手持ち写真が出てきたので緊急掲載!!
ルアンパバーン、ワット・シェントーンの「オバQ狛犬」(ラオス人民民主共和国ルアンパバーン郡)



   ラオス北部のルアンパバーンは、メコン川南岸に開けた盆地で、14世紀のラーンサーン王国以来のラオスの由緒ある古都です。旧市街はカーン川とメコン川に夾まれた半島のような立地にあって、フレンチコロニアルの街並と、上座部仏教の多数の寺院と、ルアンパバーン王国の王宮が静かに共存しています。

図1.白い雌獅(寺院側に向かって右側)


   ワット・シェントーンは半島の先端にある、いちばん格式の高いお寺です。

図2.白い雄獅子(メコン川側に向かって左側)


   この白い狛犬は、紅い唇がオバQのようで、忘れ難い大好きな狛犬です。私の方で手持ちの写真が2枚出てきましたので紹介します。




   FBの「狛犬さがし隊」で、ルアンパバーン在住の日本語の先生檜田容子さんが紹介記事を掲載しています(2014年8月8日掲載記事)。https://www.facebook.com/groups/167114456679444/permalink/744884278902456/





    この狛犬は全部で4頭いて、寺院の南側の階段下と、道路を挟んでメコン川に下る階段上に左右でいます。




   檜田容子さんのレポートでは、メコン川側の方に雄2頭がいて、ワット・シェン・トーン側に雌が2頭いるそうです。対偶の仕方が、中国の石獅や日本の狛犬とは違います。「格式の高さを感じられますでしょうか????」とのことですが、どうでしょうか?。




  また、檜田さんが元お坊さんのKhamphan Chanmaさん(ポンさん)に訊ねたところ、ラオスでの狛犬的動物像は「ノーラシン」というのだそうです。「シン」(Sing)はサンスクリット系のシンハ(獅子)の「シン」ですから、獅子像とみていいようです(ちなみにポンさんは9月2日現在日本に研修に来ていて、宮島の厳島神社で狛犬に出会ったようです。よかったですね)。





   私の写真では雌の方が背面で、紅尾や表情がはっきりとしていますが、雌であることを表すおっぱいがみえません。じつは正面から見ると、4つある雌のおっぱいと雄のちんちんは紅色が差してあります。



  表情は雄雌とも眼の周りが紅で、小さな可愛い黒目玉、鼻の頭が紅点で、ヒゲがカーブを描いて、にゃっと笑っているようです。真っ赤な口は舌も歯も牙も真っ赤なので、オバQ的で、ちょっと怖そうですが、「あ・うん」はなく、4頭「ぽかぁん」と口を開けていて、勝手な解釈ですが、口の開け方が「空」をあらわすかのようで、空の境地みたいなシュールな雰囲気がします。 見方によっては白いうなぎ犬のようにみえてしまいます。




   それで肝心の問題「格式の高さは感じられるかどうか?」、という点ですが、丸山瑛示さんは、コメントで、白い身体が、白象・白蛇・白虎・白狼など同様、「白い動物は聖獣神使」ではないかと指摘されていました。田村愛明さんは、「稲荷のキツネに似たフォルム」を感じられたそうですが、神の使いの白狐に似ていますね。




   ワット・シェントーンの{ノーラシンは、つまりは白い獅子であるから聖獣で、百獣の王であるホワイトライオンともいえるので、ルアンパバーン王国の王様を明るい笑顔でお迎えするだけの高い格式はあるのではないかと思います。

「泣き神さま」のお札
(雲南省大理白族自治州巍山彝族回族自治県南詔鎮・保山市騰衝県騰越鎮)


図1.女哭神(巍山彝族回族自治県南詔鎮)

   雲南省西部、大理白族自治州南部の巍山彝族回族自治県(ぎさんいぞくかいぞくじちけん)には、泣き神さまがいて、女の子向きの「女哭神」と男の子向きの「男哭神」がいます。女哭神さまは、女の子で、椅子に座ってぽろぽろ涙を流していて、可愛いです。





   雲南のこの種のお札では、いちばん好きな絵柄です。こんなデザインを地元の庶民が自前で彫ってしまうのだから、凄いと思います。民間には隠れた天才がたくさんいて、そういう人たちの作品に出会うことができるのは、楽しいですね。



