今年最後の雑談 | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

ロックを中心とした昔話、新しいアフロ・ポップ、クラシックやジャズやアイドルのことなどを書きます。

 2023年も明日で終わり。これが年内最後の更新となります。
 書きたいトピックはいろいろあるんですけど、今回の記事は通常以上にリラックスして、雑談の小ネタを寄せ集め、その合間に曲をはさむラジオ番組の形式を取ります。
 1曲目に選ぶのは、ローザ・ルクセンブルグの「モンゴル放送局」。アーミングやヴォリューム奏法を駆使したギター・インストで、オリエンタルな曲調のブルース・ロックです。

 はい。ローザ・ルクセンブルグの「モンゴル放送局」でした。いやあ、久しぶりに聴きましたがカッコいいですね。燃えます。
 この「勝手にシドバレット」というブログは、私が17歳から27歳までの時期にあたる1985年から1995年までを柱に据えています。その柱も最近は存在感が薄くなっていて、扱う音楽ジャンルの雑多さが目立っていますが、もともとはそのへんの時代のことを振り返るために始めたのです。
 で、とくにミッド・エイティーズというのは、こういうローザ・ルクセンブルグのようなユニークなセンスが音楽のみならずカルチャー全般で歓迎される空気があって、若き日の私はそれをたっぷりと呼吸していたわけです。まあ、余裕があったのかもしれませんね、社会にも人にも。
 それと、インストゥルメンタルが個人的に好きなんです。楽器と楽器の音が合わさって流れてゆくさまを聴くのが、絵を眺めているみたいで楽しい。だからジャズも好き。
 同様にクラシックも単純に耳が楽しいんです。インストとして。この「インストゥルメンタル・ミュージックとしてのクラシック」については、できれば来年あたりに記事にしてみたいと思っていますが、どこまで伝わるかは心許ないです。

 さて、ガラリと話題を変えまして、NHKの大河ドラマです。今年は『どうする家康』というのがありまして、賛否両論だったみたいですね。
 私は序盤の5回ほどで脱落しました。見ていて、これは『少年サンデー』に小山ゆうが描いたマンガなら毎週読み続けるかもしれないけど、1年間の連続ドラマの枠ではシンドイと感じました。大河ドラマは主人公の成長譚がひとつの型ですから、序盤は緩めで描写が甘いのは慣れているのだけど、『どうする家康』は戦国時代の物語としては視聴意欲が削がれたのです。前年の『鎌倉殿の13人』が素晴らしかったので、なるべく過度な期待は控えるようにしていたのですが、5回が限度でした。
 来年は紫式部を主人公とする『光る君へ』。さあ、どうなるか。主演の吉高由里子が好きなので見るつもりですけど、紫式部で1年間のドラマを作れるのか。
 ただ、清少納言の役にファーストサマーウイカがキャスティングされており、そこに少なからず関心を持っています。紫式部と清少納言は面識がなかったはずですし、ドラマでも二人の因縁というか関係が創作されるのかどうかはわかりません。でも、宮仕えの後輩である紫式部のことを、ファーストサマーウイカの清少納言が「イ~ッ!」と苛立つ姿は見てみたいです。それはハマるでしょう(実際には紫式部のほうが清少納言の名声にイライラしていたようですが)。
 では、そんなファーストサマーウイカの曲で、「Open The Door」。布袋寅泰が書いたモータウン調の軽快な曲です。

