かっとびペンギンのお散歩

かっとびペンギンのお散歩

現在フリーランスですが、以前はロンドン市内の内視鏡センター(NHS、プライヴェート等)で、シニアシスターナース、SSPとして勤務していました。美味しいもの大好きなかっとびペンギンの、ちょっとした日々の気づきや感動、面白情報をつらつらと綴って発信していきますね!

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とあるSNSで、「50代に入ると第一線から外れる」、という発言を聞き、実に納得した。その人も「もちろん死ぬまで現役〜第一線の人もおられます。それもいいと思うんですけど、ほとんどの人は、外れていくと思うんですよね。」と言っていた。


わたしがメインストリームから外れたな、と自覚したのは、おそらく40代中盤。

奇しくも夫となる人に出会った頃だった。

当時は仕事の立場上は主任として、自分の本意ではないのに頑張って肩肘張ってキャリアの梯子にしがみついて、上に程よく使われ下から無理難題を持ってきて突き上げられる、しんどい中間管理職の仕事をしていた。なんとかして自分がこの国で生き残らなくては、と、いやいやながら1人で生きていくことの厳しさを、身をもってひしひしと感じていた。

図太くたくましく、孤独と二人三脚で生きていかなくてはいけない表向きの顔と、人を押し除けて前へ出ることをよしとしない、お人好しでみんなの役に立てるなら裏方で充分幸せという、実際の心のうちとの葛藤に日々さいなまれていた。通勤の足取りは重くて、少数のスタッフとの何気ない会話にやりがいのかけらを見つけては、明日への活力にしていた。思えば、出会いのタイミングは、もう自分の本当の気持ちがどこにあるのか、自分でさえわからなくなっているほど麻痺し始めていた頃だった。だからこそ、夫になる彼の言葉が、乾燥して破れかぶれの葉っぱのようなわたしの心に、またたく間に染みていったのかもしれない。「1人で頑張らなくていい、君は充分にすでに周りを援助している。」という、痛みをこらえたような彼の一言が、自分の心のダムから放水が始まった瞬間だったのか。彼はわたしの痛みを、自分ごととして感じてくれていたのかもしれない。

もうひとりで闘わなくてもいいんだ、これからはこの人がそばで励ましてくれるんだ、と安心した一方で、ここがわたしの精一杯の限界点なんだ、と気付いた瞬間でもあった。意外にもわたしは、がっかりしたのかもしれない。自分ではもっと高みを見られるのではないか、と勘違いした時もあった。しかし平凡な、元々野望も野心もない、お人好しのお調子者であるわたしには、これが仕事人生のピークからの幕引きであるのだと、知らしめられた時でもあった。そしてゆっくりと時間をかけて、ホッとした暖かさが実感できるようになり、彼との結婚を受け入れることにした。


50を超えてからは、お肌や体調の急降下を始め、いろいろなことで自分の認識が年相応の考えと一致していないことをことごとく知らされた。いつまでも今までと同じではなく、新たなフェーズに入ったのだから考えも改めなくてはいけないのだ、それは撤退戦で、悔しいが現実なのであるということをまざまざと思わされる日々であった。鬱にならなかったのが、奇跡と呼べるかもしれない。いや鬱の時期は、おそらくその前の数年にすでに来ていたのだろう。穏やかな諦めの日々を、受け入れる訓練をする数年であった。そして前述の言葉を聞く。


第一線から外れる。


ストンと腑に落ちて、ここから現役引退までの大きなターゲットが定まった気がする。

これからも、きっと困惑する事はあり続けるだろうし、胸の詰まる思いもすることが増えていくだろう。想像力だけは、右肩上がりに成長してきた。

人生の終わりを彩るための準備に入っていくのだと、実はワクワクしているのが本音。

ここからが、腕の見せどころなのかもしれない。

もちろんEnding Note (正確にはLiving and Ending Notebook) の準備も、まだ独身だった2014年から記入し始めている。

さぁ、パーティーの締めくくりを始めよう、と言ったところである。

どんな幕引きになるかは、わたしにも神さまにも誰にもわからない。そこはお楽しみ、ということで…

55歳の誕生日を迎え、わたしの周りに奇跡的な巡り合わせが、わいている。

文字通り、わいているという勢いで起こるので、もう出かけないほうが心がバクバクしないで平和になるかもと思うぐらい。


まず最初の奇跡。

夫と乗っていた電車の中で、とある駅から友人夫妻のYさん&Sさんが乗ってきて目の前の席に座った。「え〜なんて偶然!」って4人で大笑いした。

いつもは彼らは電車の前の方に乗るし、わたし達は途中から分岐するもう一方の電車に乗るのに、ともかくこれに乗って分岐点まで行こう、とその電車に乗ったのだ。

この二つがいつもの行動パターンに基づくものなら、会わなかった。


そして次の奇跡。

その2週間後くらいにパリで、ストップオーバーして落ち合った友人Yとおかずクレープを食べ終わって会計を済ませていた頃に、開け放たれた窓の外の道から「まりさん?」と声が聞こえた。

なんとロンドン時代からのパリ在住の友人Cちゃんが、仕事を終えての帰り道だったのだ。確かにこの時期にパリ行くのよとは言っていたけど、今回はお仕事も忙しそうで会う予定にはしていなかった。それでもこの広いパリで、偶然に会えるなんて!わたしが見えにくい席に座っていれば、彼女から見えることはなかった。


