さる高貴な狛猿─「石猴型拴馬桩」について
(臨汾市襄汾県新城鎮丁村・山西省平遙古城)




   中国の門前の「対偶呪物」(たいぐうじゅぶつ・一対で組になるまじないアイテム)には、古来からの「桃符」(とうふ・桃の木の魔除け効果に基づく木札・日本の茨城県では同音で「豆腐」がある)や対句を貼る「対聯」、門神などがありますが、そのほかにも、門上の左右の「門簪」(もんさん)や、引き手やノックの機能をもつ「門鈸」(もんばつ)、門の左右に置く門扉の軸を挿す「門墩」(もんとん)などがあります。


図1.丁村の「石猴型拴馬桩」(向かって右)

図2.丁村の「石猴型拴馬桩」(向かって左)




   門墩は、石獅像を置くことが多く、石獅型門墩は、日本の狛犬の源流としても大事な石彫(せきちょう)の一つです。







   しかしながら、石獅の系統は門墩のみならず、独立した石獅もあり、また、見落とされがちな大事なアイテムに、門前の左右に挿す馬繋ぎの石柱があります。ここにも石獅が彫られたり、もろもろの瑞獣が彫られたりして、魔除けと吉祥を表しています。






   山西省南部の襄汾県(じょうふんけん)にある丁村(臨汾市襄汾県新城鎮丁村)の馬繋ぎの石柱は、サルが彫られています。






  馬繋ぎの柱を中国では「拴馬桩」(シュワンマーズゥアン・せんばしょう)といいます。「桩」はくい打ちの柱を指します。サルは、中国語では、大型のものが「猿」、小型・中型のものが「猴」(ホウ・こう)ですので、「石猴型拴馬桩」(せきこうがたせんばしょう)といいます。





   左右ともに意匠は共通し、台座紋様の彫刻の上に「方巾」(ほうきん・正方形の飾布)の彫刻、その上には親ザルが子ザルとともにあり、向かって右は親ザルが上、子ザルが下、向かって左は、親ザルが子ザルを右手で抱き留めて変化をつけています。いずれも桃を持っていて、吉祥桃です(桃は、魔除け・長寿・子だくさんなどいろいろな意味を託します)。






   『西遊記』で天上の朝廷で暴れた孫悟空が、「弼馬温」(ひつばおん)の官職を与えられて懐柔させられたプロットに基づいて、じつは弼馬温はただの馬小屋の番人だったとはいえ、馬を保護する役割が期待されているのでしょう。






  つまり、「弼馬温」(ピーマーウェン)は「避馬瘟」(ピーマーウェン・馬の伝染病を避ける)と同音です。

 



  馬繋ぎの石柱にサルが彫られるのことと関連して、田村愛明さんの御教示があり、「猿が馬を守るという信仰は日本にもあって、馬屋に猿の飾りを付けたり、石造物にもある」とのことです。





 つまり、孫悟空の弼馬温じたいは、インドから来た猿が馬を守る信仰が入ったものだと考えられます。この「石猴型拴馬桩」は、石田英一郎の『河童駒引考』の系譜につながるサルが馬を守るという信仰が、そのまま出ている面白い事例といえそうです。






  中国では吉祥版画で、「疵馬瘟」(ひばおん)図とか、「馬上封猴」(ばじょうほうこう)図というのがあって、木に登ったサルが馬を引いていて、まさにそれです。また、雲南省剣川県のペー族でも家畜小屋の神様は孫悟空です。






図3山東年画の「庇馬瘟」図


図4.剣川県の家畜小屋に貼る孫悟空神像

    柳田国男は猿回しの芸人が馬医者でもあったことを指摘しています(『『山島民譚集』)。


   




  日本でも絵巻物『一遍聖絵』や『石山寺縁起絵巻』には、馬を飼う厩(うまや)に猿がつながれている絵があって、じっさいに日本でも厩にサルを飼ったり、サルの頭骨を厩に掛けて馬を守る信仰がありました(萬遜樹「水神の話:〈河童駒引〉をめぐる動物考―馬・牛・猿(3)」)。http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r18-144.htm

 




