歌本:八代亜紀(1950-2023) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 昭和40年代と50年代の歌謡曲について綴る「歌本」のコーナーです。隔月1回のコーナーで、今月はすでに布施明の「君は薔薇より美しい」をトピックに更新したのですが(記事はこちら)、特別に1回増やして八代亜紀のことを書きます。
 彼女が昨年末の12月30日に亡くなったと報じられたのは正月が明けた1月9日でした(いずれにせよ元日に震災が起きて、大変な新年となったのですが)。闘病生活に入っていたことは知っていたのだけど、訃報を聞いて絶句し、今も頭の中で常に彼女の歌が流れている状態が続いています。
 とっくに功成り名を遂げた大ベテランではありますが、73歳はまだまだ若い。もうあの歌が聴けないのかと思うと、あのチャーミングな笑顔が見れないのかと思うと、とても寂しいです。

 この「歌本」コーナーを立ち上げるにあたって、当然のことながら八代亜紀も記事の候補に入っていました。が、選びたい曲が多すぎて絞りきれず、その中から2曲か3曲、あいだを置いて書こうかと考えていたのです。
 「舟唄」と「雨の慕情」は甲乙つけがたいし、「愛の終着駅」も「哀歌(エレジー)」も絶品だし、「なみだ恋」も「おんな港町」も「もう一度逢いたい」もしかり。
 カヴァー曲の歌唱だって演歌のみならず、近年はなんとビリー・アイリッシュのBad Guyを自らのYouTubeチャンネルで歌ってました。ジャズのカヴァーのみで記事ひとつぶんを費やしてもいいくらいです。で、そのどれもが八代亜紀の歌の吐息をたっぷりと含んでいました。
 「舟唄」と「雨の慕情」については、いずれ必ず個々に記事を書きますが、今回はもう少し私的な温度をもって、日本のポピュラー音楽の名花・八代亜紀を見送りたいと思います。

 八代亜紀は歌謡曲の演歌のフィールドで活躍したシンガーです。演歌歌手としてたくさんのヒット曲を放ち、多くの人に演歌歌手として愛されてきました。だから1968年生まれの私には、ハスキーな声の上手い歌手だとは思っても、思春期の日常生活で積極的に聴くことはありませんでした。
 前述したように、彼女はジャズ・ヴォーカルのスタイルでも数々の優れた歌唱を残しています。ジュリー・ロンドンに憧れて歌手を志した八代亜紀にとって、そちらが本来やりたいことだったのかもしれません。
 でも、だからといって彼女の演歌がジャズ・ヴォーカル曲より劣っているなんてことは全然ありません。私はおもに洋楽(とくにロック)を聴いてきたので、演歌よりもジャズのほうが接しやすかったけれど、八代亜紀の演歌はスペシャルな、ジャンルの境を超えて迫る歌そのものの魅力に溢れていました。

 「愛の終着駅」「雨の慕情」「舟唄」・・・それらの曲が大ヒットして、彼女がテレビで歌う姿も何度となく見ました。小学校の友達の家に遊びに行くと、お父さん所有のドーナッツ盤を何枚か目にしました。その友達がいうに、お父さんは八代亜紀のことを「亜紀ちゃん」と呼ぶとかで、そのことは男の約束とやらで、お母さんには内緒だったようです(絶対にバレてたはずですけど)。20代後半だった八代亜紀は、小学生男子の好みではなくとも、綺麗なおねえさんだとは理解できたので、まあそういうものだろうと納得しました。
 ある日、なにかの用事でそのお父さんの車に乗せてもらった際に、カーステレオで流れていたのが八代亜紀のカセット・テープでした。「これ、『愛の終着駅』?」と私が尋ねるや、友達のお父さんはハンドルを握って前を向いたまま、「おう、よう知っとるやないか」と言って口許を綻ばせました。ゴツい横顔が、なんか照れてるみたいでした。
 それで私が急速に八代亜紀を聴きだしたわけではありません。むしろ子供時代が終わってロックにのめり込むと、演歌とも八代亜紀とも距離が開くいっぽうでした。

