箱ハコアザラク:ジョン・レノン(1990) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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箱ハコアザラク:John Lennon/ Lennon(1990)

 

 1990年代に買ったCDのボックス・セットについて書く「箱ハコアザラク」のコーナーです。今回は1990年に発売されたジョン・レノンの4枚組ボックス『レノン』のお話。
 私はこのボックスを日本盤で持っており、ケース裏に刷られた発売日を見ると9月27日と記載されています。海外では10月30日だったようで、日本先行ということになります。
 値段は税込9800円。『ジョンの魂』以降のアルバムはすでに持っていて歌詞対訳は必要ではなかったから、輸入盤でもっと安く入手しようと考えました。ところが『レノン』箱の輸入盤は、たしか1万円を超えていて、急に日本盤の9800円という数字がお得に感じられたのです。
 それにしても発売日が9月27日だったとは。ジョンの50歳の誕生日(10月9日)を意識してのスケジュールだったのでしょうか。いや、それだけではないはずです。1990年は、ジョンの没後10年目にあたる、亡くなって初めてディケイドを数えるタイミングでもあったからです。そちらのほうが誕生日よりも強く意識されるでしょう。私がこの日本盤を買ったのも、発売から少し遅れてジョンの命日の12月8日前後だったことをおぼえています。

 『レノン』はジョンのディスコグラフィー上では初のボックス・セットです。コンピレーションという形式でも、『レノン』は『ジョン・レノン・コレクション』(1982年)以来の企画でした。『メンローヴ・アヴェニュー』(1986年)はアウトテイク集だし、『イマジン』はサントラなので、性格が異なります。さらに遡ると、生前に編まれたコンピレーションは『シェイヴド・フィッシュ』(1975年)だけ。『ジョン・レノン・コレクション』は、『ダブル・ファンタジー』からの曲を大盤振る舞いすることで『シェイヴド・フィッシュ』のささくれや苦みを和らげた印象があり、1980年代のリスナーの耳に優しいコンピレーションでした。

 『メンローヴ・アヴェニュー』はジョンの私生活が一番荒れていた時期の姿を生々しく伝えるレア音源集で、『イマジン』のサントラはそれをオブラートで包んだような感触があります。ほかにライヴ盤の『ライヴ・イン・ニューヨーク・シティ』(1986年)は彼の歌が本調子ではなく、自身への苛立ちが含まれていました。
 こうして振り返ると、『ジョン・レノン・コレクション』のリリースから『レノン』箱が発売されるまでに、ファンがアルバムで提供されてきたジョン・レノン像は「凶弾に斃れた愛と平和のメッセージ・メイカー」と「私生活や自身のコンディションにも問題を抱えたロックンローラー」の二つが交互していたように思えてきます。その二つは相反する事柄ではなく、それらをトータルしてジョン・レノンは真摯な表現者だったわけですが、多くの人に咀嚼しやすかったのは「愛と平和」と「非業の死」のほうでした。

 1990年にはCDがさほど新しいメディアではなく、私も気軽に盤を買うようになっていました。もしこれが4年前の1986年だったら、『レノン』はニュー・メディアのワンダーを伴っていたかもしれないけれど、1990年にCDが新鮮だった時期は過ぎていました。つまり、「おおっ、Well Well Wellのシャウトがこんなふうに聞こえるのか!」などと、いちいち感激しなくなっていたのです。

 『レノン』の次に正規発売されたボックスは、未発表音源のみが収録されて驚かされた4枚組の『ジョン・レノン・アンソロジー』です。あちらは1998年の発売なので、CDの時代となった1990年代では、ほぼ『レノン』がジョンの箱を代表していました。

 でもパッケージとしての存在感はあまり大きくなかったと思います。翌1991年には、ボブ・ディランの『ブートレッグ・シリーズ』の第1弾が大量のレア音源でファンの度肝を抜き、装丁面でもキング・クリムゾンやイエスがボックスを単体の作品としてアピールしました。それらに比べると、1990年の『レノン』は創意工夫の点で発売時から決め手には欠ける箱でした。


 じつのところ、私もこの4枚組ボックスを買おうかどうか迷いました。ここにはレア音源は含まれていません。エルトン・ジョンのライヴにゲスト出演した際の3曲が貴重になりつつあったとはいえ、それだって日本オンリーのLP『エルトン・ジョン&ジョン・レノン ライヴ!』(1981年)をレンタル・レコード店で見かけました。1990年に私は22歳で、新しいロックにも聴きたいアルバムがたくさんありました。それを抑えても『レノン』を買ったのは、雑誌や新聞で没後10年に関する記事を読むうちに、ジョンのソロ・ワークスを俯瞰できるボックスを持っておきたくなったのでしょう。
 1990年代が進むにつれてボックス市場が活性化してゆくと、私なんかは『レノン』に対して、せっかくのジョンの箱なのだから、もっと各ディスクが有機的に聴き手のイマジネーションに作用するほうがいいのではないか、と思いました。1990年というCDボックス元年が過ぎ去って、内容も装丁も素朴な時期から次の段階に移っていたからです。

