すべての存在は円形運動をしていると見る。
そして、その円形運動は、正・分・合三段階の作用を経て、三対象目的をつくり、「三点」を通過すると主張する。

ここで、この「円」は、「円満性、円滑性」に通じる。そのほか「円和性」という言葉も使うことがある。
その「円和性」という言葉は、造語であろうが、「調和性」に通じるものとしてよいのであろう。

「正三角形」はすべて相似である。「正方形」も同様である。このように、正多角形(正三角形、正方形、正五角形…)は、すべて相似である。
しかし、それらは三点を決定したからといって、たったひとつに決定されはしない。
これに対して、「円」は違う。「円」だけは違う。
すべての「円」は相似であり、そして、三点を決定すればたったひとつに決定される。唯一である。
また、「円」は「永遠性」に通じる。
三点→円→「唯一性」、「永遠性」という連想をしてよいのであろう。

み言より
「宇宙森羅万象の位置は、三点を基盤に運動を継続することによって存続しているのです。三点を通過せずには完全性や永遠性はないのです。」[祝福と理想家庭Ⅰp61]

「四数は三から生ずる。神様・アダム・エバ・子女を一直線にすれば三数であり、拡げれば四数である。三数は「一」から生ずるが、その基本は「三」である。三数の創造原則を立てる目的は円形を描くのと同じく、神様の実在の永遠性を立てるためである。」[御旨の道・第1集p153、154]
これも「三数」の例になるかどうかは分からないが…

■責任性
〔1〕神様に対する責任性
〔2〕相対に対する責任性
〔3〕子女に対する責任性

み言より
「至高なる愛の理想を成し遂げる人間の完成は、愛に対する責任性をもつときに可能なのです。その責任性は次の3つとして考えることができます。▼第一に、人間は愛の自由を下さった神様に感謝しながら、自己修練、自己管理で自由な真の愛の主体者になる責任です。人において愛の責任性は、法や世間体ゆえに守られるものではなく、神様との生命的縦的関係の中で自己主管、自己決断で守られるのです。▼第二は、相対に対する責任性です。人間は本性的に自らの相対の、自分に対する愛が分けられることを願いません。夫婦間の横的な愛の関係は、父母と子供の間の縦的な愛の関係と異なり、分けられればもはやその完全性が破壊されます。これは夫婦間で絶対的な愛の一体をなすようになっている創造原理ゆえです。人は絶対に自分の相対のために生きるべき愛の責任性があります。▼第三に、子女に対する愛の責任性です。子女たちの誇りと幸福の基地は父母の愛です。子女たちの真の愛で和合一体化した父母を通して生命が生まれ、そのような愛の中で養育されることを願います。父母の子女に対する最も貴い責任は、外的な養育だけではなく、彼らの霊性を完全にしてあげる真の愛の生命的な要素を提供することです。家庭が貴い理由はこのためです。生活的な経験を通して体得する真の子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情は真なる家庭以外、そのどこでも得ることはできません。アダムとエバが神様を中心とした真の愛の夫婦となれば、神様は思いどおいに、ご自身の実体であるアダムの体の中にいましたまいながら、エバを愛されるようになるのです。…」[韓鶴子女史、韓日対訳み言シリーズⅠ、救援摂理史の原理観p17、19]

〔1〕慣性の法則…
物体に力が働かないとき、または働いているすべての力の合力がゼロのとき、物体は慣性系に対して静止または等速度運動をする。
物体がもっている慣性は、神様の永遠性に通ずるのではなかろうか。物体にこの慣性という性質があるからこそ、宇宙では惑星や衛星は永遠に運動を続ける。宇宙の秩序を永遠に保つためになくてはならなかったものであろう。

〔2〕運動の法則…
物体に力が働くと、物体は加速度を生じる。加速度の向きは力の向きと同じで、大きさは力に比例し、質量に反比例する。
運動方程式F=ma

〔3〕作用・反作用の法則…
物体Aが物体Bに力を加えると、物体Bも物体Aに力を加える。この2つの力は、同一作用線上で、大きさ等しく、向きが反対である。

●「天一国の歌」(試訳)


秀麗なつぼみ 愛のバラ 希望の新しい知らせが 満開だなあ
五大洋六大州と天宙までも 億万歳太平聖代
永遠に輝かせよう 自由の天一国


崇高な天の色彩 純潔のユリ ありありと輝く精神が 続いていく
五大洋六大州と天宙までも 億万歳太平聖代
永遠に輝かせよう 平和の天一国


純情の気品ある 千年鶴の翼 永生の理想郷を 現している
五大洋六大州と天宙までも 億万歳太平聖代
永遠に輝かせよう 統一の天一国


四季にはためく 天一国の旗 天地人真の父母様が 望まれる
五大洋六大州と天宙までも 億万歳太平聖代
永遠に輝かせよう 幸福の天一国

「秀麗」:「すぐれてうるわしいこと」

ヤコブ路程で「ヤボク河」は原文では「얍복강」。ここで「강」は漢字語で「江」ではあるが、日本では、基本的に「川」で統一されているとのこと。だから「ヤボク川」でいいのでは。
講論原文において、直訳すれば、「授受する」ではなく「授けて受ける」となるところが七ヶ所ほどある。
それを和訳のときに「授受する」とか「授受作用する」と訳している。
「授受」は「授けることと受けること。やりとり。受け渡し」の意味であり、この言葉には時間的前後関係が明確ではない。
原文直訳は「授けて受ける」だから、それは「授けたのち、受ける」の意味だと思うが、それを「授受する」と訳してしまっては厳密さに欠ける。

