雑談:棚ポト(シェルフ・ポートレイト) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

ロックを中心とした昔話、新しいアフロ・ポップ、クラシックやジャズやアイドルのことなどを書きます。

 今回の文章は、昨年の4月に書いた雑談記事「棚コン(シェルフ・コントロール)」の続編というか姉妹編です。よろしければ、あわせてお読みください。

 じつは先日、長崎の伯父の葬儀に行ってきて、疲労困憊しているので雑談以外の記事を書けません。ただでさえ葬式は疲れるうえに、帰路で靴底が取れかかるというアクシデントが起きました。

 かといって新幹線の中では応急処置する術もなく、シブがき隊の歌を♪笑わせるぜ、靴底が外れたーなんて♪と替えて苦笑するよりほかありませんでした。♪ジタバタするなよ、京都駅が来るぜ♪とか。さすがに街じゅうを逆立ちしながら帰宅はしなかったけれど。
 ・・・ああ、雑談記事にしてよかった。

 いやしかし、葬式というのは久しぶりに会う親戚との語らいの場でもあります。で、昔話に花を咲かせるものです。
 今回亡くなったのは父(故人)の唯一の兄で、残っているのは父の弟、つまり叔父さんたちと叔母さん。めったに会わない人たちなので、私の中にある彼らのイメージは、その青年期から中年期の姿だったりします。それがもう、めっきり老けてお爺さんお婆さんになっています。
 ところが昔話をしていて脳内で再生されるのは、まだ若かった頃の彼らなんですね。まあ、向こうは私に対して、「あの可愛かった甥っ子が、すっかりハゲて」とか思っているはずで、そのシミジミ加減は私のぶんの比ではないのでしょう。
 でも私も彼らも、好き好んでシワだらけになったりハゲたりしているわけではありません。年齢、歳月、そういうものです。元気で会えるだけで幸福じゃないですか。お互いがこの境地にまで来たら、なるべく穏やかに語り合う姿勢にもなれますね(昔はちょっと血の気の多い人たちでしたが)。

 そんな中、私が叔父の一人に振った話がありました。私が小学生の頃、叔父さんの部屋に井上陽水のレコードがあったけど、あれって『氷の世界』だったの?
 そのLPは当時、つまり1973年末から翌年の正月にかけての冬休み、祖父の家を訪れた際に目にしたものです。『氷の世界』が発売されたのは73年12月なので、時期は合っています。叔父は20歳くらいでした。
 小学校に入る手前だった私は、井上陽水の名前を知りませんでした。叔父の持っていたLPを見て、「これ、なんて人?」と尋ね、「イノウエヨースイ」と返ってきた答えで初めて知ったのです。で、今回の葬式の席で確かめたところ、やはりそのLPは『氷の世界』でした。
 叔父はそのとき、『氷の世界』を甥っ子に聞かせはしませんでした。子供に通じやすい音楽ではないし、どちらかというと「まだ早い」と判断する種類です。それに若い頃の叔父はムスッとしていて、子供には近寄りがたい雰囲気がありました。
 ただ、幼い私にはあの白を基調としたジャケットが印象的で、叔父さんはフィンガー5とは違うタイプの音楽を聴くんだ、と思った記憶がずっと残っていました。

 私は小学生の頃から、親と一緒によその家に行くと、棚に並ぶ本を眺めるのが好きでした。あまり行儀のよいことではないと親から窘められても、視線がついつい背表紙のタイトルを追っていました。
 1970年代によく見かけたのは、山岡荘八の大著『徳川家康』です。あれが本棚にズラ~ッと並んでいる家庭が多かったんです。後からわかったことでは、百科事典なみに「置いてあるだけ」の場合がほとんどだったようで、だけど当時の私は大人ってこんなに長い小説を読むのかと感心していました。
 なにせ大人と若者と子供の垣根が今よりも明確だった時代です。『不適切にもほどがある!』で阿部サダヲが快演する小川みたいな、芸能界やテレビに詳しい50歳男性なんか、あのドラマで描かれる1986年にはいませんでした。1970年代だと、もっといません(いたら白眼視されていたでしょう)。
 ・・・う~ん、雑談記事とあって、『不適切~』の純子がどうなるのか?なんとか救えないのか?というトピックに走りたい気持ちが湧いてきたのだけど、やめます。

