原理講論和訳研究103 
「堕落論」の「第三節 愛の力と原理の力および信仰のための戒め、(一)愛の力と原理の力から見た堕落」において、

「人間は原理をもって創造され、原理軌道によって生存するように創造された。それゆえに、原理の力それ自体が、人間を原理軌道より脱線させ、堕落せしめることはあり得ないのである。これはあたかも、レールや機関車に故障がない限り、汽車が自ら軌道を脱線するということがあり得ないのと同様である。」

という訳されたところがある。この「機関車」は、原文では「機関」となっている。「原動機」のことである。

そして、この語句を含む一文全体の直訳は、
「これはあたかも、レールや機関に故障がない限り、汽車が自ら軌道を脱線するはずがないのと同様である。」
となるのであろう。
原理講論和訳研究102
「堕落論」の「霊的堕落」のところで、

「被造世界は、そもそも、神の愛の主管を受けるように創造されている。従って、愛は被造物の命の根本であり、幸福と理想の要素となるのである。それゆえに、この愛をより多く受ける存在であればあるほど、より一層美しく見えるのである。ゆえに神の僕として創造された天使が、神の子女として創造されたエバに対したとき、彼女が美しく見えたというのも当然のことであった。ましてやエバがルーシェルの誘惑に引かれてくる気配が見えたとき、ルーシェルはエバから一層強い愛の刺激を受けるようになったのである。こうなるともう矢も盾もたまらず、ルーシェルは死を覚悟してまで、より深くエバを誘惑するようになった。このようにして、愛に対する過分の欲望によって自己の位置を離れたルーシェルと、神のように目が開けることを望み、時ならぬ時に、時のものを願ったエバとが(創三・5、6)、互いに相対基準をつくり、授受作用をするようになったため、それによって非原理的な愛の力は、彼らをして不倫なる霊的性関係を結ぶに至らしめてしまったのである。
 愛によって一体となれば、互いにその対象から先方の要素を受けるように創造された原理によって(創三・7)、エバはルーシェルと愛によって一体となったとき、ルーシェルの要素をそのまま受け継いだのであった。すなわち、第一に、エバはルーシェルから、創造目的に背いたということに対する良心の呵責からくる恐怖心を受けたのであり、第二には、自分が本来対すべき創造本然の夫婦としての相対者は天使ではなく、アダムだったという事実を感得することのできる新しい知恵を、ルーシェルから受けるようになったのである。」

との訳文があるが、その中の以下の部分について考える。
「エバはルーシェルから、創造目的に背いたということに対する良心の呵責からくる恐怖心を受けたのであり、」
「恐怖心を受けた」のは「エバ」ということ。

同じ文を直訳すれば以下のようになる。
「エバはルーシェルから、創造目的に対する背馳によって、良心は呵責からくる恐怖心を受けたし、」
「恐怖心を受けた」のは「良心」ということ。
原理講論和訳研究101
「堕落論」の「(一)生命の木と善悪を知る木」のところで、

「多くのキリスト教信徒たちは今日に至るまで、アダムとエバが取って食べて堕落したという善悪を知る木の果が、文字どおり何かの木の果実であると信じてきた。しかし、そうであるなら、人間の父母としていまし給う神が、何故その子女たちが取って食べて堕落する可能性のある果実を、このように「食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好まし」くおつくりになり(創三・6)、彼らがたやすく取って食べられる所に置かれたのであろうか。
 かつてイエスは、「口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである」(マタイ一五・11)と言われた。まして、食物がいかにして人間を堕落させることができるであろうか。人間の原罪は、あくまで人間の祖先から遺伝されてきたものであって、食物が原罪を遺伝するその要因とはなり得ないのである。
 なぜなら遺伝は、ただその血統を通じてのみなされるからである。ゆえに、ある一人の人間が、何か物を食べたなどということによって、その結果が子孫代々にまで遺伝されるはずはない。ある信徒たちは、神がそのみ言に対して人間が従順であるかどうかを試すために善悪を知る木の果を創造し、それを食べてはならぬと命令されたのであると信じている。しかし、全き愛の方であられる神が、人間に死を伴うような方法でもって、かくも無慈悲な試みをされたとは到底考えることができない。アダムとエバは、彼らが善悪の果を取って食べる日には、必ず死ぬであろうと言われたみ言のように、それを食べるときには死ぬということを知っていたはずである。」