 福田博通氏の『神使像図鑑』をみると、日本では、茨城県大杉神社内にある勝馬神社(茨城県敷島市阿波)や神奈川県の寒川神社にも、猿が神馬を引く石彫や神像があります。






   また東京都八王子の岩船地蔵堂内庚申塔には、三猿が駒を引く図像もあります(八王子市長房町)。 


  日本ではサルのイメージが、駒引きに登場する河童のイメージに結びついたようです。





   山西省中部の城壁都市で、世界文化遺産の平遙古城(へいよう)にある渾溱齋大院(こんしんさいだいいん)の門前にも、石猴拴馬柱があります。明末清初の大邸宅で、現地の金融業の最大手であった「日昇昌」(せきしょうしょう)の番頭の冀玉崗(きぎょくこう)の邸宅でした。

図5.渾溱齋大院門楼と拴馬桩の配置





   向かって左の柱に「輩輩封侯」、向かって右の柱に「向上封侯」と紅紙に貼ってあり、それぞれ「代々侯位に封じられる」「発展して侯位に封じられる」という縁起を担いでいます。

図6.渾溱齋大院の「石猴型拴馬桩」(向かって右・解像が悪いです。すみません)

図7.渾溱齋大院の「石猴型拴馬桩」(向かって左・解像が悪いです。すみません)

   これは猴=侯だからです。中国語はともに「ホウ」です。左右ともに桃を持っているようにみえます。サルの像は、「一品當朝」(最高位の一品官として朝廷に入る)の縁起の文句を記した官印を提げるなど、官僚となる縁起担ぎにも使われます。背後が粗いのは、背面の石材を残すことも多い山西省に多い彫り方のようです。


図6.「サルと一品當朝」(雲南省大理州大理市喜洲鎮)



(丁村=2007年8月21日・平遙=2007年8月23日取材)

雲南の鎮宅呪物「瓦猫」─西部・中部・東部の分布と類型など

  

[雲南のネコ科の魔除け「瓦猫」]
   
  雲南にいろいろある魔除けの1つに、日本の鬼瓦みたいな役割の「瓦猫」(ワーマオ・がびょう)がいます。中華周辺で遺る特徴ある魔除けの仲間でもあり、金門島の風獅爺や沖縄のシーサーの系統とも近いネコ科の動物の造形に基づく魔除けです。一般呼称は「瓦猫」として知られますが、虎と呼ばれたり、獅子のようであったりします。


写真1.剣川県金華鎮の瓦猫


  



  瓦猫は家の主屋の屋脊上(屋根中心線上)中央部に立てます。外部が顔で、内部はしっぽを向け、外にあっては魔を祓い、内にあっては肛門から財産を落とすという役割を持たせます。口を大きく開けますので、気を吸収して、大きい空洞のお腹の中で財宝を作り出す機能もあり、招き猫同様、「招財猫」(中国語の訳)でもあります。魔除けの機能に限定されないところが優れたところです。気の思想の体現者です。



写真2.雲南西部型(猫タイプ)の瓦猫(剣川県)





[瓦猫の分布と系統]

  雲南の瓦猫の系統は、雲南西部型=大理市・剣川県・鶴慶県・麗江市(民族=ペー族〈漢字:白族〉・ナシ族〈漢字:納西族〉・漢族)と、雲南東部型=昆明市と曲靖市・玉渓市周辺地域と、雲南中部型=楚雄市(民族=
イ族〈漢字:彝族〉)に分けられます。



写真3.雲南西部型(独角獣タイプ)の瓦猫(祥雲県・ただし大理市の陶器
店にて撮影・値段160元)


  このほか、雲南南部の文山市や紅河彝族哈尼(ハニ)族自治州にもあり、東北部の昭通市にもあります。主流はこの3カ所ですが、昆明の方は急激な都市開発で、伝統家屋自体が消滅していて、当然市区内では絶滅といってよい状況です(民族=漢民族)。






[瓦猫の造形]

  雲南西部型=その中心地は剣川・鶴慶二県で、恐らく剣川県が優れた大工さんの故郷で、建築業が繁盛していて、麗江でも住民のナシ族ではなく、ペー族の大工さんたちが家を建てているからではないかと思います。黒粘土の素焼きが多いです。






