かっとびペンギンのお散歩

かっとびペンギンのお散歩

現在フリーランスですが、以前はロンドン市内の内視鏡センター(NHS、プライヴェート等)で、シニアシスターナース、SSPとして勤務していました。美味しいもの大好きなかっとびペンギンの、ちょっとした日々の気づきや感動、面白情報をつらつらと綴って発信していきますね!

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3月に日本から英国に戻ってくる飛行機の旅で、改めて悟ったこと。それが「起こる物事には、理由がある」ということ。


この数年、戻りの飛行機は変更されることがしょっちゅうで、出発2日前のメールでいまさら驚きもしなかった乗り継ぎ飛行機の時間変更から始まり、その日のうちにあれよあれよという間に2度ほど変更のメッセージが相次ぎ、これはまぁ関空から飛んでくれたら何も文句はないと思っていたら、出発当日の夜中寝る前に、運行会社の変更… またかよ、となかばうんざりして、すでにオンラインチェックインの手続きをした元の会社のリンクから、新しい会社のチェックイン手続きに進み、今年は追加荷物のメッセージがきちんと引き継がれ、預け入れ荷物2個で反映していて、取り敢えずベッドに入って目を閉じることができた。

去年は、このパターンで新会社に荷物の情報が引き継がれるとカスタマーセンターの日本事務所はコンファームしたくせに、引き継がれずに、空港でバカ高い追加費を払う羽目になった。もちろん、帰宅後に元の会社に返金を求めたが、わたしが空港で払った2/3くらいしか戻ってこなかった。申し込んだのは、チケットを取った時だから、その金額きっちりだ。

今回は、去年の二の舞にならないようなので、そこは一安心。しかし証明になるように、チェックインの画面を写メして、何かあったら見せる用に準備した。

当日、空港まで付き合ってくれる予定の友人に時間の変更を連絡し、彼女がどのくらい時間に余裕があるか不明だったので、せめて数時間一緒にいてくれると、荷物を持ってトイレに行けなくなることを避けられるとお願いして、お昼の出発から夜の出発に変更になった事態に備えた。結果彼女は夕方まで付き合ってくれて、その上このあと気づいた忘れ物まで太っ腹に貸しくれにしてくれて、残りの夜のチェックインまでの待ち時間のプレッシャーを大幅に軽減してくれた。


そもそも、「起こる物事には理由がある」と説かれたのは、英国ヒースロー空港の入国管理局のインド系のおっちゃんからだった。

もうかれこれ10数年前くらいになるが、大雪で乗り継ぎ便が飛ばずに、アムスの空港で夜明かししてたどり着いた時であった。

旅はどうだったかね?と尋ねるオフィサーに、もう雪で飛行機飛ばないし、行きの飛行機も霧でキャンセルになったし、もう散々の往復だったよ今回!とぐったりして訴えたわたしに、微笑みながら、ハンコを押してくれて、

「Everything has got the reasons 」

と言ってくれた。

は?と呆然とする。

“Everything will happen for the reasons “とも一般には言われているらしいので、その場の一字一句覚えているわけではなくてなんとなくで解釈していただきたい。

この言葉で、今までイライラカリカリしていた自分がアホらしくなって、そうだよね〜なるほど!と納得…

以降この言葉が、自分のポリシーのコアの一つになった。


と、長いがこれが実は前置きで、今回経験したフライトでの出来事も、まさにこれを体現するものになった。

(トイレ休憩に行きたい方はどうぞ)


いつものごとく、乗って1時間ぐらいで食事のサービスになり、食後トイレに立ったわたしは、その後しばらく席にもどるチャンスはなくなった。というのも、トイレ前で妙齢の日本人女性とおぼしき方が倒れていて、若い白人男性が懸命に彼女の足をあげて貧血の対処をしようとしているが、きっと彼女は英語がわかっておらず、起きあがろうとして寝かされる、という状況に出くわしたのだ。

