私の釣り今昔物語 | 間質性肺炎もちの夜釣り人

間質性肺炎もちの夜釣り人

2015年7月慢性気管支炎→突発性間質性肺炎と診断。2016年、生体検査で入院。
診断書には過敏性肺炎と記載?
2018年悪化によりステロイド治療で入院3か月。
2022年秋、2連続急性増悪で常時酸素4~6Lに。身体障害者手帳1級
夜は海に出かけてお魚さんに遊んでもらってます。

不思議なことに、タケちゃんと釣り行く前夜(深夜)に、昔のこと思い出してました。


自宅前の川で、ニジマス釣りしたのが小学校低学年のころ。

川と池が遊び場でした。


車の免許取ってからは、車走らせることに夢中になり、数年後にはJAF公認ラリー地方選手権にエントリーするようになりました。

ラリーの話はまた別の機会にして、30歳くらいから海釣りに転向。


週間、月間、別冊、専門誌など釣りの本を読み漁りました。

釣りサンデー(週間)と、関西のつり(月間)が欠かさす買う本でした。

週刊誌主催の釣り大会で優勝したころ、関西のつり誌の、最後ページ近くにある読者投稿コーナーでよく見かける人に、一度一緒に行きませんか?と投稿したら行くことになり、それを見ていた編集部から、誌面の縁で釣友出来ました。とカラーグラビア取材を受けるようになり、しばらく後、メバル釣果の投稿したら、「メバルと五目の釣り日誌、雨の日が待てない」の連載(半年契約)がスタートしました。


30でサラリーマン辞めて家業の林業してたから、休日は雨降りの日だけ。釣りに行けるのは雨の日、、、と言う理由からのタイトルでした。

半年の予定が何年も続いて、釣友も増えた事から、クラブ作っちゃえ!


フィッシング シンクタンク立ち上げました。

その頃、近所のスナック通いしてまして、バイトの芸術関係大学生のユキちゃんに、クラブマーク作って~ 

と頼んで出来たのが




単純ながら味あるデザインで一発採用。

ユキっち、その後は東京で舞台美術の仕事してると風の噂、、、デザイン料3000円くらいなら払えるから、見てたら連絡ください。(1000%見てないし。しまった3000円とかしょぼいこと書かず100万円くらい書いときゃ良かった)

ワッペン作りに、ワッペン屋さん行ったり、楽しかったです。


で↓は

誌面で釣友となった、オカピーが夜なべして、手作りしてくれたものです。
凄い時間かかったと思います。

クラブ設立により、連載は「底抜けシンクタンク」に変わりました。

クラブ設立10周年を記念して、釣り大会「メバルカップ」開催。

懐かしいのありました。

岬町の協力で、オープン前の釣り公園「とっとぱーく」にて、第1回開催


これは第3回かな?

司会は伊丹章さん、ゲストは投げ釣りの中元嗣通さん

  



↓淡路大会


好評により6年やりましたが、夜釣り大会の道筋つけて目的達成?で休止。

クラブはドタバタで後進に任せたが、数年後解散したみたい。かなーり残念💦

てなわけで、出版不況で関西のつり誌も休刊。
文字から景色を想像して、イメージ力つけるのが上達のコツだと思いますが、動画で見た通りの道具買って、イメージ無しで正解を求める、かつてのバス小僧たち。
時の流れには逆らえませんね。

⬆久しぶりにこれが出た。
パスワードなんだっけ?
何回もやり直しては拒否されて、アメブロやめたくなるの繰り返し。
毎日ログインしてるのに!
なんとかならんか?


長文全部読んだ人居たら、100万円上げ、、いや、ありがとうございます。のお礼だけにしとこ

ε”ε”ε”(ノ* •ω• )ノ逃げ

(*>∀<)ノ))またねー