ナイジェリア・ポップのおすすめ/ Ayra Starr | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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ロックを中心とした昔話、新しいアフロ・ポップ、クラシックやジャズやアイドルのことなどを書きます。

 毎月ナイジェリア・ポップのお気に入りを10曲ほど紹介している当コーナーですが、今回は5月31日にリリースされたAyra Starrのセカンド・アルバム<The Year I Turned 21>のことだけを書きます。ほかにもTemsのニュー・アルバムほか、お薦めがいろいろあるのだけれど、先月予告したとおりAyra Starr特集です!

 ここ5年か6年ほどの間、私が現在進行形で熱をもって聴いている唯一のポップ・ミュージックがナイジェリア・ポップでして、その中でも最大の関心を払っているシンガーがAyra Starrです。デビュー・アルバムの<19 & Dangerous>が出た2021年、Spotifyの「今年あなたが一番聴いたアルバム」みたいな項目でそれが表示され、Ayra Starrからの「いっぱい聴いてくれてありがとね!」というビデオ・メッセージまで付いてきて、大喜びで年を越せました(もちろん私だけに送られてきたわけではないのですが・・・)。
 今回の<The Year I Turned 21>もリリースされたその日に何度も聴きました。すぐにでも記事にしたかったのだけど、6月14日に彼女が21歳の誕生日を迎えてからがいいなと思って待ちました。単なるミーハーです。

 しかし本作はそうしたファン目線を除外しても実り多いアルバムだと思います。地元のアフリカや欧米で絶賛されており、そういう場合に私はネガティヴな評価も読みたくなるのですが、今のところ目にしていません。
 それもそのはず、本当にいいアルバムなんです。どの曲も練り込まれていて、練りすぎていない。彼女にしてみれば本格的なグローバル・マーケットに打って出る勝負作であり、ソングライティングにもプロデュースにも手を尽くしてあるけれど、適度に伸びしろが残されていて、ガチガチに固めてアルバムを完結させていないのがいい。ここを大きな足がかりにした展開が楽しみになるアルバム。

 Ayra Starrは2022年にデビュー・アルバムのデラックス版をリリースしています。新たに5曲を追加し、しかもそのうちのRushが彼女にとって重要な曲とあって、意義のあるデラックス版でした。でも後にAyra Starrは「私だってオリジナルのニュー・アルバムを出したかったのよ~」と、冗談まじりにSNSで呟いていました。私もあのデラックス版には肩透かしとまでは言わずとも「あ、そうなのか」と自分を納得させましたから、本人には拭いきれない感情があったのでしょう。
 しかしながら、デビュー・アルバムから今回の<The Year I Turned 21>までの長いインターヴァルは、結果的に良かったと思います。なぜなら今のタイミングは、デラックス版の時点(つまりRushの時点)では熟していなかったかもしれない機が熟しており、クリエイティヴな駆動力もまたゲートを押し破らんばかりに満ち溢れているからです。それを見据えてのリリースだったのならば、彼女とそのスタッフは読みが賢明でした。
 私はデビュー・アルバムのアフロビーツ新世代的な溌剌とした音が好きで、低音でグイグイとリズミックに押してくるAyra Starrのヴォーカルに魅了された者です。その時点で彼女の音楽的なスタイルは強力だったのですが、それ以降に連発してきたシングルやフィーチャリング・シンガーとしての活躍を通じて、ますますファンになりました。実際にライヴでの経験を重ねることで、彼女はどんどん逞しさを増して確信を深めていったし、ファッション面でも主張を強めていきました。
 その最初の到達点が本作だと言っていいでしょう。見事なセカンド・アルバムです。

 1曲目に置かれたBirds Sing Of Moneyはヨルバ族の賛歌(オリキ)で幕を開けます。意味は「松明を掲げて夜空を指せば、星が見える。アイラ・スターが。みんなが話題にする麗しい子供。おお、誰もがアイラ・スターのことで持ちきりだ」。続いてストリングスが短く鳴り、重めのエイト・ビートに乗って歌われるのは、メロディーも歌詞もやや内省的です。”お金も人気も手に入る。言葉遣いを云々されても、自分でわかってるんだから大きなお世話はやめて。私は私の人生を走る。でも走って逃げたりはしない”。

 経済的な成功を目標としたガッツは日本人に合わない部分もあるし、ヘイターやnaysayer(否定派)からの攻撃も増やしますが、得られる創作上の自由やステータスも大きい。Ayra Starrの闘志の源もそこにあるようです。以前このコーナーでも紹介したCommasは3曲目に入っており、あれは「私はこれからもガンガン稼ぐんだ。文句あるか!」という歌です(commaは銀行預金の数字に付くカンマのことですね)。才能ある音楽家が人気を上昇させて自信たっぷりに羽ばたく姿は、個人的には見ていて気持ちがいいです。

 このアルバムの収録曲には、前を向いて全力で疾走する意志とともに、今彼女が謳歌している人気が落ちた時への不安も散見されます。

 アコースティック・ギターのリフレインが印象に残る1942(テキーラのヴィンテージのことか)では、フォークっぽいメロディーで「私は失いたくない。私は負けたくない」と歌われます。

 この曲にしても、タイトル・トラックの21にしても、SZAの影響がかなりあるようで、とくに21では歌詞中に「(SZAの)20 Somethingを聴きながら100数える」とのフレーズが出てきます。この影響をさらに発展させる次のステップが楽しみなのですが、「まだ若いと言われる。愚かだと言われる。でも自分自身になったんだ」という歌詞は、私も21歳だった頃を思い出して胸がヒリヒリします。この強さと不安の同居にAyra Starrの現在とリアリティがあるのでしょう。そしてそれはデビュー・アルバムの頃よりも深まっていると思います。

 それらの告白をアルバムのコアに含んで、他の曲はアフロビーツやアマピアノやR&Bで賑やかです。
 本作のベスト・トラックのひとつであるGoodbyeでは、Asakeをフィーチャリング・シンガーに迎えて、元カレの男性中心的な世界観に三行半をつきつけます。

 南アフリカのボロベドゥ・ハウスっぽいパーカッシヴなアクセントが悩ましいWoman CommandoにはブラジルのAnittaとアメリカのCoco Jonesと並んでフィーチャーされています。この3人による「女性指揮官」のシルエットの鮮やかさ。

 R&BバラードのLast Heartbreak Songでの、DrakeにフックアップされたシンガーGiveonと織りなす切なくも濃厚なコラボレーション。

 Bad Vibesでの、覆い被さるように強固なSeyi Vibezの磁場に負けないAyra Starrの歌。
 あるいは、リズムにブラジル色を混ぜたLagos Love Storyとか、ライヴで"Go Ayra,Go Ayra,Go!"のコールを観客が叫ぶこと間違いなしのControlとか、Mavin RecordsのCEOにしてナイジェリア・ポップの顔役であるDon JazzyがプロデュースしたJazzy's Songの軽みとか(Wande CoalのYou Badという曲のメロディーが用いられています)。

 特筆すべきはラストから2曲目に置かれたThe Kids Are Alright。これはAyra Starrの亡き父親に捧げられたゴスペル的感触を持つ曲で、シンプルな音数をバックにした彼女の歌が終わると、ストリングスがノスタルジックな旋律を奏で、彼女を含む兄弟姉妹が「ぼくは24歳になったよ」などと故人へのメッセージを一言か二言、代わる代わる話します。

 聴いていて目頭が熱くなる趣向で、アフリカン・ファミリーの像を思わせる点で冒頭のヨルバの賛歌にも通ずるのですが、これをもってアルバムの大団円としていないんですね。

 最後はAyra Starrがフィーチャリング・シンガーとして参加した、ジャマイカのRvssianのシングル、Santaです。プエルトリコのRauw Alejandroもフィーチャーされた曲で、今年の4月にヒットしたから(昔でいう)ボーナス・トラック的なものなのかもしれませんが、そうとも言いきれない。むしろ、いかにも大団円にふさわしいThe Kids Are Alrightの後でこのアッパーな曲に大トリを務めさせることで、ジャンルや国籍を超えた今後のAyra Starrの一層グローバルな活躍を期待させるのです。

 ま、それこそファン目線だと言われるでしょうが、最初に書いたように、この<The Year I Turned 21>はいまだ伸びしろを感じさせるところがあって、しっかりとしたコンセプトが設けられているにもかかわらず、ラストでそれを一度閉じてまた開ける作りが面白いし、私はそこが気に入っています。
 とにもかくにも、アルバムが終わった後に脳内で自然と湧き起こるのは、Controlでの"Go Ayra,Go Ayra,Go!!"のコールです。私もライヴでそれを繰り返し叫びたい。日本に来てくれたら。来ないかなあ、Ayra Starr。