 ファーストサマーウイカで「Open The Door」でした。MVの中でも十二単っぽい衣装を着ているんですね。似合ってます。彼女の歌声もすごくいい。
 ところで、今年読んだ本で面白かった一冊が『日本語の発音はどう変わってきたか』(釘貫 亨・著 中公新書)。帯にある「羽柴秀吉はファシバフィデヨシだった!奈良時代から江戸時代まで、人々がしゃべっていた本当の発音とは?」が中身を要約しています。
 映画やドラマなんかで、現代人が織田信長の時代にタイムスリップするストーリーがありますが、本当にそれが起きたら当時の庶民との会話にも苦慮するでしょう。発音やイントネーションが現代とは違っていたからです。ましてや奈良時代ともなると、あいうえお以外に母音があったり、「さ」を「tsa」と発音したり、「は」が「pa」に近かったり、それらを一気にまくしたてられたら現代人にはお手上げです。『万葉集』など、オール漢字で記された史料を研究することで把握されてきた古代の発音を概説した新書が、『日本語の発音はどう変わってきたか』です。やや難しい箇所もありますが、とても興味深く読めた本でした。奈良時代にタイムスリップしたときの心構えになります。
 平安時代もそうで、『源氏物語』の有名な書き出し、「いづれの御時にか、女御、更衣、あまた候ひ給ひける中に」も、発音だけでなくイントネーションも現代の京都弁とは大きく異なります。YouTubeに元の発音の再建に努めた朗読の動画があるので、よろしければどうぞ。朗読は2分すぎくらいから始まります。

 ふと思ったのは、今後AIの技術が発達したら、こうした発音の再建が進むのかもしれませんね。もう可能なのかな。その方法で『天平の甍』とか作ったら、俳優のセリフがポスト・プロダクションでめっちゃリアルに聞こえるのか。そしたら字幕が必要になりますね。いや、それで作品として良くなるという話ではありませんよ。表現としてのリアリティは別です。
 さて、またまたトピックを変えます。
 今年は持病の椎間板ヘルニアがたまに悪さをして、あんまり映画館に足を運べませんでした。座高の低い椅子に座るのが怖いんです。しかし観に行った映画は満足度の高いものが多くて、トッド・フィールドが監督した『TAR』もそのひとつでした。ケイト・ブランシェットがリディア・ターという指揮者を演じていて、彼女が栄光の頂点から堕ちてゆくプロセスは、人間の欲望と芸術をめぐるニューロティックなサスペンスとして見応えがありました。
 それと、感覚的に訴えかける描写が優れていて、たとえばターが失意を抱えて帰ってくる故郷が、ブルース・スプリングスティーンの歌に出てきそうなアメリカの郊外の町なんです。寂れてはいないけど、文化的に鋭敏な若者には希望が持てない雰囲気。あるいはフィリピンのマッサージ店で彼女が目にする女性従業員たちの待機する姿が、観客を得体の知れない不安感と嫌悪感で包み込みます。あの部屋の白さが醸し出すグロテスクさは、映画を見終わって何ヶ月たっても感覚に残っています。
 絶大な権勢を誇るカリスマが日頃の行いをポリコレ的にキャンセルされて失脚する話で、この年末にどうしても思い返してしまうのですが、そうでなくとも傑出した一作でした。
 ということで、『TAR』はサントラ盤も素晴らしいのだけど、ここでは映画自体とは全く無関係なブルース・スプリングスティーンの曲を選びます。アルバム『闇に吠える街』に収録されていた、Factoryです。

 はい。ブルース・スプリングスティーンのFactoryでした。いやあ、いいですね。私の世代は高校の時に例の『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』の特大ヒットがあって、そこからスプリングスティーンに傾倒していった人もいるのですが、大半はあのアルバムしか聴いたことがないか、なんとなくのマッチョなイメージで食わず嫌いしていたりするようです。私もそんなに熱心な信奉者ではないけれど、アルバムが出ると気になって聴くし、いい曲がたくさんあるなと思います。
 次も脈絡のない選曲です。タイガース・メモリアル・クラブ・バンドのTwist And Shout。
 元タイガースの森本太郎を中心に、1980年代の末期にGSのスターたちが集まったグループで、アルバムも出しています。リンゴ・スターのオール・スター・バンドみたいなものですね。
 1989年の横浜アリーナでは、沢田研二を含むタイガース、スパイダース、ワイルド・ワンズ、ゴールデン・カップス、モップス、シャープ・ホークス、ジャガーズといった人気GSのメンバーたちがそろい踏み。テレビでも放映されたのを私も見ました。
 同窓会ノリの企画であり、当時すでに20年前のヒット曲を懐かしむ類のイベントだったのですが、意外と楽しめたのをおぼえています。それもそのはず、ここに集った面々は40歳を過ぎたくらいの頃で、歌も演奏もいい感じに熟していたし、中年ならではの胆力を備えていたのですね。
 私は1968年生まれですから、GSの全盛期なんて体験していません。親戚のおじさん、おばさんのレコード棚にシングルやLPが置いてあったのを記憶している程度です。が、芸能界的な風土色が混じっていたにせよ、どこかチャーミングな捨てがたい佳さを感じることはありました。
 ここでラストに演奏されるTwist And Shoutは、ジュリーはもちろん、鈴木ヒロミツのパワフルなヴォーカルが魅力的で、最後にジュリーが「力也!」と自らのマイクに招いての安岡力也の熱唱も鮮やかでした。このヴァージョン、好きです。
 それにしても、なぜ「ロック・バンド」ではなく「グループ・サウンズ」と呼ばれたんだろう。さらにそこから20年後、つまりこのイベントが開催された年に起きていたのが、これまた「ロック・ブーム」ならぬ「バンド・ブーム」だったのは、なぜなのか。なんでそこまで「ロック」という言葉が用いられなかったのか。日本人のロック受容のあり方を考えるうえで、小さなポイントのような気がしてなりません。

