私たちが使っている「神」という言葉の定義は、
神は「宇宙の第一原因」という定義である。
(「統一思想要綱」では「絶対原因者」とも表現している)
ただし、その「第一原因」は、単なる物質的なものではなく、人間の精神の根源も含むものとして考える。

では「宇宙の第一原因」としての神の属性は何か?
神の「絶対属性」は、「エネルギー的な心」、あるいは「心的なエネルギー」であるとする。(統一思想要綱より)
ここで、「絶対属性」とは、「一番根本的な属性」という意味であろう 。
「エネルギー的な心」、あるいは「心的なエネルギー」との表現は、
「エネルギーと心は全く別のものでなくて、本来は一つになっている」ということを言っている。

そして、その「絶対属性」が、
創造において分かれたのが、神の心としての本性相と、神の体としての本形状なのである」
ここで注意しなければならないことは、分かれても全くの異質ではないということである。

「本性相は心的要素から成っているが、そこにはエネルギー的要素も備わっている。
ただ心的要素がエネルギー的要素より多いだけである」

「本形状はエネルギー的要素から成っているが、そこには心的要素も備わっていて、
エネルギー的要素が心的要素より多いだけである」
(ここでいう「エネルギー的」という言葉は、正確には、「前エネルギー的」であろう。
そして、どこまでも前エネルギー「的」だということである)

「要綱」では、この理論を「唯一論」または「統一論」と名づけている。
唯一神を信じるという立場から言えば、これは「一元論」であろう。
しかし、「精神」が根源だ、「物質」が根源だという従来の「一元論」は違うという立場である。
そこで、「唯一論」「統一論」と称している。

「講論」では「本性相」「本形状」から説明しているが、
「要綱」ではその「本性相」「本形状」も「創造において分かれた」としている。
そして、
神の「絶対属性」は、「エネルギー的な心」、あるいは「心的なエネルギー」だとしている。
■諺
〔1〕石の上にも三年…
冷たい石の上にも、三年座りつづければ暖まる。つらくても我慢して続ければ、必ず成功する。辛抱強く根気よく勤めることが大切、という意。

〔2〕犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ…
犬は三日飼っただけでも、三年間その恩を忘れない。まして人は恩知らずであってはいけない、という意。

〔3〕三度目の正直…
勝負や占いなどで、初めの1、2回は当てにならないが三回目は確実である。また、三回目の結果が正しいものである、という意。「三度目は定〔じょう〕の目」ともいう。
英語では「Third time lucky. 」

み言より
「「三度目の正直」という言葉があります。1回目にできなくても三回目には必ずできる、ということです。韓国ではこのような言葉をよく使います。三つ揃わなければならないのです。三つのものが合わさる所には、神様がおられます。」[二世の道p85]

「今、先生が教示するのは、第1イスラエル圏、第2イスラエル圏、第三イスラエル圏を相続しなければ、天下統一理念はあり得ないということです。イスラエルとは何ですか? ヤコブを中心として、ヤボク川で天使を使うのです。天使に負けた人間は、天使に勝たなければなりません。ヤコブが腰骨を折って、死の境地にまで行きながら、夜通し耐えて、「ああ、死んでも、この握った手は放すことはできない」と言うので、天使も息が詰まって抜け出せないので、祝福してあげたのです。ですから、「死なんとする者」は、何ですか? (「生きる!」)。「生きんとする者」は、何ですか? (「死ぬ!」)。行きようとすれば、死ぬのです。反対です。宗教圏内において、聖書を通して、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」という逆説的な論理を、なぜ立てたのでしょうか? この天理を心得ておき、正義の世界を求めていく限り、1つの峠ごとに、三度死んで生き返らなければならないのです。それで、韓国の言葉に、「初不得三〔チォブトゥクサム〕」(三度目の正直)というのがあるでしょう。最初に得ることができなければ、三度まで粘り強くするのです。蘇生時代、長成時代、完成時代です。統一教会において驚くべきことは、宇宙の構造的な内容が三段階になっているという事実を明らかにしたことです。1段階、2段階、三段階です。このような話をすれば、私は1日、話をしなければなりません。」[『「蕩減摂理時代終了」宣布時の御言』2003.7.13、韓国・鮮文大学、祝福家庭p21~22]