と和訳されているところがある。この最後の一文について考える。
「必ず死ぬであろうと言われたみ言のように、それを食べるときには死ぬということを知っていたはずである。」

この最後の一文の直訳は以下のとおりである。
「必ず死ぬだろうと言われた神のみ言の通りに、取って食べれば死ぬだろうと知っていた。」
原理講論和訳研究100
「堕落論」の「霊的堕落」のところで、

「愛によって一体となれば、互いにその対象から先方の要素を受けるように創造された原理によって(創三・7)、エバはルーシェルと愛によって一体となったとき、ルーシェルの要素をそのまま受け継いだのであった。」

とあるが、この「そのまま」は日本語版原理講論の和訳者の挿入語句である。
「ルーシェルの要素をそのまま受け継いだのであった
の直訳は、
「ルーシェルの要素を受けたのである
原理講論和訳研究99
「堕落論」の「霊的堕落」のところで、

「被造世界は、そもそも、神の愛の主管を受けるように創造されている。従って、愛は被造物の命の根本であり、幸福と理想の要素となるのである。それゆえに、この愛をより多く受ける存在であればあるほど、より一層美しく見えるのである。ゆえに神の僕として創造された天使が、神の子女として創造されたエバに対したとき、彼女が美しく見えたというのも当然のことであった。ましてやエバがルーシェルの誘惑に引かれてくる気配が見えたとき、ルーシェルはエバから一層強い愛の刺激を受けるようになったのである。こうなるともう矢も盾もたまらず、ルーシェルは死を覚悟してまで、より深くエバを誘惑するようになった。このようにして、愛に対する過分の欲望によって自己の位置を離れたルーシェルと、神のように目が開けることを望み、時ならぬ時に、時のものを願ったエバとが(創三・5、6)、互いに相対基準をつくり、授受作用をするようになったため、それによって非原理的な愛の力は、彼らをして不倫なる霊的性関係を結ぶに至らしめてしまったのである。」

との訳文があるが、その最後の文について考えてみる。
「非原理的な愛の力は、彼らをして不倫なる霊的性関係を結ぶに至らしめてしまったのである

これを原文に忠実に訳すと、次のようになると思う。
「非原理的な愛の力は、彼らをして不倫なる霊的な貞操関係を結ぶようにしたのである
80歳は人生のスタート…三浦さんが下山し会見
【カトマンズ=田原徳容】世界最高峰エベレスト(中国名チョモランマ、8848メートル)の最高齢登頂に成功した、プロスキーヤーで冒険家の三浦雄一郎さん(80)が26日、無事下山した。
 ネパールの首都カトマンズで同日、記者会見を開いた三浦さんは、「命がけで登って、生き延びて帰って来ました。夢は実現し、使命も尽くした。しばらくは休みたい」と語った。
 三浦さんは今月23日、次男の豪太さん(43)らと頂点に立った。その後、標高約6500メートルの第2キャンプまで降り、26日にヘリコプターでカトマンズに戻った。三浦さんは、「私はエベレストに『また、いらっしゃい』と三度呼ばれ、三度来た」と述べ、頂上に立った瞬間を振り返り、「人生、諦めなければ夢は実現できる。素晴らしい宝物をもらった」と目を細めた。
 80歳での記録達成については、「高齢化社会だが、年齢に負けてはいけない。80歳はまだ、人生のスタート」と述べた。
(2013年5月26日21時00分 読売新聞)
原理講論和訳研究98
「堕落論」の「霊的堕落」のところで、

「被造世界は、そもそも、神の愛の主管を受けるように創造されている。従って、愛は被造物の命の根本であり、幸福と理想の要素となるのである。それゆえに、この愛をより多く受ける存在であればあるほど、より一層美しく見えるのである。ゆえに神の僕として創造された天使が、神の子女として創造されたエバに対したとき、彼女が美しく見えたというのも当然のことであった。ましてやエバがルーシェルの誘惑に引かれてくる気配が見えたとき、ルーシェルはエバから一層強い愛の刺激を受けるようになったのである。こうなるともう矢も盾もたまらず、ルーシェルは死を覚悟してまで、より深くエバを誘惑するようになった。このようにして、愛に対する過分の欲望によって自己の位置を離れたルーシェルと、神のように目が開けることを望み、時ならぬ時に、時のものを願ったエバとが(創三・5、6)、互いに相対基準をつくり、授受作用をするようになったため、それによって非原理的な愛の力は、彼らをして不倫なる霊的性関係を結ぶに至らしめてしまったのである。」

