(どうかん)が山に満ちています。
  

   あまたの道観は、清代建築の宝庫ですが、その一つで清代に建てられた太子閣(たいしかく)は、御釈迦様が出家してた太子となったときの像とされる像があります。本来は釈迦誕生時の姿とされる右手を天に向けて指した「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)の泥塑像(でいそぞう)があります。
  


写真2.太子閣内部の太子像


  左手も多分地面を指しているはずですが、衣服に覆われてみえません。
  



  大理白族自治州では、太子像は御釈迦様の出生時の像であることが、他の廟堂では多いです。旧暦四月八日の御釈迦様の誕生日、太子会は、子授け祈願の日で、太子像に婦人たちが子供の衣服や、願い事を書いた紅布を奉納します。日本では 4月8日の花祭り、潅仏会(かんぶつえ)と同じ祭祀ですが、大理市のペー族(漢字:白族)では太子像に砂糖水を掛けて子授けを祈るという潅仏習俗になっています。
  

写真3.願掛けの子供服と願解きの紅布


写真4.願解きの紅布

  清代の太子閣前の石獅は、向かって右が雄獅・向かって左が雌獅です。


  雄獅は玉を口に含んでいるのが、口の中に深く彫り込んでいて石工の技量を感じます。鈴が12個もついていて、どんな山奥に行っても、御釈迦様の耳に届くのです。


写真5.雄獅

写真6.雄獅後背面

  そして雌獅は、前足と後足との間に左右2頭の子獅、前の両足に踏んでいるのは邪獣ではなく、これまた左右2頭の子獅、背中にも左右に2頭の子獅と、合計6頭もの子獅が母獅とともに彫り込まれています。
 

写真7.雌獅正面
  
  表情もともに幼げの遺る夫婦獅子という感じて、いい雰囲気です。側面の仔獅子の方が大人びていた雰囲気で将来有望です。
  
 

写真8.雌獅後背面


写真9.雌獅右側面

 
写真10.太子閣山門・左右に麒麟がいます。

 母獅の姿は、子孫繁栄を願う太子閣に相応しい表現で、たくさん産むので安産にも通じる子授け獅子ですから、なかなか珍しい石獅だと思いました。日本での子授け狛犬とも通じるので投稿しました。
                                   (2014年8月17日訪問)

他所に類例なき剣川ペー族の「獅子獣口型石敢當」と「蓮華座位牌型石敢當」、ペー族石敢當式ガルダまで(雲南大理州剣川県金華鎮)
  

 
 写真1.獅子獣口型石敢當(西門街25号趙勝昌旧宅)

       
  雲南西部の大理白族自治州北部にある剣川県(けんせんけん)は、チベット系民族ペー族(漢字:白族)の人たちが多い県です。唐代の南詔国(なんしょうこく)と宋代の大理国時代の石窟(せっくつ)である石宝山(せきほうざん)石窟で知られますが、貧しい土地なので、科挙に合格して官僚になったり、大工になって出稼ぎに行ったり(大工も知識人の仕事なので、科挙を目指した人がなったりします)して、木彫(もくちょう)・石彫(せきちょう)でも知られる土地柄です。



  その県政府所在地の金華鎮(きんかちん)では、一風変わった魔除けの呪物(じゅぶつ・まじないアイテム)が目立ちます。



  「石敢當」(中国語:シーガンタン・沖縄では、いしがんとう)は、T字路に必要な呪物です。日本でも沖縄県や鹿児島県(鹿児島ではせっかんとう)にみられます。



  中国では福建省が発祥とされますが、台湾や東南アジア華人社会にもみられ、ヴェトナム・韓国にもみられますが、中国にも各地みられます。中国の西南辺疆にある雲南省では、比較的少ない呪物です。



  福建・台湾では、角石に「泰山石敢當」と書いたり、その上に剣を噛む「剣獅」(中国語:チェンシー・けんし)を組み合わせることが多いです。なお、泰山は、中国東部山東省の霊山です。




  役割は風水説上では、T字路(あるいは三叉路)に面した家は、悪い気である「煞気」(漢語:シャーチー・さっき)がまっすぐにその家に当たって良くないので、それを跳ね返すために、「断固として立ちはだかる石」あたりが、直訳としても適切な説明だと思います。




  「気」は異なもの、味なものでありまして、気はちょっとした流れの向きで、良い気にもなれば、悪い気にもなります。




   ペー族では、北京の民家同様、やはり直接門から気が入るのを防ぐため、門の内側に照壁(漢語:チャオピー・しょうへき)と呼ばれる壁を作ります。これは沖縄の民家の「屏風」(沖縄方言:ヒンプン)と同じです。




