箱ハコアザラク:The Velvet Underground(1995) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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箱ハコアザラク:

The Velvet Underground/Peel Slowly And See(1995)

 1990年代に買ったCDのボックス・セットについて隔月ペースで書く、「箱ハコアザラク」のコーナーです。
 かつて、日本各地の繁華街で軒を競い合っていたCDショップ。その店内で、ひときわ大きな寸法のパッケージに包まれて特別な光を放っていたボックス・セット。マニアには抗しがたかったその魅力、すなわち黒魔術ならぬ箱魔術のことを思い出しながら綴ります。
 じつはこのコーナー、当初は記事の結びで「箱ハコアザラク、箱ハコザメラク、箱ハコケルノノス・・・」と、箱魔術の呪文を唱えて締める予定でした。でもそれを実行したのは最初のロキシー・ミュージックの回(こちら)のみ。これには深い理由がありまして、私が忘れていたのです。そんな迂闊な人間が書いているので、あちこちに綻びがあるかと思いますが、なにとぞご容赦のほどを。

 今回とりあげるのは、1995年に発売されたヴェルヴェット・アンダーグラウンドの5枚組CDボックス、『ピール・スローリー・アンド・シー』です。
 当コーナーを立ち上げるにあたって、この箱は絶体に外せないとリストの上位に置いていました。ボックス・セットがCDのリイシュー市場を賑わせ始めたのは1990年代で、その真ん中にあたる1995年、この『ピール・スローリー・アンド・シー』は「ついに登場!」との重鎮感をまとって発売されました。ボックスが編まれるミュージシャンには重鎮が多いのですが、その中でもヴェルヴェッツは一種の神秘性を保ち続ける伝説的なバンドですから、注目や期待も大きかったのでしょう。
 タイトルの意味する「ゆっくり剥がして見てごらん」は、ファースト・アルバム『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ』のジャケットで、バナナのシールの横に添えられていた言葉です。私はあのLPを買ったその日に「ゆっくり剥がして」中身を確かめようとしたところ、バナナの上部でシールがビリッと裂けてしまいました。慌ててすぐに繋ぎあわせたので、中身の全ては目視していません。

 そんなことはどうでもよくて、まずはこのボックスのパッケージです。バナナ。ヴェルヴェッツの箱にふさわしいデザインは他に考えられません。遠目にも誰のボックスだか見分けることができます。京都にはこのデザインを看板に使っている中古盤店があって、初めて探し歩いたときにも「あっ、あれだ!」と視線を捉えました。アンディ・ウォーホルによるこのデザインは、ヴェルヴェッツのというか、ロックのエッセンスが凝縮された見事なアイコンです。
 よく考えてみると、ボックスのパッケージにファースト・アルバムのデザインが採用されているのは異例ではないでしょうか。しかもヴェルヴェッツは解散までに(ルー・リード脱退後の『スクイーズ』も含めると)5枚のスタジオ・アルバムと1枚のライヴ・アルバムを出しています。歴史的な名盤を1枚か2枚だけ残したのではないのです。また、ヴェルヴェッツの宣材にはクールにキマった写真が多く、そのひとつをパッケージに用いたって充分にインパクトを与えたはず。
 でありながら、ボックスの表紙がバナナであることに、なんの不満もおぼえません。やはりこれなんです。最強のアイコンだと言えます。『ピール・スロウリー・アンド・シー』は縦長の箱に収められており、その判型にも違和感なく対応できるのが、このバナナ。縦長になったことでスタイリッシュな鋭さとヨコシマなユーモアが強調されて、まるでこのデザインでCDボックスが作られることを──つまり、LPよりもコンパクトな音楽メディアが開発されることを──ウォーホルが考えていたかのような先見性すら感じさせます。

 箱の内容は1965年7月、ジョン・ケイルが住んでいたフラットでのデモ・レコーディングから始まり、未発表音源やライヴ音源を織り交ぜつつ、ルー・リードがグループを去る1970年までを時系列に沿って追っていきます。まさに「ゆっくり剥がして見てごらん」です。箱の最後のほうは、やがてルー・リードのファースト・ソロ・アルバムで正式に発表される曲が入っています。
 彼がいなくなった後の、ダグ・ユールを中心とする時期の音源はいっさい収められていません。『スクイーズ』も省かれているのも、そのためです。これについては惜しむ意見も皆無ではないでしょうが、ファーストで刻印されたバナナの上端から下端は、これが全てなのです。
 で、その茎をポキッと折るようにディスク1を再生すると、Venus In Fursのデモです。そこではジョン・ケイルがヴォーカルをとっていて、正規テイクの荘厳さは聞こえず、イギリスのトラッド・フォークのような趣があります。全6曲のデモ音源が収録されたディスク1は、背徳と頽廃のロック・バンドとして名高いヴェルヴェッツの音楽的な素材を伝えて、その意外性も生々しさも秀逸です。
 とりわけ鮮烈だったのは、I'm Waiting For The Manのデモ。カントリー調なんですね。これには「どこが都市の頽廃やねん」と、ひっくり返るほど驚きました。未発表だったProminent Manはボブ・ディランっぽいし、バナナのアルバムが録音されたのがフォーク・ロックの頃だったことを以前よりも強く印象づけられました。

 ディスク2はそのバナナの時期ですが、Sunday MorningではなくAll Tomorrow's Partiesのシングル・エディット・ヴァージョンで始まります。このディスクの終盤は、ニコの最初のソロ・アルバム『チェルシー・ガール』から、ルー・リードとジョン・ケイルがソングライティングと演奏で参加したIt Was Pleasure Then、そしてスターリング・モリソンも参加したChelsea Girls。

 ニコがディスクの初めと終わりを受け持つことで、バナナ=ファーストの曲群が一層のダークな色合いで響きます。以前こちらの記事でも書いたように、私はAll Tomorrow's Partiesの残酷さが堪らないと思っているので、このディスク2の構成には納得できるところが多々ありました。

 ディスク3はセカンド・アルバム『ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート』を核としていますが、最初の7曲が貴重なデモ音源とライヴ音源で、これもまた驚かされました。攻撃的で実験的な『ホワイト・ライト~』の曲もそれらと並ぶことで漆黒度が増しています。

 また、私が初めて聴いたヴェルヴェッツのアルバムでもあるレア・トラック集の『VU』からStephanie SaysとTemptation Inside Your Heartが、やはり同趣向のアルバム『アナザー・ヴュー』からHey Mr.Rainがこのディスクに入っており、とくに『VU』のブリティッシュ・ビート的なメロディーやリズムはとても好きです。

 ディスク4は前半にサード・アルバム『ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド』を、後半に『VU』で発表された曲を集めた構成ですが、こちらも1曲目をWhat Goes Onのライヴ音源が飾り、その聴後感でサードの収録曲と向き合うと、穏やかと形容される曲調の向こうにタフな芯が覗きます。

 終盤に並ぶのは、ライヴ音源のIt's Just Too Muchとデモ音源のCountess From Hong Kong。このボックスの成功は、こうしたレア・トラックと正規トラックとが音質の差を超えて響き合う充実感にあります。

 ディスク5は『ローデッド』を中心にした作りで、終盤にソロ活動初期に繋がるルー・リードの佳作が揃っています。『ローデッド』は1990年代の前半くらいまでは評価が低く、「Sweet JaneとRock And Roll以外に聴くべき箇所がない」などと言われていました(なお、Sweet Janeの"Heavenly wine and roses"で始まるブリッジ部分は、この箱で初めてオフィシャルにリリースされました)。

 たしかにその2曲は突出した傑作なのですが、ほかの曲でも軽みを帯びた演奏は全否定されてよい出来ではないと思います。『ローデッド』はこの2年後の1997年にデラックス版が出て、それを機に評価が上昇し、重要性が認められるようになりました。ただ、全肯定するほどでもないかな、というのが私の感想です。

 ヴェルヴェッツのコンピレーション・アルバムは、このボックスより前にも何種類か発売されていました。けれどレア・トラック集は前述した『VU』と『アナザー・ヴュー』が1985年と1986年に出たきりで、それから10年がたっていました。その間にCDの時代がやって来て、さらにボックス・セットの全盛期です。生半可なものを作ってもファンは納得できません。その求められる基準をクリアしたのが、この『ピール・スローリー・アンド・シー』でした。
 ルー・リードとジョン・ケイルが組んでアンディ・ウォーホルに捧げるアルバム『ソングス・フォー・ドレラ』を発表したのが1990年。同じ年にルー・リードはモーリン・タッカーを伴って来日し、その際は一夜かぎりでしたがジョン・ケイルと共演しています。フランスでは2人にモーリンとスターリングも加わって、ウォーホルの回顧展でHeroinが演奏されました。
 その流れが到達したのが1993年、パリで行われたヴェルヴェッツの再結成コンサートです。あの再結成はロック・シーンに大きな爆発を引き起こしたわけではなかったのですが、5枚組ボックスが発売されたのはヴェルヴェッツがバンドとして戻ってきた2年後だったんです。その再結成は一時的な出来事で、ボックスが世に出る1ヶ月ほど前にスターリング・モリソンが亡くなってしまいます。結成から30年後の1995年に発売されたボックスは、偶然とはいえ、ヴェルヴェッツの節目にもなりました。

 こうしてボックスのフォーマットで一気に聴くと、ヴェルヴェッツのオリジナル・アルバムはそれぞれに特徴があると実感します。それは強固な個性を据えつつ時間とともに変化していったプロセスでもあるし、そこに彼らのバンド・ヒストリーを見いだすことも可能です。
 しかし私はこのボックスを通して、それ以上にバナナのファーストが持っていた表現の源としての豊かさを改めて思い知りました。セカンドの過激なノイズも、サードの穏やかな頽廃も、『ローデッド』のポップな軽みも、バナナの成分に含まれていたのです。
 ヴェルヴェッツは源にあったバナナから各成分を引っぱってきて、味を濃くするようにしてセカンドやサードや『ローデッド』を作っていった。私にはこの解釈のほうが、彼らのディスコグラフィーを漸進的な「変化」と受け止めるよりも腑に落ちます。そこにあるのは飛躍的と呼べる目まぐるしい「変化」ではなくて、どんなに過激なノイズを鳴らしても、むしろどこかストップ・モーションにも似たクールな静止感を湛えています。だから後世のアーティストはセンスを触発されて受け継ぎやすいし、日常のアザー・サイドにある背徳や頽廃を想像しやすい。穿った見方かもしれませんが、全てはファースト・アルバムにありました。
 このボックスは5枚組の長尺で辿るバナナの皮の中身なのです。その意味でも、このボックスのパッケージ・デザインは当然だし正解です。フラフラと近づいて手に取らせる、おそるべきバナナの威力。箱ハコアザラク、箱ハコザメラク、箱ハコケルノノス・・・。