原理講論和訳研究160
「メシヤの降臨とその再臨の目的」の「第一節十字架による救いの摂理、(三)イエスの十字架の死」において、

「我々はまず、聖書に表された使徒たちの言行を中心として、イエスの十字架の死が必然的なことであったかどうかということについて調べてみることにしよう。使徒たちがイエスの死に対して、共通に感ずるはっきりとした一つの情念がある。それは、彼らがイエスの死を恨めしく思い、悲憤慷慨したということである。彼らは、イエスを十字架につけたユダヤ人たちの無知と不信とに憤慨して、その悪逆無道な行為を呪った(使徒七・51~53)。そればかりでなく、今日に至るまでのすべてのキリスト教信徒たちも、また当時の使徒たちと同じ心情をもちつづけてきたのである。もしも、イエスの死が神の予定からきた必然的な結果であったならば、使徒たちが、彼の死を悲しむということは避けられない人情であるとはいえ、神の予定どおりに運ばれたその摂理の結果に対して、それほどまでに憤慨したり、恨んだりすることはないはずである。これを見てもイエスは穏当でない死を遂げられたことが推測できるのである。
 そのつぎに、我々は神の摂理から見て、イエスの十字架の死が、果たして神の予定から起こった必然的な結果であったかどうかについて調べてみることにしよう。神は、アブラハムの子孫からイスラエル選民を召し、彼らを保護育成され、ときには彼らを苦難と試練を通して導かれた。また、多くの預言者たちを彼らに遣わして慰めながら、将来、メシヤを送ることを固く約束されたのである。それから、彼らをして幕屋と神殿を建てさせることによって、メシヤを迎える準備をさせ、東方の博士、羊飼い、シメオン、アンナ、洗礼ヨハネを遣わして、メシヤの誕生と彼の顕現を広く証された。特に、洗礼ヨハネに対しては、彼が懐胎されるとき、天使が現れて証した事実をユダヤ人たちはみな知っていたし(ルカ一・13)、彼が生まれたときの奇跡は、当時のユダヤ国中を大きく驚かせた(ルカ一・63~66)。」

という訳文があるが、ここに掲載した文の最後に
「当時のユダヤ国中を大きく驚かせた」
とあるが、この箇所のハングル原文は、以下のとおりである。
「당시의 유대 성중(城中)을 크게 놀라게 하였다」
直訳すれば、「国中」ではなく「城中」ではないか。
ここで、「성중」[城中]は「城中、城の中」の意味である。

ただ、ルカ1:63~を読めば、そこに「ユダヤの山里」と出てくる。この「山里」とは「山間の村落。山村」であるので、「ユダヤの山里」は「ユダヤ地方の山間の村落」ということであろうか。

とにかく、ルカ1:63~の聖句を根拠として「当時のユダヤ国中を大きく驚かせた」と訳すのは疑問が残る。
統一教会員の合同ニュースブログより転載

2013年7月14日 | Filed underトピックス,ニュース,統一教会,統一運動 | Posted by Eiji Harikawa

天一国憲法制定のための公聴会  

陽暦7月10日   
天一国法制委員会の主催で開かれた “天一国憲法制定のための公聴会”が天一国元年天暦6月3日(陽7.10)世界平和統一家庭連合8階の大講堂で長老と祝福家庭会別代表200人が参加する中行われた。

キム・ジンチュン事務総長の司会で進行された今回の公聴会は        
• 開会宣言
• 敬拝
• ソン・グンシク会長の報告祈祷
• 金孝律共同運営委員長の天一国の法制委員会経過報告と、天一国憲法制定の意義
• 梁昌植共同運営委員長の天一国憲法案の報告と質疑応答
• 閉会
の順に午前10時から12時まで約2時間進行された。

ソン・グンシク会長の報告祈祷の後、金孝律共同委員長が天一国の法制委員会経過報告と、天一国憲法制定の意義について説明した。

金委員長は”聖和式終了後、基元節が来て天一国元年が宣言された。今、実質的に、天一国という国家が現実に近づいた。天一国のアイデンティティを確立して、位相を正しく立てるために真の父母様の指示に従って、天一国の法制委員会では、天一国憲法を制定中である”と伝えた。

続いて金委員長は、”天一国憲法が確定段階ではないので、この公聴会という場を設けた。真のお父様の御言葉と天聖経の内容に基づいて作成されるべき天法であるため、意見を集約し、反映して憲法全文を完成さなければならない”とし、”絶対に焦らず、多くの時間の投入と諮問と研究を通じて完成することを心掛けること “を表明した。また、 “憲法という言葉は、権力の象徴、権限や地位ではなく、私たちの生活を真の愛と心情に根ざしてしっかりと保護してくれる規範”と伝えて、既存の政府の憲法や他宗教憲法との相違について言及した。

天一国憲法案を見てから、梁昌植共同運営委員長は”前職協会長を中心に天正宮で1次公聴会で良い意見が出された。今回の天一国憲法公聴会の参加者は36家庭~124家庭、各家庭会会長会で40~60年の間、ご父母様に仕えた指導者の皆様なので天一国憲法制定に大きな役割を果たすでしょう “と伝えて感謝の意を表した。

続いて両委員長は、祝福家庭会会長会に”統一家は和解と一体の姿でお父様の偉業を継承していくよう指導していただきたい”と要請し、”現場の意見を最大限取り入れ、完璧な供覧(多くの人がともに見る)を可能にする会”になると述べた。

両委員長は、天一国憲法規定を各3章に分けて報告した。天一国法制委員会と家庭会長は、一つ一つの章が終わるごとに憲法制定の参考にするための質疑応答の時間を持って活発な意見交換と議論を行った。

