ダービーの魔力 ... | カッツミーの競馬道

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長年続けている競馬全体への考えや想い、予想を届けています。

  私が競馬を始める少し前の騎手の話である。

 

 その騎手の名は、中島啓之。

 

 関東のトップジョッキーで、皐月賞をアズマハンターで、ダービーをコーネルランサーで、菊花賞をコクサイプリンスで勝つなどの三冠ジョッキーで”トウショウ”軍団の主戦として活躍していた。そしてとても実直な人柄で、競馬サークルの内外で”あんちゃん”と親しまれていた。

 

 彼はベテランの領域に入った最後のシーズンとなる1985年も順調に勝ち星を重ねていたが、体調不良を起こし受診したところ肝臓がんの診断を受けた。入院を勧められたが彼は拒否し誰にも話さずに騎乗を続けた。

 

 5月に入り、ダービートライアルのNHK杯をトウショウサミットで勝ち(最後の重賞勝利)、ダービーの前週のオークスではナカミアンゼリカを2着にもってくるなど鬼気迫る騎乗をみせていた。

 

 ダービーの週、病院を受診すると余命3ヶ月の宣告を受ける。もはや一刻の猶予もなかったが、彼はダービーにだけは乗せてくださいと懇願し、医師は渋々了承した。

 中島騎手の奥様は調教師の娘だが、奥様も肝がすわった方で、「私は騎手の女房だよ。いつでも覚悟はできてます。」と叱咤しダービーに送り出した。

 

 今年のダービーの39年前の5月26日、重馬場のなかでダービーが行われた。

 

 NHK杯を勝ったトウショウサミットに騎乗した中島騎手は果敢に逃げたものの、最後の直線手前で力尽き馬群に沈んだ(18着敗退)。

 

 中島騎手はダービーの9日後に入院。そこで初めて競馬サークルは中島騎手が余命いくばくもないことがわかり、大きな激震につつまれた。

 

 治療ももはや絶望的な処置を施す術しかなく、ダービーからわずか16日後の6月11日に肝臓がんで死去。逝年42歳だった。

 

 ダービーが近くなると毎年この話を思い出す。彼はどんな想いで最期のダービーに臨み、どんな想いで最後の直線で馬群に沈んでいったんだろうかと。中島騎手の想いを思うと感情が揺さぶられる。

 

 命と引き換えても、乗ることに拘らせるダービーの魔力が・・・  怖い。