  雲南西部の瓦猫のタイプは、猫型と独角獣型があります。鶴慶県では「吉祥虎」(鶴慶漢語:ジーチャンフー)ともいいます。







  猫型は、口を大きく開けて、舌を出し、目玉が蛙のように上付きです。両耳は尖り、その間に一本角を突き出した物もあります。




写真4.から6.雲南西部型瓦猫「猫型」(鶴慶県・値段25元)





  独角獣型は、一本角を突き出していて、両耳も鋭いです。肛門の穴のほか、ちんちんもあったりします。獅子のようにみえてたてがみのあるタイプや、虎のように額に王の字があったりして、両目が渦巻き状で、飛び出しています。舌を突き出し、鼻の穴が四つあったりするものがあります。






  雲南中部型=楚雄市の瓦猫はイ族のもので、痩せた猫か鼠や犬を思わす造形で、素朴です。素焼きです。イ族は虎の先祖崇拝があり、一部に猫の先祖崇拝もあるくらいですので、ネコ科動物の魔除け呪物が生じるに充分な背景があります。イ族は「ロロ」とも呼ばれますが、「ロ」は虎をあわわす言葉でもあります。 


写真7.雲南中部型瓦猫(楚雄市・筆者イラスト)



  雲南東部型=昆明市に近い曲靖市の瓦猫は、猫が「泰山石敢當」をもつスタイルです。釉薬を塗って焼くことが多いです。前足に八卦を持つスタイルが多いです。足は比較的細いです。口を大きく開けて、牙を尖らせ、ヒゲを横に鋭く飛び出させています。 昆明市呈貢県の一部では「石猫猫」(シーマオマオ)とも呼ぶようです。

 


写真8.雲南東部型瓦猫(昆明市呈貢県・ただし大理市の陶器店にて撮影・値段160元)


写真9.雲南東部型瓦猫(昆明市呈貢県・筆者によるイラスト)

[瓦猫の設置と民俗]

  雲南西部では大理白族自治州鶴慶県・剣川県と、北隣の麗江市と鶴慶県の南隣の大理市にあります。鶴慶県と剣川県では、瓦を焼く工房があるところで制作して売っています。大理市では陶器店で瓦猫を各種扱っています。







  銭芳氏の論文「雲南瓦猫造形芸術研究」によれば、これを買ってくるときは、「買う」とはいわず、「お迎えする」として、紅布で包んでもってかえらないと火事の恐れがあるそうです。屋根の中央や大門の上に据え付けるときには、屋根の瓦並べの完成の日で、大工の親方の手で、鶏の血を点じて開眼させます。








  その際、鶏の羽根・鷹の羽根・牛の毛・猫のヒゲを貼ります。また、年越しの際には瓦猫を祀り、主人が屋根上に上がり、蒸し魚や鼠を食べさせるのだそうです。これを「酬年」(チョウニィエン)というのは、その年のご褒美です。瓦猫の下には、墨・筆・暦書と五穀の粒を置き、子供の文運・学業の向上と、五穀豊穣を願います(銭芳2009「雲南瓦猫造形芸術研究」:57頁)。



写真9.実物比較モデルとして、うちの飼い猫ミーミーです(笑)(雲南省大理古城にて)。


[瓦猫の起源など─今後の課題]


  銭芳氏によると、屋根に置く猫形の鎮宅の魔除けは河南省周口附近にもあるそうです。猫頭の置物を屋根の四隅に設置するそうです(銭芳2009「雲南瓦猫造形芸術研究」:23頁)。







  しかしながら、瓦猫が中国北方の黄河中流域の中原地区から流入した呪物と考えるには証拠が不足しています。






  瓦猫が太極図や風水説上との関係が深いことは、漢族文化の影響が強いことを示していますが、雲南の漢族は、明初に長江下流域の江蘇省や、それに接する安徽省などから屯田政策で移住させられた移民が基層をなしています。