天一国憲法制定の主な案件をはじめ、天一国憲法用語の基準線をどのように決定するか(神学的にあいまいな基準など)について様々な意見陳述が続いた。

一方、天一国憲法は、全11章、13の主題、76の規定で成り立つ憲法の総綱1章では、神様、真の父母様、天一国の用語の概念と定義、第2章では、天一国国民の権利と義務、第3章から第11章までは天一国憲法の運用体系で構成される。


天一国の法制委員会は11日、機関企業長及び役員公聴会をはじめ、12日の元•現職の牧会者公聴会、18日、日本の現職の指導者公聴会、23日大陸会長と国家教会長代表、欧米の学者や専門家の公聴会など6回に渡って、国内外統一家全指導者の意見を取り入れて、食口達に供覧を行う予定である。

天一国憲法制定のための公聴会(第4回)
世界平和統一家庭連合が主催し天一国の法制委員会が主催する “天一国憲法制定のための公聴会”が天一国元年天暦6月5日(陽7.12)、鮮文大学校園和館アートホールで約300人の全国牧会者と公職者が参加した中で開催された。

今回の公聴会は、元教会長が参加した1次(陽7.8天正宮)、元老と祝福家庭会別代表が参加した2次(陽7.10連合本部)、機関企業長と役員が参加した3次(陽7.11協会本部)に続いて行われた4回公聴会で、全国牧会者や公職者が参加した中で天一国憲法の制定の背景と経過を報告し、共有するための時間に用意された。

天一国の法制委員会キム・ジンチュン事務総長の司会で開かれた第4回公聴会は開会宣言、敬拝、イ・ギュサム忠南教区長の報告祈祷、金孝律共同運営委員長の天一国の法制委員会経過報告と天一国憲法制定の意義の説明、梁昌植共同運営委員長の天一国憲法の報告、質疑応答、閉会の順に進行された。

天一国の法制委員会経過報告と天一国憲法制定の意義について説明し金孝律共同運営委員長は、”天一国憲法が確定段階ではないので、この公聴会という場を用意した”と紹介した。金孝律共同運営委員長は、”真のお父様の御言葉と天聖経の内容に基づいて作成されるべき天法であるため、意見を収斂し、反映して憲法前文を完成さなければならない”とし、”焦らず多くの時間を投入し、諮問と研究で完成するだろう “と強調した。

梁昌植共同運営委員長は天一国憲法案見てから公聴会について全体的な進捗状況と天一国憲法の各条項を導入しました。天一国の法制委員会と全国牧会者は、各章の紹介が終わるごとに憲法制定の参考にするための質疑応答の時間を持ったし、これにより、活発な意見交換と議論を行った。

天一国憲法は、全11長、13の主題、76の規定に成り立つ憲法の総綱1章では、神様、真の父母様、天一国の用語の概念と定義、第2章では、天一国国民の権利と義務、第3章から11章までは天一国憲法の運用体系で構成される。(天一国法制委員会公式E-mail:cigconstitution@gmail.com)

韓国平和統一連合HPより
訳harikawa

統一教会員の合同ニュースブログより転載

真のお父様の特別な能力 『キリストのボディーガード』より
2013年7月13日 | Filed underコラム,トピックス,真の家庭 | Posted by Eiji Harikawa

真のお父様の特別な能力

1970年代の初め、伝道する時いつも、私はアーサー・フォードの著書『知られざる世界』(原題Unkown but Known)から引用して語ったものだ。
アーサー・フォードはフィラデルフィアに住む霊能者で、トランス状態になった彼に霊が下って彼を通して語るのだ。お父様がアメリカに来られた時、朴普熙(パク・ポーヒ)補佐官とアーサー・フォードに会いに行かれた事があった。
『知られざる世界』には実は”文鮮明”という一つの章があった。ところが残念なことに1973-1974年版以降の版からは削除されてしまった、それは統一教会へのアメリカ・マスコミによる攻撃と迫害が強くなったからだ。だが1973-1974年版の『知られざる世界』には掲載されていたのである。
朴補佐官がこのアーサー・フォードとの出会いの様子を話してくれた事があった。フォードはトランス状態(入神状態)になり雰囲気がガラッと変わってしまったという。声まで変わるのだ。アーサー・フォードの体の中に全くの別人がいて話をしているのだ。霊は自分のことを『フレッチャー』と名乗った。『フレッチャー』は霊界について様々な話をし、朴補佐官の霊的背景まで語り出し、韓国の将軍が彼について働いていると証した。そしてイエスと文鮮明師について語り出したという。続けてメシアについて、またメシアの能力について懇々と話をしたそうだ。その中の一つにメシアは自らの霊を投射、投影する事が出来るということがあった。これについてお父様とのかかわりについて、私の実体験を話したいと思う。
イーストガーデンに移った頃は大変に忙しく、困難な時期だった。睡眠時間もあまりとれなかった。また私の個人的な弱点なのだが午前3時から3時半に猛烈な睡魔に襲われる体質があった。
ある疲れ果てた日にイーストガーデンの夜中の警備についていた時、その日は特に動きのない日だったのでつい座り込んでうとうとしてしまった。
そして起きているでもなく、眠っているのでもない状態の時、誰かが私の前に立っているのが見えた。よく見ると真のお父様だった。
私の前で腕を組んで立っておられるのだ。そして右手の親指と人差し指で私のこめかみの髪の毛をかなりの力でひねり上げるのだ。私はその痛さで思わず飛び起き、眠気も吹っ飛んで、まるでバネのように立ち上がった。もちろん実際のお父様がいたわけではない。まだこめかみに痛みを感じながら私はそこに立ち続けた。睡魔は立ち去った。わたしはそれがお父様の霊であることを直感した。
『知られざる世界』の”文鮮明”の章で「メシアは自分の霊を寝ている時ばかりではなく、起きている時も投影(飛ばす)することができ、どんなに離れた場所へも行く事が出来る」とあったのだが、「お父様は私が眠りそうになった事を御存じだったに違いない」と私はその時思った。だからその後、お父様にお会いした時に叱られると思っていたが、幸いお叱りは無かった。
統一原理ではメシアは真の父母にならなければならないと書かれているが、それに関して真のお母様についての証をしたいと思う。
ある時、ご父母様が出かけられるので車を回さなければならない時があった。その時は小型車を使われるという事で警備のメンバーが全員出動することはなかった。お父様がわたしに「戻っていなさい」と言われたので、わたしはイースト・ガーデンに戻って床の上で足を組んでお気に入りの本、カーリ・ギブランの『預言者』を読んでいた。
そのとき、また睡魔が襲ってきた。まさに眠りに落ちそうになった瞬間、お母様の霊が私に近づいてくるのを見てただちに目が覚めた。なぜならこのような姿をお母様に見られるのがとても気まずかったからだ。そして次の朝、お母様が私に向かってこう声をかけられた『ゲルハルト、いい夢を見ましたか?』
私は答えて言った『お母様、あれは夢ではありません。あれは幻です。』
明らかにお母様はご自分の霊を投影されておられたのだ。この時お母様はお父様と同じ能力を持っておられる事が私にはわかった。

