自賠責保険対応の顕示接骨院

自賠責保険対応の顕示接骨院

顕示接骨院の日々の活動とPRを綴っています。

自賠責保険対応の顕二接骨院です。

顕二接骨院は患者さまの為に日々励んでおります。

皆様に常に最先端の医療と柔道整復そして最高のパフォーマンスが叶う身体づくりのお手伝いをさせ

て頂けることが最高の喜びです。

顕二接骨院の活動内容1部紹介致します。

自賠責保険取り扱い
ゼロポイント診療
スポーツトレーナー
マッサージ診療
外傷処置診療
スポーツ障害診療
ファスティング指導
酸素オイル指導
物療機器による診療
iPadを用いた動作分析・解析
院内、訪問によるケアセミナー
院内、訪問によるリハビリ指導
院内、訪問による健康増進指導
LINEによる健康相談
吸玉健康増進療法
介護福祉士の為の腰痛診療
療養費による保険診療
往診診療・送迎による診療
リハビリディサービスきらく松原推進活動(介護支援専門員紹介も含む)
青少年育成の為のスポーツ推進活動及び外傷診療
在宅介護負担軽減ショートステイ紹介活動(施設募集)
ゼロキロマット指導
各種販売、コルセット、サポーター指導
院内、訪問による認知症予防
院内、訪問による転倒予防知識向上活動
人格形成の為のありがとうの大切さを伝える社会貢献活動
排アルミ海外募金活動
エコキャップワクチン活動
介護保険セミナー
柔道整復師療養費セミナー
柔道整復師の為の監査対策カルテセミナー
日本がまた世界へ鉄砲を向けない様に考える活動
地域イキイキ顔の見えるネットワーク作り
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みなさん*\(^o^)/*こんにちは!
KURUMIデス
6月になり青森市内も暑くなって来ました(^-^)
受付でアイスコーヒーも出しております!
お気軽にKURUMI 迄お申し付けくださいね^o^


「テロス」

何故私はこんな目にあうのだろう?

何故私は皆より不幸なのだろう?

何故私だけが病気になるだろう?

お金が無くなったらどうしよう?

最愛の人と別れてしまったらどうしよう?

様々自問自答は繰り返され自分に負けてしまいそうな事が人生には多いにあります。

そしてテレビや雑誌や本などで新しい情報を得て「私だけではないから安心する」という事たくさんあります。

そしてそうならない方法や手段が見つかるとそれを多いに信じる傾向に今の我々はあるのではないかと考えました。

そんな考えから様々な「善」や「悪」が生まれているようにさえ感じます。

簡単な例えですがお金が無くなったらどうしよう?と考えると「法律」に触れない様にお金を稼ぐという答えが見つかります。そして手っ取り早い方法で「お金を稼ぐ」目的に「自分」という手段を使って行動するということが多くにあるのではと?

本当に自分の事を考えてとる行動なのか私はいつも疑問でした。

しかし最近こんな事を考えてみました。

帰結や結果から物事を考えるのではなく目的から物事を考えてみるという当たり前の考えです。

「私の手はどうしてあるのだろうか?」と考えるよりも

「私の手の目的は愛する人を抱きしめる為にある。」という目的を持たせる事で次に自分が為すべき事が見えてくるのではないかと。

そして「私の手の目的をより最高にする為」に自問自答を繰り返し、日々の勉強や努力が強制で行われるのではなく、

自分の思考で到達した目標により自分らしく生きていけるのではないかと。

その終わることの無い思考で行動する事こそが自分自身の目的を貫く事であり、他者と関わり議論を続ける意味なのではないかと感じています。

懐疑的に物事を終わりにしてしまう時代だという自分の諦めを捨て去り、今日も自分の目的の為に行動していきます。
「道徳」

武士道を私は道徳としてみているとお伝えした。

ではその道徳を今日は考えてみる。

道徳的な考えは人を「正しい」か「間違い」かで判断させるかのようにみえる。
しかしそれが現在、行われている私達の道徳的な行動なのかもしれない。

しかし道徳とは有機的な繋がりの中であらゆる変化をもたらすものだ。

過去、様々な哲学者、アリストテレス、ジョン・ロック、イマヌエル・カント、
ジョン・スチュアート等が人間の真相、道徳を説いてきた。

私も今、「自衛せぬ平和」は不要であり、それを定義することで「平和道」導き出そうとしている。絶対的に理不尽であり絶対的不公平な道徳にならないようにその逆説を考えている。
簡単な言葉で言えば「それは無理だ」と考えられる。

根拠はそれが過去において存在すれば我々が不平や不満、自殺や病気などで悩むことは多くに緩和されていたと思う。

しかしどうだろう?

今、不平や不満、自殺や病気、そして名誉や尊厳、人間的理性までもが資本主義の中に組み込まれているように考えられる。

私達は、「私達がすでに知っている事実」に直面させられると「その事柄を本当の意味で気づいた時は知りえた事実にさえ動揺してしまう」そうなる事で皮肉にも思考を止める傾向に存在する。

「慣れしたしんでいた誰もが知っている事実」の表裏が浮き彫りになった時「その慣れ親しんだ事実」は我々を引き離すし別世界へ連れ出す。

不安を感じずにはいられないがその先に「道徳」があるかもしれないと定義をずらすことなくそこに立ち向かう姿勢こそ「勇気」であると私は感じる。

「勇気の先」にあるのは「正義」、正義が創造するのが「道徳」でありそれは人間が人間である為の公平であり崇高な道徳でなければならず、カントを意識すれば自然の摂理から離れることのない「道徳」でなければならない。

その正義が机上でしか存在しない現在「平和」といえるのか?

そこでその議論をする為に私は毎日、近隣の方と討論をしているがみな疲弊し、自分を失いかけている。

宿命を使命に変えるなどという甘い考えなどなく、「やむにやまれぬ想い」で前進しようとしている。

「自衛せぬ平和」から「自衛せぬ」を引き離し真の正義がもたらす「平和」について話あう為に、「道徳」から目を背けてはならないと考えている。

最後に

「正義は必ず勝つという子供たちの夢」を失わせるわけにはいかないことだけは
地球上に存在する人間の「今の事実」と考えたいところである。