講論原文においては、「授受作用をする」との表現が使われているところがあるが、「授受する」との表現が使われているところはない。

その七ヶ所とは以下の通りである。
「このように、主体と対象が授受作用をする平面的な回路による円形運動が、再び立体的な回路によって球形運動に変わることによって、創造の造化の妙味が展開されるのである。」

「すなわち、その回路の距離、様相、状態、方向、角度、また、それらが各々授受する力の速度などの差異によって、千態万象の造化の美が展開されるようになるのである。」

「いかなるものでも、存在するためには、必ずある力を必要とするようになるが、その力は授受作用によってのみ起こる。けれども、いかなるものも単独で授受することはできないので、それが存在するための力を起こすには、必ず授受作用ができる主体と対象との二性性相として存在しなければならない。」

「愛と美の目的は、神から実体として分立された両性が、愛と美を授受することによって合性一体化して、神の第三対象となることによって、四位基台を造成して創造目的を達成するところにある。」

「神を中心として、ある主体と対象とが合性一体化して四位基台をつくり、神と心情において一体となり、主体の意のままに愛と美を完全に授受して、善の目的を完成することを直接主管という。」

「神を中心として、アダムとエバが完成して合性一体化し、家庭的な四位基台を造成することによって、神と心情において一体となり、神を中心としたアダムの意のままに、お互いに愛と美を完全に授受する善の生活をするようになるとき、これを神の直接主管という。このような人間は、神の心情を体恤し、神のみ旨が完全に分かって、実践するようになるので、あたかも、頭脳が、命令ならざる命令で四肢五体を動かすように、人間も、神の、命令ならざる命令により、神のみ旨のとおりに動いて、創造目的を成し遂げていくようになるのである。」

「神を中心として完成した人間が、万物世界を対象に立てて合性一体化することによって、四位基台をつくり、神の心情を中心として一体となった人間の意のままに、人間と万物世界とが、愛と美を完全に授受して、善の目的を成し遂げることを万物に対する人間の直接主管というのである。」

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「統一思想要綱」の「統一教育論」より
■統一教育論における教育の三大理念
〔1〕個体完成(個性完成、人格完成)
〔2〕家庭完成
〔3〕主管性完成

「統一思想要綱」の「統一教育論」より
■統一教育論における教育の三形態
〔1〕心情教育
〔2〕規範完成
〔3〕主管教育(技術教育、知識教育、体育)

これは「三数」の例になるかどうかは分からないが、
■神の心情の表現形態
〔1〕希望の心情
〔2〕悲しみの心情
〔3〕苦痛の心情

「神の心情は創造と復帰の節理を通して三つの形態に表現される。すなわち希望の心情、悲しみの心情、苦痛の心情である。」[新版統一思想要綱p349]




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「三数」の例になるかどうかは分からないが、
生物の三つの性質は、

〔1〕エネルギー転換(=物質代謝)
〔2〕自己増殖
〔3〕自己保存の能力

「今日、生物はエネルギー転換を行い、自己増殖し、かつ自己保存の能力をもつ複雑な物質系であると定義されている。もし地球以外の天体にもこのような性質を持つものが見つかったら、それは生物と呼ばれるだろう。」[世界大百事典⑮p416]


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み言より
「トンボも幼虫が水の中で泳ぎ回り、地上に上がってきて、しばらく、はい回ります。その次にはヒラヒラと飛び回り、陸地で食べるだろうとは思いもしなかった虫を捕まえて食べます。天下を自分の舞台として飛び回るのです。このように昆虫類の中では翼があって三段階世界を経るものが多いのです。昆虫もこのように水と陸地での生を経て空中で暮らしますが、万物の霊長である私たち人間は、もっと次元の高い翼を持っているのです。」[韓日対訳み言シリーズV、人間の行くべき生涯路程p41]

動物界自体において三時代がある。
水中時代・陸地時代・空中時代である。

「すべてが、この三時代を経なければならないのです。」[真なる子女の道p21]

そして、昆虫は、
「体が部・部・部からなり、胸部には節のある脚が3対6本と2対4枚の翅をもつ生きもの」

昆虫が漢字からして三数的存在である。
昆虫は昔〝〟と書いていた。


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神様におかれては、人間を創造された時から、天地の創造主としての顔よりも人間の父母としての顔が前面に現れたのではなかろうか。
喜びを求めてやまない情的衝動をその本質とされる神様から、
愛の対象として創造された人間を愛すること自体を目的とする神様
と発展されたのではなかろうか。私たち人間においても、子供が生まれればその子供のために生きるのが人間の親であることから肯ける。

み言の中に以下のようなものがある。
「創造するとは力の投入のことを意味します。投入したのですが、どれだけ投入したのでしょうか。神様がみ言によって造るときに、「こうなれ、ああなれ」といたずらに創造したかのように考えられています。違います。ここには真の生命を完全に投入し、真の愛を完全に投入し、真の理想を完全に投入しました。私たちも、精誠を尽くさず、血と肉を投入していないものは愛しません。それゆえ創造する前創造した後では違います。創造する前自分のことを考えたのですが、創造を始めてから対象のためを思いました。私が創造するのは私のためではなく、相対のためであり、息子、娘のためである、このようになっています。」[真の神様p100]

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