ゲルハルト・ペーメラー著 『キリストのボディガード』より
訳Harikawa

原理講論和訳研究159
「メシヤの降臨とその再臨の目的」の「第一節 十字架による救いの摂理、(二)十字架の贖罪により救いの摂理は完成されただろうか」において、

「イエス・キリストの十字架の贖罪により、果たして、復帰摂理の目的が完成され、すべての信徒たちが創造本性を復帰し、地上天国を成就できるようになったであろうか。人類歴史以来、いかに誠実な信仰の篤い信徒であっても、神の心情を体恤して、神性をもつようになり、神と一体化し、神と不可分の生活をした人は一人もいない。従って、贖罪が必要でなく、祈祷や信仰生活をしなくてもよいような信徒は一人もいないのである。事実、パウロのような立派な信仰者であっても、涙に満ちた祈祷と信仰生活をしなければならなかった(ロマ七・18~25)。そればかりでなく、いくら信仰の篤い父母であっても、救い主の贖罪を受けずには、天国へ行ける原罪のない子女を生むことはできないということから推察してみても、我々は、その父母が依然として、その子女に原罪を遺伝させているという事実を知ることができるのである。
 それでは、キリスト教信徒たちの、このような信仰生活の実相は、我々に何を教示しているのであろうか。それは、十字架による贖罪が、我々の原罪を完全に清算することができず、従って、人間の創造本性を完全に復帰することができないという事実を、端的に物語っているのである。イエスは、このような十字架の贖罪では、メシヤとして降臨された目的を完全に成就することができないことを知っておられたので、再臨なさることを約束されたのである。イエスは地上天国を復帰せしめるみ旨に対する神の予定が、絶対的であって、変更できないことを知っておられたから、彼は再臨して、そのみ旨を完成させようとなさったのである。それでは、十字架の犠牲は全く無為に帰したのであろうか。決してそうではない(ヨハネ三・16)。」

という訳文がある。この最後の文章の中の「無為に帰したのであろうか」について考える。
この部分のハングル原文は「무위(無爲)로 돌아간 것인가?」である。
韓日辞書を引けば、
「무위」[無爲]:「無為、何もしないでいること;無駄」
とある。「無為」と「無駄」の2つの意味があるということ。
ここで、今度は国語辞典を引くと、
無為」:「何もしないでぶらぶらしていること。また、そのさま」
無駄」;「役に立たないこと。それをしただけのかいがないこと。また、そのさま。無益」
とあるので、ここでは「無駄」の意味であろう。
ところが、日本語では「無為に帰する」とは言わないらしい。
国語辞典を見ると、
「無になる」:「何もならなくなる。むだになる。「今までの苦労が―・る」」
「無に帰する」:「もとの何もない状態にもどる。また、むだになる。「計画そのものが―・する」「長年の努力が―・する」」
とあるので、ここでは「無になった>のであろうか」と訳すのではなく、
無に帰したのであろうか」とか「無になったのであろうか」と訳すべきであろう。
統一教会員の合同ニュースブログより

韓国家庭連合公式サイトに掲載されていた「天聖経増補版 正しい理解と摂理的価値」の日本語字幕です。
金栄輝会長が「天聖経増補版の正しい理解と摂理的価値」について説明されている内容です。

(以下が日本語字幕です。それを書きだしたものです)

今度の問題は3つの側面から考えることができます。

第一番目が何かと言えば、お父様の遺言書と言われる八大教材を何ゆえに減らして、このようにするかということです。
ところで、八大教材の意味が何であるのかということをまず知らなければなりません。八大教材というのは8冊の本を言うのではないのです。人々が普通考える時、「八大教材」と言えば、8冊の本だと考えるでしょう。
それではそうではないと言う理由が何なのか?
第一にお父様の「み言選集」は600冊以上になっています。それだけですでに(8冊には)ならないのです。
二番目に、「家庭盟誓」は本ではありません。「家庭盟誓」は天聖経の前にも書かれているし、重要な本ごとに前に入っていませんか?家庭盟誓の解説は平和神経の中にあります。平和神経の中に家庭盟誓が合わせられているのです。これがお父様が考えた方法だということですね。
「天国を開く門 真の家庭」「平和の主人 血統の主人」も、やや小さな本です。これは経典になることができません。もしこれを効果的にしようと考えれば、外部に出す時に平和神経に合わせて1冊として作っても恥ずかしくない本であると言えるのです。
それらの本が重要ではないということではないのです。私たちが外部の人に出す時そうだというのです。
お父様が家庭盟誓を平和神経に合したことと共に、私たちも天聖経の中に家庭盟誓の内容を入れており、お父様の講演集である平和経にも更にプラスして入れたというのです。
平和経の中に「天国を開く門 真の家庭」が入っていて、「平和の主人 血統の主人」が入っています。
そうですから(八大教材の中に)一つも抜いたものがありません。
それを更に簡便にもっと見やすく携帯しやすくすべて合わせて入れたのです。経典を経典らしく作ったというのです。
見てください。8冊の中でみ言選集はそのままあります。世界経典もそのままあり、原理講論もそのままあります。5冊が問題ではありませんか?その中に家庭盟誓は平和神経に入っているので、それは引いて4冊が問題になります。「天国を開く門 真の家庭」「平和の主人 血統の主人」、合わせてしまえばすべて入っているのです。
天聖経と平和経2冊の中に5冊(「天聖経」「平和神経」「家庭盟誓」「天国を開く門 真の家庭」「平和の主人 血統の主人」)がすべて入っているのです。