 最初に買った彼女のレコードは『熱唱 八代亜紀リサイタル'76』という2枚組のライヴ盤LPです。それは今世紀になってからレコード・フェアで入手したもので、ロックに昔ほど熱中できなくなってきた40代の前半に、ほとんど偶然に近い形で視界に入ったのを「おもいきって演歌でも聴いてみるか。八代亜紀なら損はないだろう」と買ったのです。
 1976年のコンサート音源なので、1979年の「舟唄」も1980年の「雨の慕情」も収録されていませんでした。「愛の終着駅」も翌1977年の曲。
 そのレコードが良かったのです。1曲目の「おんなの夢」を、八代亜紀が「一度でいいから 人並みに あなたの妻と呼ばれてみたい」と歌い出した瞬間、ゾワゾワと鳥肌がたち、まるでワープでも体験するかのように一気に彼女の歌との距離が縮まりました。
 なんだこれは!参ったな。えらいこっちゃ。いかにもなド演歌の曲調でさえも心地よく聞こえる。
 北原ミレイの「ざんげの値打ちもない」のカヴァーも、曲自体が傑出しているのもありますが、八代亜紀が歌うと歌詞から乾いた念が醸し出されて、歌謡ブルースの型が明瞭になります。
 そんなふうにLPを聴きすすめて、ここぞという曲順で「もう一度逢いたい」が歌われるや、私はこらえきれなくなり、口許を綻ばせ、ついにその名を呼びました──「亜紀ちゃん!」。

 自分が中年になって、男女の機微やら人生の苦みやらが多少はわかってきたことも、演歌に耳を傾けだしたことと関係がなかったとは言えません。でもやはり、八代亜紀の歌が特別だったのです。
 日本の演歌はよく、アメリカにおけるカントリー・ミュージックに似た受容をされていると言われます(最近はカントリーのマーケットも変わってきたようですが)。しかし、どうやら私は八代亜紀の演歌に、カントリーとの近さよりもジャズやリズム&ブルースとの近さを覚えて、40歳を過ぎてから惹かれました。その私の反応で働いたのは実年齢以上に、音楽に対する感性の変化でした。もちろんこれは個人的な変化で、どれだけ耳が経験値を上げても、これと同じ反応を示さない人がいても優劣はありません。
 私の場合は、八代亜紀の演歌をジャズ・スタンダード的な角度で受け止めたあと、今度は演歌の様式や歌詞のテーマ、作曲上の美点にも興味を持つようになりました。で、それが発展したのがこの「歌本」コーナーです。つまり私がこのコーナーで演歌をトピックに記事を書いているのも、八代亜紀のおかげなのです。

 とは言っても、彼女の代表曲の大半は歌詞もメロディーもアレンジも演歌です。多くの人に愛された歌唱も演歌的な情感の回路を通っていました。しかしその演歌性には是も非もなく、これは歌なのだ、しかも極上に美味い歌なのだと酔わせたシンガーが八代亜紀だったと思います。
 彼女は美空ひばりや藤圭子のように時代の空気を背負って活動した歌手ではありません。けれど彼女の歌はジャンルで分かれた川から音楽の広い海へと繋がっていました。そうやって聴き手を運んだ先の海が市井の濁りや匂いを湛えていて、男と女の生きる巷(ちまた)、つまり聖なる海というより港町だったのも、八代亜紀の歌の絶大な魅力でした。
 歌詞を大切にして情感を届けたい、と彼女は晩年にも語っていました。あれだけ歌える人が今でもそう努めるのかと感心したし、そのポリシーが数々の名曲に反映されていたこともわかります。
 だけど八代亜紀の歌を聴いていると、私は歌声に魅了されて、歌詞が耳に入らないことがあります。彼女にしてみれば不本意かもしれませんが、空気を震わせて伝わる歌声のすべてが気持ちいいから、とにかく聴き惚れてしまいます。そしてその気持ちよさは、私が欧米のジャズやブルースやロックから得るものと同質です。

 その意味で一番好きな八代亜紀の曲は「もう一度逢いたい」です。ほかにもたくさん推薦したい曲はあるけれど、たとえば彼女のジャズ・ヴォーカルの傑作『夜のアルバム』に感激したら、どうかこの1976年のヒット曲も味わってみてください。ここには演歌があってリズム&ブルースがあって、それらを市井の濁りと温もりで包み込む最高の歌があります。いやホント、音楽してる歌です。聴き惚れるって、聴いて惚れちゃうということなんだな。
 さっきも「もう一度逢いたい」をリピートして、この人の歌がずっとずっと聴き継がれますようにとの願いをこめて、本当は気の利いた言葉のひとつで締めくくりたいところを、やっぱり辛抱たまらずこう叫ぶしかありません──「亜紀ちゃん!」。