とっさにしゃがみ込み、「ご気分が悪いんですか?日本人ナースです。」と彼女を安心させて、若いにーちゃんにも英語で自己職業国籍紹介すると、彼もホッとした顔で「倒れたからさ、頭下げた方がいいと思うんだよね」と言ってくれて、そうね、ちょっと通路だから広いところに寝てもらった方がいいよね、なんて言ってると、CAさんたち到着、この間に倒れた方のお年や既往歴、何をお食事で召し上がったか、など聞き出して、CAさんと共有しつつ、機内後方のギャレーの近くの方が、人の通行に妨げなくて横になれるからと、肩を貸してゆっくり彼女と移動、そこで横になったり吐き気とお腹の下す感じがあるとのことでトイレに立ったり、トイレの中でも嘔吐袋の介助などもして、CAさんと共同で介護、そうするうちにドイツ人女性GP(家庭医)登場、2人とCAさんで介護してたら、なんと違う席でも気分悪くて吐いてる日本人が出たと言うことで、医師の彼女はそっちも見始め、また数分後に今度は欧米人が気分悪くて座席4つ使って横になり始め、医師の彼女もわたしも駆り出され、3人の間を見て周り、さらにもう1人具合悪い人が出たとのこと、もう精神科医でも歯科医でもいい、みたいに最初に名乗り出た医師たちがあっちこっちに采配され、もうえらい騒ぎのフライトになった。

実はわたし、トイレに行きたくて席を立ってから、2時間近くその状況で、普段から確かに膀胱は訓練されているけど、流石に辛くなってきたので、最初の日本人女性に付いてたCAさんに、「ちょっとトイレ行ってくるわ、1分!」と持ち場を離れさせてもらい、また彼女の水分補給介助に戻った。

こうした介助が功を奏したか、ぐったり真っ白だった彼女は、随分顔色もよくなり、座れるようになってきたので、ギャレーに近い席を変わってもらって2席で斜めになれる座席に座れるようになった。

やれやれと別の患者さんを見に行くと、まだ横になってる人、トイレにこもってる人いたが、先ほどの女性医師の指導のもとそれぞれ誰かついてくれてるようだったので、CAさんもわたしのお役目解除してくれて、席に戻った。これが席を立ってから大体3時間半後くらい。何か飲み物飲む?ビール飲む?とか聞いてくれるんだけど、(心の声:いや別にビール好きじゃないし… 言わなかったけど、)お水でオッケーよ、と言ってお水のボトルはもらってた。そしたらパーサーらしきドイツ人男性CAさん、「この後のフライト、ビジネスクラスに座るのってどう?」って囁きに来るじゃない。もちろんそれは「ラブリー!」とお受けしたさ。


そそくさと身の回り品をまとめて、頭上の棚の荷物も彼が持ってくれて、人生そうそうないアップグレードの旅をしました。すでに暗くしてあり静か〜に移動してきたのだけど、やっぱり慣れないし見えないし、何をどうすれば快適なのか、とりあえず提供されたもの全て使用して座席をベッド状態にして、横になったけど、アドレナリン爆放出で寝れるなんてもんではない。あっちこっち触って隣の人を起こしちゃいけないけど、どれが画面を消すボタンかもわからず、ごめーん明るいまま寝る〜と寝るフリ…

朝ごはんの時間になり、お隣のお姉さん起きていろいろ話すうちに、あぁよかった、起こしてなくて、とホッとした。なんと彼女は日本で2年間勉強してきた日本贔屓のドイツ人女子で、すでにもう日本に戻りたいという勢いのこのおねーさんに、あっぱれという気分になる。


乗り継ぎの空港で、ドイツからヒースローの便も、なんとビジネスクラスにアップグレードしてくれていた!この後のフライト、と言った言葉通り!「本当は、シャンパンかワインでもおもたせしたいんだけど、キミ乗り継ぎだからこれぐらいしかできなくてごめんね〜」と言ってたCAさんが脳裏をよぎる。この方が断然いいじゃん、まずできない体験だもの。

やるじゃん、ルフトハンザ!

