歌本:布施明「君は薔薇より美しい」(1979) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 演歌も含めた歌謡曲の名曲について、その魅力に作詞面と作曲面の両方からスポットをあてて書く「歌本」のコーナーです。
 立ち上げから5回ぶんの記事で演歌を選んだので、この第6回からポップス系の歌謡曲にトピックを変えます。演歌も歌謡曲ですが、ジャンル名として独立した認知度があります。ここからしばらくは、西洋風の要素を大幅に取り入れた歌謡曲の話となります。

 その手始めに選びますのは、布施明の1979年のヒット曲「君は薔薇より美しい」です。作詞・門谷憲二、作曲と編曲はミッキー吉野。
 バッキング・ミュージシャンは、ギターが浅野孝巳、ベースがスティーヴ・フォックス、ドラムがトミー・スナイダーでキーボードがミッキー吉野という、タケカワユキヒデ以外のゴダイゴのメンバーです。当時を知る者には「おおっ、昭和54年だ!」の実感が湧きます。
 じつにカッコいい演奏です。あたりまえですが、ゴダイゴの音。彼らは当時ニューミュージックにカテゴライズされていて、「君薔薇」もシティ・ポップ的な要素の入った歌謡曲です。

 ただ、その感覚はニューミュージック色というよりも、尾崎紀世彦あたりを彷彿とさせるゴージャスな色合いで、昭和54年に小学6年生だった私がシングル盤を買ってきて聴いていると、母が「ずいぶんマセてるねえ」と笑っていました。「君薔薇」の曲調が子供が喜ぶタイプには思えなかったのでしょう。
 私もゴダイゴと同じジャンルの曲とは受け止めていませんでしたが、レコードを買ってきたくらいですので、とても気に入っていました。今でも大好きな曲です。クラブDJに「和モノ・グルーヴ」として再評価されたこともあったし、現在も布施明が歌番組で披露すると、そのなみなみとした声量の豊かさがネットで「待ってました、君薔薇!」とバズるようです。
 興味深いのは、1979年に布施明がこの曲を歌う映像よりも、70代の彼が衰えない歌唱力で歌っている今のパフォーマンスのほうが話題になること。毎度それを確かめて盛り上がるには、レコード大賞を受賞した「シクラメンのかほり」の何倍も、「君薔薇」のジャジーに華やいだ曲調が向いているのです。

 これはウェットな短調が好まれる日本では珍しいのではないでしょうか。あのイントロが鳴り出すと、ネットには「神降臨!」の言葉が飛び交って歌の祭りが始まります。

 そのジャジーな華やぎを醸し出しているのはCdim(Cディミニッシュ)という、不安定かつ洗練されたコードです。ド+ミ♭+ソ♭+ラの和音。厳密な表記はCdim7になるのだけど、そのへんの説明は省略してCdimで統一します。
 原曲のキーはAです。いつものこのコーナーのように、見た目が平易なCにキーを置き換えたいところです。が、ディミニッシュの話となるとCに移調しても見た目は平たくならないので、今回はAのキーのまま進めましょう。

 とにかく、このCdimがいたるところに顔を出して「君薔薇」らしさを振りまくんです。
 たとえば、イントロ。サックスが出だしに奏でる♪パッパパッ、パッ、パララ♪の次の♪パッパッパッパ~(ミ♭、ソ♭、ラ、ド~)♪のコードが、このCdim。出だしの♪パッパパッ、パッ、パララ♪には押しの強さがあるけど、次の♪パッパッパッパ~♪の和音にはジャジーな洗練が混じっており、これがディミニッシュの持ち味です。
 イントロの締めは音数が絞られて、♪ジャ〜ン、ジャ〜ン♪が繰り返されます。ここはAのコードとAdim(Aディミニッシュ)が交互に使われています。で、Adim(ラ+ド+ミ♭+ソ♭)はCdim(ド+ミ♭+ソ♭+ラ)と構成音が同じです。
 このCdimの持ち味は他の箇所でも発揮されています。布施明が歌いだす「息をき~らし~」の「し~」がそう。「久しぶりねと~」の「と~」もしかり。
 「うっすら汗までか~いて~」の「あ~せ」もCdim。ここでのCdimは、「汗」の言葉にセクシュアルな匂いをも漂わせています。
 このコードが大活躍するのは、「あ~あ~君は~」の後の♪パパッパッパッパ♪と高まってゆくパート。ここはフレーズがド、ミ♭、ソ♭、ラ、ド(いずれもCdimの構成音)、そして頂点の♪パパパッ!♪でBm7/Eへ達します。

 このBm7/Eのコードは、ミとシ+レ+ファ#+ラを足した和音です。続いて布施明が放つのが必殺の「かわったあぁぁぁあああ!」で、そのコードはA。
 Aのキーの主役であるAのコードの前に置かれるのは、普通ならEです。でも「君薔薇」ではBm7/Eがその役。

 これはなぜかというと、Bm7/Eくんの響きがEくんよりも気がきいていて洒落ているからです。

 Eくんは自然体でAくんにバトンタッチしますが、Bm7/Eくんがバトンタッチする響きにはソフトな大人の余裕が感じられます。しかもBm7/Eくんは見てのとおり分数コードで、分母にEくんという真っ直ぐな自然体の響きも持っています。