  だから江蘇・安徽などの地方に類似の呪物がないと、なかなか雲南省の外部地域からその起源を推測するのは難しいです。







   雲南に広く分布する瓦猫は、移住漢族がはじめたにしても、イ族やペー族の信仰文化の要素も濃厚ですから、雲南の外に起源を求めるのには、目下慎重でないといけないと思います。雲南の瓦猫については、先行研究も少ない上に、課題は多く、研究の余地は多々あります。



  ただし、金門島と澎湖島の屋根上中央に置く風獅爺は、獅子が大開口し、肛門の穴もあり、ネコ科の呪物として同様の構造をしています。



  鎮宅風獅爺と瓦猫は、やはり類縁性のある親戚どうしで、無縁とは考えられにくいです。
  




参考資料:


銭芳2009「雲南瓦猫造形芸術研究」昆明理工大学修士論文









財を招く中国のグリフォン─麗江古城の石貔貅(せきひきゅう)
(雲南省麗江市古城区大研鎮)




   「貔貅」(ピーシュウ・ひきゅう)は財産をもたらす霊獣です。麗江の旅館に、新しく彫った一組の貔貅が門を守っています。麗江蝴蝶谷精品酒店(麗江市古城区大研鎮七一街八一下段70号)という旅館にあります。門柱左右下面には獅子像と麒麟像もレリーフになっていて、霊獣が六頭もいます。

写真1.貔貅(門右=向かって左)

写真2.貔貅(門左=向かって右)


   獅子は左右ともに鞠を前足にもつ倒立像で、麗江に多いタイプです。麒麟は左右とも頭髪と尻尾の逆分かれの勢いが、なかなか良い表現です。
  




   中国でも、ヴェトナムでも、日本でも、財運グッズとして人気があります。かつて北京の皇城を守る地安門に皇室の財神として貔貅像がありました。

写真3.獅子(門右)

写真4.獅子(門左)


   別名に天禄(てんろく)・辟邪(へきじゃ)・百解(ひゃっかい)ともいいますが、天禄は、天の賜(たま)う禄(仕官して禄を得る)を指すので、財運の霊物ですが、辟邪は魔除けものものの意味です。貔貅(ピーシュウ)と辟邪(ピーシィエ)は発音が通じます。百解は、もろもろの禍事(まがごと)を解くという意味なので、辟邪と通じる魔除けの意味です。



   貔貅は古代からある霊獣で、前漢の司馬遷『史記』「五帝本紀」(ごていほんぎ)に載せる黄帝と炎帝の戦いを記して、黄帝軒轅氏(けんえん)が、熊・羆(読みはひ・ひぐまのこと)・貔(性別が雄)・貅(性別が雌)・貙(ちょ・狸や虎に似る猛獣)・虎の六獣を従えて阪泉(はんせん)の野で戦ったとされ、もともとは戦勝をもたらす瑞獣とされ、そこから魔除けの威力をもつ霊獣と考えられていました。黄帝は炎帝に勝利したとされます。




   龍頭・馬身・麟足(麒麟)・毛は灰色で、羽根があって空を飛べます。羽根があるのはグリフォンみたいで大きな特徴です。しかしとってつけたような団扇のような半円形の翼で面白い形です。貔を雄、貅を雌とする区別があるほか、角は独角と両角のものがあるとされ、独角が天禄、両角が辟邪と呼ばれる点で、招財と魔除けの性格が二分するようになりました。



   貔貅は中国では銀行の門前の狛犬的存在です。獅子か貔貅かという感じで、招財の役割を期待されているからでしょう。中国人に浸透している観念は、四方の財を食べるが、お尻の穴がないので財産が溜まるという、蓄財獣(ちくざいじゅう)だというものです。



   ところで、麗江古城でみつけた貔貅は、左右ともに独角です。だから天禄の方かなと思います。




   もう一つ大事なことを東京理科大学の馮玲(フォンリン)先生(御専門は企業価値評価論)から御教示を受けました。頭が正面に向いているのと、横を向いているものの二つの区別があり、正面を向くものは「正財」(チョンツァイ・せいざい)を呼び、横を向いているものは「歪財」(ワイツァイ・わいざい)を呼ぶのだそうです。