お父様ではなくお母様がされたので、今いろいろ言っているのです。
それではお父様とお母様がどのような価値的な差があるのかというのです。
そのような人々は、お父様はとても高い位置にあり、お母様は何でもないもののように見ています。
これが問題の発端です。そこに問題があるのです。
八大教材を冊数でだけ考える観点、お父様の位相とお母様の位相を違うように見る観点から出てきたことなのです。
それでは、お父様の価値が何なのかということです。
お父様のみ言を見てください。お父様が個人的に語られたみ言は一つもありません。すべて真の父母という名前を掲げて語られました。すべてのみ言は真の父母の立場で語られたということです。
祈祷も真の父母の名前でされました。
何のことかと言えば、お父様一人で語られたのではなく、お父様はいつもお父様とお母様が一つになった真の父母を代表して語られたのです
お父様はお父様とお母様が一つになった真の父母を代表して語ることができて、
お母様はお父様とお母様が一つになった真の父母を代表して語ることができないのか?
その人たちが言うことは、お父様はそのようにでき、お母様はそのようにならないということなのでしょうか?
お父様が1960年に聖婚式をされましたが、その前のお父様の価値はどうだったと考えますか?
お父様は個人的蕩減しかされたことがないのです。個人的蕩減をされたのです。
40歳まで何をしたかと言えば、個人的立場でサタンを屈服させた勝利をしたのです。
イエス様とまったく同じです。
ところで新婦であるお母様を探して聖婚式をすることによって、その時から真の父母の名前を持つようになられて、聖酒式もするようになり、祝福結婚式もするようになりました。
その時から新い摂理が始まったのです。
お母様とお父様のお二人が一つにならなければ、血統転換もできないのであり、私たちを祝福させて結婚させることができないし、祝福家庭を作ることができないのです。
お父様がその次の摂理ができたのは、お母様を捜してお母様と一つになったからです。
お母様の価値とお父様の価値がプラスになって、真の父母となり、次の摂理をするようになったということです。
ですから、お父様がいくら偉いと言っても、お母様がいなければお父様の価値はないというのです。

お父様のみ言の中にもあります。
夫婦は半分にしかならないとそのように語られました。
お父様は半分にしかならないのです。真の父母の半分ですよ。お母様も半分です。
神様が見る時、お母様の価値はお父様の価値とまったく同じだということなのです。
もちろん、お父様は苦労をたくさんしました。イエス様は苦労をたくさんしませんでしたか?
お父様も同じです。サタンを屈服させた個人的な勝利条件を立てることをお父様がされたというのです。
しかし、その後にご聖婚をされることで、お母様と一つになったでしょう。一体になれば相続圏・同位圏・同居圏がすべてあるとそのように語られたのですよ。
お父様とまったく同じ同位圏に入って行くのです。一つです。同じ価値だというのです。
それで先ほど言ったとおり、お父様はいつもお父様とお母様が一つになった真の父母になった立場でみ言も語られ、すべての摂理を進行されたので、お母様もお父様とお母様が一つになった真の父母になった立場で摂理をなさることができるということなのです。その時にはいつもお父様がともにいらっしゃるということです。
だからお父様が何かをなさる時もお母様がいつも一緒に行かれたし、やむを得ない事情の時には一人で行かれましたが、いつも霊的には一緒に行かれたという条件を立ててされたのです。
同じようにお母様がなさる時にもお母様一人でなさったのではなくてお父様も霊的に一つになり、一緒にしているという心を持って、そのような条件でされているというのです。
だからお父様の価値はお母様とまったく同じだということです。

それではお父様とまったく同じ価値を持っているお母様が指示されてなされた、このことが何が間違っているのかというのです。間違った」ことが一つもないのです。
お父様が指示して私たちが「天聖経」を作ったこととまったく同じ立場でお母様がされたことだというのです。
だから誰も批判することができないのです。そして、お父様とお母様に対して私たちは批判する資格がありません。
どこの誰もできないのです。誰が父母様を批判する資格がありますか? 神様にしかありません。神様だけが父母様の名前で出来るのであり、私たちには父母様を批判する資格がないのです。権限もありません。これは完全に越権であり、サタンだというのです。何の権限があって、何の資格があって、お母様がなさることを批判し、お父様がなさることを批判することができるのかということです。これが間違っているのです。

その次には天聖経の内容を見てみましょう。きょうもある人が私に電話をしてきました。
「以前の天聖経はどうだったかと言うと神様編を例にあげれば、重要なのが出てから、次に別の違うものが出て、また、違うのが出たりして、複雑だった。後で見れば混乱する。ところで今回の天聖経の増補版はそういうものがなく、順序どおりよく理論的に展開されている」
と話していました。神様に関するすべてのものが明らかに入っているというのです。そのために
「これは私たち信仰者だけではなく、信仰を持たない人にも役立つ。むしろその人たちがこの本を見れば、お父様の価値も分かるようになり、神様に対しても分かるようになるでしょう」
そのように言うんですよ。
「今まで私たちはお父様の自叙伝を配布したけれども、それと同じように、この天聖経を配らなければいけない。これがこれから伝道をするのに重要な位置を占めるでしょう」
と言いました。それを読んだ人はそのように理解をするのです。
私たちは正当です。私たちが他の人の言葉を入れましたか?すべてお父様のみ言です。
お父様のみ言が600冊以上になるのに、それをすべて入れることができますか?600冊になるみ言をどのようにすべて入れますか?いずれにせよ取捨選択せざるを得ないのです。私たちは私たちが見る観点で取捨選択をしたのです。一番相応しいと言われたことを選んで入れたのです。それが間違っているのかというのです。

