名盤の隣:The Doors/ Waiting For The Sun (1968) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 「名盤と私」コーナーの枠内で、「名盤の隣」と題して、ロック史に燦然と輝く傑作アルバムの前後の作品にフォーカスした記事を不定期に更新していきます。
 3ヶ月前に「私選:成功作の次のアルバム10枚」(こちら)と「私選:名盤の手前、10枚」(こちら)という記事を書いたことがありまして、それらを「名盤と私」コーナーに吸収合併させたのが「名盤の隣」です。
 本体の「名盤と私」では、なるべくベタなセレクションを心がけております。たとえばディープ・パープルだと『マシン・ヘッド』、イーグルスだと『ホテル・カリフォルニア』。私が個人的に贔屓するアルバムが他にあっても、年表に太字で記されてきた王道の「名盤」を語るコーナーです。
 「名盤の隣」でも王道作は意識するよう務めます。私も裏通りのマイナーな魅力には甘いので、どこまで徹底できるかは自信がありませんが、前後の「隣」を選ぶことで「名盤」の存在も自然と重視されるでしょう。

 さて、まず誰の何の「隣」を選ぼうかと考えて最初に思いついたのがドアーズです。サード・アルバムの『太陽を待ちながら(Waiting For The Sun)』。

 セカンド・アルバム『まぼろしの世界(Strange Days)』の次作です。さらに、ファースト・アルバムの『ハートに火をつけて(The Doors)』という、これもまた歴史的な名盤の隣の隣にあたります。つまり、デビューから二作続けて凄い作品を連発したドアーズ初期の「隣」でもあるわけで、そのことが『太陽を待ちながら』を独特の温度で包んでいる気がします。この3枚のジャケットを並べると、ファーストの挑戦的な空気、セカンドのフェリーニの映画を彷彿とさせる芸術性、それらの横では普通のロックの感じに近づいて見えます。
 先に書いてしまうと、私はこの『太陽を待ちながら』がとても好きです。ドアーズでは最初の2枚と(ジム・モリソン存命中の)ラストとなった『L.A.ウーマン』が名盤とされています。そのことに異論はありません。『L.A.ウーマン』も素晴らしいアルバムです。けれども私にとってのドアーズのランキングは、まずセカンド、次にファースト、3位が『太陽を待ちながら』と『モリソン・ホテル』です。

 『太陽を待ちながら』は後回しをして聴いたアルバムでした。
 1980年代に友人から『まぼろしの世界』を貸してもらって感激し、ファーストと『L.A.ウーマン』も聴いて、そこで一旦ドアーズ熱が鎮まりました。いや、鎮まったのではなく、その後にどれを聴けばいいのかわからなかったのです。ものの本によると、とにかくその3枚が必聴だと書いてありました。そして、それ以外のアルバムはポップ化してイマイチだとも。そうなると、ほかに聴きたいロックのアルバムが山ほどあった若者としては、とりあえずドアーズはそこで中断です。
 やがて京都の街にタワー・レコードがオープンして(1987年)、輸入盤LPが驚くほど安い値段で買えるようになりました。レンタルも(当時としては)大量のCD在庫を誇るツタヤが近場に出来ました。そこで棚を眺めていると、『太陽を待ちながら』が目に入ったのです。
 その段階でも迷っていた私。だってポップ化してんでしょ、イマイチなんでしょ、と心の中で呟いたのは、ストゥージズやヴェルヴェット・アンダーグラウンドに衝撃を受けていた頃だったので、中途半端なものなら後回しでいいと思っていたからです。でも尖った十代終盤の感性にも、ふと余裕で凪いでいる瞬間というのは訪れます。たぶん、『太陽を待ちながら』にようやく手を伸ばしたのも、そんな瞬間だったのでしょう。

 聴いてみての感想は、なんだ悪くないやん、でした。たしかにファーストやセカンドの切れ味には及ばないけれど、全然イマイチではない。キンクスからの盗作だと騒がれたらしいHello, I Love youだって、なんかプヨプヨしていて気味が悪くてドアーズらしい。それにWintertime LoveとLove Streetがめちゃくちゃいい。とくにLove Streetは、歌われている女性の部屋のカーテンの柄が目に浮かぶかのようだ。この曲もこの女性像も好きだな。オレはジム・モリソンと資質が似ているのかもしれん・・・などとアホな共感を寄せるくらいに気に入りました。
 私がドアーズのアルバムを聴きだしたのは青年期の入り口で、モリソンの文学性やカリスマ性を部分的にでも自分と重ねがちな年頃でした。実際は似ても似つかなかったのに、そう思い込ませる吸引力があったのがドアーズでした。ファーストとセカンドは、聴いている自分がアザー・サイドへとブレイク・オン・スルーする運命なのだと信じてしまう、内省的な一体感を誘うアルバムでした。
 サードの『太陽を待ちながら』には、日常的な喜怒哀楽や心の動きに触れて添う部分が少しだけ増えているように感じました。相変わらず倫理観を揺さぶる危険な匂いもしますが、The Unknown Soldierでの反戦のメッセージに顕著なように、リスナーに対して直接的な情動が先の2枚以上に開かれていると思います。

 ドアーズは確固たる音楽性を持ってデビューしたバンドです。並みのロック・バンドが3枚か4枚のアルバムをリリースして到達する域に最初から達していました。私はセカンドがファーストよりも好きだけど、それは聴いた順番と刷り込みによるもので、先にファーストを聴いていたらそちらのほうを好きになっていたでしょう。いずれにせよ、スタートの時点でパーフェクトだったんです。もし彼らが最初の2枚だけを発表して解散していたとしても、間違いなくロックの歴史に名を残したはずです。
 『太陽を待ちながら』は、”サード・アルバム症候群”と言われるクリエイティヴィティの減退を指摘されたりします。でもその指摘は批判というほど厳しいトーンではなく、一様に「なかなか良い」との肯定を含んでいます。私のように、「とても好き」と言う人も少なくありません。
 また、ドアーズはこの後に『ソフト・パレード』でポップ化を深めて、その次に『モリソン・ホテル』でブルース色を強め、ボトムを逞しくして最後の『L.A.ウーマン』でもう一度傑作をものにしました。ジム・モリソンの死はドアーズを伝説のバンドとして語り継がせましたが、そのディスコグラフィーの中身が質実で手堅く興味をかきたてることも、彼らが歴史に名を残す理由でしょう。

 『太陽を待ちながら』は1968年の7月にリリースされたアルバムです。"サマー・オヴ・ラヴ"の1年後で、ウッドストック・フェスティヴァルの1年前。私の生まれた年ですから当時の空気を知っているわけではありませんが、追体験したくて聴きあさったのは、そのあたりのレコードでした。1960年代のロックが迎えた最初の沸騰に、時代を経て何度もスリルをおぼえました。どれを聴いても心を鷲づかみにされたものです。
 『太陽を待ちながら』は、そこへ行くと、やや落ち着いたトーンの漂うアルバムです。ドアーズはその1年前にデビューして決定的な名盤を2枚も放っていたので、早くも次のステップに差し掛かっていたというところでしょうか。先ほど「プヨプヨ」と書いた独特の感触もセカンドの『まぼろしの世界』で確立した後です。その感触をHello, I Love Youというキャッチーな曲に活かしてあることにも、一種の余裕が醸し出されています。
 このアルバムに対する評価が先の2作より落ちるのは、そうした余裕と落ち着きがエッジを丸めた印象を与える面があるからだと思います。後世のリスナーはモリソンの遺作となった『L.A.ウーマン』の充実ぶりを視野においているので、そこにいたる過程に『太陽を待ちながら』を置くことができるけれど、リアルタイムではその想像は難しかったでしょう。

 ファーストの切っ先の鋭さやセカンドのユニークな浮遊感は減っており、そこは「名盤の隣」──この場合は「後」──を感じさせます。しかし曲の出来ばえは申しぶんのないレベルで、Not To Touch The Earthの曲名に反して、地に足のついた確かな手順を踏んで書かれたものばかりです。The Unknown Soldierでの具体的な銃殺描写が前2作のアルバムほど聴き手のイマジネーションを跳躍させないのは惜しいですが、1968年という時代性を考えると、それも切実なメッセージをもって試みられたのだろうと理解できます。
 人をアザー・サイドへと引きずり込む強い吸引力が弱まったかわりに、寂寥感や哀感が曲にまぶされているのも『太陽を待ちながら』の特徴です。そしてそれがファーストでの水晶の船やセカンドでのムーンライト・ドライヴといった幻覚的な設定ではなく、街角や戦場、季節や河の流れなどの具体的なモチーフを通して歌われています。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドが日曜の夜明けの平穏な光景をアウトサイダーの視点で描いたように、このアルバムにまぶされた哀感からも、アザー・サイドを知ってしまったがゆえに漂泊するしかない者の孤独と孤高が漏れ聞こえてきます。Spanish CaravanにしてもLove StreetにしてもWintertime Love にしても、攻撃性を抑えた、いわゆる「味のある」いい曲が詰まったアルバムです。

 そうした哀感はギターのロビー・クリーガーを中心とするメロディーを前に出した曲作りから生み出されていますが、そもそもドアーズはファーストの段階でそれを充分に備えていました。Light My Fireを例にとっても、歌のメロディーのみならず、オルガンとギターのフレージングにトリップ感はあっても聴き手を混乱させる箇所がありません。これは彼らがジャズというよりもブルースを根っこに持っていたからだと思われます。
 セカンドのプヨプヨした幻想味も、メロディーの簡潔な美しさを際立てています。だから、おどろおどろしいバッキングと詩の朗読で成り立つHorse Latitudesは、彼らの方向性に沿っているにもかかわらず、セカンド・アルバム中で少し浮いた曲に聞こえます。You're Lost Little GirlもI Can't See Your Face In My Mindも、メロディーの簡潔な美で輝いています。


 となると、サードの『太陽を待ちながら』は決してドアーズの音楽的な脈絡から逸脱したアルバムではないと言えます。たいていのファンは私と同様にまずファーストかセカンドから聴きだすでしょうし、そういう人たちは名盤2枚の中に『太陽を待ちながら』のメロディーの哀感を聴いていたのです。つまりドアーズはサードでセルアウトしたのではなく、もともと持っていたメロディアスな部分が前景化したということです。

 まあ、Hello, I Love Youがそこを人なつっこさに寄せすぎた感は否めませんが、あの曲にアルバムの頭で面食らったとして、全体としては肯定的な感想を抱かせるのも故なきことではありません。結果、『太陽を待ちながら』はファーストとセカンドと『L.A.ウーマン』とは別個に、ファンによって「愛される」ドアーズのアルバムとなっている気がします。
 ジャケットの普通のロック・バンドっぽさも、アルバムを聴くと好感度が上がります。なかなか素敵な一枚だと思うので、「名盤と私」コーナー内に「名盤の隣」を設けるにあたって、まずはこの作品を選びました。


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