   この石貔貅は,正面を向いていますから、正財を追求するものです。正財とはなにかというと、官僚や教員などが正式な俸禄としてもらう財なのだそうです。歪財は商売などの取引で得る財ともいいます。そうするとこの旅館の貔貅は、民間の旅館なのに、正財を追求するのかという話になりまから、正財を正業での労働所得、歪財をギャンブルや宝くじなどの非労働的所得とする考えもあって、それに合わせて解釈するのもよいでしょう。

写真5.麒麟(門右)

写真6麒麟(門左)



   前の鈴は牛鈴といい、猫みたいに眠り込むことが多い貔貅は、天帝の飼い猫みたいなものかもしれません。



写真7.大門と各配置




   さて、人気の貔貅は、ヴェトナムでは文化省から、唐獅子とともに遺跡保存エリアからの撤去を勧告されています。ヴェトナム国粋の霊獣ではないというのが理由です。




   しかし本当に撤去したらどうなることでしょう。ヴェトナムの財運が衰えてしまうのではないかと心配です。けだし唐獅子に罪なし、貔貅に罪なしというべきでありましょう。
 

(2014年8月23日訪問)





お見事趙さん ノミをふるって 自作獅
(雲南省大理州剣川県金華鎮)


    剣川県のペー族は、雲南有数の建築技術で知られていて、民家の装飾でも細かな木彫や石彫が鮮やかです。県政府所在地の金華鎮は、明・清代の石彫が多数ありますが、残念ながら、剣川盆地の政治中心地であったため、文化大革命の時代、目に付く目前の彫刻などはほとんど破壊されてしまいました。
  



   そのような金華鎮の街中で一風変わった大理石(漢白石)の石獅と石麒麟を見つけました。
  


   家の主人に訊くと、趣味で自分で彫ったということでした。この方は、趙福生さんといい、剣川でもっとも有名な清末民初の政治家・文人である趙藩(ちょうはん・1852-1927・対聯と書道で有名で、成都武侯祠の対聯が代表作)の3代目の直系の方でした。ペー族で、60歳で県の財務部門を退職したばかりでした。
  

写真1.石獅子(趙福生作)

写真2.石麒麟(趙福生作)

写真3.趙福生さん(環城南路113号)



   家は新居で引っ越したばかりなので、とびきり上等の石獅で門の守りを固めるべく、大理石をサルウィン川の上流である怒江にいって採取してきたそうです。
  



    門の前は魚石(ぎょせき)が左右に置いてあるのですが、これも自分で拾ってきて縁起のいい双魚(そうぎょ)に見立てて門前に置いています。吉祥文句の「年年に余り有り」の「余」(ユィー)の発音が、「魚」(ユイー)の発音と同音だったりします。


写真4.趙福生さんの家の一対の魚石



   趙さんはこの他、文革で表面の図案が壊された石缸(せっかん・防火用水を入れるなどする)を、あらためて「鶴鹿同春」(かくろくどうしゅん)図に彫り直してふたたび生命を与えたりしています。趣味もここに極まれりというところです。
 

写真5.石缸の「鶴鹿同春」図


   鶴は仙禽(せんきん)、鹿は瑞獣で、長寿の松も合わせた吉祥図です。





  向かって左側に麒麟、向かって右側が獅子です。麒麟は鱗があり、獅子は簡単に鈴をつけています。いずれも身体ごと内向きになっていて、こういう斜めに座る向きの彫り方は趙福生さんのオリジナルです。






  麒麟と獅子の門前の組み合わせは、そう多いものでもなく、こういう組み合わせはもともと剣川ペー族にその種の対偶観念があったからと思います。麒麟の方には如意、獅子の方には吉祥と、字句も彫っています。





  
  ところで、麒麟と獅子を彫ったのは、恐らく結婚の対聯(ついれん・中国対句)である喜聯(きれん)とともに貼られる文句に従ったものでしょう。
  



  これを指摘したのは、同道していた姪の楊川力です。しかしそうすると符合しません。




  金華鎮周辺のペー族は、結婚した家は、婚礼用の喜聯を門の左右に貼り、その外側に、「麒麟在左」「獅子居右」と、門左(向かって右)・門右(向かって左)に紅紙の副聯を貼ります。これは婿入りした場合、順番を入れ替え、「獅子在左」「麒麟居右」となります。