「イエスが亡くなられてから、約2000年がたちました。そして今、神はもう一度、第三のアダム立場で神の息子を送られるのです。歴史を通して、神は常に三度目でその目的を果たしてこられました。数字の三が、完成の数であるというのは本当です。」[『キリスト教の新しい未来』1974.9.18ニューヨーク、MSG、御旨と世界p405]

〔4〕三人寄れば文殊の知恵…
平凡な人間でも、三人寄り集まって考えれば、文殊菩薩の知恵のようにすぐれた知恵が出る。「文殊」は知恵をつかさどる仏像。「文殊の知恵」とも言う。
国語辞典より「三人も集まって相談すれば、すばらしい考えがでるものだ。」
英語では「Two heads are better than one.」

〔5〕三つ子の魂百まで…
三歳の子供の魂は、100歳まで変わらない。持って生まれた性質は一生変わらない、という意。

み言より
「では、今までの人類歴史が、平和を中心とした人類歴史になれず、幸福を中心とした人類歴史になれず、理想を中心とした人類歴史になれなかったら、霊界に行っている人たちは、どのようになるだろうか? それが気掛かりなことです。どのように治められるか? ここでそのように暮らした人が、あの世界に行って突然変わることはできません。三つ子の魂百までもという言葉があるでしょう? 生まれ持った性格は直しにくいのです。このように見るとき、あの世に行っている霊人体たちは、今日我々が今まで暮らしたのと、特別に違うのか? 突然変わるだろうか? そうすることができないのです。ここで暮らしたその形そのままで収穫されて行くのです。霊界に行っているすべての霊人体たちは、結局は地上に暮らしていた人たちの霊人体です。そのように見るようになれば、今日この人たちが暮らしている世の中と、別に違いのない世界なのです。」[地上生活と霊界(下)p217]

〔6〕二度あることは三度ある…
二度起った(悪い)出来事は、もう一度起こる。物事は繰り返して起こることが多いから注意を怠るな、という意。

〔7〕三拍子揃う…
重要な条件がすべて備わっていて完全である。
(用例)打撃・守備・走塁(走攻守)の三拍子そろった素晴らしい選手だ。
(参考)笛・小鼓〔こづつみ〕・大鼓〔おおかわ〕などの三つの楽器の拍子がよくそろうことから。

国語辞典から
「三拍子」:「①強・弱・弱という形式の拍子。②三種の楽器の拍子。③三つの条件」


<「三数」の例になるかどうか、全く分からないが>
○早起きは三文の徳
朝早く起きると何かしらよいことがあるものである。「朝起きは三文の徳」ともいう。
英語では…The early bird catches the worm.「早起きの鳥は虫を捕らえる」

○三本の矢
これは「三脚」に通じるものか。
即ち、物体が最小限三点で支持されて「安定」になることに通じるものであろうか。

○王水
白金とか金は濃硝酸でも溶けない。濃硝酸と濃塩酸を1:3の王水を金箔にたらすと、反応する。金を溶かす。金属の王様を溶かしてしまうので〝王水〟という。
ここにも「三数」という数が何か神様の数であることを連想させるものがある。

○地球は太陽系第三惑星
神の子女として創造された人間が住む地球は、太陽系第三惑星である。
太陽から数えて、水星、金星、地球の順番だ。


レピデムで立てることができた「磐石の水の基台」。
韓国語版原理講論を直訳すれば「磐石の湧き水の基盤」である。

この「基台」(基盤)を条件として摂理を進められるときが、三回ある。
〔1〕第二次民族的カナン復帰路程のなかの「幕屋を中心とする復帰摂理」において、
石板を受け、契約の箱、幕屋をつくることができるようになったというところ。

〔2〕しかし、その後、イスラエルの民が不信に陥ったが故に、「幕屋のための基台」にサタンが侵犯したが、もし40日カナン偵察を信仰をもって遂行していたら、第三次の「幕屋のための基台」を蕩減復帰するようになっていたというところ。

〔3〕第三次民族的カナン復帰路程のなかの「モーセを中心とする実体基台」のところで、
モーセは磐石を二打してしまうが、レピデムで立てた「基台」(基盤)の故に、水を出して飲むことができるというところ。