   地元の県政府所在地南詔鎮(なんしょうちん)周辺の漢族とイ族(漢字:彝族)が使うお札です。




   男哭神さまは、中国服で、頭の冠は地元の民間法師のようです。得体の知れない泣きの気が、両方から立ち上っています。


図2.男哭神(巍山彝族回族自治県南詔鎮)

   子供の夜泣きの時は、子供の身体をこのお札で拭ってから、村の外で燃やしで送り出します。泣き神さまにお帰り願うのです。他に「清香」(巍山漢語:チンシャン)と呼ばれる香料剥き出しの線香3本と、「白銭」(巍山漢語:ベーチィエン)と呼ばれる、白い紙銭(しせん・冥界に燃やし送る模造銭)とともに燃やします。






   隣の県の弥渡県では、外の人が家にやってきて、なにかの相談で悔しくて泣き出したりした場合は不吉なので、泣き神さまを祭祀するのだそうです。




   この泣き神さまは、旧時に一地方の行政長官である城隍神(じょうこうしん)を祭祀する城隍廟(じょうこうびょう)や、その上司の冥界の管轄神である東嶽大帝(とうがくたいてい)を祭祀する東嶽廟(とうがくびょう)で祭祀されていた泣童(漢語:チィウトン・きゅうどう)という子供姿の小神に由来するのではないかと思います。

   雲南の省都の昆明の城隍廟と東嶽廟は、中華民国期に3位の子供姿の哭精が祭祀されていたそうです。日夜子供が泣くと、3枚の紅緑に染められた紙服を買ってきて、像に着せて、口の中には飴を入れて祭祀したそうです(民国・羅養儒『雲南掌故』巻十五「城隍廟、東嶽廟内之婚姻司與哭神神」)。

図3.夜神(騰衝鎮騰越鎮)



   雲南西部の中国=ミャンマー国境辺の騰衝県(とうしょうけん・保山市境内)の県政府所在地騰越鎮(とうえつちん・)では、「夜神」のお札があります。夜泣きの解釈として、夜神が夜に徘徊して子供を誘惑し、魂を奪って病気にさせるといいます。




  まるでハーメルンの笛吹き男のように、子供を誘って夜中に踊る怪しい男の姿です。こちらの絵柄も、民間信仰世界の絵解きになっていて、なかなか秀逸でありましょう。





附記:
  なお、騰越鎮では、1944年に日本陸軍の第56師団第148連隊が国民党重慶軍と戦い、2ヶ月籠城して玉砕しています。附近の松山の第56師団第113連隊の3ヶ月に渉る玉砕戦とともに、珍しい島嶼以外の日本軍の玉砕戦として知られています。いまで夜の霧の立ちこめる折など、激戦地だった高黎貢山の山中では、崖あたりから、戦いの銃声や喚声が、レコードに針をかけるように再現される鬼声が聞こえるのだそうです。





参考文献:



民国・羅養儒1996『雲南掌故』雲南民族出版社


川野明正2005『神像呪符〈甲馬子〉集成―中国雲南省漢族・白族民間信仰誌』東方出版


広西石狗その3.シルエットは犬力(いぬぢから)─広西南部揚美古鎮の石狗たち(広西壮族自治区南寧市揚美鎮)




  広西チワン族自治区でも、石狗の類いは、桂林市を中心とする北部の桂北地方と南寧市を中心とする南部桂南地方ともにみられます。



  南寧郊外の揚美(ヤンメイ・ようび)古鎮(こちん・古い街)は、8本の街道と8箇所の埠頭をもつ大きな街で、明・清代の街並みが遺ります。石畳みに煉瓦積みの広西風民家が並んでいます。漢族の街で、入植は16世紀初頭からの歴史があります。

石狗は、路地の入り口に、十字路に向かって座っていたり、老木の根っこに座っていたり、屋根の上にもいます。



1  8世紀に山東省から移住してきた歴史をもつ黄家の黄氏荘園は、200年の歴史はある3つの中庭と3つ前屋・中屋・後屋が交互に並ぶ大型の邸宅で、切妻式屋根の重厚な青磚(せいせん・黒煉瓦)建てです。中庭の門楼の上面に鎮宅の石狗が内向きに座っていました。