写真4.正式な金華鎮の喜聯の格式

写真5.左右逆の喜聯の例



  ところが、あらら、麒麟と獅子の位置が逆です。麒麟が門右・獅子が門左に置いています。





  じつは、門左・門右の区別は、向かって左が門左、向かって右が門右と思っている人が、金華鎮でも結構多く、喜聯の副聯も順序が逆となっている場合があります。





  だから、喜聯の格式とは無縁というべき配置となっているのですが、別に婚礼があった家ではないので、これも宜しいでしょう。





  左・右の区別は礼制にある昭穆(しょうぼく)の秩序からすれば、始祖が中央、一世が左、二世が右、三世が左、四世が右です。左昭・右穆です。左の優位性があります。






  これは風水で左が青龍・右が白虎で、墓所では、青龍脈が白虎脈より高くなければいけないという優位の原則に連なっていて、そうした左の優位性が、「麒麟在左」「獅子居右」となっているのであろうと思います。




  まとめると、思い立ったが百年目で、ノミをふるって石獅や石麒麟、石缸を制作してしまう剣川ペー族の情熱に感銘します。趣味も極まると凄いです。大理白族州は、民間祭祀の神像版画も、普通の人がノミをふるって制作するくらいですから、その技術にも生かされる大理石彫刻や石彫・木彫の伝統は驚くべき生命力を保っています。

写真8.剣川県の木彫コンテストの参加者は真剣そのもの




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大理ペー族の銭形石獅と線香立て(雲南省大理市喜洲鎮)

 

  雲南大理盆地西岸のペー族(漢字:白族)の商業街である喜洲鎮(大理漢語:シーチョウ・ペー族語:フーチュエ)は、1910年代の清末から中華民国期の面影を強く遺しています。




  チベット方面の茶葉交易などで財を成した大商家が多い街です。商家は門楼などが清末バロックの様式である家が多く、左右の門柱を段々のついた角柱として、上部に三角ペディメントの要素を入れて繋げるなど、独特な「喜洲バロック」です。眺めてみると趣き深いです。一部アールデコもあります。




  そして石獅も邸宅の門前にあるのですが、紹介する冨寿里3号邸宅の真新しい一対は頭に銭形紋様があります。上から見下ろすことを考えた装飾図案の配置のようです。


写真1..銭形石獅(向かって左)


写真2..銭形石獅(向かって右)


   私などは河童狛犬みたいと思ってしまうのです。頭が平たく、銭形があり、顔も目が離れていて、口の開き方がユーモラスだからです。向かって左の獅子は、邪獣なのか仔獅なのかよくわかりませんが、獣像を横向きに前足で押さえています。表情が和やかなので仔獅かなと思っています。

写真3. 藍獅香座(向かって左)

写真4. 藍獅香座(向かって右)

   門壁左右には、これまた真新しい漆喰製の彩色した藍獅の線香立てです。向きは東向きなので、五行的には符合はしています。緑毛で、身体には銭形由来と思われる十字紋様があります(漫画のこめかみ怒りマークのような図案を指しています・笑)。




  線香は背中に立てます。月の朔日と中日に門神に対して立てるものです。毎日立てても構いません。




  喜洲鎮上街某宅の門楼上の線香立ては、真新しい金獅の線香立てで、北向きでした。緑毛を背に立てて、構えているのが恰好いいです。

写真5.  金獅香座(向かって左)

写真6.  金獅香座(向かって右)
喜洲鎮下街の「錫廬」(邸宅の堂号)は、藍獅でした。これも東向きで、五行説に合わせているかなと思います。左右対称です。褪色が激しいです。


写真7.  「錫廬」門楼

写真8.  藍獅香座(向かって左)

写真9.  藍獅香座(向かって右)

写真10.喜洲バロック門楼の一例

  こちらは中華民国期のもので、面白いのは身体の紋様が七曜紋です。北極星とそれを巡る北斗七星を象っているのが、この種の七曜紋といわれますが、獅子の紋様にも使われるのは面白いと思いました。




(2014年8月18日)