絶滅シリーズ(1991?) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 絶滅シリーズとは、1990年代初頭に出回ったビートルズとローリング・ストーンズとレッド・ツェッペリンのブートレッグCDのシリーズ名です。ビートルズ編が9種、ジョン・レノン編が2種、ポール・マッカートニー編が2種、ストーンズ編が4種、キース・リチャーズ編が1種、ツェッペリン編が2種、というラインナップだったと記憶しています。家電量販店やディスカウント・ストアでワゴン販売されていたのと、大手ではないCDショップの中規模店にも並んでいるのを見かけました。
 正規の音源を勝手にコピーしたものと、当時まだ公式に未発表だった音源をCD1枚に集めた作りで、定価は2000円。制作者はMIDO ENTERPRIZEと記されており、著作権者に無断で作られたコンピレーションだったのに、JASRACの認可がおりていました(例のシールが貼ってあった)。
 
 このへんの事情を整理するべく、「公益社団法人著作権センター」の該当ページを読んでみました。私の理解が足りていないかもしれませんが、1990年11月30日に次のような著作権法改正の審議決定があったようです。原文の硬い語調を関西弁になおすと、こんな感じ。
 ”最近、CDとかいう便利なモンが普及してますやろ?ほんで、音質の劣化してない海賊盤CDがワゴンとかで安売りされて、日本の音楽事業に打撃を与えてるんですわ。
 いちおう、わが国では「日本盤を無断でコピーして販売するのはアカンよ」と法で定めてあるんやけど、輸入盤からコピー販売して儲けてるアコギな連中がおるんですわ。輸入盤に関しては、ウチら、1978年締結の国際条約に加入したのが去年(1989年)と遅かったもんで、昔にリリースされた輸入盤については、無断でコピーして販売されても取り締まれないんです。日本のレコード会社の洋楽部門もやってられまへん。1992年の1月1日から法的にアウトにするさかい、あんじょう頼んまっさ。”


 絶滅シリーズのCDの帯には、この法改正を受けて、こんな文言が踊っていました。
 「絶滅シリーズ
  一、英国(エゲレス)渡来の甲虫(ビートルズ)、鉛風船(ツェッペリン)、岩石転し(ストーンズ)の豪華絢爛音仕掛。
  一、平成未(ひつじ)年除夜の鐘を以って市中商い御法度と相成り候。」

 つまり、法の網が緩い1991年(ひつじ年)の12月31日まで、ブリティッシュ・ロックの超人気グループのコンピレーションCDを、正規品よりも格安で、レア音源も混ぜて、限定販売しますということです。さらにダメ押しで、
 「Save The Earth, Love The Music 絶滅シリーズでは、動植物を絶滅の危機から救うため、1枚につき5円をWWF Japanによる保護活動に活用していきます。」ともありました。フザけてます。

 私がこのシリーズのことを知ったのは、1991年だったと思います。上記の法改正審議が1990年の11月末日なので、たぶん流通したのは翌年に入ってからでしょう。
 当時働いていた輸入盤店で、早番で帰ったはずの同僚が戻ってきて、「おい、これ見てみぃ」と差し出したのが絶滅シリーズの数枚。彼はカセット・テープでも買いにディスカウント・ストアに立ち寄った際に、ワゴンの安物を冷やかしたところ、なにやら異様な存在感を放っていたビートルズ編を1枚引きだしてみたのでした。
 その時に彼の手を取らせたのは、「むっ、こやつ出来る!」という予感ではなかったでしょうか。ワゴンの中で、絶滅シリーズが得体の知れない不敵な空気を漂わせていて、彼の眼力がそれを見抜いたのです。
 わかる気がします。たとえば中古レコード屋を廻り慣れると、ドアを開けて入っただけで「出来る」店かどうか、肌で察するようになります。それと似たような勘が絶滅シリーズでも彼に働いたのです。

 はたして、彼が目をつけたビートルズ『巻の一 Hard Day's Night Special』は、正規の『ア・ハード・デイズ・ナイト』全編にハリウッド・ボウルでのライヴ音源をカップリングしたCDでした。この時点で、そのライヴ音源はCD化されていません。驚いて『巻の五 サージェント・ペパーズ・スペシャル』『巻の七 ゲット・バック・スペシャル』などと一緒に買い込み、私に自慢するために戻って来たというわけです。
 ほかにもストーンズ編とツェッペリン編があったことを告げられた私は、翌日でしたか現場に足を運び、ストーンズ編の隣にキース・リチャーズ編の『巻の一 ロックンロール・ダイナマイト』を見て小躍りしました。ストーンズでキースがリード・ヴォーカルを取る曲や、彼の声が特に印象に残る曲がまとめられているうえに、ロン・ウッドのファースト・ソロ・アルバムに提供したSure The One You Needのタイトルも読めます。さらに、キースが1978年にシングルの両面で発表したカヴァー2曲、すなわちチャック・ベリーのRun Rudolf Runとジミー・クリフのThe Harder They Comeが入っていたました。その2曲はアルバムには未収録でシングルも手に入らず、私は実物を聴いたことがありませんでした。
 こやつ、ワゴン売りのボンクラCDに紛れているが・・・出来る!心の中でそう呟きました。そしてキース・リチャーズ編を買うことにしました。