   直接突き当たる気が悪い気であることは、キョンシー(僵屍)映画で、キョンシーがまっすぐにしか動けないことと似ていますが、露骨に気が直進するのは悪い気と解釈されますす。




  
   「石敢當」の言葉は、前漢の史游の作である児童啓蒙書『急就篇』(きゅうしゅうへん)に「師(獅)・猛虎、石敢えて當(あた)り、侵ざる所、龍未だ央(=殃・わざわい)せず」とあります。
   
  




  石敢當初出は、宋代に出土した唐代の大暦五年(770)刻の石敢當に、「石敢當、鎮百鬼、圧災殃、官吏福、百姓(ひゃくせい)康、風教盛、礼楽昌」とあって、これが最古のものです。魔除けでありながらも、もろもろの幸いを祈る呪文で、これは子供の口に上りやすく、覚えやすくした『急就篇』の文句に通じて、石敢當のもともとの意義として、簡潔で霊力ある言葉の呪文の力に依拠した石碑であったことがわかります。





    元代の陶宗儀(とうそうぎ)『南村輟耕録』(なんそんてっこうろく)に「今人家の正門で、適(たまたま)巷陌(こうばく・巷道のこと)・橋道の衝(つき)に当たるに、すなわち一つ小さな石将軍を立て、あるいは小さな石碑を植える。その上に鐫(きざ)んで「石敢當」と曰(い)う。厭(まじない)してこれを禳(はら)う」とあり、すでに現在の石敢當の風水的な意味がみられます。


  ようやく本題に入ります。
  




  さて、金華鎮でみた獅子獣口型石敢當があるのは、西門街(せいもんがい)という古い建物が集中している地域で、東西の西門街と南北を走る巷道とのT字路に位置します。
 



  場所は西門街25号の趙勝昌旧宅で、晩清の咸豊(かんぽう)年間(1851- 1861)の建物です。石敢當もその時期のものと思われます。石敢當はペー族語で「ゾーガイダン(ZoGaiDan)」といいます。




写真2.巷道からみた西門街北側壁面の石敢當(西門街25号趙勝昌旧宅)



   石板に書かれた「泰山石敢當」を、家の壁面にかなり上方に埋め込んでいます。頭に獅子頭があり、「泰山石敢當」と記した石板を抱きとめるように、獅子が口を上下に開けて、歯牙を出して、左右は巻き毛を並べて枠で囲みます。獣口の中に呪文を刻んだ石敢當は、発想としてほぼ剣川県内に類例があるだけの孤例と思います。造形は、石敢當と石獅を組み合わせたものとみえますが、獅子頭の立体石彫像を頂部に置いた石敢當じたい類例が少なく、また、獣口を枠とした石敢當は稀少で、剣川ペー族が確立した様式です。
 



   獅子型泰山石敢當の東側筋の西門街63号の段世堂宅には、やはり剣川県以外に類例がないと思われる位牌型の石敢當があり、これは民家の軒上にあります。「太(=泰)山石敢當」と記していますが、これは文字の呪力だけでなく、泰山石敢當という名の石神の神位として、位牌の体裁をもたせたと考えられます。しかも蓮華座ということが、すでに剣川のペー族の意識のなかで魔除けの呪物とされていることも注目したいところです。
 

写真3.蓮華座位牌型石敢當(西門街63号段世堂宅)


    この位牌型石敢當は、清代晩期のもので、蓮華座の彫刻も精緻です。:地元のペー族出身の研究者、張春継氏は、著書『白族民居中的避邪文化研究─以雲南剣川西湖周辺一鎮四村為個案』で、この蓮華座は、現地のアジャリ教(阿咤力教=阿闍梨教)」という、民間宗教化した密教の影響があると指摘しており、現地での流行を考えると、その可能性は高いでしょう。
 


    これは南詔国・大理国の時代に繁栄したインド経由の密教とともに、神鳥のガルダ像もペー族のなかに伝来し、現在でも、民間仏教の祭祀者であるアジャリ(阿咤力)によって祭祀されてペー族の魔除けに飾られているところからも理解できます。




   この種のガルダは、中国語では「大鵬金翅鳥」(ダーポンチンチーニャオ・たいほうきんしちょう)といいますが、張春継氏によれば、剣川県のペー族語では、「ダオーガイセン」(DaoGaiSain)と言います。これを中国語で、「偸鶏神」(トウジーシェン)といい、くちばしをもち、ガルダが退治する蛇をもったり、くわえています。日本でも密教伝来とともに渡って来て、八部衆の迦楼羅天になります。