皆さんは絶対そのようなことに動揺するまでもないのです。自信を持って行かなければなりません。
誰が何と言うと動揺する人は、初めからしないで下さい。私たちが今、「真の父母経」を作っていますね。これも天聖経にあったのですか? 以前の天聖経にあるものではないでしょう。これも新たにお父様の歴史などすべてのものを合わせて、経典を作っているのではありませんか?
何が間違ったことだというのですか? もっと豊富な内容を持って、もっと多くの資料を持って、作っているのに、これに対して偽作だと言えますか? 偽作という言葉はお父様のみ言を使わないで、他人の言葉を使う時に偽作になるのです。どうして偽作になりますか? お父様のみ言を持って作るのにどうして偽作ですか?
今回、私たちが作るのも私心を持ってすることではありません。今までも私たちが私心なしにしてきましたが、徹底的に私心を離れて、公的な立場ですべてのものをしなければならないと考えています。
それが私たちの長所です。私たちがそのようにすれば恐ろしいことは一つもありません。
神様の前へ行っても、心配することは一つもないのです。

(以上でおわりです)
原理講論和訳研究158
「メシヤの降臨とその再臨の目的」の「第一節 十字架による救いの摂理、(二)十字架の贖罪により救いの摂理は完成されただろうか」において、

「イエス・キリストの十字架の贖罪により、果たして、復帰摂理の目的が完成され、すべての信徒たちが創造本性を復帰し、地上天国を成就できるようになったであろうか。人類歴史以来、いかに誠実な信仰の篤い信徒であっても、神の心情を体恤して、神性をもつようになり、神と一体化し、神と不可分の生活をした人は一人もいない。従って、贖罪が必要でなく、祈祷や信仰生活をしなくてもよいような信徒は一人もいないのである。事実、パウロのような立派な信仰者であっても、涙に満ちた祈祷と信仰生活をしなければならなかった(ロマ七・18~25)。そればかりでなく、いくら信仰の篤い父母であっても、救い主の贖罪を受けずには、天国へ行ける原罪のない子女を生むことはできないということから推察してみても、我々は、その父母が依然として、その子女に原罪を遺伝させているという事実を知ることができるのである。
 それでは、キリスト教信徒たちの、このような信仰生活の実相は、我々に何を教示しているのであろうか。それは、十字架による贖罪が、我々の原罪を完全に清算することができず、従って、人間の創造本性を完全に復帰することができないという事実を、端的に物語っているのである。イエスは、このような十字架の贖罪では、メシヤとして降臨された目的を完全に成就することができないことを知っておられたので、再臨なさることを約束されたのである。イエスは地上天国を復帰せしめるみ旨に対する神の予定が、絶対的であって、変更できないことを知っておられたから、彼は再臨して、そのみ旨を完成させようとなさったのである。」

という訳文があるが、その最後の文について考える。

「イエスは地上天国を復帰せしめるみ旨に対する神の予定が、絶対的であって、変更できないことを知っておられたから、彼は再臨して、そのみ旨を完成させようとなさったのである。」

このハングル原文は、

「예수님은 지상천국을 복귀하시려는 뜻에 대한 하나님의 예정이 절대적이어서 변할 수 없는 것임을 아셨기 때문에, 그는 다시 오셔서 그 뜻을 완성하시려는 것이었다.」

であるから、直訳すれば、

「イエスは地上天国を復帰なさろうとするみ旨に対する神の予定が、絶対的であって、変更できないことを知っておられたから、彼は再び来られて、そのみ旨を完成なさろうとするのであった。」

となると思う。
原理講論和訳研究157
「終末論」の「第四節 終末と現世、(二)第二祝福復帰の現象」において、

「つぎに我々は、国家興亡史がどのように主権復帰の目的に向かって流れてきて、現代を終末へと導いているかについて調べてみることにしよう。闘争や戦争を、単純にある利害関係や理念の衝突から起こる結果であると見るのは、神の根本摂理を知らないところからくる軽薄な考え方である。人類歴史は人間始祖の堕落により、サタンを中心とする悪主権をもって出発し、罪悪の世界を形成してきたのである。しかし、神の創造目的が残っている限り、その歴史の目的も、あくまでサタンを分立して神の善主権を復帰するところになければならない。もし、悪主権の世界に戦争や分裂がないとすれば、その世界はそのまま永続するはずであり、従って、善主権は永遠に復帰できないのである。それゆえに、神は堕落人間に聖賢たちを遣わされ、善を立て、宗教を起こすことによって、より善なる主権をして、より悪なる主権を滅ぼさせながら、漸次、天の側の主権を復帰なさる摂理をしてこられたのである。従って、復帰摂理の目的を成就するためには、闘争と戦争という過程を経なければならない。この問題に関しては、後編においてより詳しく論ずる予定であるが、人類歴史は蕩減復帰の摂理路程を歩いていくので、ある局限された時間圏内においてだけこれを見れば、悪が勝利を勝ち得たときもないことはなかった。しかしそれは結局敗北し、より善なる版図内に吸収されていったのである。それゆえに、戦争による国家の興亡盛衰は、善主権を復帰するための摂理路程から起こる、不可避的な結果であったといわなければならない。ゆえに神は、イスラエル民族を立てカナンの七族を滅ぼされたのであり、また、サウルは神の命令に従わず、アマレク族とそれに属する家畜を全滅させなかったために、厳罰を受けたのである(サムエル上一五・18~23)。神はこのように、直接異民族を滅ぼすようイスラエルに命令されたのみならず、その選民であった北朝イスラエルが、悪の方向に傾いてしまったときには、惜しみなく彼らをアッシリヤに手渡し、滅亡させてしまわれたのである(列王下一七・23)。神がこのようにされたのは、ひたすら悪主権を滅ぼして、善主権を復帰なさろうとしたからであったということを、我々は知らなければならない。ゆえに、同じ天の側における個人的な闘争は、善主権自体を破壊する結果となるがゆえに悪となるのであるが、善主権が悪主権を滅ぼすことは、神の復帰歴史の目的を達成するためであるという理由から、これは善となるのである。こうして、サタン分立のための闘争歴史は、次第に土地と財物とを奪って、天の側の主権へと復帰するに至ったのであり、人間においても個人より家庭、社会、そして国家へと、天の側の基台を広め、今日に至っては、これを世界的に復帰するようになったのである。」