という訳文があるが、その中の「もう矢も盾もたまらず」は和訳者が挿入した語句である。
原理講論和訳研究97
「堕落論」の「霊的堕落」のところで、

「神は天使世界を創造されてから(創一・26)、ルーシェル(明けの明星という意、イザヤ一四・12)に天使長の位を与えられた。それゆえに、あたかもアブラハムがイスラエルの祝福の基となったように、ルーシェルは天使世界の愛の基となり、神の愛を独占するかのような位置にいたのであった。しかし、神がその子女として人間を創造されたのちは、僕として創造されたルーシェルよりも、彼らをより一層愛されたのである。事実上、ルーシェルは、人間が創造される以前においても、以後においても、少しも変わりのない愛を神から受けていたのであるが、神が自分よりもアダムとエバをより一層愛されるのを見たとき、愛に対する一種の減少感を感ずるようになったのである。これは、ちょうど、朝から働いた労働者が、自分が働いただけに相当する労賃を全部受けとったにもかかわらず、遅く来て少し働いた労働者も自分と同じ労賃を受けとるのを見て、自分が受けた労賃に対する減少感を感じたという聖書の例え話(マタイ二〇・1~15)と同じ立場であったということができる。このような立場で愛の減少感を感ずるようになったルーシェルは、自分が天使世界において占めていた愛の位置と同一の位置を、人間世界に対してもそのまま保ちたいというところから、エバを誘惑するようになったのである。これがすなわち、霊的堕落の動機であった。
被造世界は、そもそも、神の愛の主管を受けるように創造されている。従って、愛は被造物の命の根本であり、幸福と理想の要素となるのである。それゆえに、この愛をより多く受ける存在であればあるほど、より一層美しく見えるのである。ゆえに神の僕として創造された天使が、神の子女として創造されたエバに対したとき、彼女が美しく見えたのである当然のことであった。」