写真4.永豊南路49号李光明宅の石敢當式ガルダ


   永豊南路49号李光明宅の壁面上にはガルダがあります。張春継氏によれば、真新しくみえるこの石板像は、じつは一度像が盗まれてしまい、石工を頼んで新調してもらい、アジャリを呼んで開眼儀式をしてもらったとのことです。



   このガルダはT字路の突き当たりに掲げられており、役割は石敢當と同じ役割をもちます。石敢當がもつ魔除けの役割と同様の意識と意味で置かれている事例として、漢族由来の石敢當と、インド由来のガルダが融合した石敢當式ガルダともいうべき民間信仰の意識をみることができると思います。





   アジア十字路の交差点である雲南西部の大理白族自治州と、外来文化を柔軟に受け入れてきたペー族ならではの石の神様だといえるでしょう。






参考文献:
張春継(著)2009『白族民居中的避邪文化研究─以雲南剣川西湖周辺一鎮四村為個案』雲南大学出版社





附記1: 石敢當に泰山がつく理由

  石敢當に、いつから泰山がつくようになったかが定かでないのですが、始皇帝封禅の地の泰山であり、古代の地下冥界の泰山であり、道教の聖山でもある泰山ですし、「泰山の(霊力込もる)石敢當」とすると、インパクトは確かに感じます。

  背景の観念としては、泰山石は魔除けの効果が著しいという通念があることが大事だと思います。

  石敢當が太公望である姜子牙(『封神演義』の主人公)が、諸霊を神に封じたあと、自分も神に封じなければならないので、目の前の泰山の石を指さして、自分を石敢當に封じて神に成ったという伝承が、中国で膾炙しています。姜子牙は斉国の開国元首ですから、その故地の山東地方にある泰山石敢當と縁が深いと考えられています。

  漢の武帝が泰山に登った折、四つの石を拾ってきて未央宮(みおうきゅう)の四隅に置いて魔除けとしたが、霊験があったので、泰山石が霊力があると考えられたという説もあります。これなども、泰山石の霊力を示しているところが、泰山石敢當の名称の背景にあるでしょう。

附記2. 漢族からみた台湾と雲南のフロンティア的性格
  石敢當の本場台湾から見ますと、むしろ中国文化の周縁部で、しかも漢民族でない人たちのなかで、むしろ中国伝統文化に基づくアイテムが、過剰に表象されてきているのではないかと思います。

  対聯が、中国の山西省という「中原」と、雲南の剣川県という「周縁」で、ともに盛んであることなどとも一脈通じると考えております。台湾も、漢民族にとってのフロンティアなので、過剰的な表象の有り様もむしろ強烈になる部分もあるのかなと、雲南と呼応する部分もありそうです。フロンティアというところでは、台湾も雲南も、婿養子の習俗が盛んであったりするところなども、相通じあうと思います。
 
  雲南が漢民族のフロンティアというのは、元代にはじめて中国朝廷の支配下に入りまして、明代に明朝初期に辺境防衛のために屯田政策で、大量に明朝の軍兵が入ったという経緯でそうなっています。


                                    (2014年8月22日)




「ヴェトナム的な獅子像」とはなんだろう?─メコンデルタ・ソクチャン市「粘土人形寺」の現地化した唐獅子とブルーライオン(附論: アジアの個人表現的宗教テーマパークの系譜)


写真1.宝山寺金獅
  ヴェトナムでは中越関係の緊張もあるのでしょうが、中国的石獅や西欧的ライオン像を遺跡エリアから移すような文化省が指示を出したそうです(FB『狛犬さがし隊』2014年8月23日付記事で『中国日報』8月19日記事を訳出)。

写真2.ブルー・ライオン


  それで考えてしまうのは「ヴェトナム的な獅子像とはなんだろう」ということす。11-12世紀の李朝時代の獅子も、中国的な石獅の系譜を受容した上で、ヴェトナム独自の表現となったものであるかにみえます。

写真3.麒麟


  この点について、夢に出てくるような忘れられない粘土製の生成(なまな)り獅子がいます。メコンデルタのソクチャン市(Thành phố Sóc Trăng・漢字表記:城舗滀臻)の宝山寺(チュア・ファット・ダット・セット=「粘土人形寺」にある、粘土獅子像です。ヴェトナムでのキン族(漢字:京族・ヴェトナム最多数民族)の奉祀する大乗仏教寺院では、獅子を置くことはそんなに多くはないのですが、ないわけではないです。