 どうですか、このミッキー吉野の技の冴えっぷり。


 それから、タイトルの「薔薇/(C#)よりう〜つ〜く/(F#m)しい〜」の箇所は、Aのキーに所属してないC#を持ってきて、それをAに所属する
F#mに繋げています。そこに乗ったメロディーとあわせて簡潔にして流麗です。

 これはセカンダリー・ドミナントと呼ばれるコード進行ですが、この曲ではタイトルのフレーズに用いられるも、飛車角に価するCdimほど動きが目立ってはいません。逆に、その控えめな流麗さが歌詞の主人公の男のトキメキと結びついていて、味わい深さを醸し出しているとも言えます。

 では、そのトキメキの中身は歌詞でどう表現されているのか。


 「君薔薇」は1979年春のカネボウのCMソングに使用された曲で、そのCMではオリヴィア・ハッセーが出演して話題を呼び、彼女は翌年に布施明と結婚しました。オリヴィア・ハッセーは映画『ロミオとジュリエット』のジュリエット役で日本でも人気を博したことがあり、その彼女が久しぶりにCMで注目されたことは、「君薔薇」の歌詞に登場する女性が主人公と再会する設定とも重なっていたように思います。
 当初から彼女を念頭において書かれた歌詞だったのかは知りませんが、この曲で歌われる女性の過去の姿にジュリエット像を当てはめても違和感はありません。つまり、「君薔薇」の女性も元は世間知らずの可愛らしいお嬢さんだったのです。主人公の男は彼女と恋に落ちたことがあり、再会した彼女の見違えんばかりの美しさに驚いています。
 その麗しい変化を讃えて、今度は本気で惚れたよ、と熱をあげている歌です。


 面白いのは、歌詞の端々に男の下心が見て取れることです。
 彼女は彼と久々に会う際に、「息をきらし、胸をおさえて」待ち合わせ場所に現われます。それを男は「バカだね そんなに急ぐなんて」と目を細めます。

 そういう様子を見たら、男はオレに会うのがそんなに嬉しかったりするの?もしかして、まだ脈があったりするわけ?と喜びます。浅はかですが、往々にして起こりうること。
 つまり、彼はこう考えているのです。「ワンチャンあるかも?」。

 「君薔薇」の男は、彼女が息をきらして現われるのを見てニヤついて、そのニヤつきは彼女の現在の美しさの前で恋の再燃に確変します。
 二番になると、彼は「笑いながら風を追いかけ 君に誘われ行ってみよう」、この再会では彼女のほうが積極的なんだと自分に言い聞かせています。そして二人の過去については、こう認識しています。「愛の日々と呼べるほどには心は何も知っていない」、体は何かを知ってるんですね。「いつでも抱きしめ 急ぐばかり 見つめることさえ忘れ」、かなり婉曲的な表現。私がマツコ・デラックスだったら、「要するに、若い女の体に溺れていただけじゃないのよ!」と、カメラ目線で声を張りあげます。


 「だました男がだまされる時、はじめて女を知るのか」で、彼は嬉々として彼女に白旗を揚げています。昔はオレが泣かせたけど、今度はオレが痛い目にあう番かもな。そういうのもオツなもんじゃないか。じゃあ、気のすむまで翻弄してもらおう。

 そんな男の浅はかさと下心を恋模様として描いたラヴソングが「君薔薇」です。

 ケナしてるのではありません。人物の心の機微を読み取らせる作詞が抜群だと言いたいのです。

 この男の恋に対するポジティブな姿勢や、一度は別れた女性が息をきらして彼に会いに来る魅力は何なのか。

 だってこれ、けっこうヤな男ですよ。ていうか、男性の浅はかさが美化されてます。彼女が息をきらして駆けつけたのも、社会人になって遅刻はダメだと骨身にしみたから、じゃないですか?そこもこの男は都合よく解釈してたりして。

 だけど彼は、やっぱりモテそうなんです。魅力があるんだろうなと思わせます。


 布施明の歌唱がそれを納得させるのです。布施明の歌の力が、この男に単なる勘違い野郎とは一線を画す魅力を肉付けしています。その説得力が凄い。

 これが今どきの、古市憲寿の前髪みたいな発声の男性シンガーだったら、そう受け止めはしません。この布施明の歌声の色気と底知れぬパワーが、こんないい気な駆け引きを情熱に満ちた恋の賛歌に変えます。もちろん、歌詞が男の下心とトキメキをロマンティックに描いていて秀逸なのもあります。作編曲も素晴らしい。


 しかしこの曲は布施明に歌われることによって、下世話さと洗練と甘さと華やかさが一体になった歌謡曲のグルーヴを生み出します。

 まるで歌の女神とのランデヴーを楽しんでいるかのような、余裕があって笑みを絶やさず、でも確実に何かを女神に捧げている歌唱。

 布施明が現役のシンガーであり続けるかぎり、「君薔薇」を歌う布施明への「待ってました!」の声援もなくならないのでしょう。そして「変わった~~!」で、布施明本人も私もニヤついたトキメキを爆発させるのでしょう。これは1979年の歌謡曲の逸品です。