とあるが、その最後の二つの文章を話題に取り上げる。その文章を下に再掲しつつ、直訳文を記しておく。


被造世界は、そもそも、神の愛の主管を受けるように創造されている
被造世界は、神の愛の主管を受けるように創造された

従って、愛は被造物の命の根本であり、幸福と理想の要素となるのである
従って、愛は被造物の生命の根本であり、幸福と理想の要素になる。

それゆえに、この愛をより多く受ける存在であればあるほど、より一層美しく
それゆえに、この愛を多く受ける存在であるほど、もっと美しく

見えるのである。ゆえに神の僕として創造された天使が、神の子女として
見えるのである。ゆえに神の僕として創造された天使が、神の子女として

創造されたエバに対したとき、彼女が美しく見えたというのも当然のことで
創造したエバに対するとき、彼女が美しく見えたのは当然のことで

あった。
あった。



統一教会員の合同ニュースブログより

「私たちには60年の歴史がありますが統一教会の2世のための環境がなっていません。ですから2世達がたくさん出て行きました、世の中と妥協すると言って。両親がみ旨の中で育つ事の出来る環境を作ってあげる事が出来なくて皆出て行ってしまったのです。でも ただ放っておく訳にはいかないでしょう? 今や新しい時代に入り、新たな歴史が出発している天一国時代において 私達の後代を安全に保護して、天一国の未来を担当することのできる指導者として養成しなければならないのです。今回UPアカデミーを始めながら感じた事ですが本当に人材が枯渇しています。とても残念な現実です。60、70年生きて来た生涯より、残りの人生が短いでしょう。その短い生涯に後代のための皆さんが堂々と盤石にでもなってあげなければなりません。 そうでしょう?ですから、良い点は私達が学んで活用できなければなりません。そして今や、皆さんが堂々とお父様がどんなお方かという事を証していかなければなりません。平和大使の教育は良いです。今や原理のみ言葉を語ってあげなければなりません。訓読をしなければなりません。そうではないですか。 原理講論だけでも60年代までなのです。1960年代以降にはお父様のみ言葉ですね。そうですね。真の父母経が出なければならず、平和経、天聖経を通してみ言葉を伝授してあげなければなりません。そして南北問題もそうであるし、世界問題もそうであるし 真の父母様が顕現されてこそ世界問題が統一するのです。1つとなる事が出来るのです。お父様が語られたではないですか。2次世界大戦以降に戦勝国家が敗戦国家を助けたのは兄弟時代となったからだと語られましたね。兄弟時代となったならば父母が現れなければなりません。 兄弟だけでは争い続けるではないですか。意見が衝突するではないですか。両親が現れて、これはこうであり、これはこうだ、このように行かなければならない、と言って原理原則、伝統を立てればそのまま従っていく環境を作らなければなりません。皆さんが、今も既成教会人達が私たちを異端だと言いますが、 昔ユダヤ教の前にキリスト教は異端でした。今、天一国時代では私達が真の真理であり正教であり、 既成教会や仏教や他の4大宗教は子女宗教ではないですか、息子の宗教ではないですか。どこに真の父母の宗教の前に不孝行な挨拶を今までしているのですか? これを整理できなければ皆さんの責任問題です。真の父母様がどのようなお方であると堂々と証し、この国の主人であり 世界の主人が真の父母であるという事を堂々と、今まで関係してきたVIP、平和大使達に み言葉を伝えて下さい。」
週刊清平メールマガジンより

■大母様は「2013天運相続つつじ浄火祭清平特別大役事」二日目の天一国元年天暦2月26日(陽暦2013.5.4)、第1163回清平特別2日修錬会でつつじ浄火祭と還元祈願聖火式の恩恵を説明されながら、復帰摂理完成のための天一国民の責任について語られました。(文責:教育企画チーム)

「つつじ浄火祭の恩恵と私たちの使命」

アンニョンハセヨ。感謝いたします。
つつじ浄火祭は本当に素晴らしい祝祭です。私は「天国の姿をここに作らなければならない。復帰され完成されたエデンの園のように作らなければならない」という思いで清平聖地にレンギョウ、カムラサキツツジ、サクラ、そしてとツツジをはじめとするたくさんの木を植えました。そして、皆さんが来て悪霊を分立して美しい姿に変わり、喜びと幸福で暮らせるように作り出すためのつつじ浄火祭を準備しました。

先祖の内面と悪霊を美しくするつつじ浄火祭
皆さんが一生懸命に書いた所願成就書を奉献する還元祈願聖火式は、先祖たちの心にある過去のすべての過ちを整理してくれる貴い恩恵です。
私たちの先祖たちは今絶対善霊となっています。霊人体が宝石のように美しい姿になっていますが、その霊人たちが「私たちは絶対善霊となって美しいですが、過去に過ちを犯した記憶が残っています」と言うのです。その過ちを犯して生きてきた記憶が残っているので「その記憶をどうしたら整理してあげられるだろうか。100パーセント絶対善霊としてつくられているが、過去の過ちを記憶していることをどうしたら整理してあげられるだろうか」と考えていました。そのときに天の父母様と天地人真の父母様が「還元祈願聖火式を通して、それらの内容を整理してあげなさい」と言われたので、皆さんが書く所願成就書を集めて奉献する還元祈願聖火式を行うとき、その先祖たちが来て、過去に自分が犯した過ちの記憶を整理するようになりました。
天地人真の父母様は「基元節までに210代までの先祖解怨式と先祖祝福式を行いなさい」と言われました。210代まで解怨と祝福を行い、皆さんが悪の血統から供給を受け続けている悪性をまず切り離さなければいけません。胎児がへその緒で母親と繋がっているように、私たちも先祖と血統的に繋がっています。私たちの先祖が絶対善霊ならば絶対善なる血統に繋がっていますが、悪なる先祖であれば、悪のありとあらゆるものと血統を通して繋がっているのです。そうだとすれば、その悪なる先祖の血統を受け継いだ私たちに、病気と苦痛、そして堕落性が巣食うようになっているのです。
今私たちが生活する姿を見れば、先祖がどのように生きてきたのかを知ることができます。先祖が生きてきたすべてのことを自分が生きているのです。210代までの先祖解怨式を行いながら、先祖から受け継いでいる悪の血統は切ってしまいます。そして先祖解怨後の100日間で絶対善霊となり、私たちを絶対善なる血統に連結してくれるのです。内面的にも、外面的にも、完全に天国人となります。天国に行ける先祖なので、そのような先祖の子孫である私たちに天運を与えることができるのです。