写真4.白象


  宝山寺は、北伝系のヴェトナム大乗仏教寺院で、この宗派をヴェトナムでは「北宗」といいます。ソクチャン市にはモン・クメール系のチャム族の奉じる南伝系上座部仏教寺院も共存しています。ヴェトナムではこれを「南宗」といいます。

写真5.白虎
 

 宝山寺は、大地の母神を祭祀していて、その女神は「地母慈尊菩薩」
(ディウ・トリ・キム・マウ)といいます。2000柱の神仏を祭祀しているといわれますが、少なくとも神像では70柱の神仏がいます。

写真6.龍


  どんどん神様が増えていくのは、ヴェトナムの民間信仰の方程式というか、そういう万物有霊(アニミズム)的な感性があるように思います。

写真7.鳳凰


  寺院裏庭の単体で置かれる獅子は、おやじ顔の金獅です。巻き毛は螺髪化していますが、頭がつるっとしています。ハゲおやじなのに撫でてくれといわんばかりです。目と真紅の唇、潔白な歯がリアルです。赤玉をもっているのは、龍も同様で、お向かいの潮州華人墓地にある義安祠の青獅も同様でした。

写真8.金亀


  獅子であるのに額に王の字があるのは、中国獅子でも百獣の王だからということですが、獅子像や虎像に多い表現です。


写真9.もういちど金獅の全身像
  多数かつ複雑な神仏を収めるパンテオンを造ったのは、呉金松(ごきんしょう)和尚(明師・1909-1970)で、和尚手ずから粘土を捏(こ)ねて粘土人形造りに勤(いそ)しみました。和尚は今は粘土捏ねの仕事を終えて裏手の墓所に生々しい粘土の白鶴二羽にかしずかれて眠っておられます。


写真10.弥勒菩薩さま(布袋さま)



  石彫と違って、粘土細工は、「思い立ったが百年目」といった着手しやすさと、のめり込み易さがありますよね。





   粘土の神像たちは、ヴェトナムの魔法をかけられて、シュールかつリアルな生々しさがあります。口では表現できないヴェトナム的感性のあり方がいま、目の前に具現しているのだ。その感性とは、たとえば他のお寺でもお釈迦様の幼年像(太子像)がキューピーさんみたいになってしまったりといった類いの魔法です。




 数々の仏様にかしずく白虎・白象・ブルーライオン・獅子、目玉が光ったりして妙です。白象の3本分かれの牙など、「パオー」という感じで凄いです。




  じつはブルーライオンと、裏庭の金獅は、それぞれ西欧風ライオンと、中国風獅子なのですが、解釈がヴェトナム的で、これまで撤去される筋合いは御座らんと、ヴェトナム文化省には申し上げたいです。





  裏手の園地の獅子は、黄色い亀は眼が虚ろで、その虚無を見つめるまなざしに圧倒されます。黄色いピカチュウの漆黒の目玉が、宇宙の虚無に通底する底なしの目をしているのと同様です(笑)。




  ついつい中国と比較してしまいますが、中国で見られる感性とはやっぱり別種の感性で、華人世界ではタイガーバーム・ガーデン(シンガポール・香港)などが、この感性に通底する感覚をもっていると思います。情熱の産物なのに造形が脱力系である変な色彩感覚とカタチが出てくる東南アジアの華人の感性は、こういうヴェトナム人の感性とも隣接しているから、磨かれ出てくるのかも知れないです。
             
                                           (20014年5月24日)  






附論: アジアの個人表現的宗教テーマパークの系譜



  宝山寺は、テーマパーク化したヴェトナム特有の寺院のありかたを代表する寺院であることは間違いない。
 
 
  この種のテーマパーク化は、各種の世界宗教を天眼のもとに融合させてしまったヴェトナム南部の新興宗教カオダイ教(Đạo Cao Đài,・漢字:道高台・総本山はタイニン〈西寧〉)などもその典型といえる。1919年、ゴ・ミン・チェウ(1878-1932)によって創立された。


  孔子・老子・釈迦・ソクラテス・観音菩薩・キリスト・ムハンマド・李白・太上老君(老子)・トルストイ・ヴィクトル=ユーゴーなどを神とするカオダイ教であるが、宝山寺は、それにも負けない多数の神様世界である。


