1991年のオークス | カッツミーの競馬道

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 1991年のオークスは、オークス史上最大のリベンジレースとして知られていることだが、改めて記してみようと思う。

 

 主役は松永幹夫現調教師騎乗のイソノルーブルである。

 

 旧3歳時をラジオたんぱ杯3歳Sを含む3戦3勝で終えたイソノルーブルは明け4歳になってもエルフィンS、報知杯4歳牝馬特別(現フィリーズレビュー)と連勝し5戦5勝で桜花賞を1番人気で臨んだ。

 

 この年の桜花賞は関西牝馬5強の争いとみられていて、2番人気にデイリー杯3歳SとペガサスSと重賞2勝を含む3連勝中のノーザンドライバー、3番人気に札幌3歳S,クイーンCの勝ち馬スカーレットブーケ(ダイワメジャー、ダイワスカーレットのお母さん)、4番人気にチューリップ賞(当時はオープン特別)まで3戦3勝のシスタートウショウ、5番人気に函館3歳Sとシンザン記念の勝ち馬ミルフォードスルーとハイレベルだった。

 

 事件は発走10分前に起きた。イソノルーブルの右前脚の落鉄が判明。蹄鉄を打ち直そうと試みたが、イソノルーブルは頑なに拒否し拒み、止むを得ず落鉄したままで走ることとなった。結果直線伸びず5着敗退となった。

 

 管理する清水久雄調教師は、「次の日幹夫は厩舎に来て泣いとった。この借りはオークスで返さんとあかんなあ」とコメントした。

 

 しかしながら次走のオークスでは試練が待っていた。この年のオークスはフルゲート20頭で行われることとなっていたが、よりによって大外枠の20番枠を引いてしまった。当時は今より多頭数のためオークス、ダービーの外枠は不利とされていた。逃げ馬という脚質も加わり4番人気まで評価を落としていた。

 

 レースは大外枠からハナに立ちイソノルーブルが逃げた。一方の桜花賞馬シスタートウショウはスタートで出負けし、最後方からレースを進めた。上手くスローペースに落としたイソノルーブルは直線で持ち前の粘り腰をみせた。「イソノルーブル粘るぞ、粘るぞ」の実況とともにゴール前、1番人気のシスタートウショウが猛然と追い込んできた。両馬は鼻ずらを並べてゴールした。写真判定の結果、ハナだけイソノルーブルが先着し見事桜花賞のリベンジを果たした。

 

 桜花賞で靴をなくした”シンデレラ”イソノルーブルがオークスで戴冠するという、これがオークスの歴史上名高いイソノルーブルのシンデレラサクセスストーリーである。

 

 あれから30年以上の時が過ぎているが、これが初G1制覇となる松永幹夫現調教師の笑顔と厩舎の執念、イソノルーブルの誇らしい姿とともに、今でも思い出されオークスの名場面として語り継がれている。