このレピデムにおいて「岩」の湧き水を飲んだことが、その後の摂理の基盤になっていたということを誰が知ることができたか。
果たして、磐石の湧き水を飲んだことが基盤となっていたのかどうか、このことを私たちは確かめるすべはない。
そのように教示していただいて、我々は受け入れるのみである。

このようなところが「原理講論」のいたるところにある。
一体、どこの誰が、この「原理講論」を自力で著すことができようか。
天から来られたお方が、神の啓示を基点としてはじめて解明できた体系こそ、「統一原理」である。
私たちはその背後に、どこまでも神を見なければならない。
神秘性を感じなければならない。
そして、私たちの中の一体だれが完全に「内的知」に至っているというのであろうか。
自分は今なお「内的無知」にあるという現実を自覚して、
謙虚にならなければならない。


私たちが使っている「神」という言葉の定義は、
神は「宇宙の第一原因」という定義である。
(「統一思想要綱」では「絶対原因者」とも表現している)
ただし、その「第一原因」は、単なる物質的なものではなく、人間の精神の根源も含むものとして考える。

では「宇宙の第一原因」としての神の属性は何か?
神の「絶対属性」は、「エネルギー的な心」、あるいは「心的なエネルギー」であるとする。(統一思想要綱より)
ここで、「絶対属性」とは、「一番根本的な属性」という意味であろう 。
「エネルギー的な心」、あるいは「心的なエネルギー」との表現は、
「エネルギーと心は全く別のものでなくて、本来は一つになっている」ということを言っている。

そして、その「絶対属性」が、
創造において分かれたのが、神の心としての本性相と、神の体としての本形状なのである」
ここで注意しなければならないことは、分かれても全くの異質ではないということである。

「本性相は心的要素から成っているが、そこにはエネルギー的要素も備わっている。
ただ心的要素がエネルギー的要素より多いだけである」

「本形状はエネルギー的要素から成っているが、そこには心的要素も備わっていて、
エネルギー的要素が心的要素より多いだけである」
(ここでいう「エネルギー的」という言葉は、正確には、「前エネルギー的」であろう。
そして、どこまでも前エネルギー「的」だということである)

「要綱」では、この理論を「唯一論」または「統一論」と名づけている。
唯一神を信じるという立場から言えば、これは「一元論」であろう。
しかし、「精神」が根源だ、「物質」が根源だという従来の「一元論」は違うという立場である。
そこで、「唯一論」「統一論」と称している。

「講論」では「本性相」「本形状」から説明しているが、
「要綱」ではその「本性相」「本形状」も「創造において分かれた」としている。
そして、
神の「絶対属性」は、「エネルギー的な心」、あるいは「心的なエネルギー」だとしている。
物体は最小限三点で支持されたとき定着する。
これは三数が「安定性」に繋がっているということであろうか。

これに関しては「講論」にある。
「 従って、神の創造目的である四位基台は、神、アダムとエバ、そして子女の繁殖という三段階の過程を通じて、初めて完成するようになる。四位基台を造成して円形運動をするには、必ず正分合の三段階の作用を経て、三対象目的をつくり、三点を通過しなければならない。ゆえに、一つの物体が定着するには、最小限三点で支持されなければならない。」

み言より
「宇宙森羅万象の位置は、三点を基盤に運動を継続することによって存続しているのです。三点を通過せずには完全性永遠性はないのです。」[祝福と理想家庭Ⅰp61]
■諺
〔1〕石の上にも三年…
冷たい石の上にも、三年座りつづければ暖まる。つらくても我慢して続ければ、必ず成功する。辛抱強く根気よく勤めることが大切、という意。

〔2〕犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ…
犬は三日飼っただけでも、三年間その恩を忘れない。まして人は恩知らずであってはいけない、という意。

〔3〕三度目の正直…
勝負や占いなどで、初めの1、2回は当てにならないが三回目は確実である。また、三回目の結果が正しいものである、という意。「三度目は定〔じょう〕の目」ともいう。
英語では「Third time lucky. 」

み言より
「「三度目の正直」という言葉があります。1回目にできなくても三回目には必ずできる、ということです。韓国ではこのような言葉をよく使います。三つ揃わなければならないのです。三つのものが合わさる所には、神様がおられます。」[二世の道p85]