 しかし今聴きなおしてみると、ボックス・セットとしての『レノン』は、聴き手の関心の深度によって分散しがちなジョン・レノン像をトータルなものにまとめた良質の企画だったと評価できます。
 『レノン』はジョンのソロ・アルバムの要点を粛々と伝えるボックスです。『ジョンの魂』『イマジン』からの曲が多く、『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』からあまり選ばれていないのは、当時の平均的な評価です。ディスク4に『ダブル・ファンタジー』と『ミルク・アンド・ハニー』のジョン=ヴォーカル曲を集めているのも、ある種の気配りを想像させます。
 ボックスの最初にはGive Peace A Chanceが置かれており、ラストはGrow Old With Me。「平和にもチャンスを!」と声をあげていたジョンが、40歳になる直前の夏に「一緒に齢をとっていこうよ」と滋味深く歌いかける。それは変節とは違っていて、人としての成熟のあらわれです。「平和にもチャンスを!」も「一緒に齢をとっていこうよ」も、眼差しの源は同じ。それがジョン・レノンです。

 Give Peace A Chanceに始まる多数の曲がGrow Old With Meで終わるとき、ファンはジョンとともに齢をとっていくことができなかったのだと思い知らされます。目新しい観点には欠ける構成ですが、オーソドックスな構成が実直に働くボックスです。「ボックス・セット元年」の素朴な作りが功を奏したとも言えます。

 また、ジョンのディスコグラフィーはその時々の彼の創作に向かう必然を如実に反映しているので、レア音源から垣間見える裏側よりも各アルバムの太い柱のほうが大事です。ジョンの最高の姿も、迷ったり自暴自棄になったりしている姿も、ちゃんと『ジョンの魂』や『マインド・ゲームズ』に残されているのです。アルバムごとの枠を重視したボックスが、ビートルズ解散後の全アルバムとレア音源集を収録した2010年の『ジョン・レノンBOX(Signature Box)』。あの11枚組も意義深い箱だったけれど、そこをダイジェストしたうえでジョンの軌跡を追う『レノン』が先にあってよかったし、ジョン・レノンにはそういう捉え方が合うと思います。4枚組ボックスの『レノン』はジョン・レノンについての分厚い概論なのです。

 もうひとつ、これも今回聴きなおして感じたのですが、ディスク4(『ダブル・ファンタジー』と『ミルク・アンド・ハニー』からのジョン曲集)以外に置かれたライヴ音源が、意外と効果的なアクセントになっています。
 ディスク1に『平和の祈りをこめて(Live Peace in Toronto 1969)』からBlue Suede ShoesとMoneyとDizzy Miss LizzyとYer Blues、それに『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』からのWell(Baby Please Don't Go)、ディスク2には『ライヴ・イン・ニューヨーク・シティ』からのCome TogetherとHound Dog、ディスク3にはエルトン・ジョンとのWhatever Gets You Thru The NightとLucy In The Sky With DiamondsとI Saw Her Standing There。

 どれもレアなものではないけれども、これらのトラックで聴くジョンのヴォーカルはスタジオで録音されたヴァージョンよりもラフで、そこにも彼のロックが匂い立っています。準備不足やおぼつかなさがあっても、とにかく自分の今を刻みつけて押し通す、この歌の魅力に私は抗えません。それが表現として成り立っているところも、この人が唯一無二のアーティストである証です。
 ジョン・レノンはビートルズ解散後にほとんどライヴの場に立っていません。あれほどの天才なのに、怖かったんだろうなと思います。ここに収められたライヴ音源にも、どこかコントロールに苦慮している様子がうかがえます。しかし、その緊張や小心が、出たとこ勝負やヤケクソであろうと、人の心に捻じ込んで忘れられなくさせる、そういう力を持ったライヴ・パフォーマンスがこのボックスには要所に挿まれています。

 私が『レノン』の箱を30年以上もCDラックに残しているのは、そうしたトラックを配した作りが、自分の中にあるジョン・レノン像を太い線で何度も意識させてくれるからです。
 そしてそこで歌われているテーマは、地球規模の平和であれ、妻への「やきもちやいてゴメンね」という詫びであれ、それが初めて世に出た半世紀前だけではなく現在も古くなっていないし、それどころか「平和にもチャンスを!」は今この瞬間にだって、どんなに叶う望みが薄くとも訴えることを諦めてはならないメッセージであり続けています。