  屋根の上の鎮宅石狗は、広東省の雷州半島にもみられますが、どうしても必要があって、門楼の上に 魔除けとして粘土像の石狗を立てたものと思います。台座を設置して、2004年の修築時に新しくしつらえていましたが、その石像は、真に迫った、犬ものものの姿でした。目を見開いて口を開けた吼えている雄犬(ちんちんがある)です。

  巷口にある石狗は、梁家巷の巷門(こうもん)にあるものは、両目がない目なし犬です。頭が三角錐で、蹲踞して細い前足を伸ばす姿です。




門枕石は鯉魚登龍門図が多い



  雷州半島の、ギョロ目の石狗とは違って、目なしで、犬らしい姿をしているのは、海南省北部の石狗の一部に共通したスタイルです。しかし彫刻は極めて簡素で、目はもとからないようです。


揚美石狗2


揚美石狗3

海南省新英の石狗

  他には清代ぐらいのもので、簡単に両目らしい小さな円があったり、閉じた口の線をもつものがありました。どれも諸星大二郎の中国伝奇漫画『異界録』の犬土(けんど)いな怪しいカタチをしています。吼えて脅かすこともせず。シルエットのみで犬を表現し、かえって霊的な力を感じます。つまり、犬のカタチのもつ力、「犬力」(いぬぢから)だけで魔物と勝負するらしいのです。

広西石狗その2.村門を守る四角錐型石狗と風水楼(広西壮族自治区桂林市霊川県霊田郷迪塘村)





  石狗は単純で、プリミティヴな造形が魅力です。 


  桂北地方(広西北部)の迪塘村(ディータンツン・てきとうそん)では石狗(シーゴウ・せきく)が組で村門を守ります。陽朔県(ようさくけん)福利鎮(ふくりちん)の石狗は、角形でしたが、こちらは四角錐を横倒しにしたカタチをしています。ほぼ左右対称の2.体は、四角錐の底部を顔に見立てて、両耳のあいだは顔の輪郭線でつながり、丸い鼻から目のくぼみまでの曲線で囲まれた両目はギョロ目です。蹲踞して前足は踏ん張って、後ろ足が控えめです。口はわずかに開いています。

図1.石狗(向かって左)

図2.石狗(向かって右)


  性格がおとなしそうで、笑っているような顔で、可笑しいです。しかしくどいようですが、多くの石狗の居場所同様、ここ霊川県も、中国で著名な犬食地域なのです。神犬信仰と犬食文化が共存するのでありました。




  桂北地方は、中国で一般的な石狗と、広東省西部から広西にかけての石狗文化圏とが、重なる地域であるともいえそうです。石狗文化圏では、北側の周縁地域です。




  迪塘村は、『古鎮書・広西』(陝西師範大学出版社、2004年)に掲載されたデーターによると、140戸600人あまりです。漢族の李家を中心とする村で、明代後期に江西省出身で梧州府藤県教諭に任じされた開祖がこの地に移ってから27代を数えるそうです。




  明末崇禎(すうてい)癸未年(1643)進士、南明政権兵部左侍郎兼外督察院の李膺品(りようひん)をはじめとして今日の霊川県県知事など、代々官僚を輩出してきた伝統があります。李膺品は清軍に対して抵抗して死んだとされています。




  人材を輩出した理由として、村人が大切にしているのが、風水楼の存在です。

図3.風水楼

  村門を入ると、村を両分する村道がゆるゆると丘に向かって伸び、丘の上には安徽(あんき)・湖南風箱型建築のスタイルで知られる切り妻壁である馬頭墻(マートウチャン・ばとうしょう)をもつ洋風の楼閣があり、これは風水を調整するための風水楼と呼ばれています。正式には「毓水培風楼」(いくすいばいふうろう)といい、水も風も育む意味の風水調整機能を持たせます。丘の上にに展開する巷の入り口にあります。巷内は40人ほどの人口です。


 図4.「毓水培風」の匾額枠



  再建時に建てられた碑記によるともとは明代の護宅楼(防御用トーチカ)がありました。




   両端の角張った煉瓦積みの瀟洒な四角の風水楼は、「毓水培風」と弧を描いて大書された題字、アーチを描く洋風の券門。その楼上には2枚の防火壁間に木製アーチを描いた窓と欄干が連なります。中体西用の風格をもった楼閣は、まさしく清末民初に1人の洋務派官僚が村の風水を調整するために建てたものなのでした。