 本棚ウォッチングほどではなかったにせよ、レコード棚もまた気になるスポットでした。先述の叔父たちとは別の、母方の叔父はエルヴィス・プレスリーの大ファンで、結婚した彼の家に遊びに行くと、そこには1970年代=リアルタイムでリリースされていたエルヴィスのLPがたくさん並んでいました。
 『氷の世界』の叔父の姉にあたる叔母はもともとグループ・サウンズのファンで、タイガースのLPやシングルをたくさん持っていました。それらを私が目にした頃にはタイガースは解散して何年もたっており、ジュリーは『勝手にしやがれ』で小学生からも人気を集める前。なので当時の私にはジュリーもタイガースも今ひとつピンと来ず、どちらというとヒデキとゴローとひろみの新御三家のほうに親しみを覚えていました。
 それでも叔母の持っているタイガースのLPを眺めるのは楽しくて、子供の私には何かに夢中になることが新鮮だったのだと思います。

 エルヴィス狂の叔父は現在もリマスターCDやボックスを買っていて、熱は失せていないようです。が、『氷の世界』の叔父もタイガースの叔母も、その後、そうした歌手やグループだけでなく音楽自体を聴かなくなりました。では何に興味・関心が移ったのかというと、とくになかったみたいです。
 いや、彼らの関心のウェイトは音楽以外の生活や家庭に置かれるようになったのです。エルヴィス叔父も娘二人をちゃんと育てあげましたが、エルヴィス熱も守り通したということでしょう。前者は自然な流れだし、後者だって無理難題ではありません。どちらも、それぞれの人生を生きるうえで必要なことを選んできた結果です。そして、ここでも私は「元気で会えるだけで幸福」だと思います。

 甥っ子から過去の自分のレコード棚について訊かれて、『氷の世界』叔父はやや驚いていました。「おまえ、そんなことを憶えているのか?」と。笑みを浮かべながらも、どこか照れたような顔つきでした。
 なにが照れくさいのか。子供だからと油断していた甥っ子に、自分の青春時代の一面を見られていた、そういうことではないかと想像できます。その「一面」は、彼が鍵をかけていたつもりの引き出しでもあります。叔父は老齢になって、彼自身もその引き出しがあったことを忘れていたのです。だから焼骨を待つ部屋で『氷の世界』の話をしている叔父の表情は、懐かしさで綻(ほころ)んでもいました。実の兄の死という事実が、やんわりとそこにリンクしたのかもしれません。
 もっと言うと、甥っ子が、親兄弟ほど近縁でなくとも、自分の青春時代の周りにいたことを、急に実感したのではないでしょうか。叔父は照れたふうでもあり、どこか慌てている様子も窺えました。

 私としては、叔父を慌てさせる意図などなくて、単に昔話のディテールを少し細かくして提示したにすぎなかったのです。
 ただ、そこには彼をして触れられると慌てるし照れくさくなる何かが潜んでいたのでした。悪いことしちゃったかな、とも思いましたが、叔父がそのまま『氷の世界』について語りだし、なごやかな談笑が続きました。あのアルバムのことを彼の口から聞くのは初めてでした。
 昔のレコード棚の話を通して、若き日の自分の肖像画を見つけたような気分、だったのか。それはたしかに照れくさい。甥っ子の私にだって、今や、それに相当する自身の棚の思い出があります。触れられると慌てる事柄だって、ひとつやふたつでは済みません。
 しかし叔父の口調は昔よりも穏やかで、なによりも目尻が優しく垂れていました。その目尻は過去の自分にも向けられているように見えました。甥っ子に初めて『氷の世界』を語る姿は、現在の彼のポートレイトとして、私には充分に旅の土産となりました。

関連記事「棚コン(シェルフ・コントロール)