との訳文があるが、ここに掲載した最後の文章について考える。
そこに、「土地と財物とを奪って」とあるが、この部分のハングル原文は、
「땅과 재물을 세계적으로 빼앗아」(土地と財物を世界的に奪って)
となっている。
統一教会員の合同ニュースブログより転載

2013年7月10日 | Filed underトピックス,真の家庭,統一運動 | Posted by Eiji Harikawa

真のお母様ハワイコナスケジュール21日目


7月4日アメリカ独立237周年を記念する行事が米国で行われた。天一国元年天暦5月26日(陽7.4)真のお母様は独立記念日を迎え、お孫様の方々に真の父母様米国の摂理路程を教育された。夕方には、船に乗ってコナ沖に出進み、アメリカ独立記念行事である花火を20分間観覧されました。

真のお母様は毎日のように2世の将来と統一家の未来を考えておられ、み言葉を通して指導してこられました。また、米国の2世指導者を朝食会に招かれて、天の摂理と2世の責任を徹底的に教育して励まされた。これまで空席だった米国CARPの組織を新たにし、青年の復活を経由して米国を生かすことができると強調されました。続いてCARP活動の再建のために総力を尽くしてくれるよう指示され、真のお母様は2世責任者を探してCARPと青年連合を担当して復興させるよう督励されました。

天一国元年天暦5月27日(陽7.5)真のお母様のみ言葉
7月5日朝食のミーティング – 2世の3名の代表者との崔妍娥(チェ・ヨナ)様、善進様御夫婦参加

「真の父母様に会うことが私たちの人生の目的であり、祝福以上のことです。
この間、平和大使、女性連合の代表指導者を天正宮に招待して彼らに原理と真の父母様を知らなければ人生の価値と希望がないと言いました。
天の父母様は寂しくかわいそうな方だと説明すると、初めて参加した人々が、特に大きな感動を受けていました。
原理のみ言葉でも、真の父母様であられるメシヤに会うことが私たちの願いとしており、私たちもそのような信仰路程を歩いてきました。 1世2世たちが真の父母様に感謝する生活をしてきたのか?私たちの路程に不満があってはいけません。
現在の2世の現実が1世と同様に、信仰の最も基本となる、すべてのことに感謝する心に欠けていることがとても心配です。
聖書の原理で説明したように正当的信仰は天の前に、まず感謝するのが規準です。しかし、私たちも知らない間に自己中心的な信仰生活をしてきたのです。
天が4千年の間、多くの試練によってイスラエルの民を教育してメシヤを送り、天の父母様が臨在することができる国を形成するための基盤を築いたが、実際にメシアに出会った彼らは責任を果たすことができませんでした。蕩減は物凄く辛いのです。
私たちは責任を尽くして子孫たちが蕩減を受けないようにする必要があります。私たちは、天の父母様の悲しい歴史を肌で感じなければなりません。多くの預言者が来ましたが、唯一、真の父母様のみが天の悲しい心情を明らかにされました。天の父母様解放という言葉もこのような歴史の摂理を知ることで我々は理解できるのです。
基元節は、天一国の始まりです。韓国が天の父母様の祖国だから、すべての国と民族は、実質的に天の父母様の祖国となるように韓国に来て、積極的に協力しなければなりません。
現在、米国の立場はどうですか?他人を助ける立場なのかそれとも支援を受ける立場なのか?どのようにすれば摂理を勝利に導くことができるのですか。 2世の立場はどうですか?
真のお父様はメシヤで終わるお方ではなく勝利した真の父母様としておられるのです。すべての人々や機関は、真の父母様を証ししなければなりません。これが真の家庭理想を完成する近道であり、貴重な祝福です。生前に真の父母様を証ししなければなりません。
天聖経、平和経、真の父母経によってお母様は新しい歴史の章を開きました。いい加減なやりかたは今では通じません。 Umbrella(傘)の組織というふうに考えてはいけません。確実に証明しなさい。侍って生きながらも、知らなかったという事実は、とんでもない結果をもたらします。
1世と2世の間に心情的なギャップがあるのは、環境造成を完了していない親の責任が大きいのです。
真の子女たちを含む私たちは、未完成ですが、これから真の母が直接担当します。しかし、天はまずアベルを愛する前に、カインの世界を最初に愛する摂理があるので、真のお父様は真の子女たちを先輩家庭に任せてずっと天の摂理のために先頭に立って歩まれました。このような面から見ると、真の子女は、皆さんよりも可哀そうな立場で育ったのです。 2世は父母と一緒に育ったが真の子女たちは、常に後回しでした。環境創造をできなかったのです。祝福家庭たちが真の子女たちを保護し、教育しなければならなりません。真の父母は真の子女たちをカインを愛するようには愛せなかったのです。真の子女に3年協助して待っていました。
真の母が天と真の父母様の伝統を確実に原理原則として立てていくのです。天と真のお父様が語られたように、真の母も真の子女よりも2世をより愛したいのです。カインの子供を立てアベル子女たちを教育していくということです。
原理を知っているといいながら皮肉なことに、我々は原理を正しく知らずに現在まで来ました。蕩減復帰摂理歴史を私たちはどのように理解するのですか。天の復帰摂理歴史は、第1イスラエルのユダヤ教を立てて、第2イスラエル、キリスト教を立てましたが再臨主に出会ってすべての基盤を引き渡して侍っていたならば、今日どのような基盤が完成しただろうか深く考えて見て下さい。
基元節を準備するために、天はずいぶんと前から準備してこられました。責任を果たさなかった中心人物は、天は再び用いられませんでした。 2世を助けて私たちすべてが勝利しなければなりません。あらゆる面で協力しなければならなりません。
第1、第2、イスラエルは、第3イスラエルの韓国に協力して必ず復帰するようにするのです。韓国に真の父母様の王権を見つけて奉献する目的がVision2020です。
摂理的1世、2世達は、総進軍して天の父母様の祖国を探して捧げなければならなりません。韓、米、日の摂理3国は、この時点で死生決断、全力投球し、実践躬行で変わらなければなりません。 3年以内に何かを示さなければなりません。それでこそ希望があるのです。
真の母は何も文句を付けることなく、真の子女たちに3年間従いました。権進は、ラスベガスを中心に、お父様が最後に土台を築いたところで、最後の実を結ぶために、私の代理として教育の責任者として召命受けて活動しています。底から原理とみ言葉での伝道から始めて、真の父母様の息子として努力しています。父母様が190カ国を訪問することができないので、すべての世界の人々が集まることができる要件を備えたラスベガスを教育することができる中心、センターとお考えになって摂理を進めてこられました。
今まで真の子女たちは、どん底から始める事ができませんでした。この時点であなたたちは大きな責任を負って前進しなければなりません。 1世と2世のギャップは心配する必要はありません。立てられた指導者が環境創造をすれば、すべての憂いは消えることになるのです。
モーセ、アブラハム路程を見ると、中心人物たちがどのように環境創造をしたかを知ることができます。私たちが問題です。責任者が問題です。
米国は、砂漠のようですね。バッタと野蜜を見つけて与える使命を指導者がする必要があります。初期のアメリカの摂理で、真の父母様は、大学の運動を活発に展開しました。この運動を復活させなければなりません。
70億人類を救うべきですが、現在の私たちの力ではできないから大学の運動を中心に人材を見つけて参加させることにしなければならないのではないですか。アメリカの大学は世界の優秀な人材が集まって学んでいます。なぜこのような環境を活用できないのですか。大学の活動を復活させることが私たちの重要な使命なので、それを進めなければなりません。
2世局責任者は、休んでいるすべての2世家庭と2世達を見つけて真の父母様を中心に責任をを果たすように教育して愛さなければなりません。すべてが一緒に行かなければならないでしょう。真の愛で彼らを導きましょう。霊界に行くときに私達皆が同じ天の下で安息するのです。