    風水楼は1994年に不幸にして放火のため上部が崩落してしまったのですが、10年後に建て直されて面目を一新しています。





  2004年、丘の上の5大家庭がそれぞれ資金を出し合って再建したとあります。その理由としてこの村を訪れた香港台湾の同胞や日本の友人らの賞賛があったためとしています。
日中戦争の大陸打通作戦の戦場となった地方で、このように書かれると、有り難い気もします。

図5.風水楼から見る馬頭墻のある邸宅



   風水楼の円窓からは、馬頭墻の切り妻壁の家並みが、すくっと屹立した壁面を見せて美しいのですが、屋根両端には陶器製の紅獅が鎮座していて、人材の出世をもたらす風水の守りを重視する中国伝統村落のこだわりが垣間見えるのでした。





「魔除けはとかく角が立つ」─広西南嶺山脈中の角形石狗
(広西壮族自治区陽朔県福利鎮)



   石獅が主流の中国ですが、古代越族(えつぞく・水稲耕作を生業とする水辺の民)の地である広東省東部・広西壮(チワン)族自治区・海南省は少し様相が違います。南宋時期以来の福建南部の避難民の移住も関係してか、「石狗」(シーゴウ・せきく)像が多いのです。広東省南部の雷州半島を中心に、広西・海南北部と、石狗像が分布しています。ヴェトナムのハノイにもあるそうです。広西では南寧市(なんねいし)、広東では東は電白県(でんはくけん)や高州市まで分布が確認できます。恵州市など広東中部にも石狗が分散的にみられたりもします。






   石狗は村の入り口、廟堂の左右の守り、橋の欄干の上、屋根の上と、石狗は単独か、2匹一組で守ります。そのほか、墓所を守ったり、海や川を監視していたり、田畑を守ったり、庭を守ったり、道を守ったり、じつは石狗は石獅が守らない場所まで、広く山に、野に、海辺・水辺に、自由自在に姿を現しています。概して石狗の分布地は、ハノイも含めて犬食文化のあるところがほとんどなのに、犬が神獣として信仰され、不思議です。





   石狗はどこで突如現れるかわからないので、広東西部から広西の旅行は、道ばたにや景色に充分注意です。1匹だけでギョロ目を開けて路傍に立っていたりします。また石狗に似ているけれども2体1組のギョロ目の石獅もあって、カタチが似ています。







   桂林市の郊外、陽朔県(ようさくけん)の福利鎮(ふくりちん)は、石狗の集住地の雷州半島からだいぶ北上した南嶺山脈(なんれいさんみゃく)の山中にあって、漓江(りこう)の北岸にあります。





   景色は桂林ならではの駱駝の背のような山丘がぽこぽこ渓流の間にそびえ、泥道を水牛が野良に歩くのんびりとした雰囲気です。




  街中は19世紀半ばの媽祖廟(まそびょう)があり、福利鎮は扇子の生産で有名で、石段の船着き場をもつ港街です。





  街の外の道ばたにある石狗は、身体がソニーのアイボの先祖かと思うほど、四角です。身体は凹の字をひっくり返したカタチで、前後とも右足・左足の区別がなく、真っ平らです。いつの時代のものか分かりませんが、周囲の家は清末のものが多いです。制作年代は清代当たりでしょうか。



   頭は、正面から見ると、凸の字をひっくり返したような頭でっかちで、しかも2つのギョロ目は鼻とともに上付きです。前より上の方が監視しやすいかもしれません。




  目玉上付きギョロ目タイプは、獅子の場合は、金門島の風獅爺や沖縄のシーサーにもあります。1つのタイプといえましょう。





   しかも目の周りが雨水が溜まるくらい凹んでいます。口は開いて、歯も鋭い牙もあり、舌も出しています。耳も左右にあり、尻尾もあります。だから彫刻する意志は感じます。

 


   しかし目玉以外は四角という、斬新なデザインは驚きです。角張ったカタチは威嚇的で、魔物も驚くから、全身に呪力がみなぎっているようです。



(2009年3月20日取材)



図版説明:

図1.福利鎮角形石狗正面

図2.福利鎮角形石狗斜側面

図3.働き者の水牛は広西の風物詩

図4.福利鎮の埠頭入り口