  ヴェトナム南部新興宗教は、この他仏教系のホアハウ教(本山はロンスエン市1939年、教祖フイン・フー・ソー(漢字:黄富楚・1919-1947)や、奇妙かつ独特な世界観とキッチュなテーマパーク的造形をミトーに造った通称「椰子の実教団」がある。1964年にグェン・タィンナム(漢字:阮盛南、別名ダオズア・?-1990)が、仏教、儒教・キリスト教・カオダイ教・ホアハオ教を習合させて作った宗教である。本山のあったミトーのフォーン島には、メコン川下流に分かれる9本の河川と宇宙と、教祖と9人の妻を象徴した9本柱の柱を立て、個人的な宇宙観を表現したテーマ・パーク式宗教庭園がある。


  同種のアジアにおける多神教的パンテオン化や、テーマパーク化は、私の母校の東洋大学の学祖井上円了(1858-1919)日本では孔子・釈迦・カント・ソクラテスを四聖としたことや、独特の哲学的解釈を庭園化した哲学堂の建設を類例としてもよいと思う。


  アジアにおいて、個人的宇宙観の表現手段としての、自作テーマパークという思想表現の系譜があることは、注目されてよい。香港とシンガポールにある華人胡文虎の造ったタイガーバーム・ガーデンもこの系譜に加えてよいであろう。



  ラオスのビエンチャン郊外のメコン川岸には、上座部仏教の世界観を一人のお坊さんが独自に解釈した通称ブッタ・パークがあり、やはり独自かつ異様な夢幻世界のような宗教テーマパークを造っている。


   ブッタ・パークは、正式名をワット・シェンクアン(Wat Xieng Khouane )という。1958年にルアンプー・ブンレア・スリラットが建立したもので、1975年の革命時に亡命し、タイのノーンカイ県にテーマパークであるワット・ケークを再建している。
   




  アジアの個人表現的宗教テーマパークの数々に、仏教系のものもあり、南伝系上座部仏教と、北伝系ヴェトナム大乗仏教と、真宗大谷派僧侶であった井上円了ともに、アジア仏教が、近代以降の時代、独立思考へと自立した特定の宗教者が個人的解釈を表現したい欲求をもったとき、どのような世界観が提示されるかという、興味深い実例であると思われる。

雲南ペー族の対聯を眺めています─大理州剣川県金華古城にて
(「不動産奴隷にならないぞ!」の対聯について)

  昨日の8月19日から3日間、大理市から北上した剣川県(大理白族自治区境内)で県政府所在地の金華鎮金華古城の調査に来ています。どうもネットが遅くて「いいね!」すら押せないことが多いです。なかなかお返事などできませんが、すみません。m(_ _)m

  首都大の木之内誠さん・院生の楊川力と、楊川力の叔父の私の3人です。要するに保護者同伴ですな(笑)。佐藤賢さんは今日昆明に戻りました。

  金華古城は東街・西街・北街・南街が、十字に交差しない複雑な城壁都市の構造です。曲がりくねった路地の世界はまったく地図にするのが困難な迷宮です。

  豊かでない土地柄の剣川盆地は、科挙での栄達を目指して一門の発展を図ったので、少数民族であるペー族(漢字:白族)主体の街なのに、中国的な伝統文化が盛んです。

  文人気質が深いので、一家の主人は、基礎的な伝統的教養として、書法(書道)が上手なこと(字が綺麗なこと)、中国的な対句である対聯が作れることなどが求められたりします。そして春節に掲示される対聯は、隣近所の付き合いを越えて、街の人が歩き回って鑑賞する習俗があります。

  対聯を大門門扉の左右に貼り、上には題である「横披」を貼り、門扉左右に、門画や書法の字貼(じちょう)を貼ります。だから水墨画に長じた人も多くて、知り合いに分けてあげたりしています。

 

門画や字貼は、隣の盆地の麗江盆地のナシ族(漢字:納西族)が20年前まで良く貼っていましたが、麗江古城が観光地化されて、現地の人が外来の商人に店を貸すなどして、外に出てしまい、いまやほとんどみることはできなくなりました。

  ここにあげる対聯は題が「不作房奴」(不動産の借金奴隷にはならないぞ)

  対聯は、
「新屋難成縁世道」(新屋は世間との縁が薄く)
「旧居遠在可浮観」(旧居は遠目には良い眺め)

とあります。

  さて、この家の主人は何が言いたいかというと、新居を建築しても、恐らく資金が足りなくて完成しなかったのです。

  それで以前の古い家だって、遠目には昔ながらの良い景観だ、といっています。

  つまり、題の「不動産奴隷にならないぞ」は、家が未完成で放置されているけれど、精神は借金地獄から離れて自由だぞといっているのです。
 — 場所:剣川県