BOØWY「わがままジュリエット」(single 1986) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 この記事を書くために、パソコンに"BOØWY"の表記を辞書登録しました。これまでは、"BOOWY"と表記したり、ブログ初期には"φ"(ファイ)で代用したりしていたのです。

 ネットから"BOØWY"を拾ってコピペしたこともあるのだけれど、下書き用のメモ帳を保存する段階で、「使えないかもしれませんよ」とメッセージが出たり、それでも構わん!と押し通したら、自動的に"BOOWY"に変わってました。

 新調したパソコンでは"BOØWY"を受け付けてくれたので安心しています。


 でも、BOØWYが当ブログで頻繁に書くバンド名であったなら、とっくの昔に辞書登録を済ませていたはず。

 彼らに関して単独で記事を書くのは、これが初めてなんです。


 いつかBOØWYをトピックにする日は来るだろうと思っていました。

 だってBOØWYです。日本のロック・ヒストリーに巨大な足跡を残した伝説のバンド。彼らの人気が爆発した1986年と1987年に私は18歳から19歳でしたので、もちろんバンド名は知っていたし、雑誌のインタビューも読んでいました。1986年にアルバイトした商店街の小さなレコード店では、その年の秋に出たLP『BEAT EMOTION』を中高生が買っていく姿を見るようになりました。

 しかし、当時彼らに熱狂していた人や、後からファンになった人には言いにくいけれど、私はBOØWYに夢中にはなれませんでした。

 では嫌っていたのかというと、そうでもありません。良いなと捉える部分はあったんですが、熱狂から離れて傍観していました。
 そのおもな理由は、自分が1986年に中高生ではなく大学1年生だったからです。高校生とは少しの年齢差しかなかったのですが、1986年のキャンパスではBOØWYのことがほとんど話題にならず、大学のラジオ局が流していたのはKUWATA BANDや洋楽のヒット曲でした。

 これは中高生と大学生との気分の違いでもあると思います。BOØWYで盛り上がるには、1986年のキャンパスは束縛がなく、あらかじめ開放的すぎました。

 さらに、世代と関係のない個人的なセンスや嗜好にも合いませんでした。ビートの立った演奏は好きな部類だったのに、それがヴォーカルに像を結ぶカッコよさが私の憧れの対象にならなかったのです。

 そんな中、1986年2月にシングルとしてリリースされた「わがままジュリエット」には魅力をおぼえました。と書くと、ビートルズでは「イエスタデイ」が良い、と言っていた昔の大人みたいで感心できませんが、気に入ったのは事実です。
 じつはその後のシングル「B・BLUE」も「ONLY YOU」も「Marionette」も部分的には惹かれたんです。現在は他のアルバム収録曲などに対しても、リアルタイムでは自分と合わなかったけど凄かったんだな、との感想を持っています。
 しかし「わがままジュリエット」は当時から曲自体がとても好きでした。初めて知ったのは、たぶん深夜の音楽番組で見たミュージック・ビデオ。リリースから半年ほど後だったでしょうか。桑田佳祐が歌うとハマりそうなメロディーだったのが意外でした(その前年のサザンは「Bye Bye My Love (U are the one)」と「メロディ(Melody)」)。しかもミディアム・テンポのバラードでありつつ、甘さに足を掬われないシャープなシルエットが好感度大でした。

 「わがままジュリエット」の魅力は、まずイントロにあると思います。あまり無粋なことはしたくないのですが、このイントロのコードについて、ちょっとだけ述べてみます。
 キーはBですがCに移してみると、イントロはCではなくDm7で始まるんですね。編曲とプロデュースも担当した布袋寅泰のギターの下降フレーズ、♪ドラファレ~♪(原曲では♪シソ#ミド#~♪)は、そのまんまDm7(原曲ではC#m7)の構成音であるレファラド(原曲のC#m7ならド#ミソ#シ)を上から下降させたものです。
 このフレーズが簡潔で心地よく、そこからEm7→Fmaj7と順次上がっていく展開は、歌メロの頭のコードを務めるCを呼び込む前に、ロマンティックな匂いでリスナーを迎え入れます。ソフトに気分を高揚させるそれは、歌メロの匂いとかけ離れてはいません。
 私はこのイントロのフレーズが歌メロと同じくらいに好きです。いいなあとウットリします。

 歌メロも素敵です。作詞・作曲は氷室京介で、王道のコード進行内で昇降するメロディーが美味です。その端整なメロディーを転調でヒネらず、
コード進行のプレーンな作りを活かした素直さもあります。キメキメの一辺倒ではないし、そこがいい。

 これをスタイリッシュな二の線で気合いを捨てずに聞かせるのは難しそうですが、氷室京介は見事に甘辛い味のヴォーカルで達成しています。1986年の私は、彼の歌に含まれたイケメン不良の成分が苦手でした。が、日本人の多くが洋楽を通過せずにロック・バンドというスタイルに親しむには、彼の体現するカッコよさが必要だったのだと今は認識しています。
 歌詞は難解というよりは意味ありげな言葉が散りばめられていて、まあ、そこが弱いといえば弱い。けれども、このヴォーカルと演奏が織りなすトータルな音からは、ジュリエットを皮肉まじりに讃えるような目線と若干の父性的な温もり、そしてどこかダークな底意が伝わってきます。
 なによりも、「Friday Night 笑い声が」の箇所がメロディーとあわせて最高です。金曜の夜に笑い声がどうしたのか、続く歌詞を知る必要を感じさせないほどに。そのメロディアスな一節は余白を残して完成されており、曲全体に及ぶ歌詞の曖昧さに理と潤いを与えてもいます。

 これまでBOØWYに関しては、1980年代後半のバンド・ブームをトピックとする記事で軽く触れるにとどまっていました。 
 絶対に無視できないバンドです。その存在はとにかく大きい。また、自分が遠巻きに眺めて参加しなかった祭について、訳知り顔で何か言うと反感も買います。


 以前も書いたことですが、どの世代にもそれぞれが間に合う"時代の路線バス"があって、乗り損なうバスもあります。私にとってBOØWY(やブルーハーツ)は、いつも利用するバスではありませんでした。私が乗っていたのは、たとえば「RCサクセション号」です。

 ある時、高校を卒業して大学に通う「RC号」の車中で、ふと振り返ると、後ろから「BOØWY号」が来るのが見えました。それまで「RC号」が(わりと)新しいバスで、自分たちよりも若いバス利用客が現われるなんて思っていなかったので、後続車の「BOØWY号」がたくさんの中学生や高校生を乗せているのを見て、やや焦りました。
 それで別の機会に「BOØWY号」に乗ってみたのです。そしたら、そこは自分の居場所ではなくて、バスの運転も横に揺れずに縦に揺れていました。
 その一回こっきりで私は「BOØWY号」を利用するのをやめたわけですが、その車中に「わがままジュリエット」がいるのを見かけて、泣き顔でスマイルしていた彼女のことが忘れられない、というわけです。

 あの頃「BOØWY号」を毎日利用していた人たちに、この記事を読まれたらどうしよう?と内心ヒヤヒヤしています。きっとその人たちは、こんな客観的に「わがままジュリエット」を聴いていたのではないでしょう。私もこの曲が好きだけれど、その人たちは何百倍もの説明できない磁力を感じていたのでしょう。
 BOØWYは日本の若者に「おまえらの求めるロックは、これだ!」と、音とヴィジュアルで実物を叩きつけ、それが行き渡ったと見るやスパッと解散した、と私は受け止めています。凄いことです。
 残念ながら、そこで彼らが叩きつけた流儀は私個人の求めるロックのカッコよさにはフィットしませんでした。アルバム『JUST A HERO』や『BEAT EMOTION』にも特に言えることはありません。


 そんな私にも、「BOØWY号」で見かけた「わがままジュリエット」嬢は魅力的でした。彼女の輝きに比べたら、この記事で書いたようなコード進行がどうたらといった事柄は、ぜんぶ後付けの枝葉末節。BOØWYに夢中にならなかった私には、こんなふうにしか書けません。それでもこの曲が好きだと言っておきたかったのです。
 今回、BOØWYのアルバムをファーストから聴きかえして、昔よりも感心しましたが、それはあくまで「感心」です。彼らのカッコよさと私との距離はまだ遠い。いっぽうで、「わがままジュリエット」には昔と変わらない近さを覚えました。うれしかった。

 あの「BOØWY号」で居場所のなかった私と、38年間ずっと心に残っている「わがままジュリエット」。自分では、これでいいような気がしています。