そしてその次の奇跡。

このクレープ後の奇跡の後に、実はお気に入りのサングラスを紛失した。場所はおそらくオルセー美術館、Yが階上の展示を見てくると言いわたしは地上階のインフォメーション近くで座って、地図の確認やこの後のお店の見当などをつけていた。彼女が降りてきたので立ち上がって声をかけて一緒にその場を離れたのだが、手元にサングラスがないと気づいたのは、もう地下鉄の乗り場に降りていく途中だった。

失くしたものは自分に起こる悪いことの身代わり、と祖母に言われて育ったわたしは、自分にそう言い聞かせながらも、気に入っていた思い出たくさんのサングラスが失くなったことに、やっぱり心痛を覚えていた。

そして翌月別の友人IちゃんNちゃんとパリを訪れ、自由時間になった時にオルセー美術館へ行き、がっかりしないように美術館をしっかり堪能した後で、落とし物コーナーを訪れて尋ねてみた。日にちも時間も正確に、自分がそのサングラスをつけている写真も見せて説明した。すると電話でどこかへそのことを問い合わせたお姉さんが、ちょっと待っててと別の場所に5-10分ほど離れて戻ってきた。

なんとわたしのサングラスが、帰ってきたのである!

フランスの物品管理を侮っていました!ごめんなさい!そしてありがとう!

お姉さんは、「あなたはとてもラッキーだわ、もう失くしちゃダメよ。」とウインクした。

信じられないけど、本当に戻ってきた。

興奮を心にためていると、次の奇跡が近づいてきていた。


その前日に、前述のCちゃんとこれは前から約束してお茶に行った。先月は偶然凄かったね〜とか喋り、今一緒にパリへ来た友人達の話をして、写真を見せたりしていた。写真を2度見3度見していたCちゃん。そのCちゃんからメッセージが来て、Nちゃんってどこの出身?とのこと。もしかしたら知ってる人かもしれないと言うのだ。

Nちゃんに確認すると、なんと小学校も中学校も同じ名前、クラブ活動までビンゴであった。

これはご本人さんよ、ということで、結局数日後に落ち合うことになり、時を超えたミニ同窓会になった。

こんなことってあるんだね、と胸が熱かった。

生きてて嬉しかったことの上位に入ることの一つになった。


ここまでドミノ効果であるなんて、と最初のご夫妻に話すと、「宝くじを買った方がいい、きっと当たる」とかいうSさん。いや〜もう人生の運は、これで使い切ったような気がするよ、と買ってないが、もしかしてもう一個何かあれば、もう考えるより行動なのかもしれないなぁと思ったりする。


故エリザベス女王陛下のお葬式が、本日行われます。

女王の「健康状態に懸念」のニュースからこっちは、いろいろなことが変更になったり中止になったり、目まぐるしい変化の英国内です。
お年も96歳だし、当然のことながら、いつかはさよならを言わなくてはならない日が来る、というのはわかっていながらも、認めたくない気持ちが自分の中にはありました。

奇しくも、8日は自分が病院に検査を受けに行く日で、朝早い時間だったのでそんなニュースは知らずに虹を見かけて🌈まぁキレイ✨とふわふわした気分でした。
家に戻ってこの虹をインスタにあげようとしたら、「懸念」のニュースが始まり、ネット上の情報は入り乱れるし、ナースの予感で家族が続々と集まっていると言うのは、おそらくそう言うことではないかなと思いつつも、会いたい家族に会えるまで持ってほしいと願い、その思いを込めてお大事にしてくださいメッセでアップして、直後にはお亡くなりのニュースになってしまいました。

若くして、その両肩に大きな国家を背負い、当時まだまだ男性中心社会だったところへ君主として立たなければいけなくなったリリベット(エリザベス女王の幼少期の愛称)。
もちろんすでに、ロイヤルファミリーに生まれたことで、公務はすることを教育されて来ただろうけど、叔父さんが王位を辞したことで、彼女の父の人生もまた翻弄され、おはちが回ってきたから受けるしかないと言う選択の余地のない人生。まさか兄弟も子供も全員が嫌だって言えないものね。
戴冠した後のその人生は、女王であると同時に働く女性として、母として、と言う側面も社会の変化と一緒に、いやむしろ彼女がロールモデルとなって社会が変わっていったのかもしれない。

今のロイヤルファミリーの印象からは、想像がつかない人もいるかもしれないけれど、アイルランドとの関係やら、不祥事やら離婚のスキャンダルで、信頼が大きく損なわれていた時代もあり、彼女の時代にはメディアとの関係の浮き沈みが大きかったと記憶している。毎年のクリスマスの女王スピーチは、国民が一斉にメッセージを受け取れた日でもあったし、ソーシャルメディアが始まってからは、臆することなくそれらを駆使して、天災や不幸にも亡くなった人たちへの哀悼の意を表したり、孫たちの協力もあり、チャリティーのコメディビデオを作って世間を笑わせると言うお茶目な部分もあったり。
政治には口出しはしなかったものの、首相との会見は綿密に行い、王室だからできる外交や発言をして、国を束ねてきた。スコットランドの独立国民投票の時には、彼女の一言が大きく投票者の心に響いたと、個人的には信じている。
国を体現する、守る、と言うことを、何よりも優先していた女王であったと思う。

70年の最後の仕事に、新首相に握手してくれたこと、ここまで踏ん張ってくれたことに、私は最大の敬意を示したい。

お疲れ様でした。
天国で、フィリップ殿下や先に到着したワンちゃんたちと、ごゆっくりなさってくださいませ。🌈

報道されているように、ウエストミンスターホールの棺へのご挨拶の列は24時間を超えると言う事態になりました。
私は列に並ぶ元気も時間も無かったので、近くまで行って外から拝んでおきました。
心で祈れば、どこでも届きます。😌