とあるSNSで、「50代に入ると第一線から外れる」、という発言を聞き、実に納得した。その人も「もちろん死ぬまで現役〜第一線の人もおられます。それもいいと思うんですけど、ほとんどの人は、外れていくと思うんですよね。」と言っていた。
わたしがメインストリームから外れたな、と自覚したのは、おそらく40代中盤。
奇しくも夫となる人に出会った頃だった。
当時は仕事の立場上は主任として、自分の本意ではないのに頑張って肩肘張ってキャリアの梯子にしがみついて、上に程よく使われ下から無理難題を持ってきて突き上げられる、しんどい中間管理職の仕事をしていた。なんとかして自分がこの国で生き残らなくては、と、いやいやながら1人で生きていくことの厳しさを、身をもってひしひしと感じていた。
図太くたくましく、孤独と二人三脚で生きていかなくてはいけない表向きの顔と、人を押し除けて前へ出ることをよしとしない、お人好しでみんなの役に立てるなら裏方で充分幸せという、実際の心のうちとの葛藤に日々さいなまれていた。通勤の足取りは重くて、少数のスタッフとの何気ない会話にやりがいのかけらを見つけては、明日への活力にしていた。思えば、出会いのタイミングは、もう自分の本当の気持ちがどこにあるのか、自分でさえわからなくなっているほど麻痺し始めていた頃だった。だからこそ、夫になる彼の言葉が、乾燥して破れかぶれの葉っぱのようなわたしの心に、またたく間に染みていったのかもしれない。「1人で頑張らなくていい、君は充分にすでに周りを援助している。」という、痛みをこらえたような彼の一言が、自分の心のダムから放水が始まった瞬間だったのか。彼はわたしの痛みを、自分ごととして感じてくれていたのかもしれない。
もうひとりで闘わなくてもいいんだ、これからはこの人がそばで励ましてくれるんだ、と安心した一方で、ここがわたしの精一杯の限界点なんだ、と気付いた瞬間でもあった。意外にもわたしは、がっかりしたのかもしれない。自分ではもっと高みを見られるのではないか、と勘違いした時もあった。しかし平凡な、元々野望も野心もない、お人好しのお調子者であるわたしには、これが仕事人生のピークからの幕引きであるのだと、知らしめられた時でもあった。そしてゆっくりと時間をかけて、ホッとした暖かさが実感できるようになり、彼との結婚を受け入れることにした。
50を超えてからは、お肌や体調の急降下を始め、いろいろなことで自分の認識が年相応の考えと一致していないことをことごとく知らされた。いつまでも今までと同じではなく、新たなフェーズに入ったのだから考えも改めなくてはいけないのだ、それは撤退戦で、悔しいが現実なのであるということをまざまざと思わされる日々であった。鬱にならなかったのが、奇跡と呼べるかもしれない。いや鬱の時期は、おそらくその前の数年にすでに来ていたのだろう。穏やかな諦めの日々を、受け入れる訓練をする数年であった。そして前述の言葉を聞く。
第一線から外れる。
ストンと腑に落ちて、ここから現役引退までの大きなターゲットが定まった気がする。
これからも、きっと困惑する事はあり続けるだろうし、胸の詰まる思いもすることが増えていくだろう。想像力だけは、右肩上がりに成長してきた。
人生の終わりを彩るための準備に入っていくのだと、実はワクワクしているのが本音。
ここからが、腕の見せどころなのかもしれない。
もちろんEnding Note (正確にはLiving and Ending Notebook) の準備も、まだ独身だった2014年から記入し始めている。
さぁ、パーティーの締めくくりを始めよう、と言ったところである。
どんな幕引きになるかは、わたしにも神さまにも誰にもわからない。そこはお楽しみ、ということで…