介護してお役に立てただけでなく、こんなにいい体験もさせていただきました。

ヒースローに着いてから、またもうひとつドラマがあったんだけど、それはまたの機会に…


起こる物事には、理由がある。

いろいろありこの会社のこの便に変更になったのにも、理由があったんだ。

ラッキーなわたしは、アンラッキーとのバランスをヒシヒシと感じながらも、夫の待つ到着ロビーへとトロリーをガラガラ押して、英国の空気を胸いっぱいに吸い込みます。

とあるSNSで、「50代に入ると第一線から外れる」、という発言を聞き、実に納得した。その人も「もちろん死ぬまで現役〜第一線の人もおられます。それもいいと思うんですけど、ほとんどの人は、外れていくと思うんですよね。」と言っていた。


わたしがメインストリームから外れたな、と自覚したのは、おそらく40代中盤。

奇しくも夫となる人に出会った頃だった。

当時は仕事の立場上は主任として、自分の本意ではないのに頑張って肩肘張ってキャリアの梯子にしがみついて、上に程よく使われ下から無理難題を持ってきて突き上げられる、しんどい中間管理職の仕事をしていた。なんとかして自分がこの国で生き残らなくては、と、いやいやながら1人で生きていくことの厳しさを、身をもってひしひしと感じていた。

図太くたくましく、孤独と二人三脚で生きていかなくてはいけない表向きの顔と、人を押し除けて前へ出ることをよしとしない、お人好しでみんなの役に立てるなら裏方で充分幸せという、実際の心のうちとの葛藤に日々さいなまれていた。通勤の足取りは重くて、少数のスタッフとの何気ない会話にやりがいのかけらを見つけては、明日への活力にしていた。思えば、出会いのタイミングは、もう自分の本当の気持ちがどこにあるのか、自分でさえわからなくなっているほど麻痺し始めていた頃だった。だからこそ、夫になる彼の言葉が、乾燥して破れかぶれの葉っぱのようなわたしの心に、またたく間に染みていったのかもしれない。「1人で頑張らなくていい、君は充分にすでに周りを援助している。」という、痛みをこらえたような彼の一言が、自分の心のダムから放水が始まった瞬間だったのか。彼はわたしの痛みを、自分ごととして感じてくれていたのかもしれない。

もうひとりで闘わなくてもいいんだ、これからはこの人がそばで励ましてくれるんだ、と安心した一方で、ここがわたしの精一杯の限界点なんだ、と気付いた瞬間でもあった。意外にもわたしは、がっかりしたのかもしれない。自分ではもっと高みを見られるのではないか、と勘違いした時もあった。しかし平凡な、元々野望も野心もない、お人好しのお調子者であるわたしには、これが仕事人生のピークからの幕引きであるのだと、知らしめられた時でもあった。そしてゆっくりと時間をかけて、ホッとした暖かさが実感できるようになり、彼との結婚を受け入れることにした。


50を超えてからは、お肌や体調の急降下を始め、いろいろなことで自分の認識が年相応の考えと一致していないことをことごとく知らされた。いつまでも今までと同じではなく、新たなフェーズに入ったのだから考えも改めなくてはいけないのだ、それは撤退戦で、悔しいが現実なのであるということをまざまざと思わされる日々であった。鬱にならなかったのが、奇跡と呼べるかもしれない。いや鬱の時期は、おそらくその前の数年にすでに来ていたのだろう。穏やかな諦めの日々を、受け入れる訓練をする数年であった。そして前述の言葉を聞く。


第一線から外れる。


ストンと腑に落ちて、ここから現役引退までの大きなターゲットが定まった気がする。

これからも、きっと困惑する事はあり続けるだろうし、胸の詰まる思いもすることが増えていくだろう。想像力だけは、右肩上がりに成長してきた。

人生の終わりを彩るための準備に入っていくのだと、実はワクワクしているのが本音。

ここからが、腕の見せどころなのかもしれない。

もちろんEnding Note (正確にはLiving and Ending Notebook) の準備も、まだ独身だった2014年から記入し始めている。

さぁ、パーティーの締めくくりを始めよう、と言ったところである。

どんな幕引きになるかは、わたしにも神さまにも誰にもわからない。そこはお楽しみ、ということで…

55歳の誕生日を迎え、わたしの周りに奇跡的な巡り合わせが、わいている。

文字通り、わいているという勢いで起こるので、もう出かけないほうが心がバクバクしないで平和になるかもと思うぐらい。


まず最初の奇跡。

夫と乗っていた電車の中で、とある駅から友人夫妻のYさん&Sさんが乗ってきて目の前の席に座った。「え〜なんて偶然!」って4人で大笑いした。

いつもは彼らは電車の前の方に乗るし、わたし達は途中から分岐するもう一方の電車に乗るのに、ともかくこれに乗って分岐点まで行こう、とその電車に乗ったのだ。

この二つがいつもの行動パターンに基づくものなら、会わなかった。


そして次の奇跡。

その2週間後くらいにパリで、ストップオーバーして落ち合った友人Yとおかずクレープを食べ終わって会計を済ませていた頃に、開け放たれた窓の外の道から「まりさん?」と声が聞こえた。

なんとロンドン時代からのパリ在住の友人Cちゃんが、仕事を終えての帰り道だったのだ。確かにこの時期にパリ行くのよとは言っていたけど、今回はお仕事も忙しそうで会う予定にはしていなかった。それでもこの広いパリで、偶然に会えるなんて!わたしが見えにくい席に座っていれば、彼女から見えることはなかった。


そしてその次の奇跡。

このクレープ後の奇跡の後に、実はお気に入りのサングラスを紛失した。場所はおそらくオルセー美術館、Yが階上の展示を見てくると言いわたしは地上階のインフォメーション近くで座って、地図の確認やこの後のお店の見当などをつけていた。彼女が降りてきたので立ち上がって声をかけて一緒にその場を離れたのだが、手元にサングラスがないと気づいたのは、もう地下鉄の乗り場に降りていく途中だった。

失くしたものは自分に起こる悪いことの身代わり、と祖母に言われて育ったわたしは、自分にそう言い聞かせながらも、気に入っていた思い出たくさんのサングラスが失くなったことに、やっぱり心痛を覚えていた。

そして翌月別の友人IちゃんNちゃんとパリを訪れ、自由時間になった時にオルセー美術館へ行き、がっかりしないように美術館をしっかり堪能した後で、落とし物コーナーを訪れて尋ねてみた。日にちも時間も正確に、自分がそのサングラスをつけている写真も見せて説明した。すると電話でどこかへそのことを問い合わせたお姉さんが、ちょっと待っててと別の場所に5-10分ほど離れて戻ってきた。

なんとわたしのサングラスが、帰ってきたのである!

フランスの物品管理を侮っていました!ごめんなさい!そしてありがとう!

お姉さんは、「あなたはとてもラッキーだわ、もう失くしちゃダメよ。」とウインクした。

信じられないけど、本当に戻ってきた。

興奮を心にためていると、次の奇跡が近づいてきていた。


その前日に、前述のCちゃんとこれは前から約束してお茶に行った。先月は偶然凄かったね〜とか喋り、今一緒にパリへ来た友人達の話をして、写真を見せたりしていた。写真を2度見3度見していたCちゃん。そのCちゃんからメッセージが来て、Nちゃんってどこの出身?とのこと。もしかしたら知ってる人かもしれないと言うのだ。

Nちゃんに確認すると、なんと小学校も中学校も同じ名前、クラブ活動までビンゴであった。

これはご本人さんよ、ということで、結局数日後に落ち合うことになり、時を超えたミニ同窓会になった。

こんなことってあるんだね、と胸が熱かった。

生きてて嬉しかったことの上位に入ることの一つになった。


ここまでドミノ効果であるなんて、と最初のご夫妻に話すと、「宝くじを買った方がいい、きっと当たる」とかいうSさん。いや〜もう人生の運は、これで使い切ったような気がするよ、と買ってないが、もしかしてもう一個何かあれば、もう考えるより行動なのかもしれないなぁと思ったりする。