「今、先生が教示するのは、第1イスラエル圏、第2イスラエル圏、第三イスラエル圏を相続しなければ、天下統一理念はあり得ないということです。イスラエルとは何ですか? ヤコブを中心として、ヤボク川で天使を使うのです。天使に負けた人間は、天使に勝たなければなりません。�
〔1〕<38億年前>
海から最初の生命が誕生したという→水中時代

〔2〕<4億4600万年前~>(古生代のシルル紀)
コケやシダなどの植物が最初に上陸した

〔3〕<2億1200万年前~>(中生代のジュラ紀)
鳥類の出現

〔1〕水中時代、〔2〕陸上時代、〔3〕空中時代、この順序で始まっていった。
「光の三原色」…赤、青、緑
光の場合には、この三原色を適当な割合で混ぜ合わせると、あらゆる光を再現できる
色を混ぜ合わせるにつれて、色が明るくなる
三原色「赤、青、緑」が重なると「白」になる

「色の三原色」(絵具とかインク)…赤、青、黄
色を混ぜ合わせるにつれて、色が暗くなる
「赤、青、緑」を重ねると「黒」になる

「光の三原色」について、この三つを混ぜると「白」になるとのことであるが、
その「白」は、調和と平和の象徴であろう。それは「神」を象徴するのであろう。
「三数」を含む、この「光」は、「神」に通ずるのであろう。
ここの「光」の特異性を見ることができるのではないか。
そして、「三数」は「全体」に通じるという例になると思う。

そして、「光」の速さは有限であるが、その値は、
真空中で1秒間に29万9792.458kmである。
地球を約七周半もするスピードである。
kmで表示すれば、秒速約30万km
mで表示すれば、秒速約3億m
ここにも「三数」が顔をのぞかせている。
「特異性」については、「エバ、エバ国家」の特異性、「預言者エリヤ」の特異性を取り上げた。
今回は、「光」の特異性について考えてみよう。

■「光」の特異性の思索1
光はその速度は不変だという。どこから観察しても速度は変わらない。
様々に動く観測者(基準となる物体)にとって光の速度は変わらない。
これを「光速不変の原理」という。その意味で、光は、絶対性を持っている。
また、速度が不変の存在は光以外ないというのは「唯一性」を持っているということであろう。

このように「不変性」「絶対性」「唯一性」を持つ光は、「不変性」、「絶対性」、「唯一性」を持つ神に通じるのであろうか。

また、光はエネルギーそのものである。そのエネルギーが植物を通して生物界を流れて行く。全生物の命の源泉である。この点でも神を象徴する存在だと言えるのではないか。

そして、文先生は光をその一種とする電磁波、電気について学生時代勉強されたという。それは神の導きであったのだろうか。この被造世界の神的存在である光、電気、電磁波についての勉強である。

以上より、光は、縦的な、絶対的な神を象徴し、
それ以外の存在物は、時間空間内にあって横的であり、相対的である。
絶対空間、絶対時間は存在しない。そして相対の世界は関係の世界である。

「眼」はその神の象徴である「光」を受ける受容体である。よって、「眼」はもっとも神秘的であるのであろう。光の信号を電気の信号に変換する過程は神秘的であり解明されていないと思う。
(ここに特に「眼の構造」を詳細に分析する理由があるのではないだろうか)

光速は有限であるが、そこには「絶対性」が垣間見える。光の速度は絶対的であることは不思議である。なぜそうなのかはいまだに解明されていない。

光は、「唯一性」、「絶対性」、「不変性」の他に、
光は、直進性を持っている。
光ファイバー、これは最後の伝達手段であろう。

また、「光の三原色」は「赤、緑、青」であるが、
「クォークの三つのカラー荷」が「赤、緑、青」と名づけられているのが面白い。
さらに、「光の三原色」については、それら三つの色を適当な割合で混ぜ合わせると、あらゆる光を再現できる。
「クォーク三つ」、そのたった三つのクォークによって、数百のハドロンというものを分類し、その性質を予測できる。
似ている。
この「光の三原色」と「クォーク三つ」は、「三数」が「全体」に通じるという例になるのではないか。


