歌本:山口百恵「プレイバックPart2」(1978) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 昭和40年代と50年代の歌謡曲について、作詞と作曲の両面から書く「歌本」のコーナーです。前回は特別に八代亜紀の追悼記事でしたが、その前の布施明(「君は薔薇より美しい」)でトピックを演歌からポップス系の歌謡曲に移しています。このあと3回ぶんをポップス系にあてて、それからまた演歌というふうに、5回ずつ交互させてゆくつもりです。

 さて、今回は山口百恵。言うまでもなく、昭和50年代前半(1970年代後半)の歌謡曲を代表する歌手の一人です。ヒット曲・代表曲がたくさんあって、その5年間が私にとって小学2年生から6年生までの時期だったこともあり、子供の頃の思い出と強くリンクするシンガーであります。
 ここで「プレイバックPart2」を選んだのは、彼女の数あるヒット・シングルの中でも、群を抜いたインパクトで小学5年生の私に迫ってきた曲だからです。作詞・作曲の面でも歌唱の面でも特筆すべき点だらけで、やはりこれは格別にスペシャルな名曲です。

 ソングライターは阿木燿子(作詞)と宇崎竜童(作曲)。このチームと山口百恵との座組は、1976年のアルバム『17才のテーマ』に始まり、シングルでは「横須賀ストーリー」を皮切りに、他のソングライターによる曲を間に挿みつつ、「夢先案内人」「イミテイション・ゴールド」「乙女座宮」と次々に傑作を送り出しました。
 そして1978年にリリースされたのが「プレイバックPart2」。百恵=阿木=宇崎の黄金の三角形が、どの角を頂点に取っても尖りに尖った曲です。さらにこのトライアングル、以降も「絶体絶命」「しなやかに歌って」「美・サイレント」「ロックンロール・ウィドウ」「さよならの向こう側」など、彼女のベスト盤から外せない曲を連発していきます。
 そんな傑作の森においても「プレイバックPart2」の個性は突出しています。ただし「プレイバックPart2」に関しては、プロデューサーの酒井政利が発案して編曲の萩田光雄が形にした部分も多いようで、あの強烈なブレイクを筆頭に、アレンジがシャープで挑戦的な輪郭を曲に与えています。しかもそうした挑戦の各パーツが人口に膾炙するキャッチーさを備えてもいるという、掛け値なしの名曲です。

 この曲が歌詞で描いているシチュエーションは、リリース時の私には理解しきれなかったものでした。それは小学生だった私が大人の色恋と無縁だったからですが、映像や音楽の再生を意味する「プレイバック」という言葉が当時あまり使われていなかったからでもあるし、阿木燿子がシチュエーションの説明に余白を残しているからでもあります。
 恋人とケンカした女性が、ひとり赤いポルシェを飛ばして走っています。イライラのすえ、交差点で隣の車のドライバーに彼女が切った啖呵(「馬鹿にしないでよ!そっちのせいよ」)が、昨夜恋人に向けて言い放った言葉と重なります。2番では海沿いの道を快適に飛ばしていると、ラジオから沢田研二の「勝手にしやがれ」が流れてきて、またしてもそれが恋人から投げつけられた言葉と重なります。
 彼女は、気分まかせに抱こうとした恋人の態度を思い出してムカムカし、「坊や、いったい何を教わってきたの?私だって疲れるわ」と溜息まじりに呟きます。この溜息まじりの苛立ちが「プレイバックPart2」の表情です。
 やがて彼氏にムカついていた彼女の気分が、ジュリーの歌う男のカッコつけを通して、「強がりばかり言ってたけれど、本当はとても淋しがり屋よ・・・」と治まってゆき、最後は「私やっぱり帰るわね。あなたのもとへ」と自分に言い聞かせて「プレイバックPart2」は終わります。

 

 とにかく驚嘆するしかない作詞で、冒頭の緑と赤の描写から映像的で鮮烈。そこから主人公の内面をクローズアップする手法も、そのきっかけとなる交差点での啖呵やカーラジオの音楽の用い方も、何から何まで映像的だし、まるでカットとカットを編集して聴き手の想像力に挑むかのよう。
 「馬鹿にしないでよ!」は絶品の歌詞ですが、「坊や、いったい何を教わってきたの?」も輪をかけて素晴らしい。作詞家の個人の才能に対して「女性ならではの作詞」と書くのは失礼だとはいえ、これは男には思いつかないセリフではないでしょうか(そのセリフに近いことを言われた経験のある男性は多数いるとしても)。
 また、この「何を教わってきたの?」には精神的な成長のレベルを指すと同時にセクシュアルなニュアンスも込められています。「気分次第で抱くだけ抱いて」は、要するに「自分がヤリたい時だけヤリやがって」ということです。こうした婉曲的表現を、むしろ肌と肌をかすめあうようにして、セクシュアルな意味を閉じず、そこに冷めた温度で言葉の錨をおろしています。
 沢田研二の「勝手にしやがれ」のシチュエーションを逆転させているのも、あの曲へのアンチテーゼというよりは、ふたつの視点を照らし合わせて浮かび上がる色恋の真実の妙味を感じさせます。

 「翔んでる女」という流行語は1977年頃に使われ始めたらしく、1979年の夏に公開された『男はつらいよ 翔んでる寅次郎』のタイトルになったほどです。そこで桃井かおりが演じた女性は、結婚式直前にマリッジブルーに陥り、レンタカーで北海道を旅していたところ寅さんと出会います。北海道ロケや桃井かおりのキャスティングは同じ山田洋次監督の『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)と繋がっていますが、それが前年の「プレイバックPart2」における「緑の中を走り抜けてく真っ赤なポルシェ」と関係があったのかどうか、興味深いです。
 いずれにせよ、1978年にポルシェを乗り回す女性像は「翔んでる女」でした。「馬鹿にしないでよ!」も「坊や、いったい何を教わってきたの」も、(いわゆる)男勝りという点でそこに類します。
 「プレイバックPart2」のドライブは、最後に彼女の苛立ちを「本当はとても淋しがり屋よ」へと運びます。その「淋しがり屋」が恋人の男性のことだけではなく、主人公自身にも向けられていると思わせるのが秀逸です。それは山口百恵の翳りある横顔や、彼女が『赤いシリーズ』で演じていた役柄(出生の秘密、不治の病)と相まって、ごく自然にそう受け取れる範囲内にありました。

 このように、「プレイバックPart2」は作詞の凄さに圧倒されます。でも編曲を含めた作曲面でも負けてはいません。というか、作曲と編曲が歌詞と分かちがたく結びついているのです。
 曲のキーはCm(ハ短調)ですが、♭が3つも付いているので、それを省略するためにもAm(イ短調)に移しましょう。
 編曲でちょっと小難しいコード・ネームを持ち出す必要があるけれど、そこを話の肝にはしませんのでご容赦ください。

 まずイントロです。乾いたトーンのエレクトリック・ギターが突き刺すように鳴ります(演奏は矢島賢)。いわば、ここは真っ赤なポルシェのエンジンがかかる場面です。と、4小節めからドラムが疾走感をスタートさせ、バックのコードも♪チャンチャンチャン、チャンチャンチャン♪と本格的に進行しだします。
 この♪チャンチャンチャン、チャンチャンチャン♪の繰り返しは、(キーをAmに移すと)E7→Dの繰り返しです。じつはここで使われるE7(原曲ではG7)は「プレイバックPart2」を大きく支えるコードでして、随所でこれが活躍するんです。この進行はギターだと2フレット左右に移動させるだけで成り立つシンプルなものですが、そのぶん車が軽快に疾駆する感(グルーヴ)をもたらし、歌詞の「緑の中を走り抜けてく」を鮮やかに導き入れます。
 
 その「緑の中を」のコード進行は、「(Am)みどりの/(E7)なかを/(Am)はしりぬけ/(Dm7)てく まっかな/(E7)ポルシェ」。先述したE7が早速仕切っていますね。
 AmのキーではE7のコードは直接の血縁関係がないというか、Am=キーのグループには属していないのですが、別グループからAmの友達として招かれることがあるんです。これをセカンダリー・ドミナントと呼んで、ポップスでも演歌でもロックでも頻繁に用いられます。それによって、コード進行に少し洒落た陰翳がまぶされます。まあ、なにをもって「洒落た陰翳」なのかは人それぞれですが、泥臭くなくなるということです。
 で、「真っ赤なポルシェ」の後にも♪チャンチャンチャン、チャンチャンチャン♪が入っており、こちらのコード進行はイントロから変わっています。ここでの最初の♪チャンチャンチャン♪は、私がキーをAmにして鍵盤で和音を探ってみたところ、ファ#ラドミのようです。コード・ネームにするとF#m7-5。見るからに大変そうですね。すみません。
 次の♪チャンチャンチャン♪はソシ♭レ♭で、コードはGdimです。・・・さっき、「♭を減らす!」と書いたばかりなのに、すみません。そこからE7に進んで、その友達である主役のAm(キー)にバトンが渡され、「交差点では」。

 いま挙げた箇所で理論よりも重要なのは、バックで聞こえるギターです。刻みが裏拍っぽくてカッコいい。
 また、ベースの動きやドラムのハイハットとキックのアクセントも、この時代のクロスオーヴァー(フュージョン)やソウル・ミュージックの要素が散りばめられ、それらが山口百恵の硬質のヴォーカルや曲調のハード・ボイルドなタッチと合わさって、リズミックな躍動感を発しています。
 「交差点では」のパートでは、ここでも有用なE7が「(ミラーこすった)と~」「大声に」で、続くAmへの橋渡しを務めてますね。そのAmがおなじみの簡潔で切っ先鋭いギター・フレーズと♪ジャカジャン!♪。
 「プレイバックPart2」は器楽性をエッセンスに持った曲です。「緑の中を」にしても「馬鹿にしないでよ!」にしても、後述する「それは昨夜の私のセリフ」にしても、全部の歌詞とメロディーが耳に残りますが、全体の構成の中で、それらのポイントは器楽性を湛えています。

 歌謡曲はシンガーの歌をメインに据えたジャンルで、演奏はおおむね後景を飾ります。「プレイバックPart2」でもダントツにクールなのは山口百恵の歌ではあるけれど、インストゥルメンタルのフレーズやコード感が彼女の歌声と同等に不可欠な曲です。

 そのことが明確になるのが、「プレイバック、プレイバック」からの部分。このタイトル・フレーズに付けられたコードは何でしょうか。F(プレイ)とE7(バック)です。

 この進行はまだ顔を出します。「それは昨夜の私のセリフ」のパートです。ここは「坊や」でAmが呼び込まれるまで、ずっとF→E7の、しつこいしつこい繰り返しです。そしてこのしつこさは、主人公が前の晩に男にキレた記憶を思い返してイライラのイラ公と化してゆく過程にピッタリと沿っています。寄せては返す波のようなストレス。その感情を彩るコード進行のF→E7は、「プレイ(F)バック(E7)、プレイ(F)バック(E7)」と同じなのです。
 阿木燿子と宇崎竜童。なんなんだ、この夫婦。恐ろしいです。とんがってます。

 山口百恵は1975年のアルバム『百恵ライブ -百恵ちゃん祭りより-』で、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「スモーキン・ブギ」と「カッコマン・ブギ」をメドレーでカヴァーしています。「プレイバックPart2」の1978年に彼女は19才でしたから(それも信じがたい事実ですが)、3年前の16歳のとき。子供時代を横須賀で過ごした山口百恵は、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドのファンになったそうです。
 ドラマや映画で可憐な悲運の少女を演じて存在感のあった彼女のイメージと、ツナギにサングラスで不良然としていた彼らとの距離は、ロックという事柄を間にはさむと意外と遠くなかったのかもしれません。少なくとも、百恵ちゃんの資質には共鳴するものがあったのでしょう。だから「横須賀ストーリー」も「プレイバックPart2」も、彼女にとっては、歌謡曲のフォーマットを保持したロックの本質への志向だったように思えます。
 それでいて、あくまで歌謡曲の土俵に立っていたことが彼女の偉大さで、それゆえにツッパリと括られたりもしたけど、そんな程度じゃなかったのは、1980年の「ロックロール・ウィドウ」でロックを茶化すウィットさえ携えていたことからもわかります。
 「プレイバックPart2」での溜息まじりの苛立ちは、「馬鹿にしないでよ!」の啖呵を裏打ちする必然性の強度を感じさせます。ロックを表面的になぞるよりも深い場所が、そこにはあります。