肉界で真の父母様に侍って生きる時、皆が一緒に人類の大家族になって生きることができます。私たちの血統は、野生の種ではなく、真の愛を中心とした摂理の貴重な子女たちなので、皆を集めて一緒に行くようにすることが私たちの使命です。献金や教会の奉仕活動を通じて、蕩減条件を立てて皆、一緒に行きましょう。真の父母様の祝福で生まれた私たちは、すべて脱落しないで共に行きましょう。真の愛を中心とした教育が重要なのです。
1年に1回、環太平洋摂理の中心であり、地理的な条件を備えたハワイのコナで未来の教会の指導者になろうとする高校生、中学生、小学生を韓国、日本、アメリカで各10人、世界各国から10人を選抜して2~3週間、真の子女たちと、孫と一緒に修練をします。天一国の民として誇ることができる私たちになりましょう。父母の心情で、ために生きる心情で食口に接するべきです。 40年、真の父母様の摂理歴史の中心であった米国が代を引き継いで摂理の中心になるようにしましょう。」

公式訳ではありません

どうすれば韓国語を学ぶことができるでしょうと尋ねる2世に、お母様は韓国の歌を繰り返して歌えば役に立つでしょう、とおっしゃられて、朝食会を終えられた。

天暦5月28日(陽7.6)午前真のお母様は朝早く孫の方々をはじめとする米国の指導者たちと一緒にクイーンガーデンを散策されました。すべての植物を見回して観察して貴重な生命の教訓を教えて下さいました。
真のお母様は真のお孫様の方々にバルコニーに座りになって、ヨシュアとカレブの話をされました。 『12部族の代表のうち10部族の代表が不信の報告をし唯一、2部族の代表であるヨシュアとカレブだけが肯定的な報告をして天の摂理が進むようにした。一度想像してみなさい。ヨシュアを中心に摂理が進めれたとき、カレブはヨシュアと同様に、部族の代表でしたが惜しげもなくヨシュアに協力して天の摂理を進行させました。』と語られ、美しい兄弟愛を教えて下さいました。
真のお母様は天の前に感謝し、み旨を深く愛する2世が出て、世界の指導者になることが必要だと述べられた。
朝食会では、善進様御夫婦、と崔妍娥(チェ・ヨナ)様、金ギフン大陸会長が同席し、後にウォンジュ補佐官が同席した。真のお母様はお孫様方と2時間の間、21日間の修練の感想を共に話された。

韓国家庭平和統一連合HPより
訳Harikawa

原理講論和訳研究156
「終末論」の「第五節 終末と新しいみ言と我々の姿勢、(一)終末と新しい真理」において、

「堕落人間は宗教により霊と真理をもって(ヨハネ四・23)その心霊と知能とをよみがえらせ、その内的な無知を打開していくのである。さらに、真理においても、内的な無知を打開する宗教による内的真理と、外的な無知を打開する科学による外的真理との二つの面がある。従って知能においても、内的真理によって開発される内的知能と、外的真理によって開発される外的知能との二つの面がある。それゆえに、内的知能は内的真理を探りだして宗教を起こし、外的知能は外的真理を探りだして科学を究明していくのである。神霊は無形世界に関する事実が、霊的五官によって霊人体に霊的に認識されてのち、これが再び肉的五官に共鳴して、生理的に認識されるのであり、一方真理は、有形世界から、直接、人間の生理的な感覚器官を通して認識されるのである。従って認識も、霊肉両面の過程を経てなされる。人間は霊人体と肉身が一つになって初めて、完全な人間になるように創造されているので、霊的過程による神霊と肉的過程による真理とが完全に調和され、心霊と知能とが共に開発されることによって、この二つの過程を経てきた両面の認識が完全に一致する。またこのとき、初めて人間は、神と全被造世界に関する完全な認識をもつようになるのである。このように神は、堕落によって無知に陥った人間を、神霊と真理とにより、心霊と知能とを共に開発せしめ ることによって、創造本然の人間に復帰していく摂理をされるのである。
 人間は神のこのような復帰摂理の時代的な恩恵を受け、その心霊と知能の程度が、歴史の流れに従って漸次高まっていくのであるから、それを開発するための神霊と真理もまた、その程度を高めていかなければならない。それゆえに、神霊と真理とは唯一であり、また永遠不変のものであるけれども、無知の状態から、次第に復帰されていく人間に、それを教えるための範囲、あるいは、それを表現する程度や方法は、時代に従って異ならざるを得ないのである。例を挙げれば、人間がいまだ蒙昧にして、真理を直接受け入れることができなかった旧約前の時代においては、真理の代わりに、供え物をささげるように摂理されたのであり、そして人間の心霊と知能の程度が高まるに従って、モーセの時代には律法を、イエスの時代には福音を下さったのである。その際、イエスは、そのみ言を真理と言わないで、彼自身がすなわち、道であり、真理であり、命であると言われたのであった(ヨハネ一四・6)。その訳は、イエスのみ言はどこまでも真理それ自身を表現する一つの方法であるにすぎず、そのみ言を受ける対象によって、その範囲と程度と方法とを異にせざるを得なかったからである。」

という訳文がある。ここに掲載した文の最後の
「その訳は、イエスのみ言はどこまでも真理それ自身を表現する一つの方法であるにすぎず」
について考える。このハングル原文は、
「왜냐 하면 그의 말씀은 어디까지나 진리 되신 자신을 표현하는 하나의 방법이어서」
であるので、直訳すれば、
「なぜならば、彼のみ言はどこまでも真理であられる自身を表現する一つの方法であって」
となると思う。
原理講論和訳研究155
「終末論」の「第五節 終末と新しいみ言と我々の姿勢、(二)終末に際して我々がとるべき態度」において、

「復帰摂理歴史の流れを見ると、古いものが終わろうとするとき、新しいものが始まるということを、我々は発見することができる。従って、古いものの終わる点が、すなわち新しいものの始まる点ともなるのである。それゆえに、古い歴史の終末期が、すなわち新しい歴史の創始期ということになるのである。そして、このような時期は同じ点から出発して、各々その目的を異にし、世界的な実を結ぶようになった善と悪との二つの主権が、互いに交差する時期となるのである。ゆえにこの時代に処した人間たちは、内的には理念と思想の欠乏によって、不安と恐怖と混沌の中に落ちこむようになり、外的には武器による軋轢と闘争の中で戦慄するようになる。従って、終末においては国と国とが敵対し、民族と民族とが相争い、家族たちが互いに闘いあうであろう(マタイ二四・4~9)と聖書に記録されているとおり、あらゆる悲惨な現象が実際に現れるに違いない。
 終末において、このような惨状が起こるのは、悪主権を清算して善主権を立てようとすれば、どうしても起こらざるを得ない必然的な現象であるからで、神はこのような惨状の中で、新しい時代をつくるために、善主権の中心を必ず立てられるのである。ノア、アブラハム、モーセ、そしてイエスのような人々は、みなそのような新しい時代の中心として立てられた人々であった。それゆえに、このような歴史的な転換期において、神が願うところの新しい歴史の賛同者となるためには、神が立てられた新しい歴史の中心がどこにあるかということを、探しださなければならないのである。
 このような新しい時代の摂理は、古い時代を完全に清算した基台の上で始まるのではなく、古い時代の終末期の環境の中で芽生えて成長するのであるから、その時代に対しては、あくまでも対立的なものとして現れる。従って、この摂理は古い時代の因習に陥っている人々には、なかなか納得ができないのである。新しい時代の摂理を担当してきた聖賢たちが、みなその時代の犠牲者となってしまった理由は、まさしくここにあったのである。その実例として、いまだ旧約時代の終末期であったときに、新約時代の新しい摂理の中心として来られたイエスは、旧約律法主義者たちにとっては、理解することのできない異端者の姿をもって現れたので、ついにユダヤ人たちの排斥を受けて殺害されてしまったのである。イエスが、「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである」(ルカ五・38)と言われた理由もまたここにあったのである。
 今や、イエスが再び新約時代の終末期において、新しい天と新しい地のために、新しい摂理の中心として来られ、新しい時代の建設のために(黙二一・1~7)新しい真理を下さるであろう。」

という訳文がある。ここに掲載した最後の文章の
新しい天と新しい地のために、新しい摂理の中心として来られ」
という訳文を考える。ハングル原文は
새 하늘과 새 땅을 위한 새로운 섭리의 중심으로 오셔서」
だから、直訳すれば、
新しい天と新しい地のための新しい摂理の中心として来られ」
になると思う。