■「光」の特異性の思索2

神は霊界では「光」として現われられたとのこと。今は、真のご父母様の姿で現われられるのであろうか。

神は強い光を放たれ、それに対してサタン(=ルーシェルと彼に従って堕落していった天使群)と悪霊たちはその光と最も遠い所にいった。それが地獄だという大母様のみ言があるが、そのように、光は特異的なのである。光速のみが絶対的であることに通じる。

天運石に対する大母様のみ言のなかに、「天運石についている天使の光」「天運石の光」「聖霊の光」、そして、「天運石の役事は光で処理されるのである」などというところがあるが、これも光の特異性に通じると思う。

■「光」の特異性の思索3

燃料電池について。
「光」を太陽電池で、電気に変換し、それを用いて、水を水素と酸素の電気分解し、そして、ふたたび化合させて、電気を取り出すのは、何か、正分合作用を連想させる。

それが正分合作用に当てはまるかどうかは分からないが、水素と酸素の授受作用を通して、一体化するときに、クリーンなエネルギーを取り出すことができるということは、意味深長であるのを感じる。

「被造世界のすべての授受作用」は、「愛の授受作用」がその原型であろう。
よって、この化学反応自体も愛の象徴であり、そして、そこから生じるエネルギーがこれからのエネルギーの主役になるということが、とても時代にマッチしたように思われる。いよいよ真打登場というか、地上天国の最終段階を迎えているというか、そのように考えられないか。

この世界は「空間」の世界であり、その「空間」は「三次元」である。
国語辞典には「三次元」とは「空間をはかる三つの要素」とあった。
空間は縦・横・高さの三次元。

その「空間」の中に存在する人間も縦・横・高さの「三次元」を持つが、
それを「形状的三次元」と呼ぶことができる?

「性相的三次元」という言葉も使ってよいかどうか分からないが、
人間関係における三次元を考えることができる。

上下、前後、左右で六方向に細分化される。それに中心を加えれば七数になる。

上下関係である親子関係、前後関係である兄弟関係、左右関係である夫婦関係の三方向の人間関係である。このことは、人間個人だけではなく、家庭も、国家もこの三方向の関係を結んでいなければならない。
家庭は家庭同士で三方向の関係を、国家は国家同士で三方向の関係を結ばなければならない。

子女の愛と父母の愛は縦的愛。夫婦の愛は横的愛。


み言より
「皆様の上下、左右、前後関係、そして家庭の問題や、国の問題、世界の問題を扱うにおいて、公式は一つです。個人を中心として上下、左右、前後があるように、家庭においても父母と子息がいなければならず、夫と妻がいなければならず、兄弟姉妹がいなければならないのです。これと同じく、国にも国の主人を中心として、すべての家庭が東西の文明、南北の文明をすべて抱き、その次に世界の万民を兄弟姉妹のように抱いて、結局、一つの家庭のモデルを築くのです。モデルは全く同じです。そして、自分自身がそのモデルの中心です。自分がいる後には、自分の家庭がなければならず、国と世界と天地、そして、神様まで進んでいかなければならないというのと同じ道理です。皆様は、宇宙の中心になりたい気持ちがあるだけではなく、すべて皆、そのようになることができます。このように、宇宙において、その核と同じようなものが家庭の概念です。天を父母として見れば、地は子女です。東西を見れば、東側は男性を象徴し、西側は女性を象徴するので、女性は結婚することによって、どこでも夫の位置に従っていくのです。西側が太陽の光を受けて輝くとき、東側と同じ価値を持つことと同じです。兄弟関係も同じです。長子である兄を中心として役事するとき、弟妹たちが協助するようになるのです。ですから、人間は父子の関係にあらねばならず、夫婦関係、そして兄弟関係にあらねばなりません。つまり、この三つの関係が、一点にならなければなりません。その中心点は一つです。上下、左右、前後の中心が異なってはならないのです。この中心点が狂えば、上下、左右、前後関係の均衡が皆、壊れるというのです。ですから結局、上、下、左、右、前、後、そして一つの中心点まで、全部で七数を成すようになるのです。このように七数を成すということはすなわち、神様を中心として完全な真の愛で一つになって、これらすべてが完全に球形を成して、調和と統一を成す家庭になるということです。私たちが、よく「ラッキーセブン」というのも、このような観点から一理あるというのです。」[韓日対訳み言シリーズⅢ、真の愛を中心とした真の家庭と真の宇宙p13、15]