天一国の民につくる驚くべき特別大役事
天運を受けて永遠に豊かな暮らしができるように天地人真の父母様が「基元節までに210代までの先祖解怨式と先祖祝福式を行えば、天一国の民として生きていくことができる」という御言を下さいました。ある食口は、「今の姿のままでも天地開闢が起こるだろう」と考えました。もちろん、天地開闢は、私たちが原理的に生活すれば可能です。
私は清平役事をしながら皆さんに「なぜ原理的に生活できないのですか」と叱ったりはしません。私たちの体の中にいる悪霊人が私たちを主管し、支配し、原理的に生活できないようにしています。私たちは悪霊人に従っているのです。これまで人類の歴史が悪の歴史だったので、悪のすべてのものを持っている私たちなのです。私たちは悪霊人たちに従っているため、天地開闢が起こらないのです。私たちと絶対善霊が一心・一体・一念となって原理的に生きれば、天地開闢が起きるのです。
今日の大役事の期間に絶対善霊と天使たちがすべて来て、悪霊を分立してくれながら、私たちの中にいる堕落性と病気と苦痛を整理してくれる驚くべき役事があります。
天運が今、回っています。「天一国という場所には天運が回っているが、果たして私たちはその中にいるだろうか」ということを考えてみなければなりません。私たちが、猜疑、嫉妬、血気、憎しみ、偽り、欲心、「私」という思い、驕慢、不平不満などの堕落性を持つことで、悪が主管する位置にいないか考えてみなければならないのです。今はまさに私たち自身が問題なのです。これからは私たちが善なる場所で生きれば、天運と共に喜びと幸福で生きていくことができます。けれども、自分が非原理的に生き、酒とタバコと淫乱、公金問題、また教会にも行かずに十分の一条もせずに生活すれば、そこには天運が共にあることができないということを知らなければいけません。

復帰摂理完成のための私たちの使命
私たちは天一国の民にならなければいけません。天一国の民として生きるならば天の父母様と天地人真の父母様がどれだけ喜ばれるでしょうか。そうだとすれば、私たちは何をすべきでしょうか。伝道をする必要があります。霊界では真のお父様が、地上では真のお母様が、2020年までに各国の責任を下さったのです。
皆さんが今回の期間に、「私はどこに行って伝道しなければいけない」と考えれば、今回そこに行って伝道できるように絶対善なる霊界と共に真のお父様が役事をしてくださいます。復帰摂理歴史は私たち皆のものです。もし私たちが数年後に霊界に行くと考えてみてください。そうなれば、私たちの子孫はどうなりますか。天運を中心として生活するでしょうか。悪運を中心として生活するでしょうか。天運を中心として生活できるようにするためには、私たちの子女が定着できる文化を築いておく必要があります。真のお母様が最近おっしゃる環境の創造をしておかなければならないのです。環境を美しくしておかなければなりません。今回のつつじ浄火祭の後に皆さんが家に帰り、家庭から氏族、隣人や統班(町内会)まで伝道できるように、驚くべき役事を繰り広げるための大役事なのです。
皆さんが一日に2時間ずつ生活の十分の一条をすると考えてください。自分の家庭で家族が完全に教会を中心として生活できるようにつくっていかなければいけません。愛と関心と共に天運を接ぎ木できる家族にし、氏族へと拡大させていかなければいけません。父母と兄弟に関心と愛を与えれば、必ず伝道できます。隣人も同様です。近所に誰が住んでいるのかもわからないようではいけないのです。天地人真の父母様は統班活動を強調されました。真の愛で「為に生きる」文化で定着しようとされる天地人真の父母様の御言です。家庭や職場において、生活しながらも私たちの心情と心が天地人真の父母様と一心・一体・一念となれば伝道できるのです。
皆さん、この御旨を必ず私たちが成し遂げるという精神で実践しなければなりません。「すべて成し遂げました!」と言える統一家の貴い息子娘にならなければいけないという思いで実践するようにお願いします。カムサハムニダ。