原理講論和訳研究158
「メシヤの降臨とその再臨の目的」の「第一節 十字架による救いの摂理、(二)十字架の贖罪により救いの摂理は完成されただろうか」において、

「イエス・キリストの十字架の贖罪により、果たして、復帰摂理の目的が完成され、すべての信徒たちが創造本性を復帰し、地上天国を成就できるようになったであろうか。人類歴史以来、いかに誠実な信仰の篤い信徒であっても、神の心情を体恤して、神性をもつようになり、神と一体化し、神と不可分の生活をした人は一人もいない。従って、贖罪が必要でなく、祈祷や信仰生活をしなくてもよいような信徒は一人もいないのである。事実、パウロのような立派な信仰者であっても、涙に満ちた祈祷と信仰生活をしなければならなかった(ロマ七・18~25)。そればかりでなく、いくら信仰の篤い父母であっても、救い主の贖罪を受けずには、天国へ行ける原罪のない子女を生むことはできないということから推察してみても、我々は、その父母が依然として、その子女に原罪を遺伝させているという事実を知ることができるのである。
 それでは、キリスト教信徒たちの、このような信仰生活の実相は、我々に何を教示しているのであろうか。それは、十字架による贖罪が、我々の原罪を完全に清算することができず、従って、人間の創造本性を完全に復帰することができないという事実を、端的に物語っているのである。イエスは、このような十字架の贖罪では、メシヤとして降臨された目的を完全に成就することができないことを知っておられたので、再臨なさることを約束されたのである。イエスは地上天国を復帰せしめるみ旨に対する神の予定が、絶対的であって、変更できないことを知っておられたから、彼は再臨して、そのみ旨を完成させようとなさったのである。」

という訳文があるが、その最後の文について考える。

「イエスは地上天国を復帰せしめるみ旨に対する神の予定が、絶対的であって、変更できないことを知っておられたから、彼は再臨して、そのみ旨を完成させようとなさったのである。」

このハングル原文は、

「예수님은 지상천국을 복귀하시려는 뜻에 대한 하나님의 예정이 절대적이어서 변할 수 없는 것임을 아셨기 때문에, 그는 다시 오셔서 그 뜻을 완성하시려는 것이었다.」

であるから、直訳すれば、

「イエスは地上天国を復帰なさろうとするみ旨に対する神の予定が、絶対的であって、変更できないことを知っておられたから、彼は再び来られて、そのみ旨を完成なさろうとするのであった。」

となると思う。