 雑談も積もれば山となるかというと、ならないんですね、これが。いやしかし、こんなに内容のない記事になるとは予想してませんでした。気ぜわしい年末です。今から重曹を使って換気扇の掃除とか、せにゃならんのです。これで勘弁してください。
 ラジオ番組の形式を取ったのは、入院中の渋谷陽一氏へのトリビュートでもあります。前に彼の著書『ロック・ミュージック進化論』の文庫版について書いたのは(記事はこちら)、じつは入院の報を聞く直前でした。ブログを更新して、友人からのメールで知ったのです。驚いて、ブログを書き直そうかとも考えましたが、読み返してその必要を感じなかったから、そのままにしてあります。
 私は雑誌やライナー・ノーツを片手に音楽を聴いてきた世代で、文章を読むことと音楽を聴くことは遠く離れていませんでした。楽器を弾く経験も大きかったけれど、音楽について書かれた文章に心を動かされたことは一度や二度ではありません。
 渋谷陽一氏のロック評論は、私には共鳴しきれない部分もあるのですが、それでも著書はすべて読んで学生時代はラジオも聴いていました。「ニュー・オーダーのロックは、いつもどこか申し訳なさそうだ」という意味のディスク・レヴューは、音楽に関して具体的になにも言ってないのに見事なニュー・オーダー評をなしていて、あの人でなければ書けない文章でした。
 とりわけ何度も読み込んだのは、ブライアン・フェリーのアルバム『ボーイズ・アンド・ガールズ』のライナー・ノーツです。ロキシー・ミュージックとブライアン・フェリーのLPでは今野雄二氏のライナーがおなじみで、その気取った文体を渋谷氏は常に批判していました。で、1985年の『ボーイズ・アンド・ガールズ』では渋谷氏が書いたのです。私は今野スタイルもロキシーには悪くないと思うのだけど、渋谷氏による『ボーイズ・アンド・ガールズ』のライナーは、天敵から機会を奪取しただけあって、一字一句に気魄の漲る名文です。
 数年後、渋谷氏がそのアルバムを”『アヴァロン』での風通しの良さが失われて息苦しい”と書いているのを読み、どういうつもりやねんと目を疑いましたが、たしかにその意見は間違っていないし、かといって『ボーイズ・アンド・ガールズ』のライナーに書かれてあった客観的な賛辞もオベンチャラではないのです。その二つの視点を得たことで、私にとって『ボーイズ・アンド・ガールズ』は、たとえ『アヴァロン』より息苦しい作りだと認めても、人生でいちばん大切なアルバムとなりました。あの渋谷氏のライナーも緊張感を強いて息苦しいところがあるのですが、この世に存在するすべてのライナー・ノーツの中でダントツに好きです。
 今回の記事は渋谷氏へのお見舞いと感謝の意をこめて、ブライアン・フェリーのSlave To Loveで閉じます。
 来年はお正月恒例のノンビリした雑談で始める予定です。ではよいお年をお迎えください。もっといい年にしたいですね。