 翌年の大晦日まで限定販売、との触れ込みでしたが、絶滅シリーズはそのタイムリミットを過ぎても売られていたと思います。私もほかのストーンズ編を少しずつ買ったり、ビートルズ編とツェッペリン編を友達にダビングしてもらって、わりと時間をかけて集めていきました。最終的には、たぶんシリーズ全部をなんらかの形で聴いたのだと思います。
 内容は現在の基準ではレアというほどではありません。ストーンズのThrough The Lonely Nights(It's Only Rock'n'RollのシングルのB面曲)などは絶滅シリーズで初めて聴いた佳曲でしたが、21世紀になって『レアリティーズ』というコンピレーションに入りました。もっと貴重なブツもYouTubeで漁れます。当時でも、絶滅シリーズは何回か耳を通しただけです。
 だいたい私はブートを熱心に集めるタイプのマニアではないのです。唯一、ボブ・ディランの歴代ツアーの音源(1990年代半ばまで)を追いかけたくらい。それだって、ひとつのツアーにつき1枚程度です。
 そうした諸々もあって、これ以上は同シリーズの詳細について特筆しません。その代わりに違う角度から、あの時期あのシリーズに沸き立った気持ちに焦点を当ててみます。

 絶滅シリーズで食いものにされたビートルズとストーンズとツェッペリンは、どれもブート界の売れ筋で、それぞれに未発表曲やデモ・テイク、ライヴ音源などがマニアの渇望を満たしてきました。この顔ぶれにディランが入っていないのは、日本での人気といいますか、ディランが知名度はあるけど実際に聴かれていなかったこととも関係しているのでしょう。
 そこでツェッペリンを登板させての、「英国(エゲレス)渡来」のビッグ・ネーム3組。絶滅シリーズの業者は、そのようなニーズも上手く衝いていました。大っぴらに褒めるべきことではないけれど、各盤に収録されたレア音源のチョイスもロック偏差値の確かさを感じさせたものです。CDの帯にあった犯行声明めいてフザけた文言にしても、鼻につくところは多々あったものの、当時の私のようなロック好きの若者のセンスをくすぐる面白さがありました。
 だから絶滅シリーズに対して23歳の私が思ったのは──こういう、気を利かせたつもりのロック馬鹿は俺の友達にもいるし、俺自身にも似てる。
 私は絶滅シリーズを、自分より少しアドヴァンテージを持った仲間と付き合うような感覚で集めたのでした。

 これは10月から開始予定のボックス・セットにまつわるコーナー(「箱ハコアザラク」。序章はこちら)ともリンクすることですが、ロック界は1990年代を迎えるまでにアーカイヴを重視していませんでした。ベスト盤に未発表曲やライヴ音源が入ることはあったし、ビートルズやザ・フーなどはレア曲集を出していましたが、それをもって何かを期するといった意図は薄かったはずです。1980年代が終わって、”クラシック・ロック”期が幕を閉じようとしていた頃合いに、ボックスを中心とするアーカイヴ企画が盛り上がりだしたのです。それまでは、たとえばツェッペリンのCommunication Breakdownをライヴ・ヴァージョン(絶滅シリーズのツェッペリン編に収録)で聴くにはブートに頼るしかありませんでした。
 また、絶滅シリーズが世に出た1991年は若者の間でCDプレイヤーの普及が一段落したタイミングでもあり、ブートもすでにLPからCDへの切り替わりを見せていました。ビートルズ、ストーンズ、ツェッペリンは正規盤のCD化がひと通りは済んで、駅前の商店街でも買えました。そうなると贅沢なもので、まだ食べたことのない味や珍味に食指が動いたりもします。若い胃袋は元気なので、すぐに腹も減ります。2000円という価格の絶滅シリーズを目にしたら、抑えが効きません。

 絶滅シリーズが衝いたのは、私のようなブートに関して素人同然の人間の好奇心でもありました。あの時期の悪だくみとしては、そこも上手かったんです。
 内容と懐具合の条件が合ったので、私もちょっと手を出してみたい気持ちに勝てませんでした。その気持ちは加齢とともに、そしてYouTubeの充実とともに、すっかり減退したのですが、そんな私でも絶滅シリーズという軽めのドラッグの噂を聞いて、家電量販店へ飛んで行った日がありました。入手困難な音源の魅力に加えて、CD時代の温故知新の在り方が、ボックス・セットよりイビツではあるけれど、具体的になった気もしました。

 ブートレッグは洋楽のものが大半です。日本のアーティストのブートだってありますが、デモ/アウトテイク/ライヴにかかわらず流出音源を集めた盤となると、洋楽の多さは邦楽の比ではありません。マニアが思い浮かべるブートとは、基本的には正規盤のコピー品ではなくレア音源集です。
 海外発の音楽に憧れて、なんなら国内産のものよりもリアリティやファンタジーを感じて、拝んだり親しんできた私にとって、「レア」の文句は弱みにつけこまれる言葉でもありました。それにまったく興味を示さない人は真っ当だと思うし、むやみやたらに「レア」を賛美するものではないと私も学習してきたつもりです。
 ただ、あの絶滅シリーズを振り返ると、なぜかしら口許が微苦笑で緩みます。なんか悪の道化を気取ってイキってるブートだったけど、中味はロックの勉強家の匂いがして、でもあのレベルの勉強は今じゃ通用しなくて、そこが可愛げにも感じられる。やっぱり、ああいうヤツは俺の周りにもいたよなあ、ていうか俺